4章 植物園

4-1 大人1枚、アンドロイド1枚

 その日、ハジメは珍しく機嫌が悪かった。


 少なくとも、俺にはそう見えた。

 アンドロイドに機嫌というものがあるかどうかはわからないが、黙ってムスッとしていりゃ嫌でもそう見える。

 問題は、原因がまったく思い当たらないことだった。


「ご主人様。そろそろお仕事をされてはいかがですか?」


 ハジメからそう声をかけられたのは、ダイニングのソファに座ってテレビを見ていたときのことだった。

 たしかに以前の俺なら、仕事をサボってテレビを見ていることが多かったかもしれない。

 でも、今は違う。

 デザイン関係の特集をやっていて仕事の参考になりそうだと思ったから見ていたんだが。


「この番組、見たいんだけど……」

「まだ完了していないお仕事がございます」

「それは期限まで余裕があるだろ」

「先延ばしにしては、あとでお困りになりますよ」

「おいちょっと黙れ、テレビの音が聞こえない」

「…………」


 そのあとから、ハジメは口をきいてくれなくなった。

 話しかけようとしてもすぐにどこかへ行ってしまうし、顔を合わせるだけでそっぽを向かれる。

 1LDKの空気がどんよりと重くなり、どうにも居心地が悪い。

 理由に心当たりがないから謝ることさえできない。

 仕方なく、原因をひとつひとつ考えてみる。


 まず、テレビを見ていた時間は関係ない。

 たとえば先週は二時間半の映画を見ていたが、そのときは何も言われなかったし。


 黙れと言ったのが悪かったのだろうか?

 でも、それはハジメのほうが悪い。俺がテレビを見たいと言っているのにしつこく話しかけてきたからだ。


 俺が朝食のパンを焦がしてハジメが「体に悪いから捨てましょう」と言ったのに「いいや食えるだろ」と言って無理やり食べたからか?

 いや、でもそんなことで怒るような奴だったかなあ。


 その他の心当たりは……やっぱりない。


 ハジメはいつもメールの受信を報せてくれるから、仕事の依頼でもくれば会話のきっかけになるんじゃないかと思ったが、なぜかそういうときほど依頼がこない。

 コーヒーを頼もうにも、そんな雰囲気じゃないし。

 まったく、『コーヒーを淹れることができる』が売りのアンドロイドのくせにコーヒーを淹れてくれないとは、どういうわけだ。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 俺はついにいたたまれなくなり、出かけることにした。

 家の中にいても息がつまるだけだ。

 それならば、思い切って外に出てしまったほうがいい。

 身支度を整えて財布を持ち、玄関で靴を履いていると、ようやくハジメが口を開いた。


「お出かけですか」

「おう。ちょっと外に出てくる」

わたくしもお供します」


 なんだよ。あんなに不機嫌そうにしていたくせに。

 さすがに俺もイラっとして言い返す。


「べつにお前が行くような場所じゃねぇよ」

「……ご主人様、どうか私も連れて行っていただけませんか」


 すがるような表情でそう言われてしまえば、折れないわけにはいかなかった。

 この家に来てから一年。どうやらハジメは俺という人間の扱いをよくわかっているようだ。

 頭を抱えて大きなため息をつき、投げやりに返す。


「……勝手にしろ」


 ここでいくらかでも微笑んで「ありがとうございます」と言えば少しは可愛げもあるのに、やはりハジメはムスッとした顔のまま「そうさせていただきます」と答えただけだった。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 電車の中は穏やかな空気で満ちていた。

 春の光が車体を包み、線路から伝わってくるリズミカルな振動も眠気を誘う。


 車内には人間もアンドロイドもいるが、立っている者のほとんどはアンドロイドだ。彼らはその左手の中指に識別環しきべつかんを装着している。それらは太い指輪のような形をしており、内蔵されているマイクロチップに機体番号や製造年月日、メーカーや所有者といった情報が記録されている。


 ハジメも例外ではなく、外出時には左手の中指にかならず識別環をつけている。

 近年では技術の発達により人間とアンドロイドの区別がますますつきにくくなってきた。

 識別環が義務付けられた背景には、そういった事情もあるのだろう。


 ふと視線を向けると、ハジメが睨むように俺を見ていた。

 眉間にしわを寄せていても顔が美しいのだから始末が悪い。


「睨むなよ」

「それは失礼いたしました」


 嫌味なほど慇懃な態度でそう返し、ハジメはそっぽを向いた。

 睨んでいたことは否定しないのかよ。なんて奴だ。


 次の駅に到着すると、一気に乗客が増えた。

 反響する構内放送、低く響く雑踏、ざわつくような話し声などが聞こえてきて、車内は一気に騒がしくなる。


「こちらの席、どうぞ」

 ハジメが立ち上がり、乗ってきた老女に席を譲る。

「おや、ありがとねえ」

 老女はにこにこと笑って俺の隣に腰かけた。

「いえ、どういたしまして」

 ハジメもにこやかに応える。

 主人に対しては眉間にしわを寄せて睨みつけるくせに、よその人に対しては笑顔で対応するのかよ。その扱いの差に不満がつのる。


 かと思えば、ハジメは俺の視界を塞ぐように目の前に立った。

 それでいて視線を合わせるつもりはないらしい。

 すねを蹴飛ばしてやりたかったが、そんなことをしては老婆が驚くので仕方なく我慢する。


 目的地は七番目の駅だ。

 たったそれだけの距離なのに、到着までの時間がひどく長く感じられた。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 ようやく電車を降り、駅から少し歩く。


 見えてきたのは市が管理する植物園だ。

 ここを訪れるのは久しぶりだが、入り口の大きな門も、こじんまりとした券売所も、奥に見える噴水も以前と変わりない。


「大人1枚、アンドロイド1枚」


 窓口で入場券を購入し、ゲートをくぐる。

 平日なので来園者が少ないかと思っていたが、どこかの学校から社会科見学に来ているらしく、学生のグループとすれ違う。

 その他にも、デートを楽しむ若いカップルや、のんびりと散歩を楽しんでいる老人たちの姿などが見える。


 ハジメは相変わらず黙ったままだ。

 なにが楽しくて俺についてきたのだろう。


 丁寧に手入れされた花壇を通り過ぎ、目当ての温室へと向かう。

 温室入り口の扉をくぐろうとして、ふと気になり振り返った。


「ハジメ、温室の中に入って大丈夫か? 温度とか、湿度とか」

「…………」

「あのなあ、それくらい答えてくれよ。それとも外で待つか?」


 そう尋ねると、ハジメはようやく口を開いた。


「大丈夫です。ご一緒させてください」

「だから言ったろ。お前が来るような場所じゃねぇって」

「…………」

「また黙るのかよ」


 うしろから来た来援客が、何事かと俺たちを見ている。

 さすがに面倒くさくなり、それ以上はもう放っておくことにした。

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