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 狼煙を上げた後は、皆がやって来るまでの間その場所から少し北側を探っていた。


 その結果だが、相変わらず魔物の気配は感じられない。

 数日前に、もう少し北側の街道を飛んだ時は、魔物の気配がもう少しあった気がしたんだが……どうやら、今日は本当にこちら側にはいないようだ。


 やっぱこの辺で何かが起きているみたいだよな?


 あんまり離れすぎるのもどうかと思うが、もう少し……。


「お……?」


 もう少し北へ行ってみようかなと考えていたところ、後方……南側で突如響いた音に、俺は思わず移動を止めて振り向いた。


 俺が上げた狼煙のさらに南の空に、黒い煙のような物が見えた。


 何だろう……とそちらを見ていると、そこからさらに少し下がった場所から、もう一発魔法が放たれた。

 そして、先程同様に爆発音が鳴り響く。


「さっきのはアレか。……戦闘の流れ弾って感じじゃないし、オレへの合図だよね? 魔法をあんな風に使うのなんてジグさんくらいだけど、どうしたんだろう?」


 上空から見た限りだが、少なくとも南側で戦闘が起きている様子はない。

 ってことは、あの魔法は俺への合図だ。


 恐らく狼煙は無事伝わったんだろうけれど……それなら何でこっちに来ないんだろうな?


 地割れでも起きて歩いてこれない……なんてことも無いはずだし……。


 俺は魔法が上がった場所を見ながら「はて?」と首を傾げていたんだが。


「……おっと、何かお急ぎみたいだね」


 三発目の魔法に考えを中断させられた。

 事情は分からないが、とりあえず合流を急ごうか。


 ジグハルトなら大丈夫とは思うが、誤射を避けるために地上まで下りてから、南に向かって出発した。


 ◇


「見えたっ! おーーいっ!!」


 魔物がいないことはわかっているし、既に自分で調べた場所だってことで、とにかく速度を優先して森の中を飛んでいると、俺たちが最後に話をした場所のすぐ側に集まっている調査隊の隊員たちを見つけた。


 体を乾かすためなのか何ヵ所かで火を焚いているし、休憩をしているのかな?


 こっちに来たら状況がわかると思っていたんだが、余計にわからなくなってしまったことに戸惑っていると、奥でこちらに向かって手を振る者が目に入った。


「セラか。こっちだ!」


 手を振っていたのはアレクで、他にオーギュストとジグハルトも一緒にいる。

 他の者たちほどじゃないが、三人もどこかお疲れの様子だ。


 特にここに来るまでに消耗するようなことがあったとは思えないんだが……本当に何があったんだ?


「……どうしたの? 何か皆疲れてるみたいだけど」


 アレクのもとにやって来た俺は、まずは何があったのかを訊ねることにした。


 その俺を見て、三人は顔を見合わせると揃って肩を竦める。


「?」


「ああ、悪いな。その様子だと……ずっと【風の衣】を発動したままだったらしいな」


「うん? ……うん。オレは基本的に外にいる時は風を発動しているけど、それがどうかしたの?」


 何が言いたいのかがまるでわからない。


 首を傾げたままでいると、アレクが溜め息を吐きながら話を始めた。


「お前の狼煙にはオーギュストの隊の冒険者が気付いて、すぐに俺たちを呼び集めたんだ。そして、狼煙の下に向かうために森の中を走ったんだが……」


 再び溜め息を吐くアレク。

 何か嫌なことを思い出しでもしているのか、苦い表情で頭を横に振っている。


 マジで何なんだ……と様子を見ていると、アレクの肩にオーギュストが手を置いて、後ろに下がらせた。

 彼が話を引き継ぐようだ。


 俺の前にやって来たオーギュストだが、彼もアレクほどじゃないがすぐれない表情をしていた。


 ともあれ、オーギュストは話を始めたんだが。


「その途中で、前に進めなくなるほどの酷い……っ!? お前たち、早く立てっ!! 来るぞっ!!」


 途中で何かに気付いたのかカッと目を見開くと、休んでいた兵たちに慌てて指示を飛ばし始めた。


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 項垂れながら指示を出していたオーギュストの唐突な変化に、「なんだ? なんだ?」と狼狽えていると、ジグハルトが「セラ」とやって来た。


「数秒でいいから、風を解いてみろ」


「……ほ?」


 目につく範囲に魔物はいないとはいえ、何かが起きているこの状況で【風の衣】を解除しろと言われて、驚いてしまった。


 ついつい変な声を漏らしてしまったが……冗談を言っているような顔じゃないし、【琥珀の盾】もあるしな。

 解除してもすぐに再発動したら大丈夫か。


「それじゃー……」


 俺はジグハルトの後ろに回り込みながら【風の衣】を解除した。


「おっと……!?」


 解除してすぐに頭の上にボタボタと水が落ちてきた。

 雨と枝を伝って落ちてきた水滴だな。


 雨に濡れるだなんて何年ぶりだろう……?


 俺は屋敷から出る時はいつも【風の衣】を発動している。

 雨どころか、外気を浴びること自体久しぶりなんじゃないか……?


 さらに、ムッとする湿気と温い空気。


 これも久しぶりだ。


 さらにさらに、雨と土と森との匂い。


 何やら緊急事態ではあるが、ついつい気が緩んで深呼吸なんてしていると……。


「ふんっ!!」


 俺は慌てて【風の衣】を発動した。


 そして。


「っ!!」


 無言でジグハルトを睨みつけた。


 何というか……物が腐ってカビが生えて糞尿が混ざったような……ともかく酷い臭いだ。


 昔王都の冒険者ギルドで、魔物の解体所に行った時コレと似たような臭いが漂っていたが、アレは屋内っていう閉ざされた空間だ。

 雨が降るこの外でコレだけ臭ってくるってことは……どうなってんだ!?


 ジグハルトは、俺の視線を受けて「悪い」と一言告げた。


「狼煙に気付いた俺たちは、その場所に向かおうとしたんだが、途中でこんなもんじゃない酷い臭いが立ち込めていて、これ以上は無理だと引き返したんだ」


「そりゃー……そうだよね」


 俺は全く気付かなかったが、あの辺りはコレよりもっとひどいことになっていたのか。

 んで、あの辺りに、この臭いをばら撒いている元凶がいた……と。


 こんな臭いがそこら中に漂っていたら戦闘に集中出来ないだろうし、そりゃ……そんなところに踏み入ることは出来ないよな。


 狼煙を上げたのに中々来ないし、かと思えば俺を呼び戻そうとしていたし、どうしたんだろう……と思っていたが、話を聞いて納得した。


 だが。


「んで、どうするの?」


 オーギュストは指示を出すと、隊員たちの下に走っていったが、俺たちも続くのかな?


「ああ、もちろん俺たちもだ。アレク! 行けるか?」


「ええ。先に行きます」


 くぐもった声の返事にアレクの方を見てみると、俺がこっちに来たばかりの時は身に着けていなかったが、いつの間にかマントを頭から巻き付けていた。


 そのマントは、裾から水滴が滴るくらい濡れているし、雨具替わり……ってわけじゃなさそうだ。


 何のためにそうしているのか聞きたかったんだが……その前にアレクは走り去っていた。

 小さくなっていくアレクの背中を眺めていると。


「俺たちも行くぞ」


 と、ジグハルトはそう言うと、アレクが走っていった方向へ歩き出した。


「あ、うん」


 色々気にはなるが、移動しながら聞けばいいか。


 俺はジグハルトに返事をすると、彼の後をついて行くことにした。


 ◇


 進んで行くにつれてジグハルトの顔がだんだん険しくなっていく。


 一応【風の衣】の中に入らないかと声をかけてはいるんだが、慣れておくためにも、このまま行くそうだ。


 ……大丈夫なのかな?


 俺はそんなことを考えながら、横を歩くジグハルトの顔を見ていると、準備を終えた隊員共々、ジグハルトと同じく険しい顔をしているオーギュストたちの姿が見えてきた。


「オーギュスト!」


「ジグハルト殿か。アレクシオ隊長は先行して偵察に向かった。合図があり次第頼む」


「おう」


「……なにかするの?」


「ああ。デカいアンデッドがいるってことがわかった時点で、まともに戦いようがないってのは想像出来ていたからな。対処法についても決めていたさ」


 ジグハルトはそう言うと、一人集団から離れて奥へと歩いて行った。

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