第12話 カラオケ配信だ!
青花琴葉の衝撃的なお兄さま発言に動揺を隠せなかった俺とミホノの戦いは一時中断となり、それぞれの世界へと戻っていった。
ちょっとだけ表現がオーバー過ぎたが、まあ要するに解散したのだ。
その後、なんだかんだで日々は過ぎる。後輩美少女は少しずつ俺に明るい笑顔を見せるようになってきた。そこは素直に良いことだと思うのだけれど、何だか凄く緊張するようになってきたことも事実だ。
だって俺、こんなに女子と会話する機会なかったし。しかし相手が同じ部活の先輩とはいえ、ちょっと彼女は警戒心がなさ過ぎるんじゃないだろうか。男は狼なのだぞ、と言ってやりたい。
それともう一つ、あの水泳部期待のホープでありながら文化部への移籍を考えている、不純丸出し女と出会う頻度も増えている。明らかにこちらを警戒しているような気がするんだが。
なんだかんだで考え事が増えてしまった今、とにかく心のオアシスが欲しかった。そして今、俺は束の間の幸福を味わう直前だ。
パソコンの向こうにマイエンジェルが降臨した。
『お兄さま、お姉さま、こんばんフラワー! さくらですっ』
くうう! いつ見ても堪らない登場シーンだ。今日は月明かりを背景にして、何とも幻想的かつキューティーかつ尊い。月明かりにマイエンジェル。もはや芸術の域すら軽く凌駕している。
『えへへ。今日もさくらは元気いっぱいです! というわけで、予定どおりカラオケ配信するね。お兄さま、お姉さま、歌ってほしい曲とかある?』
これはチャンスタイムだ。さくらちゃんがリクエストした曲を歌ってくれるかもしれない。俺は急いで少な過ぎるボキャブラリーの中から歌を探そうとするが、どうにも出てこなかった。その間にも次々とチャットでリクエストが送られてくる。電脳世界に猛烈な手紙が飛び交っているのだ。
『わああ! いっぱいリクエストしてくれてありがとう。じゃあこの夏ソングにするね!』
あっという間にファーストソングが決まってしまったらしい。俺はまったく送信できなかったが、この歌を希望した仲間を褒めてやりたい。それはさくらちゃんというアイドルには似合い過ぎるほどハツラツとした歌だったのだ。
心が癒しの海にゆっくりと沈んでいくようだった。軽快なリズムはむしろ脳をシャキッとさせるはずなのに、どうしてこうもリラックスできてしまうんだろう。
ゆっくりと椅子に体を預けていると、そういえばスマホに通知があったことを思い出した。さくらちゃんの歌を聴きながら、とりあえずスマホを開いてみる。チャットが来ていたのか。
『先輩! 良かったら今度先輩が行きたいってお話ししていた映画観に行きませんか? 私もとっても興味があったんです。でも、一人じゃちょっと行きにくくて。もしご都合が良かったらお願いします』
な……なん、だと。
うちの部活の超新生青花琴葉から、映画に誘われているようだ。この俺が。俺みたいなもんが。
一体どういうことだ? 俺はさくらちゃんの歌に集中できなくなり、思考があっちに行ったりこっちに行ったりしている。
まさか……俺とデートがしたいってことか?
いやいや! ちょっと待ってほしい。そんなはずはない。あんな美少女が、こんな男を相手にするわけないじゃないか。きっと純粋に映画が観たいけれど、付き添ってくれる相手がいないというだけなのだろう。
しかし、部活の可愛い後輩に頼まれてしまっては、断るわけにはいかない。というか、正直嬉しい。俺はとりあえず返事を送信することにした。
『お疲れー! 誘ってくれてありがとう。一緒に観にいこうか! いつがいい?』
なんてことだ。送信ボタンをタップする時、指がカクカク震えまくってしまった。ちょっとちょっと、俺みたいな奴がこんなチャット送信して良かったのか。後々になって、うわ……キモ……とか思われたりしないだろうか。
不安でハラハラした気持ちになっていた時、さくらちゃんの一曲目が終了していたことに気がつく。なんてことだ。妹の歌を聴き損じるなんてあってはならない。
『やっぱり夏ソングっていいよね。……あ、ちょっと待っててね』
さくらちゃん、何かあったんだろうか。少しばかり動きが止まってしまっている。しかしその後、彼女は何事もなかったかのように復帰した。
『あはは! じゃあ次行くねー!』
俺はもう結構な期間彼女の配信を見守っているが、ここまでテンションを上げていたのは初めてかもしれない。少しの間に何かがあったんだろうか。そんなことを考えていると、スマホが振動した。
ま、まさかもう……返信が来たというのか。思いの外早いぞ。今度は腕まで震えてきた。プルプル振動しつつもスマホを取り、画面を開いた。
『嬉しいです! 本当にありがとうございます。じゃあ、今度の土日とかにお願いしてもいいですか♪』
お、おおう。本当に映画を観に行くことになっちまったぞ。なんていうか、心臓がバクバクして意識が遠のいてきた。
だが、ここで気を失うわけにはいかない。さくらちゃんへのハイチャがまだじゃないか。お兄さまとして、しっかりと遂行せねば。
既に極度の緊張で全身をマッサージ機のように震わせながら、俺はチャットをどうにか送信した。
そしてしばらくはさくらちゃんの歌声で癒され続け、とうとう終了の時間がやってきた。
『もうこんな時間になっちゃった。じゃあハイチャ読みするねー』
ふうう。何だろう。苦しいけど、妙な幸福感がある。不思議だ。
『ハイパークリークさん、ありがとっ。プラチナシップさん、ありがと! ……あ。NEWブルボンは伊達じゃないさん』
またしても現れたか。お姉さま枠頂点を狙う女傑め。
『いつ聴いても素晴らしい歌声だね。今度側で聴かせてもらう。それと様イチローよ、私がお姉さまだ! ……あ、ありが、と』
一瞬聴き間違えたのかと思った。俺は唐突な名指しを受けて思わず前のめりになってしまう。え? え? なんで? 一体なぜ俺のことを? こいつはマジで何者なんだよ。
『様イチローさん! 今日もさくらちゃんのカラオケ配信を聞けて超幸せだった。感謝! ……さくらも嬉しい! こちらこそありがとうっ』
くうう。この世界一きゃわいいボイスに感謝の言葉を告げられ、失神しないお兄さまがいるだろうか。いるはずがない。俺は当然の如く気を失い、そのまま朝まで眠ってしまったのだった。
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