第2話 お付きメイドエミリィと魔法の鏡

第一章


二 お付きメイドエミリィと魔法の鏡




「恐らく、何者かが姫に毒を盛り、倒れた現場を押さえて俺の立場を危うくしようとしたというところだろうな。本来の目的は姫ではないだろうが、暫く飲食には気をつけた方が良いだろう」


 絨毯に落ちたカップに残った紅茶をハンカチに染みこませながらロッソが続ける。

 きっと検体として持ち帰るのだろう。

 

 ふと見上げると柱時計が四時を指そうとしていた。


「そろそろタイムアップだな。いくら非公式な面会とはいえ、一時間は短すぎる……って、お前は何をしているんだ?」


「オレもサンプルはハンカチで取ったから、後は拭いておいた方が良いだろ? こういうのは早くやっとかないとシミになるんだよ」


 そう言いながらポットに残ったかなり冷めたお湯を絨毯にかけ、ポットの側にあった小洒落た台拭きで軽く叩くように紅茶のシミを拭う。


「ふっ……。小国とはいえ、一国の姫がそのような手慣れた掃除姿を見せるとは。実に面白い」


 絨毯自体の毛質が水分を弾きやすいものだったらしく、思ったほど紅茶は浸透していなかった。

 撥水剤の元になった羊毛脂ラノリンとかそう言うものが使われているのかな?

 絨毯についてはそんなに詳しくないんだよな。

 詳しかったら、この絨毯の模様からも色々ヒントが読み取れた気がするんだよな。

 こんな事になるなら、高校受かった瞬間にパーッと遊びまくるんじゃなかったなぁ。


「アンタに気に入られてもちっとも嬉しくないけどな」


 満足げにオレを見回すロッソに冷たく言い放つ。

 しみ抜きの応急処置も出来たし、これでもヤバそうならプロが掃除するだろう。

 

 よっと立ち上がろうとすると、当たり前のように目の前に手を差し出され、うっかりそれ掴んでしまった。

 実に不愉快だが、ヒールの靴でバランスを取るのが難しく、つい掴まってしまったのだ。

 

 全く、世の中の女子はこんなのを履いてツカツカ歩いてるのか?

 女子の脚力ヤバくない?

 日常生活で修行でもしているのか?

 

 しかも、この姫のヒールは別にとんでもなく高いわけでは無さそうなんだよなぁ。

 それでも、こう重心がズレて心許ない。

 今度からピンヒールのお姉様を見たら、キャッキャする前に尊敬します。

 マジで。

 そんで、その後キャッキャします。

 

 とにかく、不本意ながら手を取ってしまったので、そのまま立ち上がる。


「まぁ、そう照れるな」


「照れてない!」


「いつまでもこうじゃれ合っていたいものだが、時間だな。暫く城下町で逗留する予定だから、もし寂しくなったら使いの者でも寄越せ」


 間合いを詰められたからまた口づけられるのかと思い身構えると、ロッソはクスッと笑い、オレの頭をポンポンと撫でてきた。


 くそっ、子供扱いしやがって。

 かといって、大人扱いされても困る。

 先ほどの口づけの感触を思い出しそうになってしまい、必死に頭から追い払おうとするが、そうしようと頭に意識が向くと、今度は節くれ立った大きな手の感覚を強く意識してしまう。

 

 オレの手はこんなに大きくゴツゴツしていなかったなぁ。

 ……だっ、断じて照れているわけでは無い!


 そうこうしているうちに時計の針が四時を示し、扉がノックさるとロッソは応接間を後にした。


「あいつ、どんだけポジティブなんだよ……」



◆ ◆ ◆



「ヴィオ様、大変お疲れのご様子ですが、直ぐにお部屋に戻られますか?」


 ロッソを見送り、手近な椅子にどかっと腰掛けたオレに可愛いメイドが声をかけてきた。

 先ほど部屋に入ってきた時のメイドちゃんだ。

 椅子に腰掛けるオレに目線を合わせるため、床に片膝をつき、そっと手を重ねてくれる。

 

 膝丈のメイド服がほんの少しはだけてしまい、ドギマギしてしまう。

 もう少しそのすらっとした足を見せて貰えれば、大分疲れも取れるかもなぁ。

 そんなこと言ってる場合じゃ無いんだけどさ。

 何か他にも沢山従者や家臣達が居て、人目も多いしね。


 それにしても、同じ可愛い女の子ではあるけれど、やはり姫とは身長がかなり違うだけあって、繊細ながらも手足は長いし手は大きい。

 完全なモデル体型だ。

 しかし、ロッソの手と違ってほんのり暖かい。

 

 釣り目がちな真っ黒な瞳は、心配に染まっている。

 かなり柔らかくてフワフワな髪の毛は鶯色うぐいすいろだ。

 かなり珍しい色だと思うけど、姫も紫色だし、ロッソも赤っぽい黒だったことを考えると、この地域ではさほど珍しくも無いようだ。

 染髪の文化が盛んなのかも知れない。

 そんな鶯色の髪をよく見るメイドの頭に飾られているホワイトブリムの邪魔にならないように、キュッと少し短めのツインテールで縛っている。

 ツインテールメイドの破壊力、ヤバすぎる。

 

 ツインテールをさておきたくはないんだけど、さておき、本気で心配している話し方の雰囲気からして、目の前の彼女はやはり近しい者のようだ。

 きっとお付きのメイドなのだろう。


「ああ」


 彼女にだけ聞こえるくらいの小さな声で返事をする。


 取り敢えず一度、一人になってゆっくり考えたい。

 姫の部屋なら何かこの国のことが分かる文献とかあるかも知れないし。


「姫様は大変お疲れですので、私が部屋へとお連れいたします。皆様はお仕事に戻ってください」


 メイドちゃんはオレの返事を聞くと、少し驚いたような顔をした後に、立ち上がり、他の者にそう告げた。


 まぁ、精神的に疲れたのは間違いない。

 あのトンデモエロ騎士が帰っただけでも大分マシにはなったが、それでもまだ緊張の糸を完全に切ることは出来ない。

 

 

 

 まだ外観を見ていないから、城なのか屋敷なのか確証が持てないが、とにかく広い建物だ。

 あっという間に家中確認できる元々のオレの家とは全然違う。

 長い廊下を歩いたり、階段を下りたり上ったりして、どうにか姫の部屋の前に辿り着いた。

 

 部屋の場所が分からない上にヒールにも慣れていないため、足取りがおぼつかないオレを気遣いながら、メイドちゃんはゆっくり歩いてくれた。

 う~ん、優しい。

 女子に優しくされたことがほぼ無いから、優しくされただけで、惚れてしまいそうだ。

 何でオレは女の子に転生してしまっているのだ!?

 

 姫の部屋に通されると、そのままメイドちゃんにテキパキと着替えをさせられる。


 部屋は二〇畳くらいだろうか。

 部屋に入って直ぐのところには小さなテーブルと一人がけのソファが二脚。

 その奥は机と本棚、本棚の隣はウォークインクローゼットへ続く扉があり、メイドちゃんはそこから素早く洋服を取り出していた。

 

 クローゼットはちらっとしか見えなかったが、なかなか広い。

 流石お姫様、衣装持ちのようだ。

 ってか、もしかしたら女子では普通なのか、オレにはよく分からん。

 

 そして、少し透ける素材のパーテンションで区切られた向こう側はベッドスペース。

 THEお姫様って感じの天蓋付きベッドに、控えめなサイズのドレッサー。

 ドレッサーの鏡には、ベッドで使われているのと同じピンク色の布がかけられている。

 そして……女の子の部屋って、何だか甘くて良い匂いがする。


 そんなオレのドキドキとは関係なく、メイドちゃんがオレのドレスを脱がせ始める。


「え? 脱ぐの?」


「いつまでもこの格好では、ますますお疲れになってしまいますよ」


 どうやら豪華なドレスは面会用のお洒落だったようだ。

 何か、女の子に服を脱がせて貰うなんてマジで緊張するんだけど、ドレスの脱ぎ方なんて分かんないし、身を任せるしか無い。

 

 ……モデル体型の可愛いメイドちゃんに身を任せる。

 うむ。

 ヤバい響きだな。

 これだけでご飯三杯はいける。

 この国、お米はあるのかな?

 無かったら、コッペパン3個かな?

 

 くだらないことを考えている間にコルセットを緩められた。

 すると途端に身体が軽くなる。

 ハイヒールといい、女子のお洒落は本当に修行だな。

 

 息を大きく吸っている間に素早く着替えさせられてしまい、姫の身体を拝むことは出来なかった。

 メイドちゃん、仕事早すぎ。

 

 靴も踵のしっかりしたヒールから、比較的フラットな室内履きへと履き替える。

 良い生地は使っているが、さっきまでのドレスに比べたらかなり生活感のある服に着替えられてホッとする。

 

 銀糸で花の模様が刺繍された紺色のワンピースは、パリッとした少し硬めの素材で膝丈。

 まるでお嬢様学校の制服のようだ。

 とは言え、既製品ではなく当然オーダーメイドなんだろう。

 およそ平均にはほど遠く成長している姫の胸がぴったりフィットしているのに、くびれた腰の部分でストンと布が落ちていない。

 キチンと胸の下の切り替えがウエストに合うように仕立てられているので、思わず感心してしまう。


「ヴィオ様の好きな紅茶ですよ」


 着替えが済んだところで一人がけのソファに腰を下ろすと、メイドちゃんが紅茶を淹れてくれた。

 ベリー系のフレーバーが湯気にのって部屋に広がる。

 

 本当はリラックスできる香りの筈なのに、テーブルに置かれた紅茶を見て思わず身体が緊張してしまう。


「あっ、ありがとう……でも、これ毒味とかは……?」


 暫く飲食には気をつけた方が良いというロッソのアドバイスを思い出し、メイドちゃんに問いかける。

 すると、メイドちゃんは黒目がちな瞳をパチクリさせ、一瞬悲しそうな顔を見せたが、直ぐに表情を戻した。

 

「ヴィオ様、余程お疲れなのですね。このエミリィでも宜しければ、お毒味をさせていただきます」


「……いや、大丈夫。頂くよ」


 悲しい顔をさせてしまったことで心が痛む。

 自分から毒味を申し出てくれているんだし、こんなに親身になってくれているんだ。

 まぁ、大丈夫だろう。

 

「お気遣い痛み入ります。ですが、ご心労のヴィオ様にエミリィはこれ位しかして差し上げられませんから」


 すっとエプロンのポケットから布に包まれた小さなスプーンを取り出す。

 普段から必要に応じて毒味を任されることがあるのだろう。

 素材は恐らく毒を見つけやすいという理由からだろう、銀のようだ。

 

 そのスプーンにティーポットから紅茶を数滴垂らし、スプーンの色が変わっていないことをオレに示してから、ゆっくり舐めてみせる。

 

 動きが妙に色っぽくて釘付けになってしまう。


「ありがとう……エミリィ」


 真っ赤な顔を悟られないように、素早く下を向き、さっき耳にした名前でメイドちゃんを呼び、感謝を告げる。


 何て優しい娘なんだろう。


「勿体ないお言葉です。ヴィオ様唯一の専属お付きメイドになれて、エミリィも幸せです。……あの、ヴィオ様」


「なっ、何?」


「出過ぎたことを申しますが、ロッソ様とお会いになってから随分……その、様子が……」


 しまったな。

 混乱しすぎて女の子らしい口調とか全然気をつけてなかった。

 

 ロッソは初対面だったらしいし、こんな感じでも一応済んだけど、いつも接しているエミリィちゃんにはそりゃあ不自然にうつるよな。

 かなり親身に心配してくれているし、まだこの子に怪しまれるくらいなら良いけど、このまま単独で色々やろうとしても行き詰まるのは目に見えている。

 ロッソは別の国の人間らしいし、身近な味方が必要だ。

 

「……エミリィ。ここだけの話にしてね」


 慣れない女言葉を意識しつつ、意を決してエミリィちゃんを見つめる。


「勿論です」


 彼女もオレの真剣さを感じ取ってくれたのだろう。

 オレの前に跪き頷く。


「オレ……私がさっき飲んだ紅茶に毒が入っていたみたいなんだ」


「なんですって?」


 立ち上がろうとするエミリィちゃんを押しとどめる。


「そんなに慌てなくても、ロッソが介抱してくれたから大丈夫」


「では、先ほどは抱擁していたわけでは無く、介抱中だったのですね」


「ああ」


 あれは介抱後の抱擁だった気もするが、細かいことだし訂正しなくて良いだろう。

 と言うか、訂正したくない。


「それで、オ……私、面談前の記憶が曖昧なんだ。この通り身体は元気なんだけど、面談前以外もこうハッキリしなくて……。もしかしたらそれでエミリィにも不思議に思ったのかな?」


「……そんな。直ぐに医師を……」


「いや、身体は元気だから。それに誰がこんな事をしたのかも全く見当が付かないし、まだ大事にしたくないの。記憶に関しても暫くすれば落ち着くと思うんだけど、やっぱり色々不自然なところが出てきてしまうし、私が当たり前な質問をしたり、不自然な言動があったら、色々教えてフォローしてくれない?」


 エミリィちゃんがオレの顔色を丹念に見つめる。


「……承知しました。ヴィオ様の記憶がハッキリするまで、いつも以上にお世話させて頂きます。あと、毒の件は内密にするとしても、別件と称して一度医者には診て貰いましょう」


「ああ……」


 オレの返事に一応は納得してくれたのか、エミリィちゃんは深々とお辞儀をしてから、話題を切り替えた。


「ところでヴィオ様、お夕食まではまだ時間がありますが、記憶の件もありますし、もしご不安でしたら、側で控えさせて頂きますが」


「とても有り難いんだけど、少し疲れてしまって。暫く一人にさせて貰える?」


 エミリィちゃんにこの国のこととか、色々聞きたい気持ちもあるんだけど、取り敢えず少し休みたい。

 彼女も疲弊しきったオレの様子を見て納得してくれたようだ。


「かしこまりました。それでは下がらせて頂きます。何かございましたらお呼びください」


「ああ……ありがとう」



◆ ◆ ◆



 袖を通しているワンピースの刺繍と似たような意匠が施されている扉が閉ざされると、やっと一人になることが出来た。


 エミリィちゃんは確かに可愛いし、癒やされるんだけど、今のオレには一人の時間も必要だ。

 男には孤独を求めてしまうこともあるのさ。

 ……今は美少女だけれども。


「はあぁぁぁ。疲れたーあぁぁぁ」


 思わず金曜のサラリーマンのような声が漏れてしまうが、聞こえてくるのは鈴のようなソプラノボイス。

 ……そうだった、オレ今、お姫様になってしまっているんだ。

 しかも、超絶美少女で、更に小柄で華奢で巨乳の。


「…………」


 そうだった。

 超絶美少女は小柄で華奢で巨乳。

 巨乳。

 きょにゅう……


「……よし、転生の痕跡がないか確認する必要があるな。」


 先ほどまでの疲れはどこへやら、すくっと立ち上がると、部屋の隅にあるドレッサーに素早く移動し、ペラっと布を捲り鏡に向かう。


 うん、やっぱり超絶美少女だな。

 

 あまりの可愛さに思わず鏡の前でくるっと一回転してしまう。

 小柄だけど、スタイルも抜群だ。

 そして、おもむろにワンピースの裾に手をかけようとすると……


『きゃー! やめてください!』


 なんと、鏡に映ったお姫様がオレとは全く違う動きで急に叫び始めた。

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