第29話 鶯と手料理2


 男手一人分あれば余裕に運べる程度の荷物を持って、ここからは少しだけ遠いグリーンの部屋を訪れる。

 コンコン、と肘でノックすると扉の向こうから

「はぁい」

 という軽やかな声と共に扉が開き、ベージュにミモザの刺繍があしらわれたシンプルなエプロンを身に着けた鶯さんが登場する。

「荷物運びお任せしてしまってすみません、私の御部屋少しだけ散らかっていたので」

「いえいえ、俺こそ急にお邪魔しちゃってすみません」

 急に部屋から追い出してすみません、とは流石に言えない。

「うふふ、空さんがうちに来てくれるなんて嬉しいんですよ?全然お邪魔じゃないです」

 そんな風に素直に嬉しい事を言われると少しだけグッときてしまう。精神的に弱っている時の鶯さんしか見ていなかったけど、普段の鶯さんは何処にでもいる穏やかなお姉さんにしか思えない。言い方は凄く酷いが、ある意味達が悪い。

「では、お邪魔します」

 俺の部屋や向日葵の部屋とほぼ同じ間取りの鶯さんの部屋。入った瞬間にまず思ったのは「女の子の部屋の匂い」がするという我ながら気持ち悪い感想だ。当然口にはしないし、その後直ぐに目に入ったアロマディフューザーを見て口にしなくて良かったと思った。これは何かハーブとかの香りだ、恥ずかしい。

「いらっしゃいませ。狭いところですがくつろいでください・・・といっても皆さんと同じ広さのお部屋ですけど」

 フィランスグリーンだからか、名前が鶯だからかはわからないけど、鶯さんは緑が好きなようで木製の家具の中に淡い緑色が映えるシンプルで可愛らしい部屋だ。本棚に恋愛小説らしきタイトルが並んでいたり、目覚まし時計が林檎の形だったり、SNSでしか見ないような黒いまな板みたいなお皿がかけられていたり、なんとなく女の子の一人暮らしっぽい空間になっている。

「あ、あの・・・」

「なんですか?」

「恥ずかしいので、あまり見ないで欲しいです」

 俺が露骨に部屋を見ていたのがバレていたようで、鶯さんが顔を真っ赤にして俯いていた。

「す、すみません!」

 年の近い女の子の部屋にお邪魔するという人生初のイベントに少し浮かれていた、失礼なことをしてしまったな。

「そこに座っていていいので、料理ができるまで待っていていただけますか?」

 上板がガラスでできているローテーブルには既にギンガムチェックのランチョンマットが二枚置かれている。片方は黄緑で片方は水色、これは・・・。

「俺はこっちでいいんですかね」

 一応戦隊ヒーローのブルー担当なので水色の方に腰を下ろす。よく見るとカーペットに置かれたクッションも鮮やかな空色だ。

「はい、お暇でしたら本等読んでいても構いませんが・・・空さんには少し退屈かもしれません」

 そう言ってから、鶯さんはこちらに背を向けて調理に取り掛かる。家事をするからだろうか、先ほどよりも高い位置でポニーテールを結びなおしている。狭いキッチンを手際よく動くたびに一緒に揺れる深緑色の尻尾がなんだか愛らしい。

 トントントン、と包丁が軽快な音を奏でると「女子の手料理」という男なら誰もが憧れるシチュエーションを体験している実感が沸いてきた。モテる男からしたら陳腐な願望と言われるかもしれないが、手料理や手作り弁当は彼女が出来たらやってみたい事トップ3には当たり前に入る定番のイベントだと思う。当然俺も、恋人ではないとは言え自分に対して好意的な信頼を寄せてくれる美人の手料理といった最高の状況に胸を躍らせている。


 あぁ、鶯さんがヤンデレじゃなかったらなぁ。


「あれ?ヤンデレと料理・・・」

 その組み合わせに、数日前ネットで得た嫌な知識が蘇る。俺はこの数日インターネットでヤンデレに関する情報を調べていた。実際に起きた事件はもちろん、ヤンデレヒロインが登場する漫画や小説を読んでみたりもした。今思い浮かんだのはその中でよく見たシチュエーションだ。

 創作で見たヤンデレヒロインは手料理に自分の髪の毛や体液や血肉を混ぜたりする。好きな人に自分を食べてもらいたいという理解しがたい捕食者願望で、クッキーやケーキに自分の身体の一部を混ぜて想い人に食べさせるという話を見たことがある。そして信じられない事にこれはありがちな内容だったのだ。

「・・・う、鶯さん?」

 嫌な予感がして、恐る恐る調理中の彼女の背中に声をかけてみる。

「どうしました、お腹すいちゃいましたか?すみません、もう少しだけ待っていただけますか」

「あ、はい」

 今のところ不穏な動きはない。そもそも鶯さんは俺に対して信頼を寄せてくれてはいるが恋愛に結びつくような言動は見られない。だから漫画で見たような片想いの相手にする行為を警戒するのは間違っているだろう。でも、何かの間違いもあるかもしれない。

 不安をぬぐえない俺は多少の申し訳なさを抱きつつ立ち上がり、鶯さんの背後からそっと調理中の手元を覗き込む。

 フライパンに垂らされたサラダ油はぷつぷつと熱せられ、既に切ってあった野菜やひき肉が投入されていくところだった。にんじん、玉ねぎ、ピーマン、あと豚ひき肉。大丈夫だ、肉はどうみても豚肉だし鶯さんの指先も無事だ。

「あ、すりおろしニンニク何処置いたっけ・・・」

 いつもと違う砕けた口調の独り言を呟きながら木べらを持ったまま振り返る。

「ひゃっ?」

 こちらを向いた鶯さんと至近距離で目が合った。

「そ、空さん。いつの間に」

大人しく座って待っていると思っていた俺がいつの間にか背後に立っていた事で驚かせてしまった。まさか「あなたが料理に異物混入させないか心配で見に来ました」とは口が裂けても言えない。

「いやぁ、あまりに美味しそうな匂いがするもので待ちきれなくって」

 少々はしたないが適当な言い訳で濁す。

「ふふっ、お待たせしてごめんなさい。お肉が焼ける匂いってお腹がすきますよね」

 よく考えたらまだ具材を炒めている段階なので少し変な言い訳だったが、鶯さんは嬉しそうに納得してくれた。

「何か俺に手伝えることありませんか?ただ待っているのは申し訳なくって」

「・・・・・・申し訳ない、ですか」

 あれ、なんだか声が急に暗くなった。別に今のは招かれた人間として不自然のない言葉だったと思うけど、地雷を踏んでしまったのか。もしかして拘りがあるから部外者を厨房招きたくないとか気が散るから余計なことはするなとか、そういう話か?


「では、そこで私の事見ていてくれますか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る