7-2 ただ祈るしかない

 翌朝、俺は目覚まし時計の音で目を覚ました。

 ハジメのいない朝は海底のように静かだ。


 もそもそ起き上がって着替えていると、パソコンが立ち上がり、メッセージが表示された。


『おはようございます。ご主人様。

 メンテナンスは本日正午に完了予定でございます。

 くれぐれも安全運転でお越しくださいね。

 ご主人様が迎えに来てくださるのを楽しみにお待ちしております』


「おう」


 この静寂もそろそろ終わると思えば、自然と口元が緩む。

 朝食はハムを乗せたトーストと牛乳にした。

 ずいぶん簡単に済ませてしまったが、今日くらいはこれでもいいだろう。


 食事を終えて食器を洗い、着替えもしたが、それでもまだ家を出るにはずいぶん早い。

 仕事のスケジュールを確認し、いくつかのメールに返信をする。

 少しでも作業を進めようとしてみたが、やはりなにも手につかなかった。むしろ仕事にのめり込んで時間を忘れてもいけない。

 時間がくるまでテレビを見ることにした。


 ソファに腰掛け、ぼんやりとニュースを眺める。

 政治や経済や海外のニュースが伝えられ、そのあとに事故のニュースが流れてきた。


『次のニュースです。

 今日の午前九時過ぎ、◇◇県△△市にある工場で爆発事故が発生しました。

 事故が発生したのは◇◇県△△市にあるアンドロイド製造工場で、メンテナンス棟の1階で爆発が発生したとみられています。当時、近くにいた職員のうち3名が重傷を負い、15名が軽い怪我や火傷をしているとのことです。死者はいまのところ報告されていません。目撃者の証言によりますと……』


 どこかで聞いたことのある地名だな、というのが最初の感想だった。


 テレビ画面の中に、見覚えのある建物が映っていた。

 古くからある町工場まちこうばのような灰色の建物。その前方には何台もの消防車や救急車やパトカーが並んでいる。

 上空から撮影された映像には、一部が崩れて黒焦げになっている建物の様子が映し出されていた。


 リポーターが何かをしゃべっているが、まるで耳に入らない。

 画面を見ているうちに、気付けばいつのまにか別のニュースになっていた。


 俺は、テレビを消してぼんやりと立ち上がる。

 あいつを迎えに行ってやらないと。

 約束したもんな。かならず迎えに行くって。


 コートを羽織り、財布をポケットに押し込む。

 もつれる足をどうにか前へと動かす。

 そのまま、俺はふらりと家を出た。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 メンテナンス工場の前には、大勢の人間がつめかけていた。

 工場の中を映そうとするカメラマン、そのへんの人間を手あたり次第つかまえてはコメントを求めるリポーター、さまざまな指示を飛ばしている者、忙しく動き回るスタッフたち、不安そうに工場を見つめる者、そしてお祭り騒ぎだと勘違いしているたくさんの野次馬ども。


 工場の入り口では、警察が報道陣や民間人の立ち入りを規制している。

 その奥に消防員たちの姿が見える。火災は完全におさまっているようだが、あたりには酷い臭いのする煙が残っていた。

 倉庫の扉は大きく開け放たれ、その奥には黒焦げになったアンドロイドたちが折り重なっている様子が見えた。


 それらのすべての光景が非日常的で、現実味などまったく感じられない。

 人をかき分けながら、ふらふらと工場へ近づいてゆく。

 十一月ともなると、冷たい空気に身が震える。

 乾いた空気が建物のあいだを通り抜け、びゅうびゅうと不気味な音を立てている。


 警察がこちらに気付き、声をかけてきた。


「危険ですから立ち入らないでください!」

「でも、中に……」

「アンドロイドの所有者の方ですか?」


 力なく頷くと、相手は建物とは逆の方へと視線を向けて言った。

「それでしたら、あちらで聞いてみていただけますか」


 見れば、隣にある別の工場の敷地に大型のトレーラーが二台まっていた。周囲ではこの工場のスタッフと思われる人間たちがせわしなく動き回っている。その多くは、台車に載せた段ボール箱を運んでいるようだ。


 ゆっくり近づいていくと、首から社員証を下げた女性に声をかけられた。

「こんにちは。こちらの工場でお預かりしているアンドロイドのユーザー様ですか?」

 無言で頷くと、今度は預けてあるアンドロイドの台数と機体番号を聞かれた。

 もう何度も書いて覚えてしまった12桁の番号を、差し出された用紙に記入する。

 女性は手元のリストを確認し、こちらへどうぞ、と言った。


 案内されたのは、二台のトレーラーのうち手前のほうだった。

 トレーラーの胴体の中ほどに扉があり、タラップを踏んで中に入る。

 タラップを登りきると、右手はパーティションで覆われ、中の様子がわからなくなっていた。

 左手は待合所のようになっており、すでに大勢の人が座っていた。

 勧められるがまま椅子に座り、そこで自分の番号が呼ばれるのをぼんやりと待つ。


 パーティションの向こう側からは、ときおり怒号や泣き声が聞こえてきた。

 爆発があったのは何棟もある建物の中からひとつだけで、しかも一部分だけだ。

 ハジメが無事であることをただ祈るしかない。


 そこから動く気にもなれず、空腹も感じないまま、ただひたすら時間だけが過ぎていった。

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