第33話 理想の夫婦計画


「たとえば、朽葉さんとか」


 彼女の名前を出した途端、空さんはスプーンを持った手を硬直させて何もない方へ眼を泳がせた。落ち着きのない様子で口をぱくぱくさせ、私への言い訳を考えているのは明らかです。空さんはグラスの緑茶を一気飲みし、裏返った声で否定しました。

 ちなみにそのグラスには私がフィランスグリーンの武器で生成したお薬が入っています。効能の調整に力を入れた為に完全な無色透明無味無臭にはならなかったのですが、緑茶に混ぜて色のついたグラスに入れ、味が濃く香りの強い食事を隣においておけば気付かれることはまずないでしょう。他のヒーローに比べて使いづらい武器にコンプレックスを感じてはいましたが、このように空さんを説得するために使えるのでしたらこれはもはや運命的とも言えますね。

「そんなに慌てなくていいですよ」

 そうとは知らず、空さんは相変わらず焦っています。浮気が発覚してかまをかけられていると思っているのでしょう、一生懸命に取り繕っています。そんなおっちょこちょいで子供っぽいところも可愛らしくて好きです。

「や、その、慌ててなんか、ない、ですよ?」

 ですが、空さんの反応で確定してしまった事実のせいで私に大きな悲哀の感情が芽生えたのは事実です。空さんは朽葉さんの本性を誤解し、少なからずとも愛着を持たれているようです。新婚早々にうら若い愛人を作るだなんて空さんは随分と大胆なうえに、おモテになられる方なのですね。夫が魅力的なのは妻として嬉しい部分もありますが不安要素でもあるので私はあまり良い事だとは思えません。空さんの魅力は私だけが理解していれば良いのです。

 その後、私は出来る限りの言葉で朽葉さんとの関係を断つことを提案しました。これは妻である私の嫉妬や我がままではなく、空さんが悪い女性に騙されてしまうことを避ける為です。純粋で人を疑うことが出来ず、か弱いふりをした女性に思わず同情してしまう優しすぎる彼の為に私が真実を教えてあげる。全ては空さんにとって理想的なパートナーとして当然の仕事。空さんはあの子に騙されている、それを伝えてみました。

 ですが残念なことに、優しい空さんはヒーローの仲間を疑うことが出来ないと、私の意見を聞き入れてはくれませんでした。私の説得を真摯に聞きつつも、少し困った顔をされていました。その表情を見て私は、今の空さんには朽葉さんを見限る気はないのだと理解しました。例え朽葉さんの本性を知ったとしても、同じヒーローである彼女の気持ちを無下にする事は出来ないのだろうと、私は察してしまいました。

「うぐいすさ・・・」

 言葉による説得が難しい事がわかっていたので、予め仕掛けておいたお薬が効いたようです。空さんは私の名前を呼ぶ途中でスプーンを握りしめたままにくたり、と横に倒れてしまいました。勿論人体に悪影響が出るようなものではありません。ただの睡眠薬と同じです。


「・・・・・・ごめんなさい、空さん」

 空さんの返事がないことを確認してから、私は立ち上がり、扉の鍵を閉めます。念のため、チェーンもかけておきます。

「他の女性を求めてしまうのは私の力不足でしょうか。他の子に優しくしてしまうあなたが辛いと感じる私は出来の悪い妻でしょうか。あなたの優しさを独り占めしたいと思うのは、そんなにも無謀なことなのでしょうか」

 私の御部屋ですやすやと眠る空さんは、先ほどまでの焦りや困惑の顔とは違ってとても安堵した笑顔です。私は空さんにはずっとこんな笑顔でいて欲しい。他のヒーロー達は空さんの興味や好意を欲しがるだけでなく、いつか危険な手段を取る事でしょう。彼女達が空さんの周りにいる限り私達夫婦に真の平穏は訪れない。

 握りしめたままのスプーンを空さんの右手から抜き取り、眠っている空さんの頭を軽く持ち上げて正座した私の太ももの上にのせます。私の膝枕で空さんはより一層いい夢を見られると良いのですが。

「ふふっ、良かった。気持ちよさそうに寝ています」

 少し硬い空さんの髪の毛を撫でてみると、なんだか私まで笑顔になる。改めて感じる幸福で胸がいっぱいになりました。私を否定しない空さん、誰にも邪魔されない場所。たったこれだけあればそこは世界一幸せな空間です。空さんが私だけの空さんになれば簡単に叶うことなのに、私には障害が大きすぎる。

 空さんにもわかってほしい。他の女に同情するようでは、私達の幸せな未来が遠のいてしまうことを。そして私だけを受け入れて欲しい。


「ねぇ空さん、私だけではダメですか?」

 右手でそっと頬を撫でながら問いかけると、空さんは小さな寝息を鳴らしました。

「理想の妻になりますよ。ごはんだって毎日美味しくて栄養バランスのとれたものを用意します。掃除も洗濯も得意です、ヒーローのお仕事で稼ぎも十分です。空さんは私が働いている姿を見ているだけでいいのです。もちろんお家に監禁なんてしません、空さんは自由にお出かけして良いですよ、ただ私がいつもお傍にいるだけで、えぇ、邪魔なんてしませんよ。ただ空さんの護衛として傍にいたいだけなんです。悪い女に騙されないように。他意はありません。空さんは私の大切な夫ですから、何かあってはいけませんもの」

 私の想いに、空さんは寝息で答えます。

「私は他のヒーローの皆様と違って図太くはありませんが、きちんと空さんのお役に立つことだってできるのです、守られるだけの存在ではないんですよ。私だけを選んでくれたら直ぐに証明してみせます。空さんは安心して私だけを頼ってくださればいいんです、そして私の事だけを心配していてください。空さんが信じられるのは私だけです、私だけを見ていてくださればいいのです、他のことは全て忘れてください」

 空さんは寝息で答えます。

「勘違いしないでくださいね、私は空さんが誰と親しくしてもそれを怒ったり束縛をしたりする気はありません。だってそんなことをする女見限られてしまうでしょう?浮気は男の甲斐性、とまでは言いませんが複数の女性に良く思われたいと考える気持ちを無理に押さえつけるのは良い妻のすることではないと思うのです。ですがあなたの愛が他の女性に少しでも向けられていると悲しいのは事実です。だから私はあなたが他の女性を気にしないくらいに魅力的な妻になりたいのです。私一人で空さんに満足してもらいたい、私の愛だけが空さんを見たし、空さんの愛は私だけに注がれる。どこの誰にも分け与えない、零さない、余すとこなく全てをお互いへの想いで埋め尽くしたいのです。愛は私達夫婦間にだけ永遠に激流する永久的エネルギーとなるのです、そしてその愛が私の力となり世界を救うことが出来る、素晴らしいではありませんか、私達個人にとってだけでなく世界が祝福すべき理想の夫婦です。それは有象無象な第三者がいては成り立ちません、私たちの間に何人たりとも邪魔が入っていては叶わない平和なのです」

 空さんは寝息で答えます。

「だからお願いします空さん。私だけの空さんでいてください。私と空さんは運命で結ばれた選ばれし二人なのです。あなたには私が、私にはあなたが運命の相手です。気付いていますよね、知っていますよね、だって私たちはこんな短い間で心の深いところで結ばれた関係なのですから。他のどうでも良い女なんて忘れて私と二人だけの世界を作りましょうよ空さん、私の世界にはあなたしかいらないんです。空さんもそう感じている筈なのに無理して他の女性と親しくしないでください。これは空さんの為でもあるのです、空さんが幸せになるには私が傍にいることが必要不可欠、私と一緒になりましょう、私にあなたの全てを満たさせてください空さん」

 空さんは穏やかな笑顔で眠っています。

「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。必ず空さんはわかってくれます」

 棚に手を伸ばして中から小さな小瓶を取り出す。5センチ程度の高さしかない瓶の中には青緑色の液体が入っています。当然これも私が生成したお薬。

「ほら、まずはこれを飲んで下さい空さん。私たちの理想的な夫婦生活のはじまりですよ。空さんにはまだ見せたことがありませんが、私のヒーロースーツって少しナース服みたいな形をしているのです。武器もこんなものですし、もしかして私って空さんにとっての白衣の天使だったのでしょうか?ふふっ、白ではなく緑ですけどね」

 膝に乗せた空さんの頭を少しだけ傾け、空さんの唇に触れる。親指の先に感じる少し皺のある唇の感触にキスをしているわけでもないのに思わずドキッとしてしまいます。

「少し苦いお薬だし、痛みも伴うので先に眠っていただきましたが、勝手なことをしてはあとで空さんに𠮟られてしまうでしょうか。でも両手両足が永久的に痺れて満足に動けなくなるだけですし、私が甲斐甲斐しくお世話することで二人の絆が深まるのできっと許してくれますよね。これは私たちに必要な愛の障害であり、空さんにとって私だけが唯一の幸福だと知っていただくために必要事項ですから。それに、そ、その、きちんと大事な部分の機能に影響は出ないようになっているので、夫婦の営みにも支障はきたしません。」

 片手で小瓶の蓋を開けてそのまま空さんの口元に瓶の口をあてがう。

「私なしでは生きられなくなれば、空さんは私の言っている事を理解してくれます。私達は二人きりでいる事が最高に幸福だと言う事を知ってもらえる。私が他の女性と違う事を、真に空さんに相応しいたった一人のパートナーだと気付いてもらえる。その為には二人っきりの時間が必要なのです、だから少しだけ辛いの我慢してください。本当にわかっていただけたらその時は改めて解毒しますし、わかってもらえるまでは私が空さんの手足となってお仕えできる。完璧な作戦ですね。ふふっ、全てを理解してもらえたらきっと空さんに褒められてしまいますね。私はなんて聡明な妻なのでしょう」

 思わず緩む口元と一緒に手先も狂わないように、しっかりと気を確かに持って、私は瓶を傾けた。

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