7-6 金なら一生かけてでも払います
気がつけば、目から涙がこぼれ落ちていた。
だが、なりふり構っている場合じゃない。
その場に膝をついたまま、俺は叫ぶように懇願する。
「……頼むから、直してやってください。お願いします!」
「断ると言っておるじゃろうが!」
ニサキ老人の怒鳴り声が響く。
それでも、ひるんでいる場合ではない。
俺は相手に向かって深く頭を下げた。
「……お願いします。あいつと出会う前、俺は自堕落な生活ばかりしてました。仕事もろくにしないで、こうだったらいいのにって夢みたいなことばっかり言って、実際の人生はあっさり諦めてた。もう疲れ切っていたんだ。だから毎晩寂しくて酒ばかり飲んでた」
あの頃のことを思い出すだけで体が震える。
俺は自分の人生をあっさり投げ捨てていた。
そして、それを拾って大事にしてくれたのはハジメだった。
「あいつと出会ってから、俺の生活は少しずつ変わっていった。あいつはこんなクズな俺の世話を一生懸命焼いてくれた。あいつが来てから、朝きちんと起きて夜眠るようになった。少しずつだけど、仕事もするようになった」
こんなどうしようもない俺を、ハジメは決して見捨てようとしなかった。
俺が諦めた人生を、あいつは絶対に諦めなかった。
「俺は、ハジメに救われたんだ。金なら一生かけてでも払います。なんでもします。他のものはなにもいらない。だから……あいつを直してやってください……。お願いします……。大事なんだ。これから先も一緒にいたい。あいつがいなくなったら、俺は生きていけないんだ……」
「そんなに思うなら、なぜ大切にしてやらん。このメンテナンス記録をどう言い訳するつもりかね」
ニサキ老人が鋭く尋ねる。
俺は強く拳を握りしめ、答えた。
「……たしかに、俺にはユーザーになる資格なんてないのかもしれない。俺は最初、ハジメを買ったことを後悔してたんだ。酒に酔った勢いで買ったから。アンドロイドなんて高級なもんは、自分が持つには不釣り合いだと思っていたし、金もなかった。だから、最初俺はあいつに当たり散らした。ぞんざいに扱った。ないがしろにした。ひどく罵った。無視もした。思いつく限りあいつを否定する言葉ばかり投げつけた。でも、今では全部後悔してる。全部償いたい。でも、まだ全然償い切れてないんだ。だから、もう少しだけ時間が欲しい。あいつと一緒にいるための時間が欲しい」
本当のことを話せばよかったのかもしれない。
最初のメンテナンスの傷は、おそらく前ユーザーによるものだと。
だが、気付けば自分とハジメのことばかりが口から出てきた。
もしこれで相手が納得してくれないのなら、それは
今まであいつを大切にしてやれなかった俺が当然受けるべき報いだ。
ニサキ老人は黙って俺を見下ろし、どうすべきか考えあぐねているようだった。
彼の答えでハジメの運命が決まる。
俺は涙をぬぐうこともせず、頭を下げたまま次の言葉を待つしかなかった。
結局、俺はユーザーとして最後までハジメを守ってやれないのだろうか。
そんな絶望に駆られたとき、どこからか声が聞こえてきた。
◇ ◇ ◇ ◇
「あー、ニサキさん、またユーザーさんを泣かせてる」
それは明らかにこの場にそぐわない、やけに明るい声だった。
声のするほうを見上げると、そこには二十歳そこそこの若い男が立っていた。
身長は平均くらいだが、背筋が美しく、立ち姿に気品がある。
ダークブラウンの髪と瞳。目にかかるほど前髪を伸ばしているが、それでも整った顔立ちだということはわかった。
彼はひざ下まであるアイボリーのチェスターコートに身を包み、この古めかしい工場の風景にまるで似つかわしくない小綺麗な格好をしている。そのせいか、どこか不思議な雰囲気をまとっていた。
相手の姿を見て、ニサキ老人はフンと鼻を鳴らした。
「そういうお前さんはまたサボりかね、イド?」
「気分転換と言ってよ」
イドと呼ばれた男は、俺の隣に置いてあった段ボール箱をひょいと覗き込み「んー?」と首を傾げた。
「ああ、やっぱり。コーヒーメーカー君だ」
「今は見る影もないがの」
苦虫をかみつぶしたような顔でニサキ老人が答える。
「もしかして、あの爆発事故の? それはご愁傷様」
イドは段ボール箱のなかのハジメをしげしげと見つめたあと、今度は俺の顔を覗き込んだ。
「それで、お兄さんはどうして泣いてるの? ニサキさんならどうにでもできるでしょ?」
どうにでもできる、という言葉を聞き、思わずニサキ老人を見上げる。
しかし、彼はやはり了承する気などないようだった。
「このメンテナンス記録を見てみろ。ワシはこの子をこいつの元に帰す気はない」
ニサキ老人が示した画面を覗き込み、イドが目をぱちくりとさせる。
「あー。これは酷いね」
それから、彼はまた俺のほうを見てにこりと笑った。
「でも、自分でつけた傷ならこんなに泣かないでしょ」
「じゃあ、この傷は誰か別の奴がつけたっていうのか?」
「そうだと思うよ」
イドは俺の前にしゃがみ、じっとこちらを見つめた。
「お兄さん、話くらいは聞いてあげるよ」
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