第25話 幸せの一時


ふと顔をあげると葵さんが驚いた表情をしていた。

そして、今自分が口にした言葉に後悔する。

俺は最初にただの顔見知りといったのに、嘘をついた。

きっと、もう信じてもらえない。


「すみません」


言わなければよかった。

一度でも茜さんの捜索を手伝って上げれればよかった。

最初に真実を言えばよかった。


「待って!」


葵さんが何か言おうとする。

恨み言だろうか?

嘘をついたことへの罵りだろうか?

弱い俺は逃げるように走り出していた。


どれくらい走っただろうか。

いつの間にか学校の近くの歩道にいた。

朝早いというのに学校へ向かう生徒がちらほらと見える。


「大丈夫ですか?」


まだ、息が整わない。

そんな俺に後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

振り向く。


「千花、さん?」


そして、そこには心配そうに見つめる千花さんがいた。

その後ろには黒塗りの外車が止まっている。

俺を見つけて、降りてきてくれたのだろう。


「おはようございます」


彼女の笑顔に昨日の俺の手を握ってくれた光景を思い出す。

一歩ずつ彼女に近寄り。


「え? え!?」


ただ、強く抱きしめていた。

今は彼女のやさしさに溺れていたくて。

誰かに支えてもらわわないと前に進めない。

そんな気がした。


「すみません」


急に抱き着いたせいで千花さんは驚いていたが、その優しい笑みは崩さなかった。

そして、抱き返してくれる。

もう、彼女がいないと。

生きていけないかもしれない。


「いいですよ。大丈夫」


千花さんが抱き合う力が強くなる。

それの応えたくて俺も強く抱き合った。


「私がそばにいますから。何も心配しないでいいです」


「ありがとう」


もう俺の中に不安はなくなっていた。

絶対に彼女だけは守って見せる。


「落ち着きました?」


「はい」


俺はゆっくりと彼女を放す。

改めて千花さんを見るとその顔を真っ赤にしていた。

でも、とろけきったように笑顔を崩していた。


「そうか。なら、ちょっとお話いいかな?」


その声にゆっくりと後ろを振り向く。

そして、車の扉が開き中から降りてくる。


「社長!!」


やさしい笑顔を俺に向けてくる。

なのに、背中の冷や汗が止まらない。

心なしか震えも。


「なに、すぐ終わるさ。お話も、君の人生も!!」


右手に持っていた杖を少し回すと棒の部分が鞘になっていて、柄の部分を引き抜く刃が現れたのだった。

後ろにいた親父や黒服の皆さんが焦り始める。


「きゅ、急に腹痛が」


俺は逃げようと走り出した時だった。

社長の姿が消えたのだ。


「逃がすと思ってるのかい?」


その声に横を見ると仕込み刀を構えた社長がいた。

そして、横一線に居合切りをしてきた。


「ひゃああ!!」


俺は何とかバク転をして逃れる。

初めてバク転したが、危険が迫ると意外と人間できるのかもしれない。

とりあえず、社長に落ち着いてもらわなくては!!


「申し訳ございません」


俺はうまく距離をとり、社長の斬撃を避け、土下座をし続ける。


「なにに、謝ってるのかい? 今抱き着いたこと? それとも、昨日のき、き、きいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」


そういえば社長は昨日の千花さんとのやり取りも知っているのだった!!

奇声を放ちながら斬撃の速さと鋭さが増していく。

そして、時間が経つごとに人影が増えていく。


「ここは学校近くの」


「パパ! やめて!!」


俺は社長を説得しようとする。

千花さんも声を張り上げるが、もう社長の耳には入らない。


「そろそろ、カシラを止めろ! サツを呼ばれるぞ!」


親父はそう言って社長を羽交い絞めにする。

それに合わせるように筋骨隆々なの黒服たちが四肢に抱き着いて、総勢八人で社長を止める。


「放せ!! やつを、やつを殺せない!!」


それでも、社長は歩みを止めない。


「パパ待って!!」


千花さんの言葉に社長が歩を止める。

親父たちのおかげで動きが鈍くなり千花さんの言葉が分かるようになったのだ。


「千花さん!」


もう、この現状を打破できるのは彼女しかいない!!


「私の大切な人を傷つけないで!!」


「Gyaaaaa、Oguwaaaaaaaaaaa!!」


残念なことに火に油を注いでしまったようだ!

社長は獣のように吠えると、黒服たちを張り付けたまま走ってくる。

もう、ダメなのかもしれない。

俺はそっと瞳を閉じる。


「だめよ、パパ!!」


俺は諦めた。

それでも、千花さんは頑張って子を張り上げる。


「子供にはちゃんと父親がいた方がいいと思うの!!」


「「「「は?」」」」


社長は愚か、縋り付いていた黒服、親父すら間抜けな声を出して千花さんを見つめる。

ここにいる全員が理解できていない。


なに? 子供?


「だって」


そう言いながら千花さんはへそ下をやさしく撫で始めた。

時間が止まったのかと思うほどの静寂が俺たちを包んだ。


「「「…………」」」


時間が経つたびにじわじわと頭が現状を理解していく。

千花さんに子供がいて。

父親は俺?

え? いつの間におれ。


「いや」


社長が甲高い声でつぶやく。


「いやよ」


その異様さに黒服たちが離れる。

そして、社長が刀を落とすと、頭を抱えて崩れ落ちた。


「いやああああああああああああ!!」


そして、少女のごとく叫びだしたのだ。

絶叫しながら地面をのたうち回るように悶えだす。


「いや、いやよ!!」


「か、カシラが、壊れた」


「とりあえず、車に運ぶぞ!!」


「いやああああ!!」


親父と黒服たちが慎重に車に担ぎ込むと、車は足早のこの場を後にしたのだった。

社長は、大丈夫、だろうか?

いやそれよりも。


「ち、千花さん。さ、先ほどのは?」


「子供の事? ちゃんと責任取ってよ」


「え?」


うん、俺の子供のようだ。

いや、待ってくれ。

いつそんなことした?

つか、俺。

もう、童貞、じゃない!?


「だって、キスして。だ、抱き合えば、子供はできるのでしょ? 子供は、まだ、早いと、思ってたけど。できたものは仕方ないし」


「……」


なるほど。

そういうことですね。


「ねえ、尊くん」


「……。はい」


「最初は男の子かな? 女の子かな?」


思わず血を吐きそうになる。

だが、まだ大丈夫だ。

千花さんにダメージは少ないはず。


「…………」


「どうしたの」


恥ずかしそうに俺を見上げる。

こんな彼女に本当のことを言うべきなのか。

いや、これから学校生活が始まる。

そんな中で、恥をかくより。

今理解してもらった方が。


「……。千花さん、その、あの」


「もしかして」


急に背筋が寒くなる。


「他に女が?」


俺の煮え切らない態度で勘違いしてしまったようだ。

そんなわけがないのに。


「そ、そんなわけでは。いえ、あの。そうでなくて。言わなくてはいけないことが。いえ、女性問題ではないのですが。そのとても大事なことでして」


焦って否定した成果なんか自分でも疑わしくなるような言葉が、次々に出てくる。

ああ、泣いてしまいそう。


「落ち着いて」


千花さんは俺の手を握ってくれる。

そうだな。

どんな状況でも一緒に乗り越えよう。


「その、千花さんが知っている、抱き合うの意味が、違います」


俺自身が恥ずかしくなるほど、保険体育の授業を懇切丁寧に解説していく。

そして、すべてを理解した千花さんは顔を真っ赤にする。

俺はかける言葉が見つからないので、今度は俺が彼女の手を握るのだった。

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俺の女神はガチャにだけ微笑む 矢石 九九華 @yaisikukuka

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