第9話 お兄様の反撃

第二章


九 お兄様の反撃




「飲み物ではなく、お前がだよ」


 薄暗い部屋で、ネーロの紺色の瞳が妖しく光った。


「え?」


 意味が分からず聞き返したときには腕を強く掴まれ、ベッドに引き込まれていた。


 ああ、ハニージンジャーでは無く、オレ自身が甘いって事かよ。


 ベッドの上で所謂お姫様抱っこをされて、ようやく自分の甘さに気付く。


 っつーか、お姫様だから、お姫様抱っこって何も間違ってはいないのか。

 何が間違っているかというと、年頃の娘が兄にベッドでされているという事か。

 うん、致命的なミスだな。

 そして、こんな可愛いお姫様の身体になってしまったが、オレはごくごく普通の女の子大好きな男子高校生なんだよ!


 上気した汗ばんだ肌。

 熱い吐息。

 薄暗い部屋で妙に色っぽく光る瞳。


 相手が女の子なら大歓迎なんだけど、マジで残念ながら兄ちゃんなんだよな……。


「なっ何するんですか?」


「さて、どうしようか?」


 だ~か~ら~、顔が近いんだってば!


「妹相手に悪趣味ですよ」


「何を今更。少し前まで王家では異母兄弟婚は珍しくなかったし、父母同じもかなり昔に遡るがごく稀にだが例はある」


「は? この国、法律はどうなってるんだよ!?」


「法律……。そうだな、国外の者と結婚するときは色々条件があるが、国内なら特に無いな。最近、勉強していると聞いていたが、法律はまだなのか?」


 うわぁ、流石、異世界、異文化だ。

 そう言えば、元々オレがいた世界でもオレの国はいとこで結婚出来たけど、ダメだって国もあるし、あと、重婚出来る出来ない、同性婚出来る出来ないなどなど、国や地域などの場所や条件によっても結構違っていたな。

 結婚出来る年齢も違うし。


 とは言え、ネーロの言い方だと、現在ではアメジスト王国でも兄弟婚は珍しいのだろう。


「図書室にあまり法律の本が無かったので……」


「ああ、あそこはベージュ管理だからな。あいつの本棚みたいな物で、結構偏っているな」


 成程、あくまでベージュの勉強部屋を借りているだけなのか。

 だから、比較的簡単に利用させて貰えたし、図書室内に国の重要資料は無かったんだな。


「そうなんですか。……それで、いつまでこの格好なんですか?」


 相変わらずのお姫様抱っこ。

 ネーロはオレの首を支える左手で、真っ直ぐな紫苑色の髪を指に絡め始める。

 熱を持った指先が耳に触れると妙にくすぐったい。

 このお姫様だけなのかも知れないけど、女の子の身体ってこんなにくすぐったがりなのかな?


 少し身をよじると、ネーロが目を細める。


「そんな表情かおで言われても、もっと触れて欲しいって聞こえるな」


 言ってね~よ!

 全然言ってね~よ!

 国語のテストなら余裕で0点だけど!

 人に法律の勉強のイヤミを言うんなら、お前はちゃんと国語をやれ!


 ってかさ、顔がめっちゃ近づいてるんだけど?

 あのエロ騎士には散々キスされたけど、流石に兄貴はマズいだろう。

 確認取ってないけど、多分鏡の中のお姫様だって兄ちゃんとマジキスは困るだろう。多分。

 分からんけど、取り敢えずオレは困る。


 オレの華奢な腰はネーロの大きな右手で支えられ、とても逃げられそうに無い。

 くっ、逃げられないなら――


――ゴツッ!


「うっ」


「攻撃は最大の防御ってご存じですか? お兄様」」


 頭突きをかましてやった。

 それにしてもこの兄ちゃん、結構石頭だな。

 こっちもかなり痛い。


「病人に対して酷いな」


「一応、考慮して手加減してますよ」


 拘束が緩んだので、身体を離して立ち上がる。

 お互い暫く自分の額を撫でる。

 オレの方はたんこぶとか出来て無さそうだ。

 あっちは知らんけど、まぁ大丈夫だろう。


「ヴィオ、お前はそんなにあの帝国騎士に操を立てているのか?」


「はぁ? どうしてそうなるんですか?」


「全然気に入っていないのなら、私から父上に次の婚約者候補に切り替えるように進言できるが、そうするか?」


「え? 次の婚約者?」


「まぁ、本来は数名ずつまとめて話を進める予定だったが、あの帝国騎士はなかなか強引でね。どうする、断るか?」


 ロッソを気に入っているかと訊かれれば、正直微妙だ。

 だって、直ぐキスしてくるし、何か偉そうだし。

 女の子大好きな男子高校生であるオレは、いくら相手が美形でも、男にはときめかないし。


 だけど、何を飲んだか分からないお姫様を助けてくれたことは感謝している。

 ……ちょっと、お姫様の魂は抜けちゃって、代わりにオレが入っているけど。

 それに、何だかんだ言って、オレに対しても出来る限り誠実には対応してくれている気はする。

 直ぐ手を出してくるところ以外は。


 まぁ、オレがこの世界に来て一番初めに信用した奴だ。


 ここで縁が切れて、また訳の分からない婚約者候補が現れるのは勘弁願いたい。

 と言うか、これ以上新しい男はいらないんだよ。


「ふふっ」


 どう返事をしたら良いのか悩んでいると、ネーロが軽く笑い出した。


「何が可笑しいんですか?」


「いや、最近性格が変わってガサツになったと心配していたが、随分可愛らしくなったなと思ってね」


「は? 可愛い? オレ……じゃなくって私がですか?」


「前の大人しいヴィオの方が色々進めやすかったけどね」


 オレの魂が入ってからの方が可愛いなんて、この兄ちゃん大丈夫か?

 強く頭突きしすぎたかな?

 ああ、そういや、熱出てるんだったな。

 きっとそのせいだな。


お姫様わたしが大人しいのにつけ込んで、色んな事を勝手に決めるから、こんな風に変わったんですよ」


「ほんと、可愛らしいな。ベージュが夢中になる気持ちも少しは分かる」


「止めてください。変態は一人で十分です」


 厳密に言うと、一人だってヤバいんだよ。


「確かに。それで、あの帝国騎士とは直ぐに結婚したいのか?」


「は? だから、どうしてそうなるんですか?」


「でも、断りたくは無いのだろう?」


「……まぁ、それは……。でも、結婚は急いでいません」


 だって、鏡の中のお姫様だって、まだ結婚したく無さそうだったし、オレだってどうして良いのか正直全然分からない。


「成程」


 そんな様子を見て、ネーロは少し考え込む仕草をする。

 いかん、また仕事モードになっちゃいそうだ。


「ほら、病人はとっとと寝てください」


「おや、眠るまで側にいてくれるんだろ?」


「……分かりました。椅子を持ってきます」


 部屋の隅にあるライティングディスクの椅子をベッド脇まで移動させる。


「そうやってただ座っていられると、眠りにくいなぁ」


 わざとらしく肩を竦めるネーロに若干イラッとしたけれど、やっとベッドに向かってくれたわけだし、こちらもちゃんと対応する。


「じゃあどうしたら良いんですか?」


「そうだなぁ、手を握って何か話しでもして貰おうかな」


「はぁ? 変なことしないでくださいよ」


「ははは、話でもしてくれないと、何だか仕事をしたくなってきたなぁ」


 ほら、またイエス・ノーで答えられる部分は躱す。

 とは言え、やっと大人しくベッドに入ったし、こっちもあまり意地悪は言わずに手を差し出す。


 あーあ、オレは何をやっているのだろうか。

 元の世界では、体育の授業など以外では女の子の手を握る機会だって無かったというのに。

 そもそも体育の授業中だって、あんまりがっついて嫌われたら困るから、軽~く触れる程度だったし。

 オレはこんなに遠慮がちに生きてきたというのに、この世界の男どもはひとに遠慮無しにベタベタ触って来やがって。

 イケメンってだけで、そんなに自信が溢れるモノなのかよ、全く。


 嫌そうに手を差し出したというのに、ネーロは少し微笑んでその手を握ってきた。

 手は熱い。

 さっきはふざけていたが、相当具合は悪いと思う。


「そんなに仕事が好きなんですか?」


「私の仕事は好き嫌いでやる物では無いよ。ただ、私の仕事が滞ると困る者が沢山いる。年を重ねるごとに責任が増えて、やりがいを感じる部分は確かにあるが……」


 やっぱり、かなり無理していたんだろう。

 喋りながらも少しずつ目が虚ろになってきた。

 リクエストもあったことだし、こっちから何か話をするか。


 軽く一つ咳払いをして話し始める。


「コホン。これは私の友達……じゃなかった、本で読んだ話なんですけど」


 姫様に友達が居るか知らないや。

 でも、何か居なさそうだよなぁ。


 その辺のくだりに関してはネーロから特に突っ込みも無かったので、そのまま話を続ける。


「本の主人公である『彼』は中学までは優等生でした。あっ、中学って言うのは本の世界の学校のことで、あるとき、学級委員長クラスのリーダーだった『彼』は文化祭学校の祭りの準備を任されました」


 異世界人であるネーロに分かりやすい言葉に代えるのが意外と大変で、意図せず話し方がゆっくりになる。

 でも、相手が病人で、しかも眠りかけているので、丁度良いテンポらしく、特に嫌な顔はされていない。


「でもクラスメイト達は全然やる気が無くて、全部『彼』任せ。だから、『彼』は凄く頑張りました。毎日居残ったり、家に作業を持ち帰ったり。だけど、無理が祟って、文化祭学校の祭り三日前に具合が悪くなってしまいました」


 チラッとネーロの顔を見ると、瞳は閉じていた。

 髪の毛と同じ漆黒の睫毛が頬に影を落とす。

 呼吸から完全に寝てしまったのか判別は出来ない。

 

 まぁ、別に聞いて無くてもいいや。


「結局『彼』は文化祭学校の祭り前日にやっと登校できました。徹夜での作業も覚悟して登校したけど、学校に行ったら、クラスメイト達が殆ど準備を終わらせていました。皆、『彼』に任せすぎたって謝ってくれて……。でも……」


 言葉が詰まりそうになり、一度軽く深呼吸。


「『彼』も、もっと皆を信用して色んな事をやって貰えば良かったんだよな。全部自分がやらなきゃって抱え込み過ぎちゃったんだよな。アンタもオレも……」


 気付くと、ネーロはオレの手を握ったまま規則正しい寝息を立てていた。


 やっと寝てくれたし、もう少しだけ手を握っていようと思ったら、こちらも緊張が解けたからなのか、眠気が伝染したのか……。


「ふあぁぁぁ」


 ブランケットを一枚借りるか。


 手を繋いだまま、ネーロの布団の端にある今使っていないブランケットを引っ張り、自分にかける。

 ちょっとだけこのまま仮眠を取ってから部屋を後にする事にした。



◆ ◆ ◆



――翌朝


「何でオレがベッドに入っているんだよ~!!」


 目を覚ますとベッドの中だった。

 天蓋が姫のデザインと違うので、一瞬で自分の部屋じゃ無いと分かる。


 昨日、あのまま寝てしまったのだ。

 そういや、オレ、一度寝たら起きないタイプだった。


「っつーか、兄貴は?」


 恐る恐る横を見ると、ベッドに寝ているのは自分だけだった。

 服も着ているし、まぁ、何も無かったのだろう。

 何も無かったよな?

 経験は無いが、元の世界での知識を総動員してベッドや自分の身体を確認する。


 どこも痛くないし、ベッドも変に乱れてはいないし……まぁ、何も無さそうだな。

 うん、無い無い。



◆ ◆ ◆



 ほっとしたのも束の間、珍しく朝食に顔を出すと、すっかり調子の良くなったネーロは皆の前で、


「もう十六なんだから、お化けが怖くても一人で寝るんだよ」


なんて言ってきやがった。

 

 確かにいくら兄とはいえ、年頃の娘が男性の部屋で夜を明かすのはマズいかも知れないけど、他にもっとマシな言い訳があるだろうが!


「お前マジで覚えてろよ」


「ん? ヴィオ、何か言ったかい?」


「いえ、おほほほほ」


 オレにつられて皆も笑い出す。

 声を落としてネーロの耳元に口を近づけて、どうしても確認しておきたいことを尋ねる。


「って言うか、何もしてないでしょうね?」


「知らない方が良いのではないかな?」


「はぁ?」


「くくっ、婚約者候補もいる妹に手を出すほど困っていないよ」


「だったら最初からそう言ってください。私のことからかって楽しいんですか?」


「新しい楽しみに目覚めそうだよ」


 ネーロの瞳が意地悪そうに光る。

 こいつ相当性悪だな。


 けれど何を話しているのか分からない周囲は、オレたちのことを仲の良い兄妹だなぁと微笑ましそうに見ている。


 くそっ、弁解したいが、下手にすると面倒そうだ。


 食堂が笑顔に包まれる中、オレはこの完璧超人で意地悪な長兄をいつかギャフンと言わせてやると固く誓うのだった。

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