第7話 お兄様の憂鬱

第二章


七 お兄様の憂鬱




「駆け引きは苦手なんだ。単刀直入に聞こう、お前は誰の指示を受けている?」


「え?」


 何が何だか分からない。

 どうしてオレは長兄に壁ドンされているんだ?


 紺色の瞳がこちらを射抜くように見つめている。

 めっちゃ、顔と顔が近いんだけど……。

 落ち着け、落ち着け、オレ。


 まず、ここに来るまでのことを思い出してみよう。



***



――第四王妃イザベラ様と第五王妃ローザ様との愉快なお茶会が終わり、程なくして夕飯の時間になった。


「ヴィオー! 今日も飛び切り可愛いね!はぁはぁ」


「ベージュお兄様、耳元で鼻息が荒すぎて怖いです」


「その冷たい眼差しもたまらないねぇ」


「手を握らないでください」


 食堂前でいつものように第二王子ベージュに抱きつかれ、軽く耳チューされたり執拗に絡まれていると、


「ベージュ、その辺でやめておけ。幼い弟妹の教育にも悪い」


 これまたいつも通り、長兄である第一王子ネーロが変態シスコンをひっぺがして注意してくれた。


「それに、ヴィオだって困っているだろう」


「ええ、まぁ……」


 さり気なくネーロもオレの髪に口づけるのは気になるのだが、まぁ、ベージュよりは変態度が低いので、面倒だしこちらもあまり突っ込まない。

 これもいつも通り。


 いつもと少し違ったのは、


「ヴィオ様、先程は楽しかったですわ」


「今度は、一緒にドレスなど見ましょうよぅ。今度贔屓にしている行商が来ますからぁ」


「へぇ、行商ですか。書物とかもあると嬉しいんですが」


「いやですわ、ヴィオ様ったら真面目すぎですよ」


 イザベラ様とローザ様と親しくなったので、挨拶ついでの雑談が増えたこと。


 そして、王妃たちとのお茶会で改めて『紫の申し子アメジスト・レイン』の重要性を知り、その上で食堂の席次を見てこの国での優先度を確認できたことだ。


 所謂、お誕生日席には国王が座り、その右側は第一王子ネーロ、左側がオレ。

 そこから順にイザベラ様の娘である第六王女とローザ様の娘である第八王女。

 更に、その後に第二王子ベージュが来て、イザベラ様とその他の子供、ローザ様とその他の子供の順だ。

 因みにお姫様の弟妹はかなり歳が離れていて、いずれも元の世界で言うところの未就学児だ。


「なるほどねぇ……」


「ヴィオ、どうしたのだい?」


「いえ、ネーロ兄様。何でもありませんわ」


 いかん、いかん。

 思わず呟いてしまった。


 なんか不思議な並び順だとは思っていたんだけど、今日やっと分かったのだ。

 まず、一番国王に近い右隣は次期国王である第一王子ネーロ。

 まぁ、これは普通だろう。


 その後、オレ、第六王女、第八王女は国王の子供の中で髪や瞳が紫の『紫の申し子アメジスト・レイン』なのだ。


 ちなみにオレはどちらも紫。第六王女は髪の毛だけが青紫で、第八王女も同じく髪の毛だけ、こちらは赤紫だ。


 そして、『紫の申し子アメジスト・レイン』では無い子供たちがそれぞれの母親の後に座る。


 何となく、この国の一端が見えてきた気がする。


「ネーロ兄様、父上は食事にいらっしゃらないのですか?」


 あと、今日の夕食がいつもと違ったのは、国王がいなかったことだ。

 国王も忙しいので、いない時はあるのだが、そういう時は第一王子ネーロも居ないのが常だった。

 しかし、国王だけが居ないと言うのが珍しい。


「ああ、遠方での用事らしくてね。どうした? 何か話したいことでも有ったのかい?」


「いえ、特にそう言うわけではありませんが、お父様がいらっしゃらないと食事の雰囲気も違いますね」


「確かにな。だが、最近はヴィオが話をしてくれるから、楽しく食べられているよ」


「あはは、そうですか?」


 そう、ちょっといつもと違うことはあるけど、こんな風に和やかに夕食は終わったのだ。


 で、部屋に戻って鏡の中のお姫様と勉強しようと思っていたところ、ネーロ兄様が耳元で、


「この後、私の私室へ来るように」


と囁いてきたのだ。


 わざわざ私室と言ったのは、基本的に人を呼ぶのが執務室の方だからだろう。

 誰にも聞こえないように、しかも私室へ呼ぶということは、何か個人的な話があるのは分かった。

 それも、あまり他の人には知られたく無いのだろう。


「分かりました。では、お茶の支度をして伺います」


「ああ、それが良いな」


 同時に食堂を出て行くと目立つので、お茶の準備をして、時間差で行くことを提案すると、ネーロは安心したように頷いた。

 どうやら、オレの気遣いは間違っていなかったようだ。



「個人的な話だから、他の者は外してくれ」


 お茶の準備をして、ネーロの部屋に行くと、ネーロのメイドたちやエミリィちゃんは追い出されてしまった。


「失礼します」


 エミリィちゃんから茶器を受け取り、部屋に入る。

 ネーロの私室もお姫様のものと同じ二十畳程度だ。

 手前がテーブルで、奥がベッド。

 大体の部屋の配置も似ている。


 部屋に入ってすぐのサイドテーブルに持ってきた茶器を置いた瞬間――



***



 いきなり、壁ドンされたのだ。


「駆け引きは苦手なんだ。単刀直入に聞こう、お前は誰の指示を受けている?」


「え?」


 あれ?

 やっぱり、何が何だか分からない。

 ネーロの紺色の瞳が、オレの菫色の瞳を射抜くように見つめる。

 顔と顔が近すぎて、相手の息が唇にかかる。


 何というか、もういうまでもないのだけど、オレは壁ドンされたって全然ときめかないのだ。

 当たり前だけど、どうせなら、可愛い女の子にオレが壁ドンしたいのだ。

 いくら顔がよくても男に壁ドンなんかされたって、ちーっとも嬉しくないのだ。

 っつーか、そもそも、兄貴に壁ドンされるってどうなんだ?

 かっこよければ嬉しいのか?

 その辺は鏡の中の姫様本人に確認しないと何とも言えないけど、お姫様にはそういう趣味なさそうな気がするなぁ。


 ああ、兄妹カップリングが有りか考えている場合ではない。


 そもそも、駆け引きが苦手だなんて言うのは大きく分けて2タイプだ。


 少年漫画の主人公タイプで、本当に駆け引きが苦手な奴。

 国宝の宝玉にみんなの名前を彫ってトーナメントしようぜって言うタイプだ。


 あとは、駆け引きが大好きなタイプ。

 駆け引きが苦手っていう駆け引きをしてくる奴だ。


 この長兄はどう考えても後者だろう。

 なんか、国王に付いて国の仕事にもだいぶ関わっているようだし、妙に落ち着いて、何でもソツがない感じで底が見えない。


 こういう相手には、まず舐められないことが大切だ。

 それくらいはオレだって、十六年生きてきて何となく分かる。


 警戒される前なら無邪気なふりをするのもアリだけど、壁ドンまでされている現状では厳しいだろう。

 せいぜい臆せず対応するとしよう。


 とは言え、このお姫様に転生して十日あまり。

 元々のオレだって背はあまり高くないし、全然筋肉質でもない普通の男子高校生だったけど、それでも、女の子とは違うんだよな。

 こうして、大の男に詰め寄られると、か弱い女の子になってしまったのだと、痛感させられる。


 震えるな。

 そして、笑え。

 出来るだけ不敵に。


「おしゃっている意味が分かりません。お兄様、何か誤解されていませんか?」


「おや、随分肝が座っているのだな。今までのヴィオなら泣きながら逃げ出しているところだろう」


「それで逃さないために壁に押し付けているのですか?」


「口が減らないな。あの帝国騎士に慣らされたのか?」


 うぐっ、確かに慣らされた面はある。

 認めたくないし、認める必要もないけど。


「別に、レオーネ様は関係ありません」


「じゃあ、ベージュか? 随分よく喋るようになったではないか」


「はぁ? 何であの変態……じゃなかった、ベージュ兄様が関係あるんですか? 図書室を解放してくださったのは感謝していますけど」


「それでは第四王妃と第五王妃か? 急に親しくなったではないか?」


「お兄様、私が急に性格が変わったことを心配してくださっているのですか? それとも、それ自体が誰かの差し金だと疑っていらっしゃるのですか?」


「…………」


 この沈黙は肯定と捉えて問題ないだろう。


「お兄様、私は誰の指示も受けていません。このまま何もわからずに嫁ぐのが嫌だったので、自分で考えて行動するようにしたのです」


 疑い深い相手に変に策を弄しても逆効果だ。

 真っ直ぐ正直に伝える。


「お前が、自分で考えて……?」


「そうです」


「全部、父や私たちの言うことを聞いていたお前が……?」


「そうです。自分が何をしたいのか、それすら分からなくなって、それでは嫌だと思ったのです」


 これもある意味本当だ。

 全てを諦めて、魂が抜けてしまったお姫様。

 そんなお姫様の魂を元に戻すには、お姫様の絶望を解決させる必要がある。

 そのためにも、言うことを聞くばかりのお人形ではダメなのだ。


「そうか……。お前が自分で……」


 相変わらずの壁ドン体制で、唇にかかるネーロの息が熱い。


「ん?」


 ってか、熱すぎじゃねぇ!?


「ちょっと、お兄様。失礼」


 顔がものすごく近くにあるので、唇同士が触れないよう角度に気をつけて、おでこにおでこを当てる。


「熱いじゃないですか! こんな熱で普通に夕食を食べて妹に詰め寄っている場合じゃないですよ! すぐに医者を……」


 ネーロの腕をすり抜けて、誰かを呼ぼうとすると、


「ダメだ。誰も呼ぶな」


とても高熱とは思えない力で、手首を掴まれてしまった。

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