第10話 家出姫と騎士

第一章


十 家出姫と騎士




「で、ヴィオーラは何しに来たんだ?」


「へ?」


 これまでの流れから、抱きしめられたまま色々されるのかとビクビクしていたので、予想外にまともな質問に、一瞬思考が追いつかない。


 オレの間抜けな返答に呆れたようにため息をつくと、ロッソはオレの肩を掴み、ぐいっと自分から引き離す。

 そして、まるで射貫かれそうな鋭いまなざしを向けられる。


「行動力があるのは結構だが、一国の姫として夜中に繁華街をうろつくとか、不用心が過ぎるだろう」


 厳しい口調に身体が強ばる。


 元の身体より涙もろいのか、瞳に涙が溜まる。

 でも、ここで泣くのは卑怯だ。

 瞬きをすると涙が零れてしまいそうなので、瞼に力を入れてグッと堪えてロッソを真っ直ぐ見つめる。


「……ごめんなさい」


「謝罪相手は俺じゃ無いだろう。俺は何の用があってここまで無茶をしたのかと訊いているんだ」


 落ち着いた低音につい、

 アホ天使のせいで何故か異世界のお姫様に転生してしまって、

 しかもそのお姫様の魂はまだ完全に成仏はしていなくて、

 オレの再転生のためにもそのお姫様を絶望から救ってあげたい

 って言う本当のことを話しそうになる。


 だけど、お姫様が絶望から回復したら、またこの身体に戻ってこの世界で暮らすことを考えると、一時的とは言え、違う魂が入っていたなんて知られるのはまずいだろう。

 ロッソのことは信用できると思っているけど、この事実を知っている人が居たらあの繊細そうなお姫様はきっと気に病むだろう。

 

 不安そうなお姫様の顔がよぎり、ありのまま言ってしまそうになる口を一度閉じ、軽く深呼吸。

 どうしても涙声になってしまいながらも、転生の件は抜かして出来るだけ本当のことをゆっくり話す。


「オレ……私は、今までこの国のことを何にも知らなくて……どうして急に国外の人と結婚しなきゃいけないのかも分からなくて……、昼に毒も盛られて城内で誰が信用できるかも分からなくて……。信用できる人で思いつくのがアンタしか居なかったんだよ。アンタしか居なかったのに、会いたいって言っても手紙を書きたいって言っても駄目だって言われて……だから会いに来たんだよ!」


 言い終わると同時に瞬きをしてしまい、不本意な涙が零れ落ちる。


「…………」


「ゴメン、流石にこのタイミングで泣くって無いよな。ちょっと見ないで」


 慌てて下を向いて拳で涙を拭う。


「ハンカチくらい持ち歩け」


 ロッソがハンカチを差し出してくる。


「えっ……でも……」


「良いから使え。泣きながら俺しか信用できないとか殺し文句を言われると調子が狂う。このまま色々して良いならそれでも一向に構わないが」


「いえ、有り難く使わせて頂きます」


 受け取ったハンカチは白地の生地に白糸で刺繍が施されていて、ほんの少しだけ石けんの匂いがした。身近な香りに少し落ち着きを取り戻す。


「もう大丈夫。私はこの国のことや『紫の申し子アメジスト・レイン』のことを知りたい」


「……そうか。ルーカには訊かなかったのか?」


「『紫の申し子アメジスト・レイン』について一般的な話を少し」


「一般的か」


「うん。『紫の申し子アメジスト・レイン』って言うのはこの国特有の特徴で、髪か目が紫の人を指す言葉なんだよね。それで、私みたいにどっちも紫なのは『真の紫の申し子ヴェラ・アメジスト』って呼ばれて縁起が良いって言われているって話くらい」


「本当に一般的な話だな」


「他にも何かあるのか?」


 顔を覗き込むとロッソは困ったように軽く頭を掻く。


「俺を信用してくれている姫君にこんな事言うのもなんだが、俺も一応帝国騎士団なんだぞ」


「うん」


「だから、言えることと言えないことがある。あと、確証が無い噂話の類いとかはこちらでも真偽を調査したいと思っているところだ」


「成程。アンタやっぱり見かけによらず親切だな」


 つい、口から本音が零れてしまうと、ロッソはちょっと驚いた顔をした後、意地悪そうに微笑んだ。


「考え無しに城を抜け出す割に頭は最低限回るんだな」


「これでも考えた末に抜けだしたんだけど、反省しています」


 アメジスト王国の人間じゃ無くて、帝国の人間だから言えない情報がある。

 確証が無い噂話とかも調査する予定。


 これって結構な情報だよ。


「反省に免じて、話せる範囲だと、まずアメジスト王国は絶対王政、それから男性優位な国風だ。あと、アメジスト王家は一般庶民と比べて『紫の申し子アメジスト・レイン』がとても多い。ヴィオーラ自身、そうだしな」


「確かに。私みたいな『真の紫の申し子ヴェラ・アメジスト』はどうなの?」


「まぁ、まず見ないくらい珍しいらしい。……俺が教えられるのはこの位だ」


「そっか」


「大した内容では無かっただろう」


「いや、私にとっては貴重な情報だよ。それに、やっぱりアンタが良い奴だって分かったよ」


 ロッソに笑顔を向けると、瞳に残っていた涙が一筋、頬へと流れたので、借りたハンカチで拭う。


「ヴィオーラ!」


 その様子を見てロッソが急に顔色を変える。


「え?」


 もしかしてこの世界だとハンカチで頬を拭うのはマナー違反とかなのか?

 さっき瞳を拭ったときには何にも言われなかったはずだけど。

 でも、元いた世界だって地域によってこっちへおいでの手の動きが全然違っていたしな。


 なんて、また怒られるかもと身体に力を入れていたら、華奢な肩を大きな手でぐっと掴まれる。


「ヴィオーラ、お前、その頬の傷、ここへ来る時に出来たんだよな?」


「へ? 傷? ああ、そうだよ。部屋から抜け出して木から下りるときに擦りむいたんだよ。頬以外にも多分、足とか擦りむいてるよ。っていうか、仮にもお姫様に向かってお前呼びは失礼なんじゃ無いか?」


「ちょっと足を見せろ」


 お前呼びに対するツッコミは完全無視で、足をぐいっと持ち上げられる。

 勢い余って身体がベッドへ倒れ込む。


「やっ、ちょっと何するんだよ!?」


「…………」


 ロッソはふくらはぎの擦り傷をじっと見つめると、不意にそこへ口づけてきた。

 唇の感触だけでもビックリしたのに、更に……

 え?

 これはもしや舌の感触なのか……?


「ぎゃー! ちょっ、マジで止めろって!」


「少し静かにしてろ」


 唇の感触がふくらはぎから膝を通って更に上に進みそうになっている。


 やばいやばい、やばいってマジで!

 正直、キスされたのだってまだ受け止めきれないのに、この世界の男どもはスキンシップが激しすぎるんだよ!


 それとも、元の世界もオレが知らなかっただけで大人の世界はこんな感じだったのか?

 いやいやいやいや、流石に違うだろう。

 それか、もし違くはないのなら、是非体験してみたかった。

 勿論、男側で!

 

 そう、男側が良いんだよ!

 男なんだから!

 なんで組み敷かれて脚に口づけられてるんだよ!


 もうこれは完全に夜の営み的なものが始まりそうだと、脱出経路を確認しようとした瞬間、脱出経路である扉が開いた。


「ほら、やっぱり一時間くらい戻らない方が良かったんじゃん」


 ベッドへ倒れ込むオレたちを見て、薬を持って戻ってきたルーカは大きく肩をすくめて続ける。

 開けた扉は直ぐに閉めたようだ。


「ヴィオちゃんの可愛い顔に傷が残るといけないから、取り敢えずお薬塗っちゃおうよ」


 ロッソはゆっくり身体を起こすと、オレの手を引き軽々と隣に座らせる。

 オレの顔を見たルーカは、少し垂れ気味な形の良い瞳を見開く。


「って、あれ? 怪我してなかったの?」


「ルーカ、薬は必要ない」


 ロッソが難しい顔で告げる。


「そっかぁ。あと、ロッソにはちょっと残念なお知らせがあるんだけど」


「思ったより早かったな」


 ロッソは心当たりがあるようだけど、オレには全然分からない。


「なんだよ? 何が早いんだ?」


「家出お姫様のお迎えだ」


 ロッソがそう言うのと同時に勢いよく扉が開き、ルーカの後ろから見知った顔が現れた。


「エミリィ!?」


 先程までのメイド服では無く、町娘風の服装をしたエミリィだった。

 確かに繁華街をメイド服で歩いたら目立つだろう。

 それか、そういうお店の子だと思われちゃうか。

 ってか、そもそもこの世界にはそういうお店はあるのかな?


 なんて下らないことを考えている間に、エミリィがツカツカとベッドに腰掛けるオレに近づく。


「あ……エミリィ」


「ヴィオ様、失礼します」


――パン


 謝罪と同時に頬に痛みが走る。

 

 ひっぱたかれたと理解するのに少し時間がかかった。

 叩かれたと認識してから、ゆっくり頬に手を当てる。


「エミリィ、ゴメン……」


「心配しました……とても」


 微笑むこともあるけれど、どちらかと言うと表情が乏しいエミリィが、強く真剣なまなざしでオレを見下ろす。

 そのまま隣に座るロッソの方へ身体を向け、深々とお辞儀をする。


「この度は姫がご迷惑をおかけいたしました。保護してくださった帝国騎士団のお二方には感謝してもしきれません」


「随分早いお迎えだな。隠密集団かギルドがしっかりしているのかな?」


「ご想像にお任せします」


 ロッソがエミリィちゃんを値踏みするように問いかけるが、エミリィちゃんは表情を崩さない。


 今の話からすると、城下町の警備員か何かがオレに気付いて通報したってことなのか?

 エミリィちゃんが直接迎えに来ているってことは、そんなに単純な話じゃ無いのかも知れないけど、とにかく誰かがオレはここに居るって報告したんだろう。


「レオーネ様、今回の件は後日きちんとお礼をさせて頂きます」


 エミリィちゃんはもう一度深々とお辞儀をする。


「ヴィオーラ姫との定期的な面会を認めて貰おうか」


「自分の一存では……」


「こんな短時間でここに来られるんだから、それくらい出来るだろう?」


「……努力はしてみます」


「結果が伴わない場合は相応の覚悟をしておけ」


 エミリィちゃんとロッソの間に緊迫した空気が流れる。


「あっ、ヴィオちゃんとエミリィちゃんだよね? こんな時間だしお城の近くまで送ろうか?」


 ルーカが手をパンと鳴らし空気を変える。

 エミリィちゃんが、ロッソを睨んでいた視線をルーカへ移し、首を軽く振る。


「ファルコ様、この部屋まで案内して頂き感謝しています。宿屋内の部屋を探し回る手間が省けて助かりました。しかし、自分たちで帰れますのでご心配には及びません」


 エミリィちゃんは、ルーカにもしっかりお辞儀をした。


「さあ、ヴィオ様、帰りましょう」


 エミリィちゃんが差し出した手を握り、立たせて貰う。


「レオーネ様、ルーカ、ありがとう」


「行動力は評価するが、少し立場も考えて上手くやれ」


「僕は面白かったから、大丈夫だよ。でも、もう一人で夜中に抜け出しちゃダメだよ」


「さあヴィオ様、参りますよ」


 幼子のようにエミリィちゃんに腕を引かれるオレを見て、ロッソがクスッと笑ったような気がした。


「まるで騎士ナイトだな」


 部屋を出るときのロッソの呟きが妙に耳に残った。

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