第5話 ヒーローは病んでいる?
*
翌日、大学の授業を終えた俺は博士に言われた身分証明書や印鑑を持って古本屋を訪れる。正義のヒーローなんていうファンタジー寄りの組織だが入隊手続きや身分証明の手順はかなりまともだ。表向きには古本屋のアルバイトという形をとるためとか、向日葵みたいな身寄りのない未成年を引き取るために色々と裏で手を回す為にこういった書類手続きはしっかり行うものらしい。
―――カランコロン―――
二度目のドアチャイムを鳴らすと、カウンターの向こうでファッション雑誌を読んでいるピンク色の髪がふわりとこちらを振り向く。
「いらっしゃい、先輩」
「あれ?桃」
「今日は桃が店番なの。といってもこの古本屋、カモフラージュ用でその辺で買ったそれっぽい本をテキトーな価格で並べてるだけだから隊員以外のお客さんなんて殆ど来ないけどね。でもいつも人がいないと怪しいでしょ?だから桃達がこうやって店番するの」
店番、と言っても来る途中に買った雑誌を読んでいるようにしか見えない。セーラー服の上に一応エプロンをつけているものの、働こうという気は全く見受けられないのでこれがカモフラージュになっているのかは少々疑問だ。
「空先輩は何しに来たの?待機命令?」
「いや、入隊手続きとか」
「ふーん?じゃあ直ぐ終わるかな。……そうだ!ねぇ、先輩!終わったら桃と遊びに行かない?」
読んでいた雑誌をぱたんと閉じて、お茶目にウインクする。そんなあざとい仕草すら様になるほどに桃はストレートに可愛らしい容姿していて、もしヒーローをやっていなかったら彼女が読んでいる雑誌に載るような読者モデルとかをやっていたかもしれないと考える。そう考えると、まだ遊びたい盛りの女子高生が家族にも友達にも内緒でヒーローとして戦うなんて俺には想像できない悩みもありそうだ、と同情してしまう。
「俺で良ければ付き合うけど。店番はいいの?」
「大丈夫大丈夫、どうせお客さん来ないから」
「そういうもんか」
「そういうもんなの!じゃあ、たったと終わらせて桃のとこに来てね?」
同じ秘密を共有する仲になったんだ、彼女のこうしたリフレッシュに付き合ってあげる事も俺にできる仕事だ。そもそも戦力として期待されていないし。
「わかった、じゃあ後でな」
桃と約束してスタッフルームに入る。殺風景な部屋に置かれた本棚から昨日博士に教えてもらった通りの順番で本を外すとピピッという音が鳴る。そのあと設置された内線電話であらかじめ伝えられていた俺の隊員番号とパスワードを合わせた数字列を入力、するとガシャンガシャンと足元で巨大な装置が動く音がする。ここまでやれば後は簡単、床下を開けると地下通路に繋がる階段が現れる。
「やっぱすごいよなこれ・・・」
最初に見た時はテンション爆上がりしてツッコミ損ねたが、このセキュリティシステムは一体どれだけのコストと技術が詰め込まれているのだろうか。ここまでする必要があるのかはわからないが、とにかく基地には隊員しか入れないようになっているという点は非常に安心できる。
地下通路をしばらく歩き、少し迷いながら竜胆博士の元にたどり着く。博士の研究室は基地内でも特に広い面積を取っているらしく、俺が訪れたのはそのほんの一角に過ぎないそうだ。
「浅葱です」
「うむ、入りなさい」
モニター付きインターフォンに顔を映すとロックが解除されて扉が開く。中ではドラマに出てくるハッカーが使っているみたいな大量のモニターとやけに大きなパソコンを数台操る博士が待っていた。
「昨日言ったものは持ってきてくれたかな?」
ゲーミングチェアがぐるりと回転してこちらを向く竜胆博士、昨日とは違う紺色のシャツに直接白衣を羽織り、とても動きやすいとは思えないタイトスカート姿の博士の姿は戦隊ヒーローの司令官というより、思春期男子が妄想する女医に近い気がする。
「どうした空君?そんなに私の事を見て・・・」
「な、なんでもないです!持ってきましたよ!」
見透かすような濃紫の瞳に戸惑いながら、俺は慌ててリュックを開いて免許証やら印鑑やらを取り出す。
「ふむ、そうしたらこの書類に・・・」
正直ちょっと変人ぽいと思っていた博士だけど、真面目な書類整理は味気なくまっとうに効率よく進行し、一時間足らずで終わった。
「よし、これで改めて君はフィランスブルーだ。期待しているよ」
「ありがとうございます・・・」
「なんだ、自信なさげじゃないか」
「そりゃそうですよ。ヒーローとしての適性は無いわけですから」
「そんな事よりもっと大きな才能が君にはあるんだ」
「才能ですか」
「そう。特異な才能というのは時に当人すら自覚できない事が多々ある。私はそれを見出したから君をスカウトしたんだ。私の審美眼を信じてくれ」
別に博士の事を疑うわけではないが、やはりピンとこない。
「俺にどんな才能があるっていうんですか」
「まぁそれは直ぐにわかるよ」
はぐらかされてしまう。本当に俺に唯一無二の特異な才能なんてあるのだろうか。
「ところで、昨日君は桃達を見てこんな普通の女子が常人の何倍もの愛情を持っているのはどうも疑わしいと言ったね」
「疑わしいとまでは言ってませんけど、まぁ疑問ですよ。特に桃はどうみても普通の女子高生ですし。鶯さんが家族愛の強い情に厚い女性だというのは納得できなくもないですけど、向日葵だってまだ子供じゃないですか」
「女性と付き合う時、表面ばかり見ていては足元をすくわれるぞ」
「え?」
「普通の人間が普通に暮らしているだけでは、そう簡単に強い感情は生まれない。その強さはせいぜい普通の人間が持つ程度の強さだ。試験に合格して嬉しい、失恋して悲しい、友達と喧嘩して辛い・・・あくまで日常的、常識の範囲でしか心が動くことはありえない。それが普通だ」
「まぁ、そうでしょうね」
「ただ、ある性質を持つ人間が特異な環境に置かれる場合、それは常人とは大きく事なる感情を生み出すことが出来る」
「ある性質?」
「君はヤンデレという言葉を知っていかね?」
ヤンデレ。ヤンキーではなく、病み+デレを合わせた造語だということくらいは俺でも知っている。
「あれですよね、『あなたを殺して私も死ぬ』みたいな・・・」
「大体あっている。しかし現実にそんな人間がうじゃうじゃいたら世の中安心して恋愛なんてできない。人間同士が関わるなら多少の軽さや緩さがあったほうが円滑に進むものだからね」
確かヤンデレっていうのは相手を愛しすぎるあまりに異常な行動をとる属性のこと、みたいな感じだった気がする。確かにヤンデレの女性の愛は普通より大きい、というより重たそうだ。
「ヤンデレというのはスポーツや芸術と同じ、一種の生まれ持った才能だ。度が過ぎるまでに人を深く愛し執着するということは簡単にできることじゃないのはわかるだろう?」
「確かに俺は相手の為に命や自分の立場を失ってもいいと思える程に誰かを想う自分なんて想像できませんね」
「そういうことだ。自己犠牲すら厭わない強い愛情を持つ素質がある者が、家庭環境や職場環境、大きく心が揺らぐ人生を歩むことによる化学反応。それによってヒーローとして戦えるほどの愛情エネルギーを生むことが出来るんだ」
「・・・家庭環境」
そう言われて真っ先に思い浮かんだのは向日葵だ。彼女はまだ中学生なのに基地で暮らしている、家族はどうしているのだろう。
「なんとなく察してくれたかな?ここにいる人間は特殊な環境や考え方を持った、強い素質のあるごく普通のヤンデレな女子だと思ってくれ」
「なるほど・・・でも、茜さんたちがヤンデレだなんて思えません」
「それは何故?」
「だって茜さんはなんというか、サバサバしてる男らしいさっぱりとした印象だし、桃はちょっと軽そうでヤンデレとは正反対だし。向日葵はまだ子供だからそういう事と無縁だろうし、鶯さんは愛を押し付けるというより一歩引いた大和なでしこっぽいじゃないですか。まだ出会ったばかりなので見当違いかもしれませんけど、とても彼女達がヤンデレの素質を持っているとは考えられないです」
「創作物におけるヤンデレだって恋愛が絡まない間はまともな人間として描かれることも少なくない。彼女達だってまだ君に見せていない異常性があるかもしれないだろ?」
「異常性ですか・・・」
にわかに信じがたい。
「それ以上に詳しい話を聞きたいなら本人から直接聞いてくれ、君ならすぐに打ち解けられるだろう?」
博士の俺に対するコミュ力的信頼はなんなんだろう。
「君があの子達を普通の女の子として扱えば扱う程、彼女たちは君を信頼するだろう。良かったな、ハーレムだぞ。喜べ」
「いや、ハーレムって・・・」
少なくとも女子高生や中学生からしたら俺は恋愛対象にはならないだろ。俺だってならないし。
「くっくっく、まぁいずれ気付くさ」
そんな感じで話し終えると満足した博士は再び研究に着手したいとのことで俺を部屋から追い出してしまった。『あまり長い間一緒に居ては危険だ』なんてことも言っていたけど、まさか俺がちょっと性的な目で博士の太ももを見ていたのがバレたのか。見られている女性は意外と気付いているというし、今度からは気を付けよう。
「空君」
「は、はいっ!?」
部屋を出て直ぐインターフォン越しに博士の声が飛んできた。
「向日葵が昨日以降部屋から一度も出ていないんだ。少し心配だから帰る前に声をかけてやってくれるか」
「わかりました」
案内板もない広い基地内を、昨日の記憶を頼りにイエローの部屋に向かうことにする。
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