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 地下訓練所からそのまま下に繋がる通路に入って進んでいると、普段より通路ですれ違う兵の数が多いことに気付いた。


 この天気だし、通常ルートを使わないでこっちを使うってことは理解出来るんだが……。


「何か兵が動かないといけないようなことでも起きたのかな?」


 忙しそうだし、さっきの文官のように足止めをしてまで聞くことじゃないのかもしれないが、ちょっと気になるね。


「まぁ……とりあえずフィオさんに聞いてみるか」


 俺はすれ違う兵たちに挨拶をしながら、通路を進んで行った。


 ◇


「入りますよー」


 俺は魔導研究所のドアの前で一度停止すると、中にフィオーラがいることを確認してから中に声をかけながらドアを開けた。


「……いっぱいだね」


 中に人がいることは、外から気配を探った時にわかってはいたんだが、普段はここの研究員くらいしかいない研究所に、所属がバラバラの者たちが多数いる。


「おはようございます。セラ副長。フィオーラ様に御用ですか?」


「うんうん。奥にいるのかな?」


 俺は彼に返事をしながら、研究所の奥にあるフィオーラ用の部屋のドアを見た。


 この研究所は、基本的にどこも研究用の道具や資材だらけで、他所の者と話すのにはあまり向いているとは言えないが、フィオーラの部屋は違うはずだ。


 ……まぁ、入ったことないからわからないが、彼女の性格を考えたら多分そうだろう。


「ええ。奥で商談を行っていて……時間はかからないので、そちらで待たれますか?」


 職員は俺の言葉に頷きながら、部屋の真ん中に置かれたテーブルに備え付けられている椅子を指してそう言った。


「……これから森に出るつもりだし、あんまり時間は無いからね。街に戻って来たら、またこっちに顔出すかもしれないから、フィオさんにそう伝えといてよ」


「はっ。それでは、森に出ると言うことは……少々お待ちください」


 彼はそう言って部屋の奥に下がって行った……かと思うと、手に何かを持ってすぐに戻って来た。


「昨日、処理を任された物です。どうぞ」


「あら? もう終わったんだ」


 俺は目を丸くしてそう答えた。


 彼が持っていた物は俺のジャケットだ。


 念のためこちらで検査をするといって、フィオーラが持って行かせたんだが、もう終わっていたのか。


 今日は戦闘をせずに軽く森を見て回るだけのつもりだったから、間に合わなくても構わなかったんだが……あるならあるに越したことはない。


「何か問題があったとか言ってた?」


「問題というほどではありませんが、僅かに魔素が残留していました」


「魔素……アンデッドのかな?」


「恐らくは。一般的な武具ならともかく、副長のそのジャケットは素材が特別なので、僅かとは言え、その魔素がどう周囲に影響するかわかりません。全て洗い流しておきました」


「うん、ありがとう」


 俺は彼からジャケットを受け取ると袖を通した。


 どう変化があるのかは俺にはわからないが……それでもそこはかとなくピシッとしている気がする。


 研究所に来ているお客さんたちの視線もそろそろ気になるし……長居は無用だな。


「それじゃー、フィオさんにジャケットは受け取った……って伝えておいてね」


「はっ。今朝森の調査に出た騎士団の報告では、特に異常は無かったそうですが、ここ数日の間皆無だった魔物や獣の気配があったそうです」


 そう伝える彼に、俺は「了解」と返事をして部屋のドアに向かっていた。


 ◇


 研究所を後にした俺は、他の場所には寄らずに真っ直ぐ外に出ると、そのまま北の森に向かって飛んで行った。


 騎士団本部や冒険者ギルドでもっと情報を集めてもよかったんだが……どうせ大したネタは無いだろうしな。


 そっちに時間をかけるくらいなら、さっさと森に行って調査に時間をあてた方がいいだろう。


「……ふぅん。確かに違うかもね」


 森に入ってから数分ほど。


 特に何かに襲われるようなこともないが、それでも昨日までに比べたら雰囲気が変わっていることに気付いて、そう呟いた。


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「今まで森とか外に出たら、周りに魔物だったり獣だったり……何かがいるのが当たり前だったから気付かなかったけど、やっぱり大分違うもんなんだね」


 周囲の警戒をしながら、生き物が戻って来た森の中を移動しているが、生き物の鳴き声や足音などのわかりやすいものだけじゃなくて、空気というか雰囲気というか……言葉では表現しにくいが、明らかに数日前の森とは様子が違っている。


「どう?」


 ヘビたち三体とも表に出して、何か異変はないかと周囲を探らせてはいるんだが……。


「反応は無し……か。変なのは近くにいないみたいだね」


 ヘビたちは、時折キョロキョロを周囲を眺めているが、何かに反応を示したりはしていない。


 少なくとも、目に見える範囲や地下の浅い場所に何かがいるってことはなさそうだ。


「それならもう少し奥まで行ってみようかな。昼頃には北の拠点から隊員が戻ってくるし、強力なのが近くにいたら、彼らが狙われたりするかもしれないしね……」


 一応薬品が入っていた樽とかは、魔力を遮断するらしい特殊な布で包んでいるはずだけど、それでどれだけ防げるかもわからないしな。


 オーギュストが率いているし大丈夫だろうとは思うが、カエルもどきクラスが群れになって襲ってきたら流石に大変過ぎるだろう。


 俺は「よし……!」と気合いを入れると、森の奥に【浮き玉】を向かわせた。


 ◇


「あ、ゴブリン」


 森の中を警戒しながら、奥に向かって進んでいると、進行方向にゴブリンの群れを発見した。


 珍しく、数体程度の群れが複数集まっている大型の群れだ。


 俺は気配を隠すような器用な真似は出来ないし、普通に飛んでいるから向こうも俺のことには気付いたようで、こちらを指差しながら仲間に向かって呼びかけている。


 呼びかけてはいるが、いまいち統制は執れていないっぽいし、自然に出来たっていうよりは、奥から戻って来た際に何となく合流したって感じかな?


 数は多いがただのゴブリンの群れに過ぎないし、倒すだけならそう難しい相手じゃないが……。


 俺は前方でバタバタと慌てているゴブリンの群れに目を向ける。


「あの慌て方はオレのジャケットの効果か、それともヘビくんたちの気配にビビっているのか……どっちにせよ、向こうから仕掛けてくる様子はないか。それなら……っと!」


 俺は魔力を手のひらに集中させると、ゴブリンの群れに向かって照明の魔法を放った。


 目潰し用の魔法に比べると光量は抑えめだが、それでも十分威嚇にはなったようだ。


 ゴブリンの群れは泡を食ったように慌てて森の奥に向かって走り去っていった。


「まぁ……倒してもよかったんだけどね。それでも、折角森の浅瀬に戻って来た生き物なんだし、必要ないならわざわざ倒さなくていいよね?」


 折角戻って来た生き物を、俺が片っ端から倒してしまったんじゃ台無しだ。


 この感じだとまだまだ他の魔物もいそうではあるが、その都度真面目に相手をしていたら時間がどれだけあっても足りないだろうし、対処の仕方は今と一緒でいいだろう。


 俺は逃げ出したゴブリンの群れの背を眺めながら、そう決めた。


 ◇


 魔物との最初の遭遇以降、何度か大小様々な生き物の群れと遭遇したが、そのどれもに同じような方法で対処して、浅瀬から追い払っていた。


 追い払われた群れは、初めは森の奥に向かっていたが、途中から退路が西に逸れていることに気付いた。


「森の西側ってなると……川が流れているね。今朝の報告だと川の水質に何か異変があったとかはなかったし、ただ単に避難しただけかな?」


 川を背にするってのは、俺たち人間だと出来れば避けたいことだと思うが、魔物の場合は違うのかもしれない。


 人間である俺が来なさそうな場所に向かっているってところかな。


 狙い自体は悪くはない。


 ……だが。


「報告はあがっているとはいえ、自分で確認するのも大事だよな。それに、こっちにはどんな生き物がうろついているかを調べるのも大事だし……行ってみるか」


 わざわざ逃げたのに申し訳ないが、俺が相手だったってのは運が悪かったな!

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