第4話 あの時とは違って

 ____翌朝____

 シロウの1日は違和感から始まった。一番好きな香りが鼻をくすぐる。しかも左に寝返るとその香りは強くなった。気になっているも、眠たくて仕方ない。その時、顔に朝日を感じたシロウは、その光を求めるように小さい口を大きく開け、連動するように身体を伸ばした。その時、大の字になっても余裕があるはずのベッドが狭くなっていた。左手に何か当たる。手探りで触ると、なにやら温かくて弾力があるものだ。

「アッ……ンンッ」

 瞬間、シロウの眠気は吹き飛び悪寒おかんが走った。耳がゾクゾクする聞き慣れない声だったが、声色こわいろから誰かが分かった。恐る恐る左を向くと目の前にはウィリアが眠っていた。左手の感触は彼女の胸だった。触られたことにより閉じていた彼女の赤い目がゆっくりと開き、こちらを見た。

「おはよう、シロウ君。」

 顔が少し赤く染まった彼女のあいさつは、見ているこちらも恥ずかしくなった。

「……オハヨウゴザイマス。」

 今の状況が上手く飲み込めずカタコトの挨拶になってしまう。何故かウィリアが一緒のベッドに寝ている。いつの間に布団に入ったのか? でも憧れの人と寝ている! 様々な考えがシロウの頭を駆け巡った。そんな事を考えている間も、子犬のように潤んだ赤い瞳はこちらを見つめている。早く手をどけなきゃ。玉のような汗をかきながらそう思ったシロウは手を引こうとするが、ウィリアがそうさせなかった。引こうとした手を掴み

「もっと触っても……いいよ?」

 そう言ってシロウの手を再び自分の胸に当てた。彼の心臓は今にも破裂してしまいそうだった。身体のアチコチが石のよう硬くなっていた。前後の尻尾と耳は痛くなるほど立っている。そういう知識は無くとも、何となく良くないと言うことだけはわかっている。だが必死に心のブレーキをかけても、身体の方は正直だった。促されるままに、彼女の胸を確かめるように揉んでしまった。それに応えるように、ウィリアも甘い声を漏らした。

「もう……シロウのえっち。」

 可愛い声で静かにそう言うとウィリアはシロウを抱き締めた。息をする度に体に入るウィリアの優しい香りは、もはや媚薬びやくと化していた。体の熱がどんどん布団の中にこもり、シロウの体温を更に上げる。身体中の水分は全て汗となっていた。

「でもそうゆう所もカワイイ。」

 獣耳に囁かれたその言葉はシロウにとって、トドメ以外の何ものでも無かった。シロウは全身がビクッとしたのを最後に、全身の力が抜けて、段々と意識が遠のいていった。目は開いているはずなのに段々景色が白くなっていった。ウィリアもこの異変に気付いて途端に離した。

「アレ? シロウ君? シロウ君??」

 ウィリアが体を揺すっても、何にも反応をしなくなってしまった。焦った彼女は自分の[気]を送ってみたが、シロウは魂がそこから抜けようとしているのか、口を開けて白目を向いていた。こんな風に朝から忙しい一日が始まった。


 1階ではヤタとキュウビがエプロン姿で朝食を作っていた。ヤタは窯で焼いたパンを出し、キュウビは包丁を器用に使って野菜を切っていた。そこにウィリアがシロウをだき抱えて、2人のもとに飛んできた。

「おはよう2人とも。ちょうどよかったよ、もうすぐできるから呼ぼうと思って……。」

「どうしよう!? シロウ君倒れちゃった! 私の[気]を送ってみたけど目が覚めないの!!」

 焦燥に駆られる彼女の表情は今にも泣き出しそうだった。シロウをだき抱えて必死に名前を呼ぶその姿は、彼女の想念そうねんが見えた。

「そこの長椅子にシロウを寝かせろ。」

 2人はすぐさま今の作業を中断してエプロンを放り投げ、シロウの看病に当たった。ヤタがシロウに近づき、彼の額の後に胸に手を当てた。

「軽い熱中症みたいなもので気を失ったようだが問題はない。[気]自体は安定している。少し外の風に当てよう、この季節だちょうどいい。」

「なんだ。よかった〜。」

 ウィリアは安堵あんどしたあまりに膝から崩れ落ち、床にペタンと座った。そして大きく息をついた。

「だが鼓動こどうと汗がすごいな。キュウビ、身体を拭いて着替えさせてから外に出てくれ。」

「分かった。」

 キュウビは快諾すると、シロウを抱えて、上に上がって言った

「それなら私が……。」

 キュウビに、ついて行こうとするウィリアをヤタは肩を掴んで止めた。

「お前には、朝食の準備を手伝ってもらう。」

「えぇ~!」

 ウィリアはガッカリして、キュウビを心の中でうらやんだ。


 キュウビがシロウを外に出して回復を見守っている間、ヤタとウィリアは朝食準備の続きをしていた。だが、ウィリアはシロウのことが気になって仕方がなかった。

「そんなに彼が気になるか? だったら、。」

「……???」

 鎌をかけたヤタに一瞬ウィリアは硬直した。見事に引っかかったウィリアは、すぐさまヤタの方を向いた。だが顔はこちらを向けずに目玉焼きとベーコン焼きを作っていた。こちらに睨みを効かせながらだが。その眼力から感じるヤタの怒りは、フライパンの上ではじけるベーコンの油の音が現していた。

「さて話してもらおうか、一体シロウに何をしたんだ? お前のことだ、何か如何いかがわしいことをしたのだろうがな。」

「………………。」

 お互い背を向けて話していた。後ろを振り返らずに黙秘して冷静を装うこと以外、ウィリアにできることは無かった。しかしヤタの前でそんな小細工は通用する訳もなく、揺れまくる[気]から彼女が何かしたのは明白だった。ウィリアはまたつつかれると腹をくくっていたが、少し経っても動きはなかった。どうやら今回はそういう事はないようだ。

「……まぁいい。君が言わなくても、本人に直接聞くさ。」

 諦めたのかヤタの声には力が抜けていた。ベーコンと目玉焼きを皿に移し、テーブルに運び出した。

「彼の倒れた理由が君だった場合、その時は覚悟しておけ。」

 ウィリアの横を通る時に囁いた。彼女は内心焦燥に駆られていた。シロウが言わないことをただひたすらに願いながら野菜を切る姿は、今にも指を切ってしまいそうで、とても危なっかしかった。 朝食が完成し食卓に並べ終えるくらいにシロウが元気になって戻ってきた。大きなテーブルに長椅子2つ、獣人ビーストと人間に分かれて座った。テーブルに広がる料理は、充実した朝の朝食だった。

「「いただきまーす!」」

 全員が食べ始めると、シロウはなんだか嬉しい気持ちになった。温かく美味しいご飯があり誰かと一緒に食べている。今までなら考えられない光景だった。それは他のみんなもそうだった。と言っても、シロウという「新しい家族」が増えたことに喜んでいた。シロウは好き嫌いがないのだろう、テーブルの上にあるものを取り皿に盛っては物凄い勢いで食べていた。

「美味いか?」

「はい! とってもおいしいです!」

 ヤタが聞くとシロウは元気良く答えた。さっきまで倒れていたのがまるで嘘のようだった。

「そう言えばシロウ。さっきの軽い熱中症は何が原因だったんだ? 一体部屋で何があった?」

 ウィリアが閉口へいこうする質問をヤタが切り出した。

「えーっと……。」

 シロウはベーコンを食べながら上を見て思い返した。するとウィリアを見た瞬間、突然パンを持った手が止まり顔が赤く染まった。一驚して口に入れたパンを噛まずに飲み込んでしまいのどに詰まらせた。必死で自分の胸を叩き、牛乳を飲んでなんとか流し込んだ。涙ながらに咳込せきこむその姿を見たウィリアは声をかけ、背中を擦りながらシロウを心配した。

「大丈夫?」

 キュウビも気遣って声をかけたが、シロウは

「全然……大丈夫です。」

 泣きそうになりながらもそう答えた。ヤタはシロウの反応を見てウィリアを睨んだ。

「さっきは……。」

 ウィリアはシロウを凝視していた。

「お願いだから私のことは言わないで!」

 とでも訴えかけるように熱い視線を送っていた。一方シロウは、俯きっぱなしでウィリアの方を全く見ていなかった。そしてシロウがヤタの方を向いた。

「布団にくるまって寝てたので、それでなったみたいです。心配かけてごめんなさい、アハハ。」

 本当のことなど言えるわけがなかった。正直に言えば恥ずかしいし、ウィリアも何か怒られたりしてしまうのではないか。そう考えた結果、これがシロウにできる最大の理由付けだった。苦笑いするシロウに全員が唖然あぜんとした。表情やしぐさからウィリアが原因だと分かりきっていたし、ウィリアはもちろん、ヤタもキュウビも嘘だと気付いていた。しかし、まさかウィリアをかばうとは思いもしなかった。昨日の間で随分仲良くなっているようだった。

「……そうだったのか。まぁ、何がともあれ安心したよ。」

 シロウの親切心を買い、ヤタはこれ以上この話を続けることはしなかった。

「「ごちそうさまでした!」」

 それぞれがシンクの中に食器を置いて、ウィリアとヤタは食器の後片付け、キュウビとシロウは、外に出て庭の手入れをしに出た。

「彼に感謝しなければな? ウィリア?」

 ヤタが煽るように言うと、ウィリアはぐうの音も出なかった。ヤタを嫌そうな目で見ることしかできなかった。

「だが彼はそれほどの優しさがあるのかもな。海のように雄大な心が。」

 その時ウィリアは静かに微笑み納得していた。彼に優しい心は絶対にあるとわかっていたからだ。

「それとも、君とのしたことがとんでもなく忸怩じくじたるものだったのか、だな。」

 強めに言われたこの言葉にも、残念なことに納得していた。実際、彼が倒れたのもウィリアが破廉恥だったが故にやらかしたことなのだから。幼すぎたシロウにはまだ刺激が強すぎるものだった。ふと窓の外を覗くと、キュウビとシロウが水やりをしながら楽しそうに話していた。2人の楽しそうな姿を見ていると、自然とキュウビに対してやきもちを焼いていた。

「あそこは私の場所なのに……。」

 小さくぼやいたその言葉は、どこか寂寥感せきりょうかんさいなまれていた。早くシロウの所に行きたい。そう思ったウィリアは皿を洗うスピードを上げた。ただ単に速いだけではなく、丁寧さも兼ね備えていた。ヤタはそれを見て、我ながらうまく発破はっぱをかけられた、ウィリアにとってのいい動力源を見つけた。そう密かに喜んでいた。

「そうだ。ウィリア。折り入って頼みたいことがあるんだが、引き受けてくれるか?」

 ふと思い出したかのように、ヤタがウィリアに頼み事をした。

「……え?」

 ウィリア内心驚いていた。ウィリアからヤタに頼むことはよくあったが、その逆は滅多になかったからだ。一度さっきの罰かと予想して断ろうと思ったが、見る限り、ヤタの雰囲気から決して悪いことを企んでは無さそうだったので、仕方なく受けることにした。


 ヤタに言われて、シロウは庭のテーブルに座らされていた。座りながらもいろんなところを眺めて時間を潰していた。先ほどキュウビと水やりをした色とりどりの花。見ているだけで寒さを忘れそうになる位だった。これから何が始まるか分かっていなかったが、尻尾は楽しそうに振っていた。きっと獣士の修行だ、昨日「明日から始まる」とヤタさんたちも言っていたしそうに違いない。そう考えていた時、扉が開いた。出てきたのはなんとウィリアだった。水色のメガネにクリーム色のスーツ姿、しかも少し古そうな謎の大きな本を二冊持っている。それを置くと、こちらに冷ややかな視線を向けた。赤い目から送られるその視線は、刃物を目の前に突きつけられているような気分がした。何だかいつものウィリアとはどこか雰囲気が違って見えた。ところが、

「どう? 似合ってる?」

 突然ウィリアの顔が柔らかくなり、シロウの前でくるっと回っては、自分の姿を見せつけて笑顔で聞いてきた。訂正、何も変わっていなかった。外見はパリッと決まっていたが、だった。言っていることはウィリアのままだった。

「とっても似合ってる。」

 シロウはウィリアに釘付けだった。いつも獣士服は少し余裕があって体のラインはあまり出ないのだが、元々体のラインがスラッとしているウィリアがスーツを着ると、さらに強調されているようで、見ているシロウはたまらなかった。今は冬だよな? 動いてすらないのに体が温まっていた。自慢げにスーツの話をしていたが、見るので忙しかったのでそんなものはほぼ聞き流していた。えず高かったことは分かった。それに、ウィリアがこんな格好をしていると言うことは、きっとすごい事をするに違いない。シロウはそう踏んでいた。

「ねぇ、これから何するの? 魔法の勉強? それとも獣士の修行?」

 彼の目は宝石のように輝いていた。シロウの気持ちは高ぶっていた。一方ウィリアはの気分は下がっていた。こんな何をして遊ぶのかと待ち侘びている子犬のような少年に、今からやるのは勉強べんきょうだとは、とてもじゃないが言いづらかった。

「シロウ君、これからやるのは……。」

 言いかけた言葉が止まり、すぐに後ろを向いて腕を組み、口に手を当てて考えた。確かに、勉強は決して避けては通れないものだとは分かっている。だがウィリアは何とかして「勉強」と言う言葉を使わずにシロウを勉強させたかった。後ろを見ると、シロウを輝く瞳がこちらに今か今かと待ち構えて訴えかけているように見えてきた。早く考えろ、「勉強」以外の言葉でシロウの興味を引かせる言葉を。訓練……修行……稽古……勉学……学問? ダメだ、全部聞いた感じ苦しそうでならない。そしていろいろ考えた結果、諦めて「勉強」と伝えることにした。しかしそれはただ単に伝えるのではなく、興味を持たせるように遠回しに伝えることにした。

「シロウ君、獣士になるために一番大事なのはなんだと思う?」

 突然の質問に少し戸惑っていたが、少し考えて答えた。

「優しくて強いこと。」

 それ答え2つなんだよね……そう言おうとしたが、実質この世界では幼いシロウなので言わなかった。だが実際、シロウが考えて答えてくれたものは十分大事な要素ではある。だが今欲しい答えはそれじゃない。

「ブブー。残念、はずれ。正解はことでしたー。」

 シロウの答えは間違いだったが、別段悪い気は全くしなかった。相手がウィリアだからと言うのもあるだろうが、シロウが上機嫌じょうきげんなのは尻尾と表情から判断できた。

「キョウヨウ?」

 予想通りの反応が来た。理解できていないのも当然である。

「いろんな事を知ってるってこと。確かにシロウの言う通り、優しいことも強いことも大事。でもそれは、知識があってこそなの。教養がないと本当に強くなることも、優しくなることもできないの。」

「へぇ~。」

 掴みはバッチリだった。シロウはしっかりと相槌を打ち、話に食い付いていた。

「と言うわけで、はいコレ。」

 先程持ってきてた本をテーブルの上に積んでいた一冊をシロウの前に置いた。その瞬間ドカンと大きな音が鳴りシロウは圧倒された。「獣国戒じゅうこくいましめ」と書かれていたが、当然シロウは読めなかった。不思議そうに中身を開いて、ページをめくって目を通していた。普通の獣人ビーストが見ると、写真と文字でわかりやすく構成されていたが、それでも幼いシロウには文字が沢山あるように映った。

「コレは? 魔法の本?」

「まぁ……そんな感じ。」

 ウィリアはシロウの気を引こうと咄嗟とっさに適当に答えた。

「これ何て読むの?」

 シロウは表紙に指さした。

「これは『じゅうこくいましめ』って読むの。これを使って勉強していくよ。会話は問題なくても、読み書き計算は生きていくうえで必須だからね。」

「大変そう……。」

 尻尾が下がり、シロウの笑顔が苦笑いに変化した。それもそうだ。一冊だけでも本の厚さはウィリアの握り拳くらいあり、シロウは持ち上げるのも一苦労の重さだ。太陽の光を雲が遮り、ウィリアの不安をさらに煽った。

「大丈夫。私も一緒にやるから。それに、読み書きができないと、魔法は使えないんだよ? 使う前に仕組みをちゃんと理解しなくちゃいけないんだから。」

 そう言ってウィリアはシロウの肩に優しく触れた。そこでシロウの決意は固まり始めた。

「…………頑張る。」

 勇気を振り絞って出した声は少し小さく震えていたが、「魔法を使える」「立派な獣士になれる」というのはシロウにとって大きな動力源となっていた。

「ちなみにコレ、ヤタさんとキュウビさんの物だったけど、両方私に譲ってくれたの。こっちの方がキレイだから、これ使って。」

 渡された瞬間、風で太陽を隠していた雲が動き、その隙間から陽の光がさして本を照らした。陽の光が当たると、本の色あせて使い古された感じは、受け継がれてきた偉大さを感じた。触れると温もりを感じる。ヤタとキュウビからウィリアへ。そして今、自分へとこの本は受け継がれた。これがシロウの覚悟を決めた。

「頑張る……やり切る!」

「そうこなくっちゃ! それじゃあ、一緒に頑張ろう。さぁ始めるよ!」

「はい!」

 こうして2人の勉強がスタートした。驚くことに、始まってから1時間も経たずにアルファベットとかな文字の順番を覚えてすらすらと書けるようになっていた。

「すごいじゃんシロウ君! こんなに早く覚えるなんて!」

「ありがとう。」

 そう言いながらシロウの頭をクシャクシャに撫でた。少し鬱陶うっとうしかったが、それでもシロウはそれが嬉しかった。正解する度に褒めてくれるのはとても気持ちがいいものだった。また正解する度に、勉強に対する意欲がどんどん湧いてきていた。一方ウィリアは正直驚嘆きょうたんしていた。研究所にいたにも関わらず、ここまでできるとは予想外だった。シロウたちはそのままの勢いで獣国戒じゅうこくいましめを読み始めた。当然読む速さは遅い。ウィリアと一緒にゆっくりと声を出して読むことで精一杯だった。シロウは今自分が読んでいるところを指で追い、ウィリアも一緒になって読んでいた。漢字の方はからっきしだからだ。

「ウィリア、これなに?」

「それはね……。」

 読んでいる最中、図であれ漢字であれ、シロウはわからないところがあるとすぐに聞いた。ウィリアはそれに対してわかりやすく教えてくれた。先生の才能があるかもと思わせるくらいだ。さてウィリアは聞かれる度嬉しくてたまらなかったことは言うまでもない。勉強は昼まで続いたが、2人はそこまで長い時間やったという感覚が湧いていなかった。それもそのはず、ウィリアとシロウがしていたのはではなくほとんどに近かった。ただそれは普通の雑談ではなく、獣国戒を通した知識が身に付く会話だ。

「2人とも、勉強がはかどっているようで何よりだね。お腹空いてない? お昼作ったからみんなで食べよう。」

 扉が開き、ヤタとキュウビが大きなトレーを持ってシロウ達のところに来た。皿には大量のサンドイッチがピラミッドのように高く積み上げられていた。本2冊重ねても超える高さで今にも卒倒そっとうしそうなくらいだ。それぞれがいただきますと言ってウィリアは頂点から、またヤタとキュウビは土台から取って食べ始めた。ウィリアが頂点から取ったので、シロウもそれを見習い、上から取って食べた。ツナ、卵、ポテトサラダ、野菜ハム、様々な種類があって食べ飽きることは無かった。一番食べているのはウィリアだった。常時2個持ちで食べ終えたらすぐさま次のを取って食べていた。ウィリアはヤタとキュウウビに勉強の話をし始めた。

「シロウ君ってすごいの! もうかな文字とアルファベットを覚えたの!」

「それはすごいね、シロウ少年。ウィリアよりも早いよ。」

「ホントですか?」

「これは、ウィリアが教わる日もそう遠くないかもな。」

「どう言う意味ですかそれ〜!」

 そう言って笑っていると、キッチンの方から、オーブントースターの音が鳴った。

「少し待っててくれ。ちょっと手頃なものを作ったんだ。」

 ヤタは席を離れ、キッチンに戻った。そして出てきたのは焼いたパンの耳だった。

「そのまま食べるより、こっちの方がいいと思ってな。試しに作ってみたんだ。食べてみてくれ。」

 食べると、口の中でサクサクとなる音と香ばしい香りと広がり、やみつきになってしまう。口々に好評の言葉が出てきた。そうこうしているうちに、サンドイッチのピラミッドはほぼ崩壊していた。結構食べたはずなのに、全然苦しくないのがまた不思議だった。ただ1人を除いては。

「あぁ〜お腹いっぱい。もう動けない〜。」

「あんな食いしん坊みたいに食うからだ。お前だけで半分は食っていたからな。そうなるのは明白だったろ。」

 言われてみれば、最初のピラミッドが小さくなり始めたのはウィリアの方からだった。しかし、だからと言ってあの高さを1人で半分も食べていたことには驚きだ。

「だって〜ヤタさんの作る料理美味しくて止まらないんだも〜ん。シロウく〜ん。おんぶして〜。」

「えぇ!? ウワァ!!!」

 ウィリアは完全に伸びていた。彼女の脱力しきった体が振り返ったシロウの体に勢いよのしかかってきた。もちろん体の小さいシロウが持ち上げられるはずもなく、ただただ潰されるのをこらえるだけになっていた。

「ウゥ……ウィリア……起きて……重い!」

「ヒドーい。レディに対して失礼だぞー。シロウ君。」

「ヤタサン…………タスケテクダサイ。」

 耐えるので精一杯の中、シロウの声はもはや虫の羽音のように小さく、うめき声に近いものになっていなかった。

「全く……お前と言うやつは。」

 ヤタが呆れたように言うと、ウィリアに触れた。その瞬間、シロウがさっきまで感じていた重みが嘘のように消えた。ヤタは片手でなんなく持ち上げて家に戻っていった。シロウの目が点になっていた。そんな状況でも、あれが魔法だと一瞬でわかった。そんな事を考えていると、キュウビに手伝いを頼まれたので、シロウは返事をして手伝った。

「シロウ少年。悪いんだけど、トレー運ぶの手伝ってもらってもいいかい?」

「わかりました。」

「ありがとう、悪いね。」

「いえ、全然。」

 外は風が吹いていない時は暖かい。だが家に戻ると、外以上に快適だと思い知らされた。リビングでは、ウィリアがソファで横になってうめいていた。

「心配するな、ただの食べ過ぎだ。あのうめき声は幸せな方だ。」

 ウィリアを気にかけたシロウをヤタは安心させた。

「少し休んだら、また外に出てくれ。次は実習の時間だ。」

「……はい!」

 何をやるかは、シロウはもう分かっていた。


 __昼過ぎ__

 外にと雲が減って晴れており、さっきより暖かくなっていた。空気の冷たさは当たり前だったが。庭の少しひらけた場所に黒板が立てられていた。すぐ隣には袋があり、中には木で作られた武器が沢山あった。黒板には「ここで待て」と書かれていた。その時ヤタはまだ家の中にいた。

「今日の風呂掃除、頼んだぞ。シロウを見たければ外にいるからな。」

 寝転がって雑誌を見ているウィリアに伝えると獣化して、返事を聞かずに上の窓から外へ飛び出した。

「さぁ、始めようか。」

 空から声がして見上げると、ヤタが飛んできた。黒板のところに近づくと急上昇して、獣化を解いた。頭を下に空中をドリルのように回転し、華麗に足から着地した。その時生まれた風に当たって、シロウはやっと今目の前で起きたことを認識し度肝を抜かれた。

「『教養を高め道徳を学び、技を磨いて己を律する。』これは獣士となる上で最も重要なことだ。平日の午前は教養、午後は実習。これが我々のスタイルだ。ちなみに休日は自由だ。」

 立ち上がってそう説明しながら、袋から武器を取り出し広げていった。体育座りをしていたシロウの体は微動だにせず、ただ首を縦に振ることだけをしていた。

「まずは自分に合った武器を見つける。これをやってもらう。」

「え?」

 シロウはポカンとした。そして次々に疑問が湧いてきた。

「魔法の勉強じゃないんですか?」

「そうだ。」

「魔法の杖は?」

「そんなものはない。」

「なんで武器を選ぶんですか?」

「それが魔法を使うための第一段階だからだ。」

「…………。」

 シロウにとってはとても理解に苦しむものがあった。魔法といえば魔法の杖、呪文を唱えていろんなことができる。そんなことばかり考えていたし、そんなものだと思っていた。もっとも、それは今までシロウが読んでもらっていた絵本にあったから想像してた物であって、実際はそうじゃないなんてことはザラだ。

「ものは試しと言うだろう? とりあえず全部やってみる事だ。」

「はぁ……。」

 不服そうな顔をしながら頷くと、ゆっくりと立ち上がり、広げられた武器を眺めた。剣、刀、槍、斧、つち、銃、棍棒こんぼうかま、弓。この中でも大きさが大小様々なので、全部で20種類くらいあった。その時、シロウは嫌な予感がした。

「…………これ全部試すんですか?」

「当たり前だ。そうしなければわからないからな。」

 ヤタの言葉にシロウは絶句した。本当にこれ全部振って試すの? 考えるだけで気が遠くなってしまう。だがやらなければそもそも何にもできない。

「まさか怖気おじけ付いたか?」

「……いいえ、頑張ります!」

 シロウは自分を奮い立たせて、最初に長剣を手に取り構えた。不恰好だったが、彼の武器を持った瞬間の目つきの変わりようは、ヤタにとってどこか目を見張るものがあった。

「1分間私と打ち合いだ。そこで自分の思いつく限り、攻撃を私に出してみろ。その後休憩を挟んで武器を変えてを繰り返す。合う合わないは私が見極める。当然、君の使いやすさも考慮する。準備はいいな?」

 ヤタは自然体のままだったが、右手に木刀を握った時点で既に準備は整っていた。

「はい! よろしくお願いします。」

「では始めよう。さぁ来い!!」

「ヤアアアアーーー!!!」

 シロウの走って向かう叫び声と共に、ヤタによる午後の実習が始まった。全ての武器の打ち合いは実に4時間に渡って行われた。もちろんシロウは全ての武器で一撃もヤタに当てることはできず、実戦なら見事な惨敗だった。棍棒と長剣は惜しいところまで来ていたが。その間にウィリアは何度シロウの様子を見にきたことか。そして終わる頃には、落日らくじつとなり空は茜色あかねいろに染まっていた。様々な武器を試し終わったシロウはまさに疲労困憊だった。一方のヤタは呼吸が全く乱れておらず、少し俯いて何か考え事をしていた。その姿を見た時、シロウは大人と子供の差を顕著に感じた。

「これで全部だな。お疲れ様、シロウ。」

「ハァ……ハァ……ありがとう……ございました。」

 シロウは立つことすらできず、足から崩れ落ち仰向けに寝転がった。あまりの息切れの激しさで、息を吐きながらしか声を出せなくなっていた。

「飲むといい、気分が良くなる。」

 そう言って渡してきたのは水と少し大きめの錠剤だった。それを見た瞬間、シロウはあからさまに目を逸らした。ヤタはシロウの反応に少し戸惑ったが、すぐに理由を理解した。シロウにとって、それはもう見たくないものだった。

「大丈夫、これはお菓子みたいなものだ。それに、あの時とはもう違う。騙されたと思って一度飲んでみてくれ。味は保証する。」

 シロウは疑いながらもヤタを信じたのか、体を起こし口を開けてヤタに飲ませることを催促した。ヤタはされるがままにシロウの口に錠剤を入れて水を渡すと、シロウは噛み砕いて水で流し込んだ。ラムネみたいに甘くスッキリするような味だった。飲み込んだ瞬間、体の内側から元気が湧き上がる感覚がした。呼吸は徐々に落ち着いて、疲労感が段々薄れてきた。

「オキシードというラムネ菓子だ。味もよく、体内で酸素を生み出してくれるから、疲労回復などに重宝されている。とは言え、回復するのは気分であって、肉体的な疲労は完全に取り除けるわけではないがな。」

「それでもすごいです……。もう立てる。」

「その位、体の動きは、気持ちに左右されるということだ。」

 シロウは感嘆の声をこぼした。その効果はすぐに立ち上がることができるくらい絶大だった。

「さて、今日はこれで終了だ。疲れただろう? 風呂に入ってくるといい。夕食の時に講評といこう。」

「はい。ありがとうこざいました!」

 汚れたシロウの笑顔は夕日に染まり、ヤタには彼がいつもよりたくましくなっているように映った。ヤタはシロウに対し小さく頷き微笑んだが、表情にあまり出ないだけで心の中では満足していた。シロウが家に戻ろうと駆け出したその時だった。

「シローくーん! お疲れ様ー!」

「ウガァッ!!!」

 シロウに魚雷(ウィリア)が飛んできた。見事に被弾し下敷きになった。

「ずっと心配してたんだよ? もしも何かあったらどうしようって……!」

「そんなことないよ……それよりウィリア……苦しいって!」

 そう言って抱きつくウィリアを押しのけた。彼女はシロウに労いと安心の気持ちで抱き締めていたが、シロウにとっては2つの意味で。離されたウィリアは頬を膨らませたが、シロウの押した手が胸に当たってたことに目をつけて再びシロウを困らせた。

「あ! シロウ君また触ったー。」

 ウィリアはシロウを冷やかし始めた。

「しょ、しょうがないじゃん! 息できなくて苦しかったんだからー!」

 動揺しながらも怒っていた。シロウの体は疲れているはずなのに、そんな事を感じさせないほど感情を表に出し、動きでも現れていた。

「やっぱりシロウ君はヤラシイんだ〜。」

 そう言いながら、シロウの頬を両方の指でつついた。その顔はニヤニヤしており、シロウをからかう気があからさまに出ていた。

「ウゥ……うるさーい!」

 恥ずかしがりながらも怒りうなってシロウが叫ぶと、ウィリアとの追いかけっこが始まった。

「ほらほら、こっちだよ〜。」

「子供だからってバカにするなー!」

 怒りながら必死に追いかけるシロウと楽しそうに笑顔で軽快に逃げたり避けたりするウィリア。ヤタからはもう完全にシロウがウィリアに遊ばれているようにしか見えなかった。やはり2人のじゃれ合いはとんでもない幼稚さだった。

「全く元気だな……しかし、やはりあの2人はどちらが幼いのかわからんな。」

 片付けながらも騒ぐ2人を見たヤタは相変わらずため息をついた。棍棒に触れたその時、ヤタは奇妙に思った。長剣の時もそうだったが、本当にうっすらとシロウの[気]を感じた。まだ何も教えていないのに武器にそれがこもっているということ自体があり得なかった。

「なるほど……どうやらこれは、本当に化けるな。」

 ヤタはシロウが向いている武器を思いついた。あの2人はまだ騒ぎ続けていた。見慣れたせいか少し安心感を抱いていた。ふとヤタは追憶ついおくした。ここに来てたった2日しか経っていないのに、シロウがここまで心を開いてくれたのは初めてだった。ウィリアの時は1年と異常にかかってしまったから尚更だ。やはり近い存在がいるというのは、大きいかったのだろうか。そんな事を考えながら、夕日に照らされる2人を眺めた。

「だが……これはこれで、愉快だな。いつまでも、そのままでいてくれよ。」

 誰に言ったわけでもなく、そう静かに呟いて、夕日に照らされる2人の後をゆっくり歩いて追いかけた。

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