4ー2 手を引いてやってくれ
温室の中に足を踏み入れると、じわりと蒸し暑い空気が肌に触れた。
濃密な緑色が視界を包む。
整備された遊歩道の土を踏みしめ、ゆっくり進んでゆく。
道の左右にはカラフルなアンスリウムの鉢植えが並び、来客を出迎えている。その奥にはクワズイモやモンステラといった大きな葉を広げる植物が植えられている。
さらに道を進めば、ぎざぎざしたシダ類の葉が足元を覆い、上を見上げればヤシ類の葉が広がっている。まるで中世代の森林にでも迷い込んだかのような気分になる。
ゆるやかなカーブに沿って歩くと、鮮やかな南国の花が出迎える。
赤や黄色の大輪を咲かせるハイビスカス、鮮やかなオレンジの羽根を広げた鳥のような形のゴクラクチョウカ、そして丸みを帯びた赤と黄色の花が連なるオウムバナ。
それらの植物を、次々とデジタルカメラに収めてゆく。
数日前に受けた依頼の中に、植物を描いて欲しいという注文があったのだ。
とくに熱帯の色鮮やかな花々を希望しているとのことだ。
もちろんインターネットで調べることもできるが、「実物を見るのが最良」とオムライスのときに学んだため、今日はこうしてここへ来ている。
ガラス張りの天井の向こうに見える空は薄曇りで、写真を撮るには理想的な明るさだ。
これが明るすぎても色が飛ぶし、暗すぎても鮮やかに写らない。
造花のようにつややかな赤や黄色やオレンジの葉を広げるグズマニアの通路を抜けると、あたりはさらに鬱蒼としてくる。
オオタニワタリが通路にまで葉を伸ばし、我が物顔をしている。上下左右から植物の葉が迫り、まるでこちらが植物に見られているかのようだ。
その中を、ハジメはずっとつかず離れず歩いてくる。
やはり一言も話すつもりがないようだ。
こちらも構わずに写真を撮り続ける。
温室の最奥部まで来たとき、天井から垂れるヒスイカズラの花が見えた。
異国の夏空を切り取ったような水色の花が美しい。ひとつひとつは
夢中で写真を撮っていると、レンズの向こうにハジメの姿が見えた。
なにを思っているのか、静かにヒスイカズラの花を見上げている。
色鮮やかな植物に囲まれて
俺は無意識のうちにシャッターを切った。
一度では足りなくて、何度も何度も撮影をする。
ふと、ハジメがこちらを見た。
そしてまたふいと顔を背ける。
「おい、ハジメ……」
声をかけるが、奴は振り返ることなく通路の奥へと消えてしまった。
ため息をつきながら、俺はそのあとを追った。
◇ ◇ ◇ ◇
ゆったりとしたスロープを上り、二階へ行く。
休憩がてら、売店のテラス席でハンバーガーをかじる。
ハジメは相変わらず何も話そうとしない。
俺の正面に座っているものの、視線はぼんやりと外の風景を眺めている。
人間のように食事を摂ることはできないため、することもなく暇だろうに。
こうして黙ったままでも一緒にいようとするのは、俺に置いていかれると思ったからなのだろうか。それとも、どんな状況であっても執事としての役目を果たそうとしているのか。
それはハジメ自身にしかわからない。
いつのまにか季節はすっかり春だ。
指先で千切ったような雲が陽射しを受けて銀色に輝いている。
せっかく二人で出かけているのに、こんなに重苦しい気持ちでいるのはもったいない気がした。
ふと、先日のことを思い出す。
クマのパジャマを買いに行った日、俺はハジメの言葉が気に入らないといって怒り、あげくの果てには口をきいてやらなかった。
いまさらになって、そんな子どもじみた態度を取ってしまったことが悔やまれる。
あのときのハジメも、今の俺のような気持ちだったのだろうか。
いや、それだけじゃない。
ハジメはもっと前からこの重苦しい空気の中にいた。奴と暮らし始めた頃、俺は機嫌の悪いときにハジメを無視したことがあった。
それも一度や二度ではない。用事があるときだけ話しかけ、それ以外は何を言われても返事をしないことだって多かった。
ユーザーとして、そんなことは当然の権利だと
アンドロイドに心などあるはずがない。だから、自分の気分で接してかまわないと思っていた。
あの頃の俺は、ハジメを「物」として扱っていた。
そうか。あの頃の空気は俺自身が作っていたんだな。
いまさらそんなことに気付く。
……ここ最近は、どうだろう。
俺はハジメのことをどう思っているのだろう。
奴に感情などないと、今でもそう言えるだろうか。
「ご主人様。お食事中、失礼します」
突然話しかけられ、ハンバーガーを喉につまらせそうになった。
慌ててジンジャーエールで流し込む。
「……んんっ……なんだ、どうした?」
「あのお子さん、何をしているのでしょうか」
そう言ってハジメが遠くへと視線を向ける。
その先には、五歳くらいの子どもの姿が見えた。
白いプラスチック製の椅子に乗って立ち上がり、下を覗きこんでいる。
問題は、その椅子の位置だった。
二階のテラス席をぐるりと囲うように柵があり、椅子はその柵の真横に置かれていた。おそらくあの子どもが近くのテーブルから引っ張ってきたのだろう。
その椅子の上に乗り、柵から身を乗り出すようにして下を覗き込んでいる。
見れば子どもの胸の高さまでが柵より上にはみ出してしまっている。
ここは二階だ。万が一にもバランスを崩して下へ落ちたらただでは済まない。
あたりを見回すが、近くに親らしき人物は見当たらない。
他の客たちは気付いていないか、気付いていても気に留めていないようだ。
なおも悪いことに、椅子はときおりぐらり、ぐらりと傾いている。
ひときわ大きく椅子が傾いた瞬間、俺は立ち上がり駆け出していた。
◇ ◇ ◇ ◇
考えている暇はなかった。
柵から大きく乗り出しそうになった子どもの体をとっさに抱え込む。
「……っと。大丈夫か、ボウズ?」
なるべくそっと椅子から降ろしてやると、子どもは突然現れた見知らぬ男を見てポカンとしていた。
しゃがんで目線を合わせ、声をかける。
「下を覗いてたけど、誰か探してたのか?」
「うん……みんなとはぐれちゃった」
「みんなって、お母さんやお父さんか?」
「うん。あといもうと」
「そっか。今はお前一人か?」
「うん」
「じゃあ、俺と一緒に探そう。二人で探せば早いぞ。あ、向こうにアンドロイドもいるから三人だな」
「わかった!」
子どもは元気よく返事をした。
不安そうだった顔がキリッと引き締まる。
少しでも早く親と引き合わせてやろうと、俺も気合が入る。
まずはテラスからだ。
ざっと見まわし、尋ねる。
「ここにいるか?」
子どもはテラスを見たあと、首を振った。
「ううん。いない」
「じゃあちょっと待ってな。危ないから椅子には乗るなよ」
そう釘を刺し、柵から下を覗く。
だが、ここから見える通行人たちが誰かを探している様子はない。
「下にはいなそうだな。どこではぐれたか、わかるか?」
「きがいっぱいあったところ、おはなもさいてた」
どうやら温室の中ではぐれたらしい。
もしテラスではぐれたならここに親が戻ってくるかもしれないと思ったが、どうやらその可能性は薄そうだ。
「いかがでしたか。ご主人様」
様子を見ていたハジメがこちらへ寄ってきて、声をかけてくる。
さっきまではムスッとしていたが、どうやら協力してくれるつもりらしい。
「迷子だ。入り口の受付に連れてく」
「かしこまりました。なにかお手伝いできることはございますか?」
「じゃあ、手を引いてやってくれ」
俺が連れて歩くと不審者っぽくなるからなあ、という呟きは、相手を不安がらせるだけなので呑み込むことにした。
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