第19話 未来予知3


「ただいまお兄ちゃん!・・・あれ、どこにいるのかな?」

 可愛らしい声と同時に映る全体的に薄暗い画面。そして現れたロングヘアの少女、多少背は高くなっているが向日葵のようだ。


「あ、いたいた。お兄ちゃん」

 パっ、と部屋の明かりがつく。画面に映ったのは床も天井も白い無機質な部屋、中央に大きなベッドが一つ置かれているだけで壁紙も絨毯も家具も窓もなにもない。扉とベッドしか無い空間はまるで隔離病棟みたいだ。

 そして、ぐしゃぐしゃになったシーツの上に座っている男が一人、こちらもまた雰囲気が違っていてわかりにくいが俺のようだ。何故俺はこんな部屋にいるのか、そんな疑問が些細に感じられる程に異常な絵面が目に入って来る。

「みてみて、蘇芳茜と同じ髪型にしてみたんだ!」

 殺風景な部屋に立つ向日葵は、少し童顔だが今に比べてずっと大人びた顔をしている。ショートパンツのヒーロースーツを身にまとい、背中まで下ろした外ハネ気味のロングヘアを自慢気に見せつける笑顔の向日葵。その長いこげ茶色の髪と彼女の身体の至る所に赤黒い液体がべっとりとこびりついていた。

それが血液で、血しぶき・・・つまりは返り血だろうと理解するのに時間はいらなかった。正義を象徴するヒーロースーツには柄かと見間違える程大胆に返り血が染みついている。鮮やかな赤、黒が混じったどろりとした鈍い赤、カピカピに干からびた灰色に近い赤。たった一度、一人の死を目の当たりにしただけでは到底こんな風にはならないだろう。フィランスイエローから長い期間、複数回に及ぶ血の匂いを画面越しに感じる。

「まだ長さが足りないけど、それっぽさは出てると思うんだ」

 真っ白い部屋の中央で何度もくるくるとまわる少女は新しい髪型を褒めて欲しいごく普通の女の子の顔をしている。その普通さが狂気を一層際立てた。

「お兄ちゃんあの女の事好きだったんでしょ。だからこうしたら喜ぶかなって思ったんだけど・・・どうかな?髪型は真似できたけどスタイルはやっぱり無理だね、あの女みたいに背が高くないし胸も大きくないもの」

 画面に大きく映った俺はどうもやつれている様子だ。クタクタになったパジャマと寝癖だらけのぼさぼさ髪のせいで病人のような見た目になっている。何かに縛り付けられているわけではないのに、まるですべてを諦めたみたいにぐったりと動かず、ただ向日葵の方を見ている。

「でも、僕はこれからもっと大きくなってお兄ちゃん好みの女性になるからね?お兄ちゃんが望むなら整形だってするよ。あの女と同じ顔にしてあげようか?それとも他に好きな顔がある?なるべく正確に、確実に、お兄ちゃんの理想の姿を叶えたいから具体的な人物を上げてくれると嬉しいのだけど・・・」

 向日葵はぴょこん、とベッドに腰掛けて足をぷらぷらさせながら俺に語り掛けた。しかし俺は何かを言いたそうな顔をしても、黙ってそれを聞いている。

「本当はね、そのままの僕の事を好きになって欲しいって思うよ。でもそれは無理だからさ。僕はお兄ちゃんの愛がなければ生きる価値のない溝に捨てる事すらおこがましいゴミくず最底辺ウジ虫女だから、そんなこと無理だってわかってる。身の程をわきまえるのは得意だよ。だから、早くお兄ちゃんが喜ぶような女性になりたいな。僕はお兄ちゃんのものだから、いくらお兄ちゃんの為とはいえ勝手に変えたり傷つけるわけにはいかないよね。だからお兄ちゃんがちゃんと決めてね?」


「・・・・・・」

「あ、大丈夫だよ!もちろんお兄ちゃんの指示が無くても今日もちゃんとヒーローのお仕事したよ。正義のヒーローがする事は自分で考えてやってもいいって言われたからね。安心して、今日もたくさんの人に感謝された。あ、あとね。うふふ、褒めて欲しい事があるんだ」

 血液でかたまった毛先をいじりながら照れ臭そうに話す。

「僕、ついにあの女を倒したよ」

「・・・・・・茜さんまで殺したのか」

 やっと発言した俺の言葉に、耳を疑った。茜さんを殺した?今、俺はそう言っていた。それに『茜さん』ってどういうことだ。

「うん!やっと殺せたの!すごいでしょ!僕の愛があの女の愛に勝った証拠だよ!えへへ、褒めてくれるよね?お兄ちゃん」

 動揺する俺にお構いなしに、向日葵は頭を撫でてくれとちいさな頭を向けている。

「あの女は生意気にもお兄ちゃんの告白を断ったんだ。どうせ本当はお兄ちゃんの事が好きだったくせに、おかしいよね、許されるわけないよね、あり得ないよね。お兄ちゃんを傷つけるなんて悪い奴だ、罪人。死んで当然。だから僕がやらないと、僕がお兄ちゃんの為に殺さないといけないのは当然。・・・でも、本当はもっと早い段階で始末したかった。ごめんね、遅くなって。辛かったよね、お兄ちゃんにずっと我慢させる妹でごめんね?博士がどうしても邪魔で、全員殺すのに手間取っちゃったの」

 全員殺すのに手間取った。俺の知っている向日葵によく似た画面の先の少女は無邪気にそう言った。何の罪悪感も後悔もないような顔で、夏休みの宿題をやっと終わらせたみたいに当たり前の感覚で。

「でもこれでお兄ちゃんを傷つけた奴はこの世界から一人もいなくなったよ。だから安心して眠ってね?最近あんまり眠れてないでしょ、僕なんかに心配されたくないかもしれないけど、お兄ちゃんが元気ないと嫌だな」

「茜さんは・・・」

 か細い声で反論しようとする画面の向こうの俺は、もうずっと昔に心が折れているような頼りない姿をしていた。

「茜さんは悪くない。仕方なかったんだ。俺を、俺達を守るために俺と茜さんは結ばれてはいけなかった・・・そうすれば他のヒーローが暴走して、取り返しのつかないことになる。少し考えればわかったことなのに、博士にだって注意されていたのに。悪いのは何も考えずに告白した俺だ」

 俺の口から出たのは反論でも向日葵を責める言葉でもなく、自責だけだった。映像の一部だけでは何があったのかはわからないが、俺が茜さんに告白をしたことで多くの人が傷ついたという結果だけはなんとなく理解できた。

「もう、まだそんなこと言ってるの?お兄ちゃんは悪くない、悪いのは全部あの女だよ。ほら、だからあの女は僕に倒されたでしょ。正義は必ず勝つ。つまり殺されたあの女は悪い奴だったんだよ。僕はお兄ちゃんの愛の力で悪のフィランスレッドよりも強くなったんだ!」


 ぶつぶつと自分を責める言葉を続ける俺を慰めようとする向日葵の目には、物理的にも精神席にも俺のことしか映っていないように感じた。世界も、他のヒーローも、なにもかもが俺の前ではどうでも良いかのような、心酔した表情。突拍子もなく偏って歪み切った理論を笑顔で掲げて自分の正義を信じているみたいだ。

「悪くない、悪いのは俺だ」

「なんでそんなこと言うの?お兄ちゃんが悪い事なんてありえないよ。そんな事言うやつの方が悪者だよ。お兄ちゃんを苦しめる奴なんて全員死んじゃえばいいんだ。ね、お兄ちゃんの敵なんて全部僕が粉々にするから、そんな風に悲しい顔しないでよ。僕は最強のフィランスレッドにも勝ったんだよ、お兄ちゃんに辛い思いをさせたあの女よりも僕の方が強いんだ、これからは僕がお兄ちゃんを守る。僕はあの女と違ってつまらない言い訳でお兄ちゃんを否定したりしないよ、お兄ちゃんの全部が正しいと思うよ、お兄ちゃんの言う事ならなんだって聞くよ、お兄ちゃんになら何をされても嬉しいよ。僕はお兄ちゃんの全てを受け入れるし、僕だけは全て肯定してあげる。お兄ちゃんは何も悪くない、お兄ちゃんは間違ってないよ、蘇芳茜も、石竹桃も、常盤鶯も、博士も、邪魔な奴はみんなみんな殺した。お兄ちゃんの為だよ。あいつらが僕のお兄ちゃんの事否定するのが悪いからだよ。あいつらはお兄ちゃんの事を大切だとか言っておきながらお兄ちゃんを困らせることばかり言うから悪者なんだよ。でも僕は違うよ、僕だけは、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーっとお兄ちゃんの事だけを考えてるよ。お兄ちゃんの言う事をちゃんとよく聞くよ。ねぇ、だから、お願い、僕の事褒めて?撫でて?よくやったな向日葵、って言って?」

 頬についたまだ新しい血液を拭い、あどけなさの残る丸い山吹色の瞳を輝かせて俺の事を見つめる。『とってこい』が出来た犬みたいにわくわくした表情だ。けれど期待する反応は無く、俺は黙って話を聞くだけだった。

「・・・・・・もしかして、まだ足りない?わかった。あとは何をすればいいの?誰を殺せばいいの?どうしたらお兄ちゃんは笑顔になってくれるの?僕を褒めてくれるの?僕がどうなればお兄ちゃんは嬉しい?今の僕は何でもできるよ、世界で一番強いよ、お兄ちゃんがいらないって言うならどんなものでも壊せる。僕は、僕だけはお兄ちゃんの望む全ての事を叶えてあげられるよ。だからお願い、ちょっとだけでいいから僕の事を好きになって?どうしたらお兄ちゃんに好きになってもらえるの?教えて?」

「・・・向日葵、ごめん」

 俺からのお礼や労い、ほんの些細な好意を求める向日葵の言葉に俺は謝罪で返す。謝罪を聞いて、向日葵の薄桃色の唇がきゅっと噛み締められた。直ぐ後に噛んだ唇から漏れたのはさっきまでの縋るような言葉ではなく思わず零れた本音のようなものだった。

「・・・・・・僕、大好きなお兄ちゃんのためにたくさん頑張ったんだよ。たくさん殺したよ。ねぇ、それでも僕じゃダメなの?」

 たくさん殺した。その『たくさん』の中にいったいどれだけ意味のある殺人があったのだろう。どれだけの数が本当に死んで償う程の罪を犯したのだろう。その中の一人でも、本当に俺が死んでほしいと望む人物がいたのだろうか。

「ちがう、ちがうんだ向日葵・・・」

 俺は何度も否定と謝罪だけを繰り返す。しかし、そんな言葉では向日葵の心は一ミリも満たされないようだ。

「お願い。褒めて、僕の事必要として、ほんのちょっとでいいから、僕の事すきになって」

 涙声で、甘える妹のようにぐりぐりと俺の胸に頭を押し付ける。このいたいけな少女の姿をした悪魔が本当に人を殺したっていうのか。向日葵が怖い。向こうの俺も同じ気持ちだろう、けれどそれを口にしてはいけない気がする。

「・・・向日葵。ごめん」

 何度目かわからない謝罪。もうまともに会話することすら恐怖で出来ないのかもしれない。

「謝らないで、僕はお兄ちゃんの為ならいくらでも穢れるよ」

「そんなことしないでくれ。これ以上向日葵が傷つくことはしないでくれ」


「・・・・・・どうして?」

 向日葵は困った顔で小首をかしげると、小さな手で俺の両手を握った。

「僕が傷つくことなんて、どうして気にするの?僕は大丈夫だってまだ信じてくれないの?ほら、お兄ちゃん。わかるまでやっていいよ、僕を殴って?刺して?凌辱してもいいよ?僕はなんだってするよ。僕の事は便利な道具だと思って、ズタボロになるまで・・・ズタボロの雑巾みたいになっても死ぬまで使いつぶしていいの。僕はお兄ちゃんに褒めてもらえれば、必要とされれば、好きになってもらえれば人間扱いされなくてもいいんだよ?お願い、僕にもっと命令して。邪魔な奴はいない?肩がぶつかったとか、舌打ちされたとか、どんな些細なことでもいいの、お兄ちゃんの敵を排除できることが僕の悦びだから、傷ついているなんて思わないで、そんなのお兄ちゃんの為ならどうってことないんだよ」

 妄信的に神を崇拝する信者のように、濁った山吹色は輝いている。俺はただ息をのみその姿を直視することしかできなかった。

「ぜんぶ、お兄ちゃんのためだよ」

 茶色い髪にまとわりついた、おそらく茜さんの血。それを毛先に塗りたくるように親指と人差し指でねっとりと延ばしている。

「ふふ・・・こうするとちょっとだけ髪の毛が赤くなって、まるであの女みたい」

 その普通の女子のような仕草と彼女の猟奇的な姿のギャップが不気味だ。

「最初にお兄ちゃんが言ったんだよ。あいつらが悪いって。僕もそう思う、みんなお兄ちゃんの事が好きとか口では言っておきながらお兄ちゃんの言う事に反発して、自分だけのモノにしたいとかふざけたこと言うんだもん。お兄ちゃんに迷惑をかける。お兄ちゃんの愛の告白よりも世界を選ぼうとする」

「ち、違うんだ。それは、俺の勘違いで・・・知らなくって、そんなつもりじゃ・・・こんなことして欲しく・・・」


 向日葵の人差し指が俺の言葉を止めた。驚く俺に対して向日葵は悲し気に微笑む。

「僕がお兄ちゃんの言う事全部聞くこと知ってたくせに、そんな悲しいこと言わないで欲しいな?」


「俺のせいじゃ・・・」

 俺の言葉が責任逃れをしようとすると向日葵の言葉がそれを上塗りする。


「お兄ちゃんのためじゃなかったら、一体僕は何のためにこんな風になっちゃったの?」

「俺は・・・」


「・・・だから、お願い。僕の事をもっともっと愛して?」

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