第66話「地球よりも重い」

「ねえ、どうしてなんですか? どうしてわたしたちは、別れなければならなかったんですか? ねえ、先輩、教えてくださいよ」


 泣き笑いめいた笑みを浮かべる渚ちゃんの顔を、俺はしばし見つめた。

 楽しかった中学時代の思い出と、悲しかった別れと、そこからの5年間の後悔が一気にのしかかって来て、潰れそうになった。

 潰れそうになったけど、ぎりぎり耐えた。


「当時の俺はさ……」


 膝の前で両手を組むと、俺はアスファルトを見つめながら話し始めた。


「ものすごい幸せの絶頂にあったんだ。渚ちゃんという可愛い彼女がいて、最初はツンツンだったけど、徐々にデレを見せてくれるようになって。こりゃあいい波来てるわ、人生最高だわって思ってた。だけど同時に、不安でもあったんだ」


「不安?」


「ほら、以前に渚ちゃんに怒られたことあったじゃん。渚ちゃんの良さがみんなに知れ渡るようになって、人気者になって、そしたら悪い虫が寄って来るんじゃないかって。その虫が悪い虫じゃなくて、俺よりよっぽどいい男だったらどうしようって」


「浮気とか心変わりのことですか? それはその時も言いましたけど……」


「いや、そうじゃないんだ。渚ちゃんを疑ってるわけじゃない。むしろ疑ってるのは俺自身のことなんだ」


「……先輩が、先輩をということですか?」


 渚ちゃんが不思議そうな顔をした。


「もちろん、俺が他の女の子に心が移るって意味でもない。問題は、俺よりもっと、渚ちゃんを幸せに出来る男がいるんじゃないかってことなんだ」


「…………ん?」


「だってほら、地球の人口は何十億人っていて、日本だけでも1億何千万人っていて、男が大体半分ぐらいいるとして、その中にはきっともっと、俺なんかよりよっぽど渚ちゃんを幸せに出来る男がいるかもしれないじゃん」


「……んんん?」


「俺は渚ちゃんに幸せになって欲しいんだよ。世界で一番可愛い女の子だから、それにふさわしいぐらい幸せになって欲しいんだよ。そのためには、俺なんかが傍にいちゃダメなんじゃないかって思ったんだ。それは渚ちゃんの可能性を潰す行為なんじゃないかって」


「……ちょ、ちょっと先輩?」


「アメリカへ行くことになって、最初はすげえびっくりして、すげえがっかりした。でも同時に、これは渚ちゃんにとってはいい機会になるかもって思ったんだ。俺みたいなダメ男じゃなく、もっとふさわしい心もイケメンな奴と出会える機会なんじゃないかって。だから俺は……」


「先輩、聞いてください」

 

 渚ちゃんが、ガシッとばかりに俺の両手首を掴んだ。

 そのまますごい力で自分の方に引き寄せると、至近距離から俺の目を覗き込んできた。


「もしかして……もしかしてとは思いますが、先輩、わたしのために身を引いたとか言い出すんじゃないでしょうね? だからあえて理由は言わずに、偽悪的に振るまったとか言い出すんじゃないでしょうね?」


「まあそうだけど……」


「こっ……」


 渚ちゃんは一瞬、喉を詰まらせた。

 唇を噛むと、心の底からというようにつぶやいた。


「この男はああああああー……」


 奥歯をギリと噛みしめると、渚ちゃんは言った。


「それ、まったく意味ないですよ。むしろ苦しいだけですよ」


「いやいやだって、可能性としては……」


「現に、わたしは、今もなおひとりで、恋人を作ることもなく、こうしているわけですが?」


 一語一語言葉を区切るようにして、渚ちゃんは強調した。


「現に、わたしは、こうして先輩が気に入りそうな服を着て、普段はしない化粧までして同窓会に参加しているわけですが?」


「それって今の恋人の影響とかでは……」


「違いますよっ!」


 渚ちゃんはとうとう絶叫した。


「先輩にもう一度会いたかったからです! 大人になった姿を見てもらって! 杏に教えてもらった手練手管てれんてくだを駆使して惚れ直してもらって! あわよくばもう一度告白してくれないかなーと思って頑張ったんです!」

 

「うわマジかあ……」


「マジですよ! 大マジです! というかですね! 以前から常々思ってたんですが!」


 怒りのあまりだろう、顔を真っ赤にしながら渚ちゃんは叫び続けた。


「どうして先輩はそんなに自己評価が低いんですか! わたしを世界一幸せにするのは俺だって! どうして断言出来ないんですか!」


「自己評価の低さ……うーん……」


 どうしてと改まって聞かれると、難しい問題ではある。

 だけどまあ、あえてそこに理由を求めるとするならば……。


「昔、小学校の頃さ。クラスに好きなコがいたんだ」


「ほう」


「んで告白して、フラれたわけ」


「ほう、それで」


 渚ちゃんの目が据わってる。

 俺の手首をギリギリ握り絞めてくるのが超痛い。


「それはそれでしかたないんだけどさ、俺としてはけっこう本気だったわけで、しばらく寝込んで、学校も休んだわけ」


「それで、それから」


「そこへきて田舎の爺ちゃんが死んじゃって、なんだかんだで2週間ぐらいがたっちゃってさ、ほら、あんま休み続けると、学校も行きづらくなるじゃない? んでちょっとの間ひきこもりみたいになっちゃって。2か月くらいかなあ、しばらくぶりに登校してみると、みんなの視線が痛い、痛い。少しすると元に戻ったけど、その時の傷はけっこう長い間癒えなくて、ああ、俺ってダメな奴なんだなとか、色々考えちゃって。そんでまあ、今に至るというか……」


「ええと……それだけ……ですか?」


「え、うん」


「ホントに、それだけ?」


「それだけだけど」


「はああああ~……」


 俺が素直に認めると、渚ちゃんは頭痛を堪えるようなしぐさをした。

 

「ホントに、この男はあ~……」


 しみじみとため息をついたかと思うと……。


「わかりました。はい、わかりましたよ。考えてみればたしかにわたしも、言葉足らずみたいな部分はありましたからね。上手く気持ちを表せなくて、先輩を不安にさせたことは間違いありません。なのでフラれたことそれ自体はチャラにいたしましょう」

 

「お、おう、ありがとう?」


「でも、その後の5年間なんの説明もなかったことは許しません」

  

 渚ちゃんはギロリ氷の魔眼を光らせた。


「その間わたしがどれだけ傷ついたか、どれだけ思い悩んだか」


「それはもう……ホントにごめん」


「いいえ、許しません」


 渚ちゃんはピシャリと俺の言葉を遮った。


「ただの謝罪ではダメです。きちんと態度で示してもらいます」


「た、態度というと……石抱きの刑とかそういう……」


「なんでそんな時代がかってるんですか。そうではありません。失われた時間の分、きっちりわたしを幸せにしてもらいます。具体的にはもう一度つき合ってもらいます」


「え」


「なんですか、嫌なんですか」


「え、嫌じゃないけど……なんてゆーか他に」


「他に好きな人なんていませんっ。さっきからそう言っているでしょうっ」


 ドンドンと、渚ちゃんは腹立たし気にベンチを叩いた。


「わたしの気持ちは、今もなお変わっていないんです。今も先輩が好きで、だからこうしてここにいるんです。わたしを世界で一番幸せに出来るのは、先輩だけなんですよ」


「うわマジかあ……」


 俺のつぶやきに、渚ちゃんは血相を変えた。


「ちょ、ちょっとなんでそんな引き気味なんですか!? なんですかわたしとつき合うのが嫌なんですか!?」


「全然嫌じゃないよ。嫌じゃないんだけど勢いに戸惑ってるというかその……俺の持ってる渚ちゃんのイメージと違ってやたらぐいぐい来るなというか……」


「わ・た・し・だっ・て! こんな風にするつもりはなかったですよ! もっとムードのある場所で、身も心もとろけるような言葉が欲しかったです! でも先輩があまりに引き気味なものだから! しかたなくです! あああああもうなんですかもう! あの時の、わたしに告白した時の勢いはどうしたんですか!」


「いやあー、若かったよねあの時は」


「今も! 十分! 若いですよ!」


 ドンドンと、渚ちゃんは腹立たし気にベンチを叩いた。


「それで? どうなんですか? わたしとつき合うんですかつき合わないんですか? わたしを幸せにしてくれるんですかくれないんですか?」


 言ってて恥ずかしくなったのだろう、渚ちゃんは顔を真っ赤に染めている。


「ええと……そりゃあもちろん善処させてもらいます」


「わたしのこと、好きですか好きじゃないんですか?」


「そりゃあもちろん大好きです」


「ありがとうございます。ではわたしのほうも言っておきますが……」


 ゴホンと咳払いすると、渚ちゃんはひたり俺の目を見据えて言った。


「わたしの愛は先輩が思ってるよりも遥かに……それこそ地球よりも重いですから、覚悟しておいてくださいね」

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