┗ 2.7_調査報告

 二人はお互いの社員証を通して、サーバールームに足を踏み入れた。


「真夏なのにやっぱ寒いな、ここ」


 警護員の制服越しでも感じる底冷えに身を震わせて、藍野は呟いた。

 少し型の古い椅子や会議机が申し訳程度に置かれている片隅を二人は陣取って差し向かいで座った。

 ここにはペン1本ですら持ち込みは許されていないし、データの持ち出しには許可がいる。

 室内では死角のないよう、常時監視カメラがまわり、作業者に異常な行動があれば4課員が駆けつけてくる、そんな場所だ。

 紅谷はまとめた資料を共有するために、備品として室内に置かれているノートPCを2台取ってきて、1台を藍野に渡した。

 ここの備品のPCは特殊な設定で、社内サーバーにアクセスはできるが、どんなファイルでも読み取り専用となる。

 メモも書き込みもできないが、打ち合わせには支障がない。


「聞きたいのは部長直轄の白鳥博士の件か?」


 お互いノートPCを起動して、紅谷のまとめた調査結果ファイルを開いた。


「そそ。まずさぁ、グループの欲しがってる博士の研究成果って何?」

「娘さん、レイさんな。生まれつき遺伝病を患っていたんだが、その治療過程で健康体のままサヴァン化できる方法を博士は見つけた。グループはその手法を手に入れたいとの事だ」


「サヴァンって一瞬見ただけで精密な絵を書けたり、どのカレンダーでも正確に曜日が言えちゃうアレ?」

「そう。博士の成果は後天的に、しかも知的障害や自閉症も発症しない優れものだ。本人の資質もあるから何が発現するかはわからないそうだが」


「なら、娘さんも?」


 紅谷は一つ頷いた。


「彼女はその唯一の成功例。数字やプログラミングが得意なんだそうだ。水谷いわく、『彼女は本物の天才で、自分はただのパソコン好きな子供』くらい作るレベルが違うそうだ。俺も彼女のソースコード見たけど同意見」


「へぇ……。そんなに違うんだ」


 警護員研修のプログラミングでさえ四苦八苦していた藍野には、まったくピンと来ず、そういうものなのだろうととりあえず納得した。


「俺や水谷もできる部類のつもりだが、小さな部品一つでも彼女は根本的に考え方が違うんだよ。多分見えてる世界が違うんだろうな。うらやましい限りだよ」


 紅谷は称賛と感嘆の入り混じったため息をついた。


「そんな人間が後天的に作れるなら、各国が欲しがる訳だよねぇ。軍事転用もできそうだ」


 藍野は開いた資料のページを見ながら、ため息をついた。

 娘は特にセキュリティや暗号化に関する分野に秀でているらしく、彼女の能力を使えば破られにくい暗号作成に、他国の暗号情報の解読などに使われることが目に見えていた。

 娘の方も護衛対象となるわけだ。

 しかもそんな人間が後天的に副作用もなしでいくらでも作れるとなれば、成果も欲しがる国は山ほど出てくるだろう。

 グループが成果の回収を命じる訳だ。

 久しぶりの難物案件に、背筋は自然と伸びた。


「博士はそういう争いを嫌がり、研究所にこもり、研究成果はひた隠しにして治療法のみを発表し、娘は義務教育も通信教育にして、研究所で育てたくらいだ」


 表向きそんな研究はしていない、成果もないと突っぱねているようだが、秘密は漏れるものだからな、と紅谷は言った。

 グループもそんな流れで博士を知り、娘であるレイの存在を知った。


「今のところ成功例は娘さんだけなの?」

「おそらくは。元々博士は争いごとを避けるために成果を隠したからな。他人を使って実験するのは考えにくい」


「そして余命宣告か。博士も娘さんも辛いだろうな……」


 たった二人の家族で、お互いを支えにしていたことだろう。

 一人にすること、されること、どちらにとっても切ない結果が見えていることに、二人は何とも言えない気分になった。


「だな。博士は心臓に問題があり、あと半年も持たない、ならば故郷の日本で死にたいと研究所を退職して日本に戻ってきた。これがここ最近の話」


「企業スパイ対策でセキュリティのしっかりしている研究所から、一般的な普通の一軒家の日本。いくら日本の治安がいいとは言え、状況的に良からぬ人がわらわらと集まってきちゃうよねぇ。そこで俺たちが露払いって訳か。護衛拒否は痛いな。何でそんなに嫌なの?」


「向こうでは本社が護衛についていたんだけど、その心象が最悪のようで、日本で護衛は受けたくないとの仰せだ」


「あちゃー。本社は一体何したんだよ!」


「俺も詳しくは聞き出せなかったが、護衛という名の監視で、博士はえらくご立腹だ。4課では博士の説得をできないままお前に渡す事になった。警備機材監視カメラにも難色を示している。すまん。娘さんだけは了承とれてGPS渡してある」


「参ったな、警備機材入れてないなら、自宅が手薄なままなのか」


 早いとこ説得しないと、と藍野が言うと、思い出したように紅谷は言った。


「娘さんを通せば多少は説得されてくれるかもしれない。結局、娘の護衛だけは拒否しなかったからな。自分はともかく娘は可愛いようだ」


 押すならそちらを押せと、紅谷はアドバイスした。


「あともう一つ。露払いはどんなのが相手なの?」

「主に企業関連の人間だな。この辺でお前達の腕力なら心配いらんだろうが……」

「やっぱ軍関係か政府関係者もうろついてるのか」


「ああ。ざっとチェックした限りだと一通りいるな。アメリカウチにロシア、フランス、中国、イスラエル。正規軍人なら他国で無茶はしないと思うが、諜報員は読めないな、気をつけろよ」


「了解。プラス相談なんだけど……。白鳥博士と黒崎部長の関係って、なんとか修復できないかな? 最期の地に再婚した奥さんの眠るアメリカじゃなくて、日本を選ぶとか、息子に一目会いたくて戻って来ましたと言ってるようなもんだろ。可能なら何とか会わせたいんだ」


「それなぁ……、多分無理だと思うぞ。父親の方はわからないが、部長は視界に入れることすら嫌悪してる節がある」


 案件だから仕方なく対応しているようだ、と紅谷は言った。


「さっき部長と話した限りでは、全然会ってないから他人事のような印象で、タイミング見て説得すればいけるかなって思ったんだけど、そんなに父親の事が嫌いなのか?」


「好き嫌いじゃないな。もっと複雑だよ。白鳥博士はアメリカで再婚して女の子も生まれたんだけど、その子が早くに亡くなり、次いで奥さんも亡くなった。そんなタイミングで生まれたのが代理出産のレイさんなんだよ」


「レイさん、亡くなった奥さんの凍結卵子を使った試験管ベビーなんだ。遺伝子的に死んだ娘と同じで、性別まで一緒。そんな風にペットでも買う感覚で死んだ娘の身代わり作って、金を積んで知らない女性に産ませた事を部長はとても嫌悪してる」


 いくら何でもそんな物言いは黒崎らしくないように感じ、物凄く渋い顔をして、藍野は聞いた。


「なぁ。それ、お前が調査する時、本当に黒崎部長が自分で言ったの?」


「ああ。どうせ俺たちが調査する時、過去の調査書も当たるからと自分から話したんだよ。実はな、部長は過去に一度白鳥博士に会ってるんだよ。部長がその昔、インターン研修で本社にいた頃、護衛として偶然再会してこの経緯を知ったそうだ」


「そっか。護衛用の事前調査か……父親の口じゃなく赤の他人から知らされるって嫌だったろうな」


「正直、黒崎部長のこの反応は当然だと思う」


 だけどなぁ、と藍野は思う。

 今までの話はすべて黒崎の主観や報告書の話だ。


「お父さんはまた違うことを思ってるかもしれないだろ! 結局二人で一度も話してないんだから」


 まだ父親の話を聞いていない、その辺に打開策はありそうな気はした。


「そんな事言っても、俺達は護衛拒否されてるぞ。どうやって白鳥博士と話すんだよ? 大体白鳥博士が部長息子に会いたいと言った訳ではないぞ」


「くうぅー、歯がゆい。いっそ先輩が折れてくれれば簡単なのに、なんてとても言えねぇ!!」


 藍野は頭を抱えて悶絶した。


「かわいそうだが、部長を白鳥博士に直接会わせるのは無理だろうな。せいぜい遠目にその姿を見せてやるか?」

「それじゃ意味ないよ!」

「まぁ、お前も博士に会ってから考えろ。それからでも遅くないだろ」


 意味ありげに紅谷は言ったが、藍野はのちにその身をもって説得の難しさを知ることになった。

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