第16話 俺がお兄さまだ!
琴葉とミホノに身も心もメチャクチャにされてしまった俺は、気がつけば家に帰っていた。
帰り道の記憶もほとんどないぞ。なんて日だ。まるで巨大な嵐に巻き込まれたような一日を振り返り、大切なことが遂行されていないことに気がつく。
「俺……結局告白にアンサーしてないじゃん」
そう。後輩からの突然の告白。はいかいいえという単純な回答すらできていない。しかし、どうすればいいのだ?
俺は悩んだ。悩み続けてストレス全開でお腹を下しそうになっちゃうくらい猛烈に頭を回転させる。しかし、初めて過ぎてどうしていいのか解らないのだ。
確かに彼女と触れ合うことで、胸がドキドキしちゃったり、なんか頭の片隅から離れなかったりすることはあった。でも、これって恋なんだろうか。半端な気持ちで付き合っちゃったりしていいのか。
付き合う? この冴えない俺が、あの超美少女と?
まるで現実味のない話であることに改めて気がつき、授業中ですら黄昏てしまう。そういえば梅雨は明けたらしい。もうじき夏がくる。
あの日から一週間以上経っていた。どうしていいのか解らず、部活にも顔を出していない。そしてあれだけ好きで堪らなかったさくらちゃんの配信も視聴していない。琴葉からは一度チャットがきていて、しきりに謝っていた。彼女が謝ることなんて何一つない。その時は当たり障りのない返事をしたと思う。
まさか単なるVTuberオタクでしかなかった俺が、こんな恋愛模様に悩み苦しむ日がこようとは。人生って不思議すぎる。学校の昼休みに大河と会話している時も、午後の授業が始まっている時も、心の中はぽっかりと穴が空いている。
この穴を、無意識のうちに埋めたいと思っている自分がいた。琴葉という存在が自分の中で急激に膨れ上がっているのだ。さくらちゃんと彼女の顔が何故か重なってくる。
家に帰ってから、俺は久しぶりにさくらちゃんの配信を観た。しかし、ここ数日は配信をしていないようだ。もしかして、と嫌な予感が。お……俺か!? 俺のせいか?
だとしたら大変なことだ。心の中に押し寄せる罪悪感。告白にアンサーも返さないばかりに、こんな事態に発展してしまうなんて。あってはならない。なんとかしなくては。でもどうする?
気がつけばさくらちゃんのアーカイブをひたすら観続け、琴葉との学校や休日でのことを思い返す。この寄せては返す激情の波。一体俺はどうなってしまったのだろう。解らない。
たった一つ明確な答えがあるとすれば、彼女は俺にとってかけがえのない存在だということだ。だからこそ、今一つの最適解が浮かんだ。俺は久しぶりに琴葉にチャットを送信した。
◇
次の日、放課後に俺は学校の屋上に突っ立っていた。どうしよう。女の子をこんな所へ呼び出してしまうなんて、大胆極まりないじゃないか。
震える心をなんとか鼓舞して、あの子が来てくれることを待つ。
「先輩……お待たせ、しました」
はっとして振り返ると、不安げに眉を下げた琴葉が歩いてきた。自然と胸のあたりに右手を置いている。ここは勇気を出すところだ。
「お疲れ。悪いね、こんな所まで呼び出しちゃって」
「いえ。全然そんなことないです。あの、お話ってなんでしょうか」
「うん。あの時の答えを、ちゃんと伝えようと思ったんだ」
琴葉のセーラ服を掴む右手に、きゅっと力が入ったことがわかる。俺は一歩ずつ彼女に近づいて行った。そして向かい合う形になり、ここで深呼吸をする。怯むな様一郎。もう後へは引けないぞ。
「正直、驚いたよ。君があのさくらちゃんだったなんてさ。そして、俺のこと好きになってくれていたなんて、もう。何が何だか解らなくなってた」
「すみません、本当に」
「謝ることなんてないって。ショックが強すぎてしばらく何もわかんなかったけど、今はじわじわきてる。凄く嬉しいんだ。俺にとって間違いなく、君は特別だ。でも」
ハッとした顔になる琴葉。さっきよりも顔に不安げな色が濃くなっている。
「俺なんかが、君の特別な異性になってしまって、本当にいいのだろうかって悩んじゃうんだ」
言葉が伝わり、可憐な後輩の瞳が潤み始めた。そして何かを言うより先に首を横に振っている。
「さくらちゃんの配信は、何よりも大切でかけがえがないものだ。そして、中の人である君との日常も、俺の中でどんどん大切なものに変わって行ってる。だからこそ、悩んだ。こんな中途半端な気持ちで付き合ってしまって、本当にいいのかと。俺みたいな奴が、青花さんと……本当に」
「せ、先輩は……自分を悪く考えすぎているんだと思います。先輩は、とても優しくて、素敵な人です」
ぐ! こんな近くで、そんな甘い言葉を。俺は頭が糖分の波に呑まれようとしていた。しかし、伝えなくてはならない。ぐっと堪えて、小さな一歩を踏み出す。
「青花さんのほうが買い被ってると思うよ。でも、凄く嬉しい。ただ、いきなりその……男と女の関係になっちゃうのは、とっても緊張するんだ。でもはっきり分かった。君のことが好きだ。だから……だから」
琴葉が必死にこちらの思いを理解しようとしていた。訳の分からない発言だったにも関わらず、精一杯汲み取ろうと努めている。
俺は彼女を正面から見つめた。
「だから……まずはお兄さまから始めさせてくれないか?」
「おに……えっ」
一瞬時間が止まったみたいになった。琴葉は目を丸くして、何を言われたのか分からないという表情である。まあ、そうなるよね。
「お兄さまから始めたいんだ。君が好きだ。でも、いきなり男女の関係はハードルが高過ぎる。だけど、やっぱりいずれは付き合いたい。だからその前に、段階を踏んでいきたいだ」
「そ……それって、つまり。いずれは恋人になる、っていうことですか?」
「うん! そうだよ!」
俺は力強く肯定した。こんな回答をする奴なんて世界に一人しかいないだろう。アンサーを受け取った後輩は、最初はただ無表情で固まっていたが、次第に瞳から涙が溢れ出してくる。
「う……うぅ」
「青花さん……」
もしかしてこのアンサーは大失敗だったのだろうか。いや、普通の女子相手だったら間違いなくアウトだ。彼女にだったら通じるかもしれない答えだったつもりだけど、心は強烈な不安に支配されていく。
「ダメだった、かな」
しかし、瞳が宝石みたいに光っている後輩は首を横に振る。
「嬉しいです。恋人前提……っていうことなんですよね?」
「う、うん! そうだよ。ちゃんと君と付き合うために、準備期間……って言ったら変だけど!」
俺は体を両手を動かしながら、ジェスチャー半分で返答を続ける。今もって琴葉の瞳からは涙が溢れているが、うっすらとした微笑が浮かんできた。
「ありがとうございます。じゃあ、これからはこっちでも、お兄さまって呼びますね!」
リアルお兄さまの衝撃。俺はあまりの破壊力に思わず失神しかけたが、すんでのところで意識を繋ぎ止めた。
「あ、ああ……ありがとう」
とりあえずズボンからハンカチを取り出し、彼女の涙を拭う。不安を洗い流して桜色になった顔は、今までよりもずっと輝いていて、そして可愛らしくなっている。
「じゃあ、お兄さまは私のこと、琴葉って呼んでください」
「あ、うん。こと……は」
「あはは! なんかぎこちないです」
彼女に釣られて俺も笑ってしまう。良かった。なんだかんだで、俺たちは———
「そこまでよ! ちょっと待ちなさい!」
ってあれ。なんか一人屋上に現れたんだけど。
「お、お前は。ミホノ!」
「様一郎……話は全て聞かせてもらったわ。一体何を勝手なことをほざいているのかしら」
俺は琴葉が襲われないように前に出て構える。
「勝手なことなど言っていない!」
「いいえ! アンタは分かっていないわ。彼女にはね、もうお姉さまがいるのよ」
「え、えええ」
背後から驚きの声が聞こえてきた。この反応で嘘だと丸わかりだぞミホノめ!
「出鱈目を言うな! 何を証拠にそんなことを抜かすか」
「ふふん。だっていつも配信であたしのことを認めているわ。お姉さまだって、ね」
「ま、まさか君も彼女のことを」
「ええ。さくらだってことはずっと前から知ってる。ハイチャでもちゃんと伝えたはずよ様イチロー、あたしがお姉さまだと!」
この一言で俺はハッとした。確かに以前一度だけ、名指しで俺への挑戦と取れるハイパーチャットがあったのだ。
「ま、まさか……お前は。あのお姉さま候補筆頭格のリスナー、NEWなんちゃらは伊達じゃない、なのか!?」
なんだっけ? 名前の肝心な部分忘れたわ。
「お姉さま筆頭格じゃないわ。お姉さまはあたしただ一人。琴葉ぁっ!」
「きゃあ!?」
一瞬の隙をつき、ミホノは琴葉に迫った。すれ違いざまに妹の危機を察知した俺は振り返り奴を追う。ミホノは屋上フェンスまで琴葉を詰めると、壁ドン的に右手を突き出してフェンスに当てる。
「ひゃあ!? ね、ねいさん」
「琴葉。この男はやめておきなさい。あたしと恋人前提で、お姉さま契約を結びなさい。今すぐに!」
「やめろ! 彼女は嫌がってるだろ」
「ねいさん。お気持ちは嬉しいですが、私はお兄さまがうぷ!?」
気がつけばミホノは、拒否をしようとした妹の口をその巨大かつ豊満なおっぱいで塞いだ。胸圧で押し切ろうというのか!
「いい加減にしろ! 琴葉に手を、いや胸を出すな!」
俺は琴葉からミホノを引き剥がすと、再び対峙する形になった。引かんぞ! なんとしても守護らねば!
「邪魔よ! アンタのような奴に、琴葉は勿体無いというかあり得ないわ」
「そんなことはない! 諦めろミホノ……俺がお兄さまだ!!」
「あたしがお姉さまだ!!」
「あ、あの……あのー」
琴葉がどうしていいのか解らずオロオロする中、俺とミホノの張り合う声は青空に響き渡っていた。
しかし、こうして張り合っていることに、妹は不快な気持ちにはならなかったらしい。それから琴葉はとても明るくなり、少しだがクラスでも友人ができたそうだ。
そして休日は必ずと言っていいほど俺と一緒に遊んでいる。もう可愛くて仕方がない。
少しの間休止していたさくらちゃんは配信を再開し、以前よりも人気が加速していった。今や世界一のアイドルVTuberは目前だ。
ミホノとの張り合いは今もなお続いているが、なんだかんだ俺たちは毎日を楽しく過ごしている。
特にさくらちゃんの配信では、いつもこんなチャットを送ることが日課になっている。
「俺が……俺こそがお兄さまだっ!」
俺がお兄さまだっ! 憧れのアイドルVTuberに想いを伝えてからというもの、後輩の様子がなにかおかしい コータ @asadakota
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