第8話 お兄様の困惑

第二章


八 お兄様の困惑




「誰も呼ぶなって、アンタ自分の状態が分かっているのか?」


 明らかな高熱なのに、助けを呼ばせない第一王子に、つい姫様の話し方を忘れてしまう。

 一瞬焦ったが、相手も不調ゆえに気付いていないようだ。

 それか、突っ込む余裕が無いのかも知れない。


「医者なんて呼んで大事にされては、私の管理能力が疑われるだろう」


「はぁ? 体調管理も仕事のうちってやつですか?」


 ギリギリ敬語に戻す。


「そうだ。次期国王として、王の留守中に体調を崩すなんて、他の派閥の者たちに付け込まれるだけだ」


 ロッソたちの言葉を借りるならアメジスト王国は辺境の王国だ。

 とはいえ、それでも一つの国だ。

 きっといろんな人たちの思惑が渦巻いているのだろう。


「だからって、こんな熱じゃ……」


「それに、今日中に片付ける仕事だってあるんだ」


――バシッ


「ふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」


 気付いたら、掴まれていない方の手でネーロの頭にチョップをかましていた。かなり身長差があるので、頭というか、ほぼおデコにチョップをしてしまった形だ。


「ヴィオ?」


 あの大人しいお姫様が変態次兄ならともかく、完璧超人で隙のない長兄に手を挙げたことなんて、きっと無かったのだろう。

 基本的にいつも余裕の微笑みを浮かべている長兄ネーロは、初めて驚きの表情を見せた。


「絶対に今日中に終わらせないといけない仕事があるんですか?」


「お前に仕事の話をしたって仕方ないだろう」


「あるんですか?」


 イエスかノーで答えるよう、やや語気を強める。

 っても、語気を強めてもこのお姫様、声が高くて可愛らしすぎるんだよな。

 いまいち迫力には欠けるのだけど、姫の剣幕が珍しいからか、ネーロには効いているようだ。

 気まずそうに目を逸らしてくる。


「……今日中に終わらせておかないと、後々面倒になる」


「じゃあ、今日中に絶対に終わらせるものは無いんですね?」


 こちらは負けじと、ずいっとネーロを覗き込む。

 別にこんな可愛らしい仕草をしたい訳では無いのだけど、そういう身長差なのだから仕方ない。

 と言うか、羨ましい。

 誰かオレのことも覗き込んでくれ~。

 と言っても、お姫様の身体じゃあ、覗き込んでくれるのは幼い弟妹くらいか。

 それはそれで可愛いだろうが、違うんだよなぁ。


 っつーか、それにしても……。

 あー、やだやだ。大人ってイエスかノーをボカす答え方する奴、結構いるんだよな。

 質問に素直に答えると損するとでも思ってるのか?

 まぁ、オレも気づかないうちにやってしまっているかも知れないから、気をつけようっと。


「…………」


 とは言え、これ以上は答えをボカしてこないところを見ると、今日中に仕上げないとマジでヤバイ仕事は無いのだろう。

 調子が万全なら、この後まだ屁理屈を捏ねてきた気がするけど、そんな元気も無いようだ。

 こっちとしても、無駄なやり取りは省略させていただきたいところなので、大歓迎だ。


「いつから具合が悪いのですか?」


「それに答える必要があるのか?」


「では、大声で医者を呼びます。派閥争いより、自分の身体を心配してください」


「……数日前から少し熱っぽい」


 おっ、観念して答えてくれるようだ。

 不満げな顔でオレを見下ろす。


「お兄様、失礼します」


 いつの間にか掴まれていた手首は解放されていたので、腕を伸ばし、ネーロの首筋に触れる。

 熱いことは熱いが、扁桃腺が腫れている感じでは無い。


「おい、何をするんだ?」


「医者に診せたくないって仰るから、私が確認しているんですよ」


「お前に分かるのか?」


「じゃあ、お医者さん呼びますか?」


「…………」


「で、少しずつ悪くなってきている感じですか?」


「ああ、今日の夕方から急に悪化してきた」


 咳や鼻水は出ていなさそうだし……。

 夕飯は普通に食べていたから、お腹もそこまでヤバくは無いのだろう。


「……あくまで素人判断ですが、今のところ問題は発熱だけのように思います。今日のところは温かくして、早く寝てみたらどうですか?」


「ただ、寝ればいいと?」


「風邪に大切なのは栄養と睡眠ですよ」


「分かった。確かにこの体調ではお前との話も満足に出来ないな。わざわざ来てもらって悪かった。私も休むから、部屋に戻りなさい」


 そう言って、ネーロがドアノブに手をかけようとするので、今度はオレがその手首を掴む。

 こういう屁理屈ばっかり捏ねるタイプが、妹の言うことを素直に聞くとは思えない。


「お兄様、私を追い出した後に仕事するつもりでしょう?」


 ニヤッと笑って見上げると、ネーロもこちらを試すように口角を上げた。


「どうして、そう思う?」


「駆け引きがお好きでしたら、治った後にしましょう。さっさと寝巻きに着替えてください。眠るまで見張りますからね!」


「眠るまでだと?」


「そうですよ」


「恐らく、お前の方が先に眠気に襲われると思うが」


「お兄様、いつも何時まで起きてるんですか?」


「大体、午前三時くらいだな。やる事も多いし、寝つきも良く無いから、仕事をしている方が効率的だ」


 はぁぁぁ。そりゃあ、身体も壊すだろうさ。

 全然、体調管理も仕事のうちになってねぇじゃん。

 元々丈夫だから何とかなってたんだろうな、多分。


 しっかし、寝つきが悪いねぇ……。

 サイドテーブルの茶器に目をやる。


「お兄様、寝る前に何を飲んでいますか?」


「飲み物? そうだな、紅茶が多いかな」


「私も結構飲んでいるので、偉そうには言えませんが……、寝つきが悪いなら寝る前の紅茶はお勧めできませんよ。カフェインが入っていますから」


「カフェイン?」


「そうだ! お兄様、着替えてベッドに腰掛けてください」


 オレの勢いに押され、しぶしぶウォークインクローゼットに入り着替えるネーロを横目に、飲み物の準備を始める。

 実は茶器の下には保温の魔法がかかったプレートがあり、お湯は温かいままだ。

 この世界では、あまり派手な魔法は無いが、トイレのウォッシュレットとか、部屋の灯りとか、生活を便利にするインフラや家電代わりに発達しているようである。

 まぁ、難しいことはまだよく分かっていないが、とにかく便利なので現代っ子のオレには有難い限りだ。


 飲み物の準備が終わったら、部屋の灯りをベッド脇の一つだけ残して消す。

 唯一残った灯りも極力明るさを落とす。


 あっ、着替える前に身体を拭いてやれば良かった。


「お兄様、身体を拭きましょう!」


 お茶用に用意していたタオルを掴み、ウォークインクローゼットに入ると、


「ヴィっヴィオ!?」


 ネーロが慌てて、身体を隠す。

 やはり次期国王たるもの文武両道であるらしく、良く鍛えられている。


「見慣れているから隠さなくて大丈夫ですよ」


 オレはこんなに素晴らしい身体ではなかったけどさ、隠されても逆に困る。


「見慣れているだと!? ヴィオ、まさかあの帝国騎士ともうそんな関係に……」


「なっ、なっていませんよ! 最近、生物学の勉強で見たからです! 」


 っつーか、本当は男ですから。

 オレ。

 男の身体なんてマジで見飽きてるんだよ。


「勉強熱心なのは良いことだが、そういう勉強はちゃんと婚約を済ませてからの方が……」


「普通の勉強ですよ! 良いから、身体拭きますよ!」


 そういう知識は改めて勉強しなくても、既に一般の男子高校生並みにはあるんだよ。

 ただ、披露する機会が無かったんだよ!

 うぅ、キスすらする機会が無かったというのに、転生した途端、されまくりで思い出したら泣けてきたぜ……ぐすん。


 自分の涙も拭いつつ、ネーロの汗を拭き、着替えさせる。

 下は自分で着替えるとクローゼットから追い出されたから、上しか手伝っていないけど、人の服を着せるって意外と難しいんだな。

 本当は男に服を着せるのではなく、女の子の服を優しく脱がせたいところなのに。

 人生は思うようにいかないのである。


「部屋が随分暗いんだな」


「明るいと身体が睡眠に向かいませんよ。普段から寝る時間になったら、部屋はちゃんと暗くした方が良いですよ。はい、ベッドに座ったらこれを飲んでください」


 ベッド脇のサイドテーブルに、先ほど用意したカップを置く。


「これは? 紅茶ではないな」


「本当は紅茶に入れようと思って持ってきたのですが、寝つきが悪い人にはこっちの方がおススメです」


「不思議な香りだな」


「ハニージンジャーですよ」


 和風にいうと蜂蜜生姜湯だ。

 この前、ジンジャーティーを飲んだら、思いのほか美味しくて、少しハマっているのだ。

 ネーロの口に合うか分からなかったので、一応蜂蜜も持ってきて正解だったな。


 症状からして、あくまで素人見立てだけど、恐らく風邪だろうし、結局風邪は身体を温めて休むしかない。

 実は風邪の特効薬って発明できたらノーベル賞ものらしい。

 元々の世界でオレが飲んでいた風邪薬は、根本を解決するのでは無く、症状を抑えるものだと聞いたことがある。

 こっちの世界ではどうだか分からないけど、科学水準から考えるとこっちにも風邪の特効薬は無さそうだ。

 それに、そういう物があるのなら、ネーロだってここまで悪化する前に飲んでいるだろう。


「甘いな」


「温まりますよ」


 オレがそう言うと、ネーロはサイドテーブルに空になったカップを置き、クスッと微笑んだ。


「飲み物ではなく、お前がだよ」


「え?」


 薄暗い部屋で、ネーロの紺色の瞳が妖しく光った。

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