第37話「渚&ちひろ②」

「んー、なるほどね。だいたいわかったわ。ルーに誘われた兄貴が、しかたなくつき合ってやってる構図ね、これは」


 にこやかに談笑している兄貴とルーを、大きな柱の陰から見張っている、あたしと渚。


「ええ、わたしにも呑み込めました。先輩は人が良いので断れなかったのでしょう」


 渚は氷のように冷たい目つきでルーをにらむと……。


「逆に言えば、そこまで計算しての山田花やまだはなさんの卑劣な策略だったのでしょう。おのれ……」


 どこから取り出したのか、キリキリとメジャーを伸ばし始めた。


「……なんでこんなとこにも持参してんのよ。メジャーってそんなに日常的に使うもの? じゃなくてっ、ちょっとあんた、さすがに暴力は……」


 ルーの抜け駆けはたしかにムカつくが、そこまでするのはさすがにまずいだろう。


「もちろんそんなことはしません。ただ、こうでもしていないと落ち着かないと言いますか、自分を抑えられなくなりそうで怖いと言いますか……」


 目から光彩を失い、ギリギリと歯ぎしりする渚は、本当に悔しそうだ。

 

「……まったく」


 そういや、こいつと初めて会った時もこんな感じだったっけ。

 兄貴を挟んで、にらみ合って。

 何度も衝突して、なぜだか勉強会をして、結果的に停戦条約みたいなのを結んで。

 友達ではなく、敵というのともまた違う、複雑な関係になっている。


 人生って不思議だ。

 なんていうのはおおげさだけど、ホントにそんな気分になっている。


「しかしさ、あんたって兄貴が絡むと人が変わるよね。普段は氷みたいで、取り付く島もないって感じなのに」


「それは当たり前でしょう、恋人ですから。彼氏が他の女にうつつを抜かして、気分がいいわけありません」



「そ……そうなんだ?」


 もっと本心をはぐらかすのかと思ったら、あまりにあっさりと答えるものだから驚いた。

 

「ちひろさんがわたしと同じ立場だったらどうしますか? 自分に内緒で彼氏が他の女とデートをしていたら、平静でいられますか?」


「んー、とりあえずぶっ殺すかなー」


「ほら、そういうことです」


 それ見たことかとばかりに渚。


「わたしは先輩に、山田花さんとの友達付き合いを認めました。ですが、ふたりきりで休日を過ごすというのは少々行き過ぎた行為だと感じています。もし頼みを断れなかったのだとしても、そのことは包み隠さずわたしに話し、次善の策としてわたしも一緒に連れて行くことを検討するべきでした」


「たとえ行き先がコミケでも?」


 渚にはまったく似合わないというか、売り場によっては半狂乱で暴れ出しそうなんだけどこいつ。

 だから兄貴も遠慮したんだと思うんだけど。


「もちろんです。どこへでもお供いたします。わからないならわからないなりに、理解するよう努めます。恋人としての、それがあるべき姿だと思うので」 


「お、おお……そうなんだ」


 渚の勢いに、あたしは驚いた。


「あんたってさ、最近変わったわよね。なんというか、前より圧が強くなった」


「圧?」


「兄貴に対する執念が前面に出てきたというか、わかりやすくなった感じ」


「そうですか、わたしにはさっぱり……」


 いつもの決まり文句で否定しようとした渚はしかし、思い直したかのようにふるふると首を横に振った。


「いえ、わかります。わたしは変わりつつあります。あまりに感覚的で説明しづらいのですが、ある時から自分の中でスイッチが切り替わったと言いますか……」


 言葉を選びつつ、渚は気持ちを告げてくる。


「先輩を、他の誰にも盗られたくないと思うようになりました。先輩と、なるべく多くの時間を過ごしたいと思うようになりました。先輩に、いつも自分を見ていて欲しいと思うようになりました。そうですね、一言でいうならわたしは、欲深くなったのです」


「欲深く……」


「今も、あのふたりの間に割って入りたくてしかたがありません。山田花さんではなくわたしを見てくださいと、言いたくて仕方がありません。でも、そんなことをすれば先輩が困るでしょう。きっと、不愉快な気持ちになるはずです。ですのでわたしは……ここで……こうして……」


「……」 


 渚は胸元に手を当て、きゅっと唇を閉じた。


 わかる。

 あたしは心底同意した。


 自分の大事な人が、自分以外の女と共にいる。

 ふたり仲良く笑い合い、見つめ合って楽しく過ごしてる。


 今すぐ駆け寄ってぶん殴ることが出来たらいいんだけど、そんなことをして嫌われたらどうしようと思う。

 うとまれてしまったらと考えると、ひたすら怖い。


「あんたさ、その気持ちをそのまま伝えたらいいんじゃない?」


「え? このまま……先輩にですか?」


 渚はきょとんとした顔であたしを見た。


「して欲しくないことがあるんだったらそう言えばいいんだよ。遠慮せずに、兄貴に直接。だってあんたは彼女なんだから、そのぐらいの資格はあるはずでしょ?」


「資格……ありますかね?」


 渚は心配そうに眉根を寄せた。


「あるでしょ、そりゃ」


「だってわたし……先輩にまだ好きとも言えていないのに……」


「え」


 あたしは一瞬( ゜Д゜)こんな顔になった。


「マジで言ってんの? あんた、彼女なのに? 今まで一度も好きだって言ってないの? 1メートル以上の距離を保つこととかやたらとめんどくさい自分ルールのある女だとは思ってたけど、まさか……マジで?」


「ええとその……正確には一度は言おうとしたんですけど……色々とタイミングが悪くてですね……」


 今さらながら自分の奥手さに気づいたのだろう、渚はかあっと顔を赤らめた。


「一度失敗してしまうと、次に言う勇気が出なくて……だから……まだ……その……」

 

 胸元で両手を握り合わせ、もじもじと身を揺すって恥じらう。


「はああー、あっきれたっ。どんだけよあんた」


 あたしは思い切りため息をつくと、渚の肩をバンバン叩いた。


「まあいいわ。ともかく今日は、徹底的に兄貴を追い詰めるわよ。んで、あんたの気持ちを伝えるの。好きだとまでは言わなくていいけど、嫌なこと、自分がして欲しくないことを言うの」


「そ、それはあまりにわがままなような……? 普段でも色々と無理を聞いてもらっているのに……。それにその、そんなことをして、もし本当に嫌われてしまったら……?」


「嫌わないよ、あの兄貴だし。それにね」


 あたしは渚に向かってウインクひとつ。


「あんたひとつ、勘違いしてるわ。わがままを言うのはね、女の子の特権なの」

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