ルドヴィル、ソフィアを訪ねる
砦で随分とごたごたしてしまい、予定より少し遅れて、婚約者の住むフォンターナ伯爵家へ向かいました。
フォンターナ家は領地こそありませんが、国内にあちこち湧いている泉や神殿の管理、儀式を一手に引き受ける代々神職の長の家系です。
私の婚約者はフォンターナ伯爵家の三女で、魔術研究で少し前までオースティーに留学していたのですが、私との婚儀に合わせて帰国しました。
というのは表向きの理由で、実際はオースティーの聖女不在による政情不安から両親が帰国させました。
そしてそのまま婚約していた私との婚儀の日程も決定しました。
元々、グリューネヴァルト家とフォンターナ家は家族ぐるみの付き合いがあり、許嫁を経て婚約者となり、ハルナさんの事で解消後、今はまた婚約者。
お互いよく知っていますし、私も彼女も婚姻は家のためと理解しています。特に異存はありませんでした。
「こんにちわ、ソフィア。ご機嫌は?」
小さな頃は広すぎるとよく気にしていた額に、薄いライラック色の髪越しにそっとキスを贈りました。
「いらっしゃいませ、ルドヴィル兄様。キスよりいいお土産はありませんの?」
ソフィアは光の加減で深い青紫にも見える、紫色の瞳で私の左手をじっと見つめて、にっこりと笑います。
「
苦笑気味で私は左手に持っていた本を彼女に渡し、通された私室の机にある本の群れを見ます。
少し見ない間にまた本が増えているようです。
増えているのが恋愛小説ではなく、魔術や魔術機械の本ばかりと、女性とは思えない種類ばかりですが。
「まあっ! エルリッヒ・クラーゼ様の書かれた最新魔術式の研究結果ではありませんか!」
「ちょうどバルドにいたヒルデブラント兄様が見つけて下さって、送って頂きました」
「素敵! ヒルデ兄様にもよくお礼言っておいて下さいませ!! ソフィアがとても喜んでいたと」
ソフィアはまるで子供がぬいぐるみでも貰ったかのような喜びようで、受け取った本を抱きしめて、ヒルデブラント兄様を褒め称えます。
依頼したのは私なのですが、私を褒めない事に少々落胆し、次は男心に詳しい恋愛指南書も一緒に持ってこようと心に決めました。
「それで兄様は何が聞きたくていらっしゃいましたの?」
ひとしきり喜んでお茶を一口飲むと、ソフィアは私を見つめます。
「おや、私はそんなにわかりやすいですか?」
「だって兄様がこの家にいらっしゃる時は、大抵魔術に関する調べ物があるときではございませんか!!」
ソフィアはからかうようにくすくす笑います。
思い返せば、大体そうですね。
私も女心に詳しい指南書を読み直さねばならないかもしれません。
「こちらなのですが、何かご存じですか?」
コトリとコートの隠しから細長い白い魔石をテーブルに置きました。
これは私達が真夜中のワイバーン狩りをしたあの場所に落ちていて、アルトゥールが回収したそうです。
数は3本。いずれも私の指より一回り大きい太さで、手のひらと同じくらいの長さの細長い五角柱や六角柱です。
「ああこれ……。わたくし、使ったことはありませんが、魔力調整の魔石です。オースティーではよく使われているものです。お待ち下さいませ。研究用の未使用が確かこの辺に……」
ソフィアは机の引き出しから同じような魔石を取って、テーブルの上に置きました。
未使用品は透明な水晶柱のようで、所々に金が見えています。
「この石はオースティーで採れるクリスタロンという鉱物と金を錬金術師が魔力を使って錬成します。未使用だとこのように透き通っていて、これに触れながら術を発動させると、魔力量の差分だけ白く濁っていき、このように真っ白になればもう使えません」
オースティーでは負担の大きい術を使うとき、これを使うそうです。
使い手の限界以上の魔力の補助をし、使えば魔物化してしまうような大量な魔力が必要な魔術でも、術者は魔物化せず術を使うことができるようになるそうです。
「でも、これを使っても、負担は身体に蓄積されていき、いつかは身体が限界を迎えて魔物化してしまいます。ほんの少し魔物化するのを遅らせる程度の効果しかありません。完全に治療するには“聖女の祈り”がないと……」
魔物化の病には魔力水は効きません。
治療法はただ一つ。聖女の祈り、つまりハルナさんが実際に触れて、魔力が地に帰るよう願う事だけです。
聖女だけはいくら魔力を集めても魔物化の心配はありません。
彼女達は元々存在しているだけで、あふれた魔力を吸い上げて、地に還すことをしているのですから。
「たとえば……平民がこれを使って、転移陣を使った自身の移動などは?」
「可能ですが、距離にもよるけど、せいぜい二、三回で限界ではないかしら」
「ふむ。転移で国境越えなどしたら?」
「平民ではできません。すぐに魔物化してしまいます。そうね。私でもできませんが、母君が現陛下の妹であるクリスティーネ様の兄様なら、3本か4本あれば何とか、でしょうか」
ソフィアは私の母の事をあげます。
貴族でも血筋、王家に近い方がいいのでしょう。
「ああ、一度に複数使えるのですね」
「ええ。平民では元々扱える魔力量が少なすぎて、何本持っても間に合わないでしょうが、この魔石は貴族なら効果的なのです」
しかし3本、これは今回のワイバーン狩りで回収した本数です。
と、いうことは。
「これを使ったのは貴族階級以上の者、それも王家の血が近しい方、という事でしょうか?」
「恐らくそうでしょう。だけど兄様だってご存じでしょう? 国ごとに大きな結界が張られているのを。だから貴族が国境を超えるにはたくさんの手続きが必要な事も」
ですから私、本当は戻ってきたくありませんでしたのに、とソフィアは不満気に口をとがらせました。
転移陣や平民商隊の徒歩による物や手紙のやり取りはあっても、貴族の往来はたくさんの手続きが必要でとても煩雑です。
ましてやオースティーと我が国はバルドほどの交流があるわけではありません。
かの国の国交は最低限、なかなか難しいお国柄ですが、年に一度、国外からごく少数の研究者や留学生を募ります。
競争率も高いのですが、ソフィアは何度目かの挑戦でようやく留学枠を勝ち取り、思う存分、研究に励んでいた頃の帰国命令でした。
「オースティーは聖女不在で国内が荒れます。新たな聖女が現れたらまた行けばよいではありませんか」
幸い、私も若返りは使ってますから、ソフィアも契約さえすれば子供は基本いつでも望めます。
私も結婚したからと言って、彼女を家庭に縛るつもりもありません。
ただご両親と同じで、聖女不在の今だけは、こちらにいて欲しいとは思いますが……。
そうだ。とても良い考えを思いつきました。
「いっそ今のうちに子供を産んでしまえば、ちょうど手が離れた頃にオースティーへ行けるのではありませんか? ふむ。そうしましょうか?」
どうせエードルフ様とソフィアの留学で長すぎた婚約期間です。
ここで私が子供くらい先に望んでも、周囲の親しい者たちはそれほど驚きはしないでしょう。
何か下らぬ事をうるさく言う輩は、静かになってもらえば良いのです。
「まぁぁ!! 兄様は結婚前に子供をもうけるおつもりなのですか!? 私、お腹が大きい契約式は絶対嫌です」
ソフィアはとても嫌そうな顔で断固拒否します。
「大体そんな事をすれば、私、一番可愛い時期に離れて暮らさねばならないではありませんか!!」
そう言って、ソフィアは大仰に嘆きました。
「我が国もハルナさんを得るまで6年かかったのですから、オースティーもそのくらいの時間がかかるかもしれませんよ? 可愛い時期には十分ではありませんか!」
我が国は少し長すぎた気もしますが、今生んで6年後に再留学も中々悪くない選択であると思いますよ。
6年後ならちょうど初等教育も始まる時期、私達の手も少し離れる頃です。
「いつ現れるかわからないオースティ―の聖女様を待つほど、私は研究を待つつもりはありません! そのためにたくさんの本や魔術具、魔術機械を苦労して持って帰ってきたのです!!」
ソフィアは堂々と自分の野望を述べ、はっと気が付いて、そっと目を伏せました。
「困った
先ほどまでの明るい声から一転して、とても暗く沈んだ声で「……最低2年は研究をせず、家庭に専念するように、と……。2年も刺繍にサロンにお茶会だけなんて……」と絶望して言いました。
「仕方ありません。名目的には私の妻で貴族の端くれですからね」
そういった社交は確かに妻の仕事ですが、私はそのような事に重きを置いてないので、些末な問題です。大体そのような時代でもないですから。
でもこれは黙っておきましょうか。
「私、2年も研究を待つなんて耐えられません!! お願いです、兄様。何とかしてくださいませ!!」
ほら、ソフィアが困った時、必ず私に泣きついてくるのです。
私が困った状況にしているとは気づかずに。
「わかりました。何とかしましょう」
私はにこりと笑顔で請け負うと、
「素敵! 流石ルドヴィル兄様ですわ。これからも頼りにしてます!!」
と予想通りの答えが返って来ました。
本当にかわいらしいものです。
これでソフィアの方も説得できました。婚儀の話も進めやすくなります。
子が先でも後でも問題ありません。
お腹の目立たないうちに契約式を済ませれば、ソフィアも満足するでしょう。
私は今日の戦果に満足して、フォンターナ家を後にしました。
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