エードルフ、転移先にて

 転移した先には寝台に横たわる男、そして跪いた真っ赤な髪の男がハルナの手に額を当てていた。

 あれは最大限の感謝だ。

 でも、どうでもいいくらいめちゃくちゃ腹が立つ。

 ハルナはあの男に手を取られてうっとりとしていたから。

 ハルナを確実に繋ぎ止め、どこかへ行く気がなくなるような“何か”が必要なのかもしれない。

 俺は強引にハルナを魔術で引き寄せ、左手でしっかりと抱いた。

 国境越えの転移は思っていたよりキツくて、こんな短い数歩の距離を引き寄せただけなのに、立ってるのもやっとなほどの消耗と疲労感がある。

 俺の身体はもう片手もない程の回数、術の行使に耐えられるかどうか、だろうか。

 消えそうな意識をハルナの温もりで呼び戻す。

 ここまで来たんだ。絶対、ハルナと一緒に帰ってやる!


「無粋な方だ」


 男はゆっくりと立ち上がり、俺の方を向く。


「どっちが? 他人の妻に手を出すろくでもない男のくせに」


 左手に持っていた魔力補助の魔石は真っ白に濁ってしまった。

 これではもう使えない。男の前に放り投げた。


「団長、その手……!」


 ハルナは目ざとく左手を見咎めるが、俺は首を横にふって言った。


「さあ帰ろう、ハルナ」


「良くないっ!! 私、結婚もせずに未亡人とか絶対嫌!!」


 ハルナは強引に俺の左手を掴んで、魔力を地に返す。

 身体のだるさと熱っぽさが魔力と共に抜けて、徐々にスッキリし、意識もはっきりしていく。


「ご安心なさいませ、聖女様。魔石一つでここまで来られた、正当な青い目と髪、“青の殿下”ですよ」

「そちらも同類だろう。オースティーのカルマン殿下」


 見覚えのある真っ赤な髪と金色の目。

 コイツも側室出身のオースティー帝国の末王子だ。

 確か名はカルマン・オースティー。

 俺が青なら、コイツは“真紅の殿下”と呼ばれていた。


「いかにも。ですが貴方とは違って、私は身分卑しい娘の子、オースティーに災いをもたらす悪魔ターフェルです」


 ああ、そうだろうよ。少なくとも俺達にとっては害ある悪魔だ。

 ぴったりじゃないか! とは言えず、黙っていたら「やめなさい、カルマン」と割って入る男の声がした。


 声に振り返れば、寝台の男が起き上がっていた。

 身体は痩せ細っているのに、目には力があって、真っ直ぐ俺を見つめる。


「私の弟子が随分迷惑をかけたようで、申し訳ない。ブラウルムのエードルフ殿下」


 ハルナはこの男の治療をさせられてあんな事を覚えたのか。

 俺の国なら、今もこの先も必要なかった事なのに。

 俺は病人相手にイライラを募らせた。


「先生! まだ起き上がってはいけません!!」


 カルマンは男を先生と呼んで、駆け寄る。

 俺への態度と全く違って、先生と呼ぶ男を気遣うような態度だ。


「良いのだ、カルマン。エードルフ殿下、お初にお目にかかります。私はオースティーで魔術技師マギウスインジェニア達の指導を行っております、セレスタン・ドーヴィルと申します。見苦しい姿で申し訳ございません、どうかお許しを」


「構わない。貴殿も魔力の使いすぎか?」


「はい。我が国は聖女不在ゆえ、魔物討伐が軍だけでは追いつきませんで、魔術の使える魔術技師も討伐に加わっております」


 セレスタンが言うには聖女不在により、今は魔力が制御できなく、溢れた魔力があちこちに湧き、それが魔物化して市民達を襲っているらしい。

 討伐には彼らも動員されおり、セレスタンは例の魔力補助の魔石を使い、身体の限界を超えた魔術を発動させ続け、とうとう倒れたという。

 魔術機械で命を繋いたが、とても次の聖女まで持たない状況にカルマンは焦り、強引に国境を越えてハルナを転移で連れ去ったのだという。


 俺の国ブラウルム王国がハルナの現れる前の状況とよく似ており、切実さもよく分かる。

 だけど……。


「貴国の状況には同情するが、我が国の聖女を勝手に連れ出されては困るのだ」


「殿下のおっしゃる事はよく分かります。オースティーは他国に不干渉を貫いてきたのに、都合のいい時だけ他国頼みなど許される訳がありません」


 セレスタンは俺とハルナの目を見て頭を下げた。


「弟子がこのような手段を取り、お二人には本当に申し訳ないことをした。ですが、心からの謝罪と礼を言わせて欲しい。聖女様、命をお救い下さり、ありがとうございました。弟子共々この恩は一生かけてもお返し致します」


「さぁ、先生は少しお休み下さい。私は二人を送ってきます。軍に見つかればきっと拘束されてしまいますから」


 カルマンはそう言ってセレスタンを寝台に寝かせて目線で俺たちを寝室から出るように指示した。


 ※ ※ ※


 俺とハルナはカルマンに連れられて、ハルナが使っていたという部屋に戻った。

 目の前には湯気を立ててる香ばしい香りの液体が出された。

 隣のハルナを見ればよだれをたらしそうな勢いで、食い入るように見つめている。


「毒など入っていませんので、どうぞ。貴国ではお茶ですが、我が国ではコーディナーヴがよく飲まれています。コーディという豆を焙って砕いて湯で煮だしたものです。苦いのが苦手ならこのクリームや砂糖を入れてください」


 カルマンはカップを手に取り、何も入れずに飲んで見せる。


「なんて完全なコーヒー!! 頂きます!!」


 ハルナも知っているようで、白いクリームを少し入れ、一口すすって感動して震えてる。


「あああ……。どのくらい振りか忘れるくらい、美味しい!!」


「以前の聖女様が持ち込まれた異世界の文化で、聖女様はカフィと呼んで好まれていたそうです」


「その聖女様に感謝の土下座をしたいよ。よくぞコーヒーを再現してくれたって。あ、団長は初めてだからお砂糖ミルクは多めがいいかな」


 ハルナは飲みながら、俺の分に砂糖やクリームを落として混ぜた。

 ここで飲まないと拒否したら、駄々をこねる子供みたいだしと内心で言い訳をしてカップを手に取って口をつける。


「……こげ臭くて苦い。何これ?」


 俺は顔を歪めた。

 よく吐かなかったと正直褒めて欲しい。


 ハルナは俺の反応も想定済みだったらしく、

「団長は意外とお子ちゃま舌ですねぇ。苦味って後天的に覚える味覚だもんなぁ。しょうがないか」

 とちょっぴり偉そうに砂糖とクリームを目の前に押し出したので、俺は遠慮なくドバドバ入れた。

 なんで二人は砂糖なしで飲めるんだ? 訓練でも必要なのか?


「お二人が帰る前に、本当の事をお話ししたいのですが、よろしいですか?」


 俺はぴくりと眉を上げ、クソ甘い液体のカップを戻して言った。


「それはオースティーの国境砦で起きた事と関係あるのか?」


 俺の問いにカルマンは驚いた顔をし、カップを置いた。


「どうして……」

「グリューネヴァルトは俺の大切な友人だ。こういう事とは知る前に騒ぎがあった事を知らせてくれた」


「そうでしたか。なら話は早い。すべて私が仕組んだ事です。どうかほかの者たちの処分はせぬようお願いしたい」


「カルマン殿下、友人は“わかりやすすぎる。まるで誰かに止められたがっているようだ”と言っていた」


 あちこちに落とされた、使い終わった魔力補助の魔石。

 本当にハルナを連れ去る目的なら、証拠など残さない方がいいのに、あえて残した。


「私もカルマン殿下は国民に慕われる聡明な方と聞き及んでいた、何故このようなことをなされたのだ?」


 カルマンは手に持ったカップを戻して、静かに言った。


「……先生は私を庇って病になったからです。先生は私を庇って嘘をついた」


 カルマンは深い後悔を滲ませ、ぽつりぽつりと理由を語り出した。

 本人の言うようにカルマンは俺と同じ側室の子、だが王室では母親の生まれの低さもあり、他の兄妹達にずっと蔑まれて育った。

 早く成人して一人で身を立てたい、そう考えたカルマンは10歳のとき、あの男、セレスタンに師事したそうだ。

 魔術技師は初等学校を卒業後、師事する師匠を決めて子弟制度でその技術を受け継いで、やがて自分も後継を育てていく。

 カルマンもそんな日々だったが、聖女不在による魔物討伐のため、軍の招集がかかる。


「私と先生はヴィラール男爵領に派遣されました。ご友人もご存じでしょうが、あの一帯は魔力も濃く、平時でも時折魔物が出没する場所です」


 だが、魔力が濃いのは悪い事ばかりじゃない。

 俺達が魔の森側で作物をたくさん作れるように、彼らも一帯の魔力を使って魔術研究や魔術機械の開発や量産をするための施設を作り、たくさんの人が住んでいたそうだ。


「私や先生も討伐に加わりました。私は王族で多少魔力許容量も大きいからと、先生に内緒で魔石を使っていました」


 ああ、よく分かる。

 誰かを救えるならと、己を顧みず、無理も無茶もする。


「ある日、魔力暴走の事故が起きました」


 聖女がいればただの事故で済んだ。だが時期が悪かった。

 一つあふれた魔力は次々に誘発してあふれ出て魔物に変わり、人々を襲う。


「その事故を起こしたのが、カルマン殿下なのだな?」


 カルマンは唇を引き結び、肯定した。


「はい。先生は魔力に飲まれかけた私を、ご自分の命と引き換えにしてでもと無理をしました」


 セレスタンは魔石を何本も使い、カルマンを止めたが、セレスタンは機械に繋がれ、ゆっくり魔物化を待つのみ。

 魔物化すれば……殺すしかない。

 時間はそう残されてはいなかった。


「先生を救いたいと王家に嘆願しても他国の聖女派遣の許可は下りませんでした」


 オースティ―は他国に不干渉、たかが一人の技師のために、他国の聖女の協力を依頼できないと突っぱねられたという。


「後は殿下のご友人の推察どおりです。なるべく結界の薄い国境で騒ぎを起こして侵入し、転移で聖女様を連れ出して治療させました」


 ここまで黙って聞いていたハルナはカップを置いた。


「言っとくけど、同情はしても、私はあなたのした事を許した訳じゃない。あなたの治療をしたのはここから無事に帰してもらうためよ。勘違いしないで」


「承知しております。どのような言葉を重ねても謝罪に足りませんし、感謝しきれません」


 ハルナはちょっと考えて

「悪いと感じてくれるなら、私、慰謝料にどうしても欲しいものがあるの」

 とにっこり笑って言った。


 何が欲しいんだ? ハルナは。


「何でしょうか」

「このコーヒー豆、オプション込みの永年無料サブスクリプション、税金送料はもちろんそっち持ちよ!!」


 勝ち誇ったようにハルナは胸を張る。

 ハルナが言うには毎月一回、このクソ甘い液体用の豆汁と入れるための道具を送り賃や輸入の税金はあちら持ちで送れと言いたいらしい。

 この豆が曲者で、焙煎という手間が必要なのだが、豆を焙煎して砕くと鮮度が落ちやすく、まずくなるんだそう。

 だから月一度、飲み切れる分だけ決まった量が欲しいそうだ。


「うーーん、そうだなぁ……。ねぇ、ハルナ。俺達が飲む分くらいなら、転移陣でもおいて、欲しい物の伝言を転移で送って、ささっと塔の転移陣に送ってもらえば良くない?」


 もちろんある程度の量になれば荷を運ぶ商隊に依頼したり、領主や国に転移陣の使用を届け出て、税金を納めたりしなければならないけれど、始めはそんなに大量に要らないだろう。


「それいい。団長!! つい前の世界の通販感覚で考えてたわ。サブスクってもらい放題だもんね!!」


 ハルナはぱっと顔を輝かせて、ワンピースの隠しから紐付きの何かを取り出してターフェルにちらつかせる。


「さぁ、カルマンさん。慰謝料の条件を理解したら、私達を元の場所へ帰して!! じゃないとこれを団長が壊すわよ!!」


 うん。

 まだ口約束で書面にしてもらってないから、慰謝料として受け取ったとは言えないよ。

 ハルナはこの豆汁が欲しくて、相当舞い上がっているようだ。


「……カルマン殿下、申し訳ない。妻はまだこちらの世界に慣れていないようだ……」

「そのようですね。ご苦労お察しします。契約書はこちらで作成しても?」

「ああ、頼む」


 ハルナはとてもうれしそうに豆汁を一気にあおり、

「カフェラテにコーヒーフロートでしょ、クッキーにコーヒーロールにコーヒー味のパウンドケーキにコーヒーマフィン!! あああああっ、楽しみすぎるぅぅぅ!!」

 と次のメニューをたくさん羅列して身もだえていた。


 楽しそうでいいけど、俺はちょっと恥ずかしいよ、ハルナさん。

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