第22話「カピ腹一郎」

「その『カピ腹っさん』ですが、おそらく箱の右下部を押すようにすればいいと思います。もともとが長方形の物体で、重心が下方に寄り気味なので、持ち上げるというよりは横に倒して倒して移動させていけば取りやすいはずです」


「え?」


「景品の取り方の問題です。先輩、それが欲しいのでしょう?」


「え、あ、ああ……」


 渚ちゃんの言われた通りにやってみると、本当にスムーズに取れた。

 すげえ、さすが学年1位の秀才。

 クレーンゲームなんかやったこともないだろうに、即座に原理を理解してみせた。


「や、やったあ……ってあれ? 怒ってないの?」


「当然、怒っています。寄り道、ゲームセンター通いでペケがふたつです。本来なら教育指導の郷田先生に報告し、反省文を書いてもらうところです」 

 

 渚ちゃんは氷の魔眼を光らせると、恐ろしいことを言って来た。

 教育指導担当の郷田先生、通称ゴーセンは、ゴリラみたいな体格から超絶痛いしっぺを喰らわしてくるのだ。

 

 あれ?

 でも今……。


本来なら・ ・ ・ ・?」


 渚ちゃんの口から漏れた不思議な単語に、俺は目をパチクリさせた。


「それってもしかして、見逃してくれる?」


「はい、見逃します」


「な……っ?」


 天地がひっくり返ったかのような衝撃に、俺は一瞬クラリとした。


「で、でもだって……渚ちゃんは風紀ガチ勢で……。細かな悪でも見逃せなくて……」


「はい、その通りです。それがわたしの性分であり、信条でもあります。しかし──」


 目つきを和らげると、渚ちゃんは小さくため息をついた。


「先輩がわたしとおつき合いしていることで、こういった同性の友達との遊びから遠ざかっているのはたしかです。本来ならしたいことが、わたしのせいで出来ていない。わたしのせいで縛られている。それはお互いにとって不幸だと思います。なので、ここは譲歩して見逃すことにいたします」


「譲歩……」


 渚ちゃんが俺に歩み寄る時に発する決まり文句だ。


「わたしはもう一周して来ますから、その間にお友達を連れて退出してください」


「あ、ありがとう……っと、ちょっと待った渚ちゃん」


 さっさと立ち去ろうとした渚ちゃんを、慌てて呼び止めた。

 

「これ、君のために取ったんだ。君に貰ってほしくて……」


「これを……わたしにくださると……?」


 渚ちゃんは、一瞬パアっと表情を明るくした後。


「でも、特に貰う理由が……」


 理由がないのに物を貰うことに抵抗があるらしい。

 いかにも真面目な渚ちゃんらしいが……。


「えっと、……じゃあつき合って2か月記念、とかでどうかな? そうゆうの、世間一般のカップルはするらしいし」


「2か月記念……ずいぶんと中途半端な区切りのような?」


 まあ普通は1か月とかなんだろうけどな。

 今思いついた苦し紛れの理由なので、ツッコまれると辛い。


「ともかく、わかりました。そういうことであるならば、これはありがたく頂戴いたします」


 渚ちゃんはぺこり頭を下げたかと思うと、むんと気合の入った目で俺を見上げた。

 

「では、次はわたしの番ですね。2か月後にプレゼントを贈らせていただきます」


「え、いや、その……べ、別に必ずしも2か月置きに毎回ってわけでなくてもいいんだよっ?」


 俺は慌てた。

 真面目がすぎる渚ちゃんのことだ。

 俺の言葉を本気にして、2か月置きの記念日とか毎回やりかねない。

 渚ちゃんからのプレゼントなんて嬉しいに決まってるが、それがもし経済的な負担になったとしたらと思うと、素直には喜べない。


「本来ならば気が向いた時でいいというか、本当に贈りたいものが見つかった時がベストなタイミングというか……」


「本当に贈りたいものが見つかったタイミング……なるほど」


 ふむとばかりにうなずくと、渚ちゃんは。


「では、1カ月後でよろしいでしょうか」


「なんで期間短くなってるの!?」


「先輩が、本当に贈りたいものが見つかった時とおっしゃるので……」


「え、そうなんだ? じゃあ1か月後ぐらいがちょうどいいプレゼントがあるってこと? ふうーん……?」


 今から1か月後というと7月の20日ぐらいか?

 なんだろ、イベントとしても何も思いつかないが……。 


「先輩にとってそんなにたいしたものではないかもしれませんが、楽しみにお待ちいただけると幸いです」


 いつものように業務連絡みたいな言葉を残すと、渚ちゃんはさっときびすを返し、1階の奥の方に消えて行った。

 カピ腹っさんの箱を通学バッグに納めて背負うと、どことなく軽い足取りで。







 

 ~~~現在~~~




 そうだ、思い出した。

 俺が渚ちゃんに贈った、初めてのプレゼント。

 

「そういや、そんなこともあったなあ」


 吉田安井の冷たい視線を浴びながら、俺は過去を振り返る。

 俺からのプレゼントをいたく喜んだ渚ちゃんは、翌日からスマホにカピ腹っさんのストラップを付けて来るようになったんだ。


「ちなみに名前はカピ腹一郎です」


 6年の時を経てさすがにくたびれたカピ腹一郎(命名:渚ちゃん)は、今は渚ちゃんの部屋の本棚を定位置にしているらしい。


「さすがに繕い直すのは難しかったので、今はこのようになっています」


 渚ちゃんがスマホで見せてくれたのは、パッチワークで作ったのだろう小さな布団セットに横になっているカピ腹一郎だ。


「もう寝たきりになってるじゃん!」

 

「いえ、職を失って年中家にいるという設定です」


「もっと良い方向へはいけないんですかねっ!?」


「彼らは遺伝子レベルにぐうたら精神が刷り込まれているので、どうしようもありません」


「やな種族だなおい!?」


 謎のこだわりはともかく、渚ちゃんはくすくすとおかしそうに笑っている。

 肩を揺すって、口元に手を当てて。

 まるで天使がそうしているような美しい光景に、俺は一瞬見とれた。 

 ただの思い付きでしたプレゼントが、6年後の今になってこんな笑顔を見せてくれる。その事実に感謝した。


「あーあー、やってらんねえ」


「くそっ、爆発しろっ」

  

 嫉妬100%でつぶやく吉田安井。


「ちくしょー、どこかに可愛いコ転がってねえかなあー」


「突然美女が俺に告白してくる神展開とか起こんねえかなあー」


 ぐびぐびとビールを痛飲し出したふたりの目が、ぎょっと驚きに変わった。

 なんだろうと思って視線を追うと……。


「くく、くくくくくっ……ひさしいな我が友」


 黒を基調としたゴスロリ衣装に身を固めた美少女が、入り口付近に立っていた。

 日本人なのに髪は銀色、令和のこのご時世にして縦巻きロール。

 右手で裏ピースをし、赤のカラーコンタクトが入った右の目を強調するような変なポーズをしたそのコは、唐突に名乗りを上げた。


「眩しき太陽が眠りにつく時、漆黒の闇の世界が訪れる! ルー・ファング・ザリシオン、ここに参上!(こんばんわ、山田花やまだはなです!)」


 ひさしぶりに見る山田花……もといルーは、6年も経つというのにまったくキャラブレしていなかった……。

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