1章 最初にして、唯一の

1-1 おはようございます、ご主人様

【お読みいただける方へ】

ご訪問ありがとうございます。

当作品は、短編作品をシリーズ化して長編化したものです。

そのため、1話のみ【約12,000字】ほどの長さがあります。

少々長いため、適度な休憩を挟みつつお読みください。

なお、2話以降は読みやすい長さに区切ってあります。

それでは、どうぞお楽しみください。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 俺の朝は、1号の小言から始まる。


「ご主人様。いいかげん起きてくださいませ。いい大人なのに朝おひとりで起きられないとは、まったく情けないですね」


 ベッドの脇に立ち俺を見下ろしながら、奴は毎朝のように同じ言葉を口にする。

 そこまで言われるとさすがに寝たふりを続けるわけにはいかない。

 仕方なくのろのろと起き上がり、大きなあくびをひとつ。


「……大人だってなぁ、朝起きれないこともあるんだよ」

 ベッドの上から、まだ覚めきっていない頭で反論する。

 しかし、残念ながら1号のほうが上手うわてだ。


「起きられないのは毎朝ではありませんか」

「……1号。お前なあ。いやしくも執事なら、主人に対する遠慮というものを覚えろよ」

 ため息に不満をにじませるが、それすらも一蹴される。

「仕様でございますので」


 ああ、またこれだ。

 こいつが家に来てからというもの、朝はいつもこんな調子だ。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 1号というのは、俺が使っているアンドロイドの名前だ。

 すらりと伸びた背筋に、執事服と白手袋。柔らかい物腰と丁寧な口調。いかにも『執事』という感じを前面に押し出している製品だ。


 おまけに、顔が無駄に整っていて腹立たしい。

 目や耳を少し隠す程度の長さの黒髪を顔の横に流しているが、もうとにかくそれだけで様になる。

 少し癖のあるもっさりとした髪型の俺から見れば、ストレートな髪だというだけで羨ましい。

 同じ黒髪であるというのに、どうしてこうも違うのか。


 極めつけは、その目元だ。

 涼し気な印象を与える黒い瞳は、男の俺でさえも嫉妬してしまうほど見栄えがいい。おまけにまつ毛だって瞬きをすれば風が起きそうなほど長い。

 まったく、隅から隅まで無駄にイケメンなのが腹立たしい。


 ……俺だって、本当は可愛い女の子のアンドロイドが欲しかったんだよ。

 でもな、哀しいことに金が無かった。

 世間では、男性型アンドロイドよりも女性型アンドロイドのほうがはるかに需要が高い。だから当然値段も高くなる。だいたいイタリアの赤い高級車が買えるくらいのお値段だ。

 相対的に、男性型は需要が低い。

 1号も例に漏れず、ネットショップの片隅でずっと売れ残っていた。

 しかも型落ちの中古品だ。

 最新の女性型アンドロイドと比べると桁違いに安かった。


 ある日、しこたま酔っていた俺は、ネットショップの片隅で見つけたその『型落ち中古品男性型アンドロイド』を購入した。

 1LDKのアパートでの一人暮らしに飽き飽きしていた頃だった。


 だが、届いた製品のパッケージを見て仰天した。

 そこにはでかでかと『どS執事バージョン』という文字が印刷されていた。

 なんだそれって感じだ。

 世の女の子たちはそういうのがお好きなの? ……いや、イマイチだったから中古になって、型落ちになるまで売れ残ってたのか……。


 これで「実は機能が抜群なんです」とかいうなら、まだ我慢できる。

 残念ながらそんなことはなかった。

 むしろできることのほうが少ない。だから、1号に任せられる仕事は限られてくる。


 奴の仕事、その1。朝、俺を起こすこと。

 俺の毎朝は1号の小言から始まる。

 目が覚めて奴の顔を見るたびにうんざりする。そのたびに「どうしてあのとき可愛い女の子のアンドロイドにしなかったのか」と後悔する。


 奴の仕事、その2。スケジュール管理。

 俺はフリーのイラストレーターをしている。

 1号にはそのスケジュールを任せてある。「締め切りまであと何日か」とか「そろそろ取りかかったほうがいい」だとか、そんなことを教えてくれるんだが、ここでもまた奴の小言を聞くことになる。

 少しでも予定が遅れようものなら「効率が悪い」だの「仕事の時間を増やせ」だのと口うるさく言われるはめになる。いいかげん「少しはほっといてくれよ」と言いたくもなる。


 奴の仕事、その3。コーヒーを淹れる。

 1号は、発売当時こそ『コーヒーを淹れることのできる執事アンドロイド』として売り出されていたらしい。

 アホか。そのくらい、からくり人形でもできるわ。

 そもそもコーヒーなんて、誰が淹れても大差ないだろう。


 だが、1号を売り出したメーカーには一種のこだわりがあるらしく、コーヒーを淹れる立ち姿がなかなか絵になる。それがまた腹立たしい。

 美しいスタイルにすらりと長い脚。コーヒーを淹れる優雅な手つき。

 ……うん、見ているだけでイラッとしてくる。


 奴の仕事、その4。体調管理。

 これには本当にうんざりさせられる。

 やれ「運動しろ」だの「夜更かしするな」だの「好き嫌いするな」だの。とにかく口やかましい。

 だが、奴には料理をする機能がない。

 最新型のアンドロイドはユーザーのその日の体調に合わせた料理を提供してくれるものまであるというのだから、1号と比べると月とスッポンほどの違いがある。


 奴の仕事、その5。俺を夜更かしさせないこと。

 ここでも奴の小言を聞くことになる。

「ご主人様。そろそろお休みのお時間です」

「まだ眠くないんだけど」

「就寝のお時間が近付いてもパソコン画面を見てらっしゃるからですよ」

「関係ないだろ、ほっとけよ」

「いいえ。睡眠の質が悪くなります。そんなこともおわかりになりませんか? ああ、もし添い寝や子守歌が必要でしたら、いつでもおっしゃってください。小さなお子様のようにワガママを言うあなたにはぴったりでしょうから」


 ほらきた。どS執事め。

 鬱陶しさに耐えかね、俺はすぐにパソコンの電源を落として布団にもぐり込む。

 そして思う。

 あーあ。明日になって目が覚めたら、あいつ美少女アンドロイドになってないかな。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 しかし、現実は非情。


「おはようございます、ご主人様」

 目を開ければ、今日もまた1号の顔が見える。

 男の俺でもドキリとするような美形だが、それも最初の三日で慣れた。

 そして二度寝したい俺と起こしたい1号との攻防が三十分ほど続き、いい加減それにも飽きた頃にもそもそと起き上がる。


「……それで、今日の予定は?」

「お仕事のご予定を申し上げます。〇〇社様からのお仕事が1件。締め切りは明後日の午前11時までとなっております」

「げっ、明後日!? 時間ないじゃん!」

「だいぶ以前からお伝えしておりましたよ。余裕だとおっしゃってゲームに興じていらしたのはご主人様です」

「くっそ」


 悪態をつき、大あくびをひとつ。

 視線で先を促す。


「続きまして、□□□□出版様からのお仕事が1件。締め切りは9日後です。△△△コーポレーション様からのお仕事が2件。締め切りは14日後です」

「立て込むなあ。……ま、なんとかなるだろ」


 着替えるために布団から出ようとすると、1号が言った。

「続きまして、プライベートのご予定を申し上げます」

「ん?」

わたくしの定期メンテナンスの時期が近付いております。以上1件になります」

 なにかと思えば、奴は真面目くさった顔でそんなことを告げる。


「なんだそれ? 金かかるの?」

「左様でございます。基本費用は12,720円です。その他、故障個所が見つかれば追加料金が発生します」

「高っ。工場とかに預けたりするのか?」

「はい。最寄りの工場ですと△△市〇〇工場、××市**工場などがございます。ご予約が必要になりますので、どうかお早めに――」


 1号の言葉を、俺はあくびで遮った。

「ふぁあああぁ。めんどくせ」

「……ですが」

「型落ち中古にそんな金と手間かけられるかよ。どうせ今まで動いてたんだし大丈夫だろ。それに、お前がいなかったら俺はどうやって起きるんだよ。一日寝てろってか?」

「……失礼しました」


 なにか言い返すかと思っていたが、奴は珍しくあっさりと引き下がった。

 金がかかることになると俺が渋るとわかっているのだろう。

 こいつもようやく執事という立場をわきまえるようになったじゃないか。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 その日、俺は1号とくだらないいさかいをした。


 発端はテレビ番組だ。

 タレントがいっぱい出てくる情報系番組。そのなかで『ユーザー・ハラスメント』という言葉が紹介されていた。略してユザハラ。

 ユーザーがアンドロイドに対して行う嫌がらせハラスメントを指す言葉で、理不尽な要求をしたり、罵声を浴びせたり、暴力をふるったりといった内容が挙げられていた。

 近年はそういったユーザーが増えているらしく、コメンテーターは「アンドロイドを所有する資格がない」だの「人間として嘆かわしい」だの好き放題言っていた。


 俺はため息をつきながらチャンネルを変える。


「あー、やだやだ。なんでもかんでもハラスメントだ。まったく肩身が狭くてになるぜ。そもそもアンドロイドなんて所詮は物だろ。ハラスメントもクソもあるかよ。黙ってユーザー様に従っとけばいいんだよ」


 その独り言に反応するように、奴の声が聞こえた。


「たとえユーザーであっても、ハラスメントはハラスメントです。ご主人様の行動は決して褒められるものではございません」

「……あん?」


 1号に視線をやると、いつになく真剣な表情でこちらを見つめていた。

 その様子には、いつもの小言とはどこか違う雰囲気があった。


「ですから、そのような行為をなさるのは私だけになさってくださいね」


 思いがけない言葉に、戸惑う。


「……お前だけもなにも、こっちは懐が寒くて他のアンドロイドなんか買う余裕ねえっての」

「では、お仕事をなさってください」

「してるだろ」

「もっとなさってください。本日ご主人様がSNSをなさっていた累計時間は2時間31分です。ゲームをなさっていた累計時間は3時間17分でございます。テレビをご覧になっていた累計時間は……」

「し、仕事だってしてるだろ? さ、3時間くらい……」

「本日お仕事をなさっていた累計時間は58分でございます」

「…………」


 思わず舌打ちをする。

 回りくどい言い方しやがって。

 奴とは、どうにも反りが合わないらしい。


「ケッ。それなら余所よそへ行けよ。もっとお優しいユーザー様に拾ってもらえ」


 そう口に出してから、しまったと思った。

 さすがに今のは言い過ぎだ。もし1号にいなくなられたら不便になるのは自分だ。

 だが、後悔しても遅い。

 おそるおそる1号の様子をうかがうと、意外にも奴は平然としていた。


「かしこまりました。それでは、そのように手続きいたします。私は型落ちの中古品でございますので、下取りではなくオークションをお勧めいたします。出品手続きは5分ほどで完了します。出品なさいますか?」

「……いいや、いい。キャンセルだ」


 首を横に振り、長いため息をついて黙り込む。


 言葉のあやとか、皮肉とか、冗談とか。

 そういったものを理解できないのはアンドロイドの特性なのだろうか。いくら技術が進化したとはいえ、やはり人間のような複雑な思考を再現することは難しいのかもしれない。

 それとも、単にこいつが型落ち品だからか。


 1号はまるで傷ついた様子がない。

 などという提案をしておきながら、すました顔をしている。


(……もしかして、いらないと思われてるのは俺のほうか?)


 そんなことに気付いてしまい、顔をしかめる。

 相手に向けて放ったはずの悪意が今頃になって自分を傷付けに戻ってきた気がした。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 1号が動かなくなったのは、その翌日だった。


「おはようございます、ご主人様」


 いつもの挨拶が、やけに遠くから聞こえた。

 声のしたほうを見れば、奴はドアにもたれかかるようにしてやっと立っていた。

 最初は何かをたくらんでいるのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。


「おい、どうした」

 声をかけてみると、奴は困ったように笑った。

「申し訳ございません。足の関節部分のパーツが破損したようです」

「……は? 直せるのか?」

「修理に出せば、おそらくは」


 どうやら内部の部品が破損したらしい。

 さすがは型落ちの中古品だ。


「わかったわかった。そんなにメンテナンスが受けたかったのな。そんで、直近で予約できる日はいつだ?」

「来週の火曜日でしたら空きがございます」

「来週? ……ハァ。仕方ねえな。じゃ、その日に予約入れといて」

「かしこまりました」


 たしか、来週は仕事が立て込んでいたはず。

 まるで嫌がらせのようなタイミングだ。もしかしたら、メンテナンスを面倒だと一蹴した俺への当てつけなのかもしれない。


「もうひとつ謝罪がございます」

「なんだよ、まったく」

「修理が完了するまでコーヒーを淹れてさしあげることができません」

「だろうな」


 ふん、と鼻を鳴らす。起こしに来ただけ上等だ。

 それにしても不思議なのは、隣の部屋にいたはずの奴がどうやってこの部屋まで来たのかということだ。ドアにもたれかかったまま動こうとしないところを見ると、歩行はおろか立つことさえままならないはず。


 それとなく観察してみると、奴の白手袋が薄汚れていることに気付いた。それだけではない。ズボンのすそにもほこりがついている。 

 まさかこいつ、俺を起こすためだけに床を這って……。


 しかたなく、俺は椅子を運んできて1号を座らせた。

「……ありがとうございます、ご主人様」

「チッ。主人にこんなことをさせるアンドロイドなんて聞いたことねぇぞ」

「申し訳ございません」

「けっ」


 謝罪を聞き流し、机の引き出しをあさってエチケットブラシを見つけ出す。それを1号の執事服にかけ始めると、何がおかしいのか奴はくすくすと笑い出した。


「ご主人様。エチケットブラシをかけてくださってありがとうございます。ですが、向きが逆でございます。それでは余計に埃がつきますので、おやめいただけると嬉しいのですが」

「う、うるせえなあ」


 慌ててエチケットブラシを持ち直す。

 そして、今度は慎重に向きを確かめ、あらためて丁寧にブラシをかけてゆく。


「アンドロイドにエチケットブラシをかける主人というのも、聞いたことがございませんね」

「いーんだよ。お前、ツラだけはいいんだから黙ってろ」

「……はい。おおせのままに」


 そう言うと、ようやく奴は静かになった。

 その口元がまんざらでもなさそうに緩んでいたが、俺は気付かないふりをした。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝、俺は目覚まし時計の音で目覚めた。

 いつも起こされる時間より2分早い。もそもそ起き上がると、驚いたような顔の1号と目が合った。


「……ありえません」


 そういえば部屋の中に座らせたままだったなと思い出しながら聞き返す。


「は? なにが?」

「まさかご主人様がおひとりで起きられるとは」

「あのなあ。お前ね、俺のこと馬鹿にしすぎ。お前なんかいなくたって、俺はひとりで起きられるんだよ」


 ドヤ顔でそう言ってやる。


「ですが、メンテナンスまでまだ日がございます。それまでは、どうか私に起こさせていただけませんか」

「だってお前、文句ばっかり言うだろ」

「それは……仕様でございますので」

「またそれかよ。俺は別にSっ気なんか求めてないっつうの。型落ちの中古品で安かったし、あんときは酒に酔ってたんだよ。そうでなきゃ誰がお前みたいな……」


 そう言いかけて、俺は思わず口をつぐんだ。

 1号の顔がどんどん色を失っていくように見えたからだ。人間でいうなら『顔面蒼白』というやつか。


「ご主人様。せめてパソコンへのアクセス許可をいただけませんか? お仕事のスケジュール管理ならできます」

 すがるように、1号が椅子の上から俺を見る。


 大がかりな修理ならともかく、たかが定期メンテナンスなど一日もあれば終わる。

 それなのにわざわざパソコンの中身を確認してまでスケジュールを管理する必要などないんだが。

 ここまで懇願されて断る理由もない。

 おおかた1号は「仕事をしないと発狂する病」にでもかかっているのだろう。


「ああ、わかった、わかった。好きにやれよ」


 根負けして頷くと、奴はようやくほっとした表情になった。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 メンテナンスの当日、俺は1号をレンタカーに積んで工場へ連れていった。


 1号に道案内を頼んだのはいいが、助手席からやたらとダメ出しをしてくる。

 やれ「スピードが出過ぎている」だの「車間を詰めすぎている」だの「黄色信号で無理に行くな」だの。

 いい加減うるさく感じたので黙るように言うと、今度は一人で帰れるのかと心配された。

 相変わらず生意気な奴だ。


 隣の市まで、片道三十分。

 ようやく工場に辿り着き、守衛に来場の目的を告げる。

 足に故障がある旨を伝えると台車を貸してくれた。そこへ1号を載せ、ガラガラと車輪の音を響かせながら敷地の奥へ進んでゆく。


 来る前は近代的な工場を想像していたが、実際には古くからある町工場という印象が強い。コンクリートで固められた地面の上に殺風景な建物が並んでいる。中ではアンドロイドの製造や修理が行われているのだろう。


 受付で機体番号を記入し、控えを受け取る。

 会計はメンテナンス終了後でいいらしいが、もし故障が見つかれば基本料金のほかに追加料金を支払うことになる。1号は少なくとも足の部品に問題があるため、追加料金があることは間違いない。


「そろそろ電源を落としとけよ」


 俺が声をかけると、1号は悲痛な顔をした。まるで歯医者につれてこられた子どものようだ。

 さてはこいつ、俺には偉そうな口を叩いているくせにメンテナンスが恐いのか。


「泣くなよ」

 からかうように言うと、奴はムッとした顔で言い返してきた。

「泣いてはおりません」


 そりゃあアンドロイドだから、涙は出ないよな。

 それとも、最近の高性能なやつは出るんだっけか? まあ、どちらにしろ俺たちには関係ない。


「……あの、ご主人様」

「ん?」

「お帰りは、くれぐれも安全運転でお願いします」

「あー、ハイハイ」


 なにかと思えばそんなことかよ。

 呆れて鼻を鳴らすと、奴はさらに続けた。


「……それから、朝は私がいなくてもきちんとお一人で起きてくださいね。お仕事は予定を立てるといいかもしれません。それから、面倒くさがらず栄養のあるものをお召し上がりください。夜はあまり夜更かしをなさらぬよう。私がいないからといって、いつまでもゲームをなさっていてはいけませんよ」


 これには盛大なため息をつかずにはいられなかった。

 こいつ、メンテナンス工場に来てまで小言を並べるのか。


「わかったわかった。大袈裟な奴だな」

「……失礼いたしました」


 なにかを言いたそうにしているくせに、1号はそれきり黙り込んだ。


「じゃあな。しっかり直してもらえよ」

 そう言って背を向けようとすると、ためらいがちな声に呼ばれた。

「……あの、ご主人様」

「まだなにかあるのかよ」

「……ご主人様は……とても、お優しい方です」

「は?」


 思わず変な声が出た。

 いったい俺のどこを見ればそんな言葉が出てくるのやら。

 1号は少しだけ笑っていた。その顔が寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。


「電源を落とします」

「あ? おい、ちょっと待っ……」


 そう言い終える前に、1号は目を閉じて動かなくなった。

 あれだけ小うるさい言葉を吐き続けていた口も、貝のようにぴたりと閉じている。


「……なんだよ」

 頭をガシガシとかいてひとつため息をつき、俺はその場を後にした。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 電話がかかってきたのは、その日の夕方だった。


 1号の内部のそこかしこに破損がみつかったのだという。

 そのほとんどが劣化によるものらしい。もうずいぶん長いあいだメンテナンスを受けていなかったようだ。


 ……どういうことだ?

 俺の前には別のユーザーがいたはずだ。

 それなのに破損が多いだなんて。


 一瞬そんな疑問が浮かんだが、すぐに理解した。

 どうやら奴の前の主人は、俺以上にものぐさだったらしい。もしかしたら、今までに一度もメンテナンスを受けさせていなかった可能性もある。


 1号はこうなることを予測していたのかもしれない。

 型落ちの中古品を買った時点で、俺もそのことは覚悟しておくべきだった。

 そして悪いことに、いくつかの部品は取り寄せに時間がかかるという。最長で二週間。さすがは型落ち品だ。


「二週間もどうするんだよ……」


 頭を抱えてぼやく。


 先に部品を注文しておき、改めて二週間後にメンテナンスをするという方法も選べると言われたが、また往復一時間かけて奴を取りに行くのは面倒だ。

 そればかりか、家に持ち帰って電源を入れた瞬間に「だから早めにメンテナンスをしておけばよかったのです」と文句を言われかねない。


 ……うん。二週間くらい、奴がいなくてもどうってことはないな。

 むしろ静かになって快適だ。


「あ、メンテが済むまでそっちで預かってもらっていいですか? えっ、生活? 大丈夫です、問題ありませんので。ええ、はい。では、よろしくお願いします」


 にこやかにそう告げて、俺は電話を切った。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 翌朝、俺は目覚まし時計の音で目を覚ました。


 あと5分寝ようかと思ったが、それでは1号が帰ってきたときに「ほらみろ。お前なんかいなくたって一人で起きれるんだよ」と威張ることができない。

 しかたなくもそもそ起き上がり、着替えを始める。


 そのときだった。

 部屋にあるパソコンが勝手に起動をしたかと思うと、音楽が流れ始めた。


 これは『ペール・ギュント』の『朝』か? 作曲はたしかエドヴァルド・グリーグで……いや、今はそんなことはどうでもいい。

 問題は、この朝のすがすがしい空気を表現したようなオーケストラの演奏が1LDKの室内に響き渡っていることだ。しかも結構な音量で。


 ズボンを履く暇もなく、急いで仕事机へ向かう。

 画面をのぞき込むと、デスクトップいっぱいに大きな文字でメッセージが表示されていた。


『おはようございます、ご主人様。

 まだ眠そうなお顔をなさっていますね。

 子どもではないのですから、顔くらいしっかり洗っておいでなさい。

 それともまさか、顔も洗えないとおっしゃるほど寝ぼけておいでですか?』


 これはどうみても1号ヤツの仕業だ。


「うるせーわ! 顔くらい洗えるっての!」

 ボクサーパンツのまま、俺はどたどたと洗面所へ向かう。


 ざぶざぶと顔を洗って戻ると、軽快な音楽が聞こえてきた。今度はモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク(第1楽章)』だ。

 しかも、さっきよりも音量が大きい。


「何事だぁ!」

 どたどたと部屋に戻ると、パソコン画面にはふたつめのメッセージが表示されていた。


『顔は洗えましたか?

 ふむ、少しは見られる顔になりましたね。

 寝癖を直すこともお忘れなく。

 ところで、冷蔵庫の中にヨーグルトが残っております。

 賞味期限が本日までなので、ぜひお召し上がりください。

 ああ、もしかしたら私がいない寂しさのあまり、

 朝食が喉を通らないかもしれませんね。

 お可哀想に』


「そんなわけあるかよ!」


 せわしなくツッコミを入れながら着替えを済ませてキッチンへ向かう。

 食パンをトーストに突っ込み、そのあいだにベーコンと目玉焼きも用意した。もちろんヨーグルトもだ。

 食べ終えて部屋に戻ろうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。


「なんだ、なんだ」


 インターフォンに出てみると、宅配だという。

 クール便で、中身は食材らしい。


 もしかしてファンからの差し入れか!? と期待して受け取ったが、よく見ると差出人には俺の名前が書かれていた。

 ……いったいどういうことだ?


 首を傾げていると、またしてもパソコンから音楽が流れた。

 これはベートーヴェン『交響曲第9番』の『歓喜の歌』じゃないか! しかも当然のようにコーラス入りの大音量で! くそぉおおおぉ!


 パソコン画面には、またしてもメッセージが表示されていた。


『朝食はお済みになりましたか?

 そろそろ宅配便が届く頃だと思います。

 私が不在のあいだ、ご主人様が不摂生をしないよう惣菜を注文いたしました。

 どれも電子レンジで温めれば食べられるものばかりです。

 冷たいままですとお腹を壊すかもしれませんから、

 ご面倒でもきちんと温めてお召し上がりくださいね』


「あいつは俺をなんだと思ってやがる!」


 イラついてパソコンの電源を落とそうとしたが、それを阻止するがごとく新たなメッセージが表示される。

 そこには、今後の仕事の予定のほか、家事代行サービスの案内や、イラストレーターの求人広告、さらには『話し相手レンタル』なんてサービスの広告まで出てきた。


「お前は俺の母親おかんかっ!」


 さすがにツッコミを入れ過ぎて疲れ果て、俺はよろよろとキッチンへ向かう。

 そこで、今日はまだコーヒーを飲んでいないことに気付いた。


 キッチンの戸棚からインスタントコーヒーを取り出し、適当にマグカップへ入れ、そこへ沸かした湯をそそぐ。

 一口すすってみて、驚いた。


 あまりにも不味まずい。

 泥水でもここまではまずくないだろうと思うほどに不味い。

 1号が淹れていたのと同じ粉を使っているはずだが、なぜだ。


「……なんだよ、もう」


 俺はへなへなと座り込んだ。

 1号がいない家の中は、しんと静まり返って耳が痛いほどだった。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 次の日も、その次の日も、さらにその次の日も、その現象は続いた。

 俺は奴が巧妙に仕組んだ音楽やらメッセージやらに振り回された。……いや、助けられたといったほうがいいかもしれない。


 1号は、家に居なくても完璧なまでに仕事をこなしていた。

 最初は鬱陶しいと感じていたが、数日もたてば慣れ始め、いつしか物足りなさを感じるようになっていた。

 俺の一日は問題なく過ぎ、そしてコーヒーだけが足りなかった。


 そして十四日目。

 いつもとは違うメッセージが表示された。


『おはようございます、ご主人様。

 あなたがこのメッセージをご覧になっているということは、

 私はもう二週間も家を空けているということなのでしょう。

 執事アンドロイドとしてお役に立てないことを申し訳なく思います』


「まったくだ、あいつめ」


 憤慨しながらメッセージの続きを読む。

 そこに書かれた言葉を目にして、俺は呼吸をするのを忘れた。


『つきましては、新しいアンドロイドを購入されてはいかがでしょう。

 めぼしい商品をピックアップしましたので、どうか、いつものように面倒くさがらず、お早めにご検討ください。

 どれも私より高性能なものばかりでございます。

 新しいアンドロイドとの出会いが、

 あなたにとって幸せな出会いとなることを祈っています』


 メッセージの下には、さまざまなアンドロイドの画像が淡々と並んでいる。

 俺のふところ具合を考慮したのだろう。そこには、中古品や型落ち品となって大幅に値引きされた商品が並んでいる。


(……どういうことだ? あいつはこの家に戻るつもりがないのか?)


 呆然として、理解が追いつかない。

 工場で最後に見た1号の顔を思い出す。

 まるで、今にも泣き出しそうだった。


 そういえば、あいつは一度捨てられたことがあるのか。

 中古品ということは、俺の前にもユーザーがいたということだ。

 いまさら、そんなことに思い当たる。


 以前のユーザーは、どうして奴を手放したんだろう。

 機能が物足りなくなったから? それとも、あの性格が合わなかった?


 あいつが何を恐がっていたのか、ようやくわかった気がした。

 またユーザーに捨てられるかもしれないと思っていたのだろう。

 もしかしたら、メンテナンスに金と時間がかかると知っていて俺が迎えに来ないと思ったのかもしれない。


 俺は、あいつにとってろくでもないユーザーだったはずだ。

 一人ではまともに生活もできないくせに、朝起こされては文句を言い、あいつをけなすような言葉ばかり投げつけていた。

 感謝など一度もしたことがない。


 それなのに、あいつは俺のために最後まで自分の仕事をこなそうとしていた。俺の生活のことばかりを考えていた。自分がいなくなった先のことまで。


「……なんだよ! ちくしょう!」


 気がつくと、俺は机に拳を打ちつけていた。

 メッセージの意味を理解すれば理解するほど、やるせない思いが込み上げてくる。

 拳が赤くなり、痛みを感じなくなるほど痺れても、俺は感情をぶつけるように机を殴り続けた。


    ◇ ◇ ◇ ◇


 メンテナンス完了日。

 俺は、朝一番で工場に向かった。


 あんなメッセージを送っておきながら、1号は何事もなかったかのような顔をしていた。

「おはようございます、ご主人様」

 その綺麗なツラを見て、苛立ちが込み上げる。


「1号、お前なあ!」


 俺は周囲の目も気にせず怒鳴りつけた。

 奴は不思議そうな顔で俺を見た。

 まさか俺が迎えに来るとは思っていなかったのだろうか。またユーザーに捨てられるとでも思っていたのだろうか。


 駆け寄り、力任せに奴の胸ぐらをつかむ。

 顔がぐっと近付く。

 1号はあっけにとられていた。俺が何に怒っているのか、まるでわかっちゃいない様子だった。


「……大変お待たせして申し訳ございません」

「そういうことじゃない!」

「では、パソコンを勝手に操作した件ですか? それなら事前に許可をいただきました。ああ、それとも宅配の件でしょうか? なるべく安い業者を探したのですが」

「それも違う!」


 言ってやりたいことがいっぱいあった。

 謝りたいことだって、山ほどあった。


 本当は、ずっと不安だった。

 きちんと直って本当に良かった。

 お前がいない二週間、俺はどうにか暮らせていた。でも、それはお前が全部準備してくれていたからだ。

 顔が見れなくて寂しかった。会いたくてたまらなかった。

 俺にはお前が必要だ。――これからも、ずっと。


 周囲の目を気にすることもなく、俺は1号の肩を強く抱きしめた。

 その途端、涙があふれて止まらなくなった。

 気がつけば、みっともなく嗚咽を漏らしていた。


「おや、どうしましたか? 今日はずいぶん甘えんぼさんですね」


 耳元で1号の甘い声が聞こえる。

 どうせ心の中では俺を馬鹿にしてるに違いない。その手が、子どもをあやすように優しく背中をさする。


 1号は、やわらかく笑った。

「迎えに来てくださって、ありがとうございます。ご主人様」


    ◇ ◇ ◇ ◇


「家に帰ったら、コーヒーを淹れろ」

 家路につくためのハンドルを握りながらそう言うと、1号はにやりと口元をゆるめた。

「おや、私のコーヒーの味が恋しくなりましたか?」

「……そうだよ! くそっ、お前いちいち腹立つな」


 悪態を交ぜつつも素直に認めると、奴は目を丸くした。

 それに構わず、言ってやる。


「家に帰ったら、お前の名前を考えるから付き合え」

「……名前ですか? それでしたらすでに『1号』という名前をいただいておりますが」

「それは俺が最初に適当につけたやつだろ」

「ですが、私は気に入っておりますので」


 それを聞いて、今度は俺が目を丸くした。


「気に入ってるだって? お前、案外センスないんだな」

 しかし、1号は穏やかに微笑んで答える。

「1号ということは、ご主人様にとって最初のアンドロイドということですから」

「…………」


 危うくハンドル操作を誤るところだった。

 だが、いくら本人が気に入っているといっても、1号では到底名前とはいえない。


「じゃあ、『ハジメ』でどうだ? ……ああ、でもお前、ハジメって顔じゃねえよな。べつにハジメがダメってわけじゃないが、もっとこう、格好いい名前をだな……」


 頭をひねるが、やはりすぐにはいい案が浮かばない。

 今夜は徹夜になりそうだ。

 だが、奴は満足そうに頷いた。


「いえ、それにしましょう。素敵な名前をありがとうございます」

「そうか?」

「はい。さっそく呼んでみていただけますか?」

「え、今? 今か!?」

「ええ」


 助手席に視線を向ければ、にこにこと期待に満ちた顔。

 ああ、こいつこんな表情もできるんだ、と知った。


「……ハジメ」

「はい。ご主人様」

「明日からまた起こしてくれ」

「かしこまりました。やはり私がいないとダメですね」

「ああ。そうだよ」


 ふてくされたように答える俺の横で、ハジメは嬉しそうに笑っていた。

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