6章 夕焼け
6-1 どこでうかがったんだよ、まったく
最近になって気付いたことがある。
ハジメはなにかにつけて束縛をしたがるということだ。
薬指に
そういえば、植物園についてきた理由を尋ねたら、さんざんはぐらかされたあげく「他のアンドロイドに気を取られないか心配だった」と打ち明けられた。
俺を信用しろよ、だなんて言えれば苦労はない。
これまで何度もハジメに対して「本当は巨乳メイドが欲しかった」だの「文句があるならもっとお優しい主人のところへ行けよ」などと言ってきた手前、今さらそんな無神経なセリフを吐けるはずもない。
そういった葛藤や思惑が互いに交錯したあげく、俺は一人で外出することさえままならなくなっていた。
近頃では、ちょっと外に出るだけでもハジメがついてくる。
気晴らしに近所を散歩するだけでも、飲み物を買いに行こうとするだけでも、なんならポストに郵便物を投函しに行ったりゴミ出しに行くだけでも、奴はどこまでも俺についてこようとする。
ダメだと言えばこの世の終わりみたいな顔をするし、一緒に行くかと聞けば満面の笑みを浮かべるので、どうにも始末に負えない。
その日も、俺はハジメを連れて出歩いていた。
だが、結局そのことをひどく後悔することになってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
街の中心部は、相変わらず息苦しい場所だった。
無機質なビル群が空を鋭く切り裂き、まるで檻の中にいるようだ。
街路樹はわずかな範囲の土に閉じ込められ、まるで造り物であるかのように生気がない。足元のアスファルトはべたべたと汚れがこびりつき、靴で踏むことさえためらってしまう。
久々に来たせいか、目印にしていた店は姿を消し、どこを歩いているのかわからなくなってくる。どちらを向いても巨大看板が目に飛び込んできて、この店を選べと迫られているようで頭がくらくらする。
あまりにも深い雑踏にめまいがする。
少しでも気を抜けば、すぐに他人とぶつかってしまいそうだ。
七月初旬という爽やかな季節のはずなのに、ここはどうも息がしづらい。
「ご主人様、少し休憩なさいますか?」
ときおり、ハジメが気遣うようにこちらを見る。
すでに人酔いがひどくて休みたい気分だが、そんな調子ではいつまでたっても目的地へ辿りつけそうにない。
「あー、うん、まあ。大丈夫」
「人が多いですものね。はぐれないよう手をおつなぎしましょうか」
そう言ってハジメは笑顔で手を差し出してくる。
「……は? いや、遠慮しとくわ」
げんなりして断ると、奴は残念そうに笑った。
「そうですか。デートでは人混みを口実に手をつなぐものだとうかがいましたが」
「どこでうかがったんだよ、まったく」
いったい何に感化されているのか知らないが、最近ハジメはときおり妙なことを口走る。
俺の指にペアリングをはめたときの
まったく、どこから変な情報を仕入れてくるのやら。
「もう少しで目的地に到着しますよ」
「お、そりゃよかった」
そう答える自分の声も、雑踏に混じって消えてしまいそうだ。
なぜこんな思いをしてまで街の中心部にやって来たのかというと、気になっているブランドの店がここにしかないからだ。
ハジメと一緒に出歩く機会が増え、少しずつ身だしなみが気になるようになってきた。
なにしろ、隣を歩くアンドロイドは抜群のスタイルと呆れるほど整った顔の持ち主だ。
鏡に自分の姿が映るたび、もうちょっとどうにかならないのかと思う。
ハジメと並んでいようものなら、劣等感が嵐のように吹き荒れる。
せめて良い服でも買えば少しは見られるようになるのではないかとささやかな期待を寄せ、出不精の俺がこうしてわざわざ街までやってきたというわけだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「とてもよくお似合いです、ご主人様」
「……そ、そうか?」
人混みをかきわけてようやくたどり着いたデパートの二階にある紳士服売り場の試着室で、俺は柄にもなくいろいろな服を試していた。
ハジメに褒められれば悪い気はしないが、やはり試着室の鏡に映るこのもっさりした黒髪はどうにかしたほうがよさそうだ。
店内をうろつき、スキニーのジーンズを2本、ミントグリーンのパーカー、大柄のTシャツ、暖色系のリネンシャツ、それにカーキ色のジャケットを1枚を
よし、これだけあれば当分はいいだろう。
会計をしようとレジへ向かう途中、俺はふとした思いつきからカーキ色のジャケットをハジメに手渡した。
「これ、お前にも似合いそうだな。ちょっと着てみろよ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
小さく頷いて、ハジメがジャケットを受け取る。
今日の奴の服装は、スカイブルーのオックスフォードシャツに、紺色のベスト、ダークグレーのスラックスだ。
その上からジャケットをさらりと羽織る。
スタンドミラー越しのハジメを見て、俺は思わず言葉を失った。
「んっ」
「いかがでしょうか?」
「…………」
「ご主人様?」
言葉が出てこなくなるのも当然だ。
痩せ型の俺が試着したときには若干ぶかぶかしていたジャケットも、ハジメが羽織るとまるで奴のために仕立てられたかのようにピタリと体に寄り添っている。
ジャケットがハジメを引き立て、ハジメの
イラストレーターという仕事柄、どちらが似合っているかなど
これほどまでに自分の顔面と体型を恨めしく思ったことはなかった。
俺が黙っている理由を察したのか、ハジメが優しい声で尋ねる。
「同じ商品をもう一枚お持ちしましょうか? そうすればおそろいで着ることができますよ」
「……いや、いらない」
「ですが、ご主人様。世のカップルたちはペアルックやリンクコーデといった装いでデートを楽しむとうかがいました」
「だから、どこでうかがったんだよ!」
こいつとペアルックだなんて、ましてや隣に並んで歩けだなんて、それこそなんの罰ゲームだよ。正気か!?
俺はハジメの腕を引っ張り、レジに連れて行った。
そして、抱えていた服を台の上に置き、店員に声をかける。
「このジャケットはこのままこいつが着ていきますんで、タグを外してもらっていいですか」
俺が会計を済ませるあいだ、ハジメはおとなしくタグを切られていた。
その様子でさえも様になっているから、余計にイラつく。
「新しい服を買ってくださってありがとうございます」
「あー、もう! お前ほんとスタイルがチートでムカつく!」
「それは俗にいう『ツンデレ』というものでございますね?」
「だからどこでそういうのを覚えてくるんだよっ!」
俺の悪態などお構いなしに、ハジメは嬉しそうだ。
本当は目が離せなくなるくらい似合っているだなんて、絶対に言ってやるものか。
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