終 この世界にいる間だけ
アンジェリカ・ルーバスの罪は、フローティアへの傷害だけでなく逃亡のために異世界人を召喚したこと、金細工職人の殺害を教唆したこと、人に対する魔法の使用など、諸々が追加されていった。同時にファイも儀式の妨害やドイル殺害の罪に問われているほか、アンジェリカと同じく人に対して魔法攻撃を行ったことも罰の対象になっているが、ファイよりもアンジェリカの方が罪が重くなるらしい。
だが、異世界人の召喚がどう罪になるのか法で決まっておらず、今はまだアンジェリカの罪を問う裁判は始まっていない。
そんなことを日菜太は王城の客間のベッドの上で聞いた。
「貴女には本当に申し訳ないことをしたと思っております。心よりお詫び申し上げ、せめてこの世界にいる間は我々がきちんと生活のサポートを行わせていただきます。何かありましたら、なんでも侍女にお申し付けください」
アンジェリカやファイのことについて説明に来た殿下は、そう言って深く頭を下げた。こちらに来た当初、殿下には一切話を聞いてもらえなかったことを思い出すと、綺麗な掌返しだなと思う。許せるか許せないかと言ったら思うところが何もないわけではないが、彼の後ろでハラハラしたように見守るフローティアを見ると、恨み言は言えなかった。殿下はさておき、フローティアには大きく世話になっているのだ。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、何かあったらお願いさせていただきます」
厚意を断っても殿下は引き下がらないだろう。素直に返せば、相手はほっとした顔を見せる。
「それでは、私たちはこれで。外でケイヴが待っていますので、お呼びしましょう」
「……すみません。よろしくお願いします」
にっこりと微笑んで殿下は部屋を出る。フローティアも安心したような顔から、楽しそうな笑顔に切り替わった。殿下のあとを追わず、日菜太に耳を寄せて内緒話をする。
「連日、通ってくるわね」
「ケイヴには仕事がないんですか?」
「ルーク殿下にお願いして、貴女の護衛にしてもらったのよ。この世界にいる間はできるだけ側にいたいって。ルーク殿下もヒナタを警護対象だと思っているから、信頼できる相手に任せたの」
「私、アンジェリカ以外から狙われる覚えないんですが……」
「そのアンジェリカはまだ牢獄にいて、裁判が終わってないんだもの。いいじゃない。ケイヴとゆっくり仲を深めて」
またね、とフローティアは手を振り、部屋に入ってきたケイヴには一礼して出て行った。
ケイヴはフローティアの後ろ姿を見送ってから不思議そうに日菜太に問うてくる。
「何を話していたんだ?」
「女子トーク」
「なんだ、それは?」
「女性の秘密ってこと。ケイヴ、毎日こっちに来なくても大丈夫だよ。私、ほとんど部屋にいるから」
ベッドから少し離れたところに立ったケイヴは、日菜太の言葉を聞いても首を縦に振らなかった。「毎日ここに来るのが俺の仕事だ」と譲らない。
日菜太はわざと大きくため息をついて、元気をアピールするように両腕で力こぶを作る。
「ほら! 体はなんともないから! 魔法で攻撃されても怪我しなかったし、何も心配いらないんだよ」
ね、と笑顔で念を押してもケイヴは「だめだ」と言って意地でも動く気がなかった。
ケイヴが心配性になっている理由は主に、魔法で二回も攻撃されたことにある。この世界の法律として、魔法で人を攻撃してはならないと言われており、これまでその法を犯した人はいなかった。だが、日菜太は一日で二回も魔法攻撃を受けたのだ。ケイヴは日菜太が何か呪いにかかっているんじゃないか、また狙われるんじゃないかと心配し、殿下も同意した。アンジェリカやファイの刑が執行されるまでは、厳重に警備しようということになったのだ。
魔法で攻撃されたと言っても、日菜太の体に怪我はない。渡りびとだからか、それとも他に理由があるのか、日菜太は魔法攻撃の影響を受けないようである。ただ、日菜太の体以外はそうではなく、アンジェリカに火の玉を食らったときは洋服から下着まで丸焦げにされて恥ずかしい目に遭った。
アンジェリカを片腕で担いだケイヴがローブをかけてくれたおかげで裸でいる時間は短かったけれど、火で包まれても無事でいる日菜太に「化け物!」とアンジェリカが叫んだ言葉は忘れられない。ファンタジーな世界だけれど、魔法の影響を受けない人間はいないみたいだ。殿下もフローティアも、一瞬、信じられないものを見たような目でいた。
唯一、ケイヴだけが心配してくれたから、日菜太はうろたえずに済んだ。彼がいてよかったと思うけれど、過保護にされるとどう対応していいかわからずに困る。
「元気でいるのに怪我人扱いされるのは、ちょっと落ち着かないんだけど……」
ずっとベッドに寝ているのもそうだ。体はなんともないけれど、ようやく自分の疑いが晴れたのだとわかってほっとしたら、急に倒れてしまった。一日ぐっすり寝て、美味しいご飯をもらって元気になったけれど、皆が念には念をと言うからしばらくベッドの上から動けていない。
服やお金を借りた店主や女将に会って借りたものを返し、返せなくなった服のお詫びをしたい。ジョンにも改めてお礼を言いたいけれど、王城に彼らを呼ぶことができず、後回しにされている。
「怪我人でも病人でもないのはわかっている。だけど、ヒナタ」
離れて立っていたケイヴがベッドの側にやってきて、跪いた。布団の上に置いていた手を取られ、優しく両手で包み込まれる。
「君が健康だと言っても、周りが心配していることも理解してくれ。特に殿下はご自分を責めていらっしゃる。もうしばらくは周りの言うことを聞いて、そのあとわがままを言ったらどうだ?」
「自由に動いていいか、聞いてみるってこと?」
「元の世界に戻る方法を探してほしいって、頼んでみることだ」
あ。
ケイヴに言われて思い出す。そう言えばケイヴに手を貸すなら、全部が終わったとき殿下に元の世界に戻る方法を探す手助けをしてくれないか、お願いしてほしいと思っていたんだった。図らずも自分でその願いが叶えられることになった。
殿下は申し訳なさそうにしていたし、人が良さそうだったから頼めば引き受けてくれそうだ。一人で闇雲に探すより、殿下の手を借りた方がずっと早いだろうと、日菜太は今後のことを考え始める。
と、日菜太の意識を引き戻すように、ケイヴがぎゅっと手を握り込んできた。
「君がいつか元の世界に戻るとわかっていて、ひとつ俺の願いを言ってもいいか?」
「うん?」
「この世界にいる間だけでいい。俺を側に置いて、近くで守らせてくれ」
言葉が、すぐに返せなかった。
「俺がすぐに殿下に君はアンジェリカじゃないと話さなかったせいで、早く片付くはずの問題が混乱したとわかっている。殿下を最初、疑った俺の責任だ。君も恨んでいるだろう。だが、そんな俺でも君の側にいさせてくれないか」
ケイヴは真剣な顔でいた。元の世界に戻るまでと前置きしたことから、様々なことを考えて告げたのだろうとわかる。それから、その言葉の裏にあるケイヴの気持ちも、日菜太は深読みしそうだった。
少し前から、ケイヴはおかしいのだ。日菜太を抱き締めて、大切に扱って、他の男の目に触れさせないようにする。こちらの世界の常識から言うとはしたない行動は、自分の前だけでなら許すようになった。そうして見守って、側にいて、日菜太を元気付けようとしてきた。
もう、アンジェリカのことは関係ないのに。
ケイヴはずっと、日菜太の言葉を待っていた。彼の両手に包まれた自分の手を引き抜きそうになる。そんなの、気にしないでいいよって笑って流したかったけれど、ごまかすのは彼が嫌いな嘘をつくことになる気がしてできなかった。
「……あの」
「ああ」
「まず、先に断っておくけど、私はケイヴを恨んでいないから。むしろ感謝してる。これまで一緒にいてくれて本当に助かったんだけど……」
なら、側にいてもいいかと言われそうで、急いで言いたかったことを告げる。
「そういう台詞を真顔で言うと、相手が誤解するかもしれないから言わない方がいいと思う」
「誤解って、どう誤解したんだ?」
「それは……あの、違っても笑わないでね? ケイヴが、私のこと好きみたいに聞こえるから、もうちょっとライトに提案してくれると助かるんだけど」
「俺が君のことを愛し始めていたら、真面目に告げていいんだな」
確認する言葉に、危うくむせそうになった。
「あ、愛って……!」
「アンジェリカとの婚約は義務だったが、ヒナタは俺自身が側にいたいと思った。離れたくないんだ」
「私は元の世界に帰りますけど!」
「だから、帰るまでの間でいいさ。少しだけ、俺に夢を見させてほしい。だめか?」
そんな優しく問われても、だめですと即答できない。愛だとか、離れたくないだとか、そんなこと言われたことないのだ。顔が熱いのを自覚して、自分でも真っ赤になっているだろうなと思った。恥ずかしくて俯いても、「ヒナタ」と名前を呼ばれたら心臓がどきどきする。
なんで、急に。
「君が帰るとき、引き止めて困らせたりしないと約束する。だから、俺を側に置いてくれ」
アンジェリカのことが片付いて、あとは元の世界に戻る方法を探すだけだと思ったのに、どうしていきなり恋愛がもつれ込んできた。
日菜太は困惑しながらも思い切って顔を上げ、ケイヴを見つめる。日菜太の顔が赤くなっているのと同様に、ケイヴの顔も少し赤い。緊張しているのか、僅かに手が震えているのもわかる。
本気だ。本気でこの人は言っている。
ヒナタと名前を呼ばれたら、もうだめだった。
返事より先にベッドに倒れ込み、そうして日菜太はケイヴへの返事を保留したのだった。
了
身代わり令嬢の顛末 天野川硝子 @aaaagggg
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