3-3 わざとではございませんよ?

 家の外に出ると、あたりはすっかり夕暮れになっていた。

 見慣れた街並みがオレンジ色に染まっている。

 手をつないで帰る親子連れ、部活帰りの学生、犬に散歩をさせている人。

 俺もその光景の一部となり、スーパーへと急ぐ。


 今日は空気の冷たさも緩やかで、寒さが厳しい時季を通り越し、少しずつ春へと近づいているのがわかる。


 通い慣れたスーパーへ着くと、勢いよくカゴをつかみ、足早に売り場を回る。

 玉ねぎ。マッシュルーム。鶏の挽肉。卵。バター。牛乳。

 米やケチャップや塩コショウはまだ家に残っていたはずだ。


 オムライスは見た目こそ単純だが、使う材料は意外に多い。

 メモを睨みつけ、買い忘れがないか慎重にチェックする。


 会計を済ませて家に帰ると、休む間もなく調理にとりかかる。

 まずは米と水を量り、炊飯器にセットする。


「ご主人様、なにかわたくしにお手伝いできることはございますか?」


 ハジメに尋ねられ、ううむ、と唸る。


 残念ながら、奴にできることは限られている。

 防水加工が不十分なため、野菜を洗ったり切ったりという作業を任せることはできない。肌の耐熱性も低いため、高温に熱された油が跳ねれば肌を傷付ける可能性もある。


 また、微妙な力加減の細かい作業なども不得意らしく、たとえば卵を割らせたら目も当てられない結果になるだろう。

 コーヒーを淹れることができるくらいだから調味料を量るくらいはできるかもしれないが、残念ながらオムライスを作るにはあまり必要ない。


「……そうだな、レシピを検索してくれ。お前、調べものは得意だろ」

「かしこまりました。どのようなレシピにいたしましょう」

「動画のあるやつにしてくれ」

「はい」


 ハジメがいくつかピックアップしてくれた動画を、ふたり並んでパソコン画面で確認する。

 どれも作り方に大差はなく、あるとすればケチャップを入れるタイミングくらいだ。

 調理の流れを一通り頭に入れ、材料の下ごしらえをしていく。


 まず、玉ねぎ1/4をみじん切りにする。

 一人暮らしはそこそこ長いが、いつもなら避けている作業だ。


「ご主人様、玉ねぎを切るときは口呼吸をすると目にしみにくいそうですよ」

「おっ、そうなのか!」


 ハジメのアドバイスを頼りに、鼻から息を吸わないよう気をつけつつ玉ねぎを切っていく。

 なんとか無事に切り終え、次はマッシュルームにとりかかる。


「マッシュルームは石づきを落とせば軸の部分も食べられるそうです」

「おお? それは知らなかった」


 今回買ってきたマッシュルームはすでに石づきが落とされているようなので、汚れを取り除き、そのまま薄くスライスする。

 材料を切り終えたら、今度は炒めていく。


「バターはとても焦げやすいです。最初は強火ではなく弱火がいいかもしれません」

「なるほどなあ」


 火加減に気をつけながらバターを溶かし、玉ねぎとマッシュルームを追加する。

 様子を見ながら少しずつ火を強めていくと、濃厚なバターの香りがふわりと広がった。


「玉ねぎが透き通りましたら、次は鶏の挽肉を入れます」

「わかった」


 玉ねぎとマッシュルームがしんなりとしてきた頃合いを見て、ひき肉を必要なだけ発泡トレーから取り、フライパンに加えて塩コショウをふる。

 かたまりにならないよう、木べらで優しくほぐしてゆく。


 しっかりと火が通ったらケチャップを入れる。

 ケチャップの水分を飛ばしたら、次はご飯だ。


    ◇ ◇ ◇ ◇


「あとどれくらいで米が炊ける?」

「五分ほどでございます」

「ちょっと休憩するか」


 ダイニングの椅子に腰かけ、一息つく。

 オムライスができるまで、あともう少しだ。

 次のイラストのアイディアをぼんやり考えていると、ふいに呼ばれた。


「あの、ご主人様」

「うん? どうした?」


 やけに神妙な顔で、ハジメはこちらを見ている。

 まさか手順が間違っていたのだろうか、などと身構えるが、奴が口にしたのはまったく別のことだった。


「……もし、わたくしと同じ型のアンドロイドがいたとしても、それは私ではありません。どうかお間違いなく」

「どういう意味だ?」

「先ほど、見た目が同じであれば中身は構わない、とおっしゃっていたので」


 なんだ。やっぱりオムライスの話か。

 ふんふんと頷き、相槌を打つ。


「ようするにアレか? 中身も大事だって言いたいのか?」

「左様でございます」

「そっか」


 たしかに、ハジメの中には今まで俺と過ごしてきた日々のデータが蓄積されている。

 そのデータこそが『ハジメ』のアイデンティティなのかもしれない。たとえ見た目がそっくりなアンドロイドがいても、それはハジメではない。


 だがその理屈でいうなら、まったく別のアンドロイドにデータをコピーすればそちらも『ハジメ』ということになるのだろうか?


 たとえば、オムライスを包んでいるのが薄焼き玉子じゃなくクレープ生地なら?

 うん、それはそれでうまそうだ。


 思考が脇道へ逸れたタイミングで、炊飯器が電子音を鳴らした。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 炊き立ての米は、まだふにゃふにゃで軟らかそうだ。

 一度皿の上に取り出し、ほどよく熱を冷ましてからフライパンに入れる。


 ケチャップで味付けした具材と白ご飯を、リズミカルに交ぜてゆく。

 全体的にムラがなくなったら、茶碗に入れて上から少し押しつける。


 フライパンを洗い、よく乾かす。

 そのあいだに卵を溶いておく。

 白身と黄身の境目がなくなるくらいしっかりかき混ぜる。

 ここで牛乳を少し混ぜるとふんわりするらしい。事前にハジメから情報を聞いていたおかげで、さっきスーパーにいったときに買ってきてある。


 玉子は火加減が肝心だ。

 強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。

 中火にして固まりかけたそばから菜箸でくるくる混ぜる。


 茶碗に入れておいたチキンライスを平皿にひっくり返し、その上から薄焼き卵をそっと乗せる。


「できたっ!」


 残すは最後の仕上げのみだ。

 かたわらで様子を見守っていたハジメを振り返り、声をかける。


「おいハジメ、お前ケチャップかけてみるか?」

「よろしいのですか?」

「ああ。それくらいならできるだろ」

「誠心誠意務めさせていただきます」

「あはは、大袈裟だなあ」


 ハジメは真剣な顔つきでケチャップの容器を握り、オムライスに向かって構えた。

 慎重になり過ぎているのか、ケチャップはなかなか出てこない。


「もっと力を入れても大丈夫だぞ」


 そう言った途端、びゅるっと音が出た。

 あっと思ったときにはもう、オムライスの上に赤い斑点がいくつもできていた。


「…………」


 一瞬、あっけにとられる。

 見栄えのするかけかたを期待していたわけじゃないが、さすがにこれは予想外だ。

 ハジメの顔を見ると、奴も驚いてフリーズしていた。

 そのまま数秒間の沈黙が流れる。


 俺は腹を抱えて笑った。


「だはははは。お前、それ殺人現場みたいになってるじゃねーかっ」

「……わざとではございませんよ?」


 ようやく動き出したかと思えば、奴はそんなことを言う。

 そのくせ顔だけは申し訳なさそうに目を伏せている。


「わかったわかった。気にすんな」


 また俺は笑う。

 なにもかもが愉快だった。

 うろたえるハジメの表情が珍しくて、それもまたおかしい。

 こんなに笑える日が来るだなんて、思ってもいなかった。


 俺の毎日はハジメの小言で埋め尽くされ、俺もそれに対して罵声で対抗し、ずっとそんな関係が続いていくのだと思っていた。あるいは、飽きたらそのうち放り出してやるとさえ考えたこともあった。


 でも、今がすごく楽しい。


 物事の始まりは、いつだって些細だ。

 まるでオムライスのように平凡な顔をしている。

 だが、実際にスプーンを差し込んで食べてみなければ、その先になにが待っているのかなんてわからない。


 そう、未来はいつだって何食わぬ顔で待ち構えている。


 できあがったオムライスはなかなか不格好だった。

 薄焼き玉子は半熟どころかしっかり焼き目がついてしまったし、チキンライスはちょっと多すぎたのか玉子の下に包み切れなかった。


 それでも俺は夢中になって頬張った。

 米は少し硬いし、玉ねぎの火の通り具合もいまいちで、逆に鶏ひき肉は火を通し過ぎたのかやたら硬かったが、しっかり噛めば噛むほど素材の味が混ざり合ってうまかった。

 かけすぎたケチャップも、これはこれで悪くない。

 俺とハジメの二人で作った最初の料理だ。


 食べ終えてすぐに、またパソコンへ向かう。

 思い浮かべるのはオムライスの形や色合いじゃない。そんなのはもう、インターネットでさんざん調べ尽くしている。


 思い浮かべたのは味だ。

 そして、作っているときの楽しさと、完成したときの嬉しさ。

 それらを思い出しながら、じっくりとイラストを描き上げた。

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