陛下(兄上)、宰相付きでエードルフと話をする

 グリューネヴァルト公の近侍が呼びに来るまで、私はそわそわと落ち着きなく執務を行っていた。

 どんな紙にどのようにして名前を書き入れたのかさっぱり思い出せぬ程度に動揺しておる。

 何せあの女に疎いエードルフがこのような事になるとは思い至っておらなんだ。

 しかもお相手は聖女。

 なんとかしてやりたいが、こればっかりはどうにもならぬかもしれない。

 王家は聖女と関わらぬ定めだ。


「陛下、エードルフ様がご到着なされました。お言いつけ通り、私室の応接間へお通ししてございます」

「そうか、すぐ行く。グリューネヴァルトは?」

「殿下をお出迎えになり、一緒に控えておられます」

「うむ。では参ろうか」


 私は椅子から立ち上がると、差し出された上着に腕を通し、開けられたドアから私室へ向かった。


 ※ ※ ※


 応接室に入るとエードルフが着席していたが、私の姿を見ると立ち上がり、グリューネヴァルト公は立ったままま私を出迎えた。


「陛下、お久しゅうございます」


 エードルフは先日と変わらぬように見えるが、いささか緊張しているように見えた。


「エードルフ、ここは私室だから兄上で構わぬぞ。そなたとはプルファの晩餐会以来じゃの。息災のようだな」


 エードルフは少しだけ表情を緩めたが、すぐに口を引き結んた。


「兄上もお元気そうで何よりです。話があるとは、ハルナの……いえ聖女様の事ですか?」


「うむ。そのつもりだが、ますは座りなさい。立ってする話ではないのでな」


 私が二人を座らせると、程なく茶と茶菓子が侍従によって運び入れられた。

 各々が手をつけて一息ついてから、私から話し始めた。


「公より報告があっての。エードルフ。そなたが聖女を隠し、その上既に契約も済んでおると申すのだ。公の誤解であろう?」


 エードルフは私の問いかけにじっと見つめながら耳を傾け、首を横に振った。


「……いいえ。真実にございます。言い訳をさせて頂けるのなら、契約はこちらをよく知らぬまま、ハルナの、聖女様の血がブローチについて結んでしまった事故にございます」


 契約はエードルフの意思ではないことに、私は少しだけほっとした。

 事故ならば解除すれば良いが、何故解除していないのか。

 同じ疑問を持った公は私の代わりに尋ねる。


「エードルフ様、貴公は事故と申すが、契約解除する事も、聖女発見の報告機会もいくらだってありましたでしょう。何故解除も報告もなさらなかったのですか?」

「うむ。契約が事故なら解除すればよい。簡単な事ではないか」


 そう。事故だからな。

 契約はエードルフが望んだことではないのだから。

 だが、エードルフは私を見据えてはっきりと言った。


「私はこのまま契約を続けます。私から解除は致しませぬ!」

「な……」


 私が言葉を続けるより先に、ダンと応接室のテーブルを叩く大きな音がして、びくりと隣を見た。


「貴公は何を申しておるか分っておるのか? 聖女を隠した挙句、契約を続行するなど罪となり、処分を免れえぬぞ!!」


 公の怒鳴り声にも動じず、エードルフは少しの間、何かを考えるかのように黙っていたが、口を開いた。


「……申し開きは致しませぬ。隠していた事を罪と言われるなら、甘んじてお受けする覚悟です」


「エードルフ! 発言を撤回せよ。事故なら契約を解除して聖女を引き渡しなさい。そうでなければ……」


 私が処分を決めなくてはならないではないか!

 そんな決定をさせてくれるな。


「覚悟の上です、兄上。発言は撤回致しません」


 何かを心の内に決めているような顔で、エードルフはテーブルの下でトラウザーズの右側の隠しを弄って理由を話そうとしなかった。

 公は深いため息をついて、とても静かに私に言った。


「陛下、エードルフ様は罪をお認めになられたのですから、責任をとって頂きましょう」


 あああ、この言い方、公の怒りは収まるどころかどんどん増している時じゃ。

 しばらくは機嫌が悪かろうが、せめて兄として援護の一つもしてやりたい。


「だが、公よ……」


 私は説得を試みたが、公に聞く気はないようで、まるっと無視された。


「エードルフ様、貴公には明日、陛下との公式謁見を設定致します。その場で貴公は陛下にそのマントを捧げ、陛下に永遠の忠誠を誓い、お断りになられた隣国バルドに縁付くと宣言なさいませ」


「グリューネヴァルト公、それはあまりに……」


 お相手に失礼な話ではないか。

 それに騎士にとってマントを捧げることをできるのは一度きり。

 私に使うより、心から愛する者に使って欲しいのだ。


「いいえ陛下、聖女様を隠蔽することは重大な罪。むしろこのくらいで済み、エードルフ様は陛下の寛大なお心に感謝申し上げる事でしょう。ねえ、エードルフ様?」


 グリューネヴァルト公は氷の魔術よりも冷たい声でエードルフに同意と謝意を求める。


「陛下。此度は迷惑をおかけして申し訳ございません。陛下の寛大な処置に感謝致します」


 ほら見よ。

 エードルフがこんなにもしょぼくれているではないか。

 公はもう少し言い方というものを……。


「明日の準備もございます。今日はこのまま王宮に逗留なさいませ、殿


 エードルフは小さくため息をつき、同意する。


「承知した。宰相閣下。この先ハ……いえ聖女様はどうなるのですか?」


 エードルフはやはり右手で服の隠しを触れているようだ。


「慣例通り、我がグリューネヴァルト家が身元をお引き受けし、ルドヴィルを縁付ける予定にございます。ああ、エードルフ様にはルドヴィルをお返し頂かねばなりませんね。ルドヴィルの後任は早急に人選致しますよ」


 グリューネヴァルト公はエードルフの問いへ義務的に答えると席を立った。

 そして「さあ陛下、次の予定のお時間です。参りましょう」と言って、私の椅子を引いた。


「わ、わかった。エードルフ、せめて夕食は一緒に……」


 急かされるように私は立ち上がりながら言うと、


「陛下、今宵はギュスティエーヌ大使夫妻との晩餐がございます」


 なんと。

 それでは話せないまま公式謁見ではないか、公!!!


「いってらっしゃいませ、兄上」


 エードルフは席を立ち、私を見送る。

 嫌じゃ。私はエードルフと話をせねばならないのに。

 後ろ髪を山ほど引かれながら、私はグリューネヴァルト公に連行されて執務室に戻った。

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