7-4 落ち込んでいる暇などないのかもしれない

 薄暗い部屋のなかで、俺は段ボールの横に座り込み、頭を抱えた。

 冷たい床がじわじわと体温を奪うが、立ち上がる気力さえない。


 これからどうすればいいのだろう。

 そればかりが頭の中をぐるぐると回る。


 迎えに行くという約束は果たしたものの、はたしてこの動かないアンドロイドの残骸を『ハジメ』と呼んでもいいのだろうか。


「……くそっ」


 絶望で涙がにじむ。

 俺は、ハジメと出会う前に戻ってしまうことが酷く恐ろしかった。

 以前の生活に、以前の自分に戻ってしまうことが恐ろしかった。

 そして、また独りになることも恐ろしかった。


「……ハジメ」


 ぼんやりと名前を呟く。

 そのとき、ふいにパソコンから「ピコン」と陽気な音が鳴った。

 慌てて顔を上げると、画面にメッセージが表示されているのが見えた。


『こんばんは、ご主人様。

 あなたがこのファイルをご覧になっているということは、

 なんらかの理由で私の身に不測の事態が発生したのだと推測します。

 寂しい思いをさせてしまい、たいへん申し訳ございません』


 それは明らかにハジメが仕込んだものだった。

 そうだ。以前にも、しばらく戻れなかったときのためにハジメはアラームやらメッセージやらを仕込んでいたじゃないか。

 でも、このメッセージはいったいいつまで届くのだろう。


 またピコンと音が鳴り、新しいメッセージが表示される。


『状況を把握するため、いくつかの質問にお答えください。

 どれも大切なことですので、正確にお答えくださいね』


 ピコンと音が鳴り、「OK」と書かれたボタンが現れる。

 了解ならこれを押せということなのだろうか。

 そっとクリックしてみると、次のメッセージが表示された。


『では、最初の質問です。夕食はお済みですか?』


「え? なんだこれ?」


 思わずそんな言葉が口から出る。

 質問の下には「Yes」「No」と書かれたボタンが表示されている。

 考えるまでもなく「No」を押すと、新たなメッセージが表示された。


『ああ、おいたわしい。

 寂しさでお食事が喉を通らないのでしょうか?

 さあ、今すぐ温かいお食事をお召し上がりください。

 そのあいだに、私も次の質問をご用意させていただきます』


「……はぁ」


 大きなため息がこぼれる。

 いったいどんな質問がくるのかと思えばこれだ。


 しかし、そう言われてみればたしかに腹が減ったかもしれない。

 昼も抜いたから、当然といえば当然だ。

 仕方なく立ち上がり、キッチンへ向かう。


 簡単なものをと考えたあげく、豚肉の生姜焼きを作ることにした。

 キャベツの千切りを添えようかと考えたが、千切りが面倒になり、ざく切りにして鍋に放り込んだ。残っていたシメジも加え、顆粒コンソメを入れて煮込む。塩コショウで味を調えれば野菜スープの完成だ。


 調理のキリがついたので部屋に戻ってみたが、次のメッセージはまだ表示されていなかった。

 これは、「きちんと食事をとれ」ということなのだろうか。

 おそらく、食休みと食器を洗って片付ける時間まで計算されているに違いない。

 こういう誤魔化しのきかないところが、いかにも奴らしい。


 きちんと食事をとり、食器を洗って片付け、また部屋に戻って段ボール箱の隣に座っていると、ようやくピコンと音が鳴った。


『さて、次の質問でございます。

 現在の私は、メンテナンス工場で修復可能な状態でしょうか?』


 メッセージの下には、また「Yes」「No」と書かれたボタンが表示されている。

 ふと手を止め、考える。


 まず、機体の修復は不可能だ。

 完全に壊れてしまっていて、電源さえ入らない。

 次に、システムだ。

 同じ型番の機種を用意してデータのコピーをすることはできるらしいが、肝心のコピー先がない。


 もう一度だけよく考えてから、俺は「No」のボタンを押した。

 だが、その瞬間ふと不安になる。

 まさか、あいつまた「他のアンドロイドを購入しろ」とか言い出すんじゃねぇだろうな。


 ピコンと音が鳴り、次のメッセージが表示される。

 俺はおそるおそるそれを読んだ。


『かしこまりました。

 修復不可能ということでございますね。

 それでは、下記の工場へ相談をしてみてください。

 きっと力を貸してくださると思います。

 同様のメモをスケッチブックに挟ませていただきました』


「え」


 慌ててスケッチブックを取り出すと、たしかに端整な文字で書かれたメモが挟まっていた。あいつめ、いつのまに仕込んだのだろう。

 『ニサキ工場』という文字の下に、住所と電話番号、そして営業時間と休業日まで書かれている。


 住所で検索をしてみると、車で片道2時間はかかりそうな場所だった。

 だが、メンテナンス工場でも修復不可能な状態の機体をどうにかできるというのなら、相談してみる価値はある。


 目の前の段ボール箱に入れられた『ハジメ』は完全に壊れて動かない状態だが、データとしての『ハジメ』はクラウドのどこかに眠っている。

 そのデータさえあれば、あいつが帰ってくる方法があるのかもしれない。


 またパソコンがピコンと鳴る。

 今度は『ご入浴は済みましたか?』というメッセージだった。


「わかった、わかったから」


 ゆっくりと立ち上がり、風呂に向かう。

 俺がこんなにも落ち込んでいるというのに、あいつは本当に変わらない。

 いや、あいつを取り戻すためには、落ち込んでいる暇などないのかもしれない。

 ユーザーである俺がしっかりしなくては。


 寝る時間になると、パソコンからはモーツァルトの『きらきら星変奏曲』が流れてきた。

 今の気分には到底そぐわないような明るい曲で、しかも聴いているうちにどんどん演奏が激しくなってくる。

 寝る前に聴くような曲かと首を傾げたが、聴いているうちにふたたび曲がゆったりしてきて、結局はすべて聞き終える前にいつの間にか寝入っていた。

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