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【緋蜂の針】を発動した俺は、反転しながら軽く左足で床を蹴った。

 次の一歩のための助走だな。


 そして!


「ほっ!」


【緋蜂の針】を発動した右足で、思い切り床を踏み切った。

 石畳の床が砕ける音と共に、高速で飛んで行く俺。

 周りの者は、俺が振り向いたことは認識していても、一体何が起きたのかは理解出来ていないようで、驚愕の表情で固まっていた。


 そりゃー……ピョンっと小さく跳ねたと思ったら、そこからいきなり高速で数メートルも飛んで行ったんだ。

 わけわからないよな。


 牛サイズの魔獣とかもよろめかせる程度の威力はある【緋蜂の針】と、俺の軽い体だからこそ可能な技だ。


「…………っ!? なんだとっ!?」


 驚いているのは周囲の兵たちだけじゃなくて、当然犯人の男もだ。

 後ろで妙な音がしたから振り向いたら、危険は無いと警戒を解いていた俺が、顔のすぐ側まで飛んで来ているんだ。

 無理もない。


「くそっ!」


 余程誰かを人質に取ったりすることに慣れてでもいない限り、まともに対処する余裕なんて無いよな。

 刃物をおばさんから外して、代わりに俺に向けて振り抜いて来たが、それは失敗だな!


「ふっ!」


 俺は男に接触する直前に【足環】を発動すると、そのまま横から飛んでくる男の腕目掛けて足裏を叩きつけた。

【足環】は足裏が触れると勝手に掴もうと、俺が意識しなくてもその瞬間に閉じてしまう。


 今回もそうだ。


 脆い岩程度なら簡単に握り砕く【足環】に掴まれたんだ。

 ただじゃー……済まない。


「ぐぉぁっ!?!?」


「きゃああぁぁあぁっ!?」


 腕を握り潰された男は、刃物を取り落して悲鳴を上げている。

 それを目の前で見てしまい、ついでに耳元で悲鳴を聞いたおばさんも悲鳴を上げる。


 これだけでも十分かもしれないが、所詮はまだ腕一本。

 追撃が必要だな。


「たぁっ!」


 俺は左手の指にはめた【琥珀の剣】を発動すると、細かい狙いを付けずにそのまま男に叩きつけた。

 そして、廊下に響く刃が砕ける澄んだ音。


 これでもう十分だな……と、俺は【足環】を掴んだ腕から離させると床に着地した。

 続けて聞こえてくる男の悲鳴を背に、再度床を【緋蜂の針】で蹴ると、セリアーナのもとへと帰還した。


 護衛の彼女たちも、他の者たちと同様に驚いた顔をしているが……


「ご苦労様」


 セリアーナはそう言うと、こちらに抱えていた【浮き玉】を渡してきた。

 俺は返事をしながら【浮き玉】を受け取ると、すぐに浮き上がる。


「ただいま!」


 既に男はここの兵たちに取り抑えられている。

 握り潰された腕はともかく、【琥珀の剣】のダメージは痛い事は痛いだろうが、大したことないだろうし、命を落とすようなことはないだろう。

 人質にされていたおばさんも無事救助されたし、切羽詰まった状況は脱することが出来たはずだ。


 それならお次は。


「残りはどうする? って、逃げられる!?」


 残りの3人はどうしようかを、セリアーナから指示を仰ごうと思ったんだが、その3人はドアに向かって走り出していた。

 もう半ば程まで到達しているし、俺が男に仕掛けたタイミングで逃げ出したのかもしれないな。


 中々悪く無い判断だ。


 犯人である男の側にいた兵たちは皆男に注意が行っているし、そこから離れた場所にいる者は、こちらの状況を把握出来ていないだろうし、あの3人のことはただ入口に走っているだけにしか見えないだろう。


 先程は前を空けてと言ったときは、ただ単に数歩下がるだけのことだから、黙って言うことを聞いてくれたが、「捕らえろ」という命令はどうなるか……。


「倒してくる!」


 俺はセリアーナの言葉を待たずに、逃げる男たち目掛けて突っ込んで行った。


 ◇


「くそっ!? なんだアレは!」


「知らん! だが、外に出さえしたら……」


「ああ。おいっ! 怪我をしたくなければどけっ……!?」


 外に出さえすればどうにかなる……的なことを話して、入り口を目指して走っていた男たちは、まず右端を走っていた1人が俺の風を纏った体当たりを受けて、吹っ飛んでいった。


「追いついたのかっ!?」


 大分先行していたし、まさか追いつかれるとは思っていなかったんだろう。

 真ん中の1人が焦り顔でそう言ってきた。


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「……くそっ、なんなんだお前は!?」


 俺の体当たりを受けた男はそこまではダメージは無かったようで、多少よろめいてはいるものの、立ち上がるなり俺を睨んできた。

 出来れば1人は倒しておきたかったが……所詮は風をぶつけただけだし、こんなもんだろう。


 倒すだけなら背中目掛けて蹴りをぶち込めばよかったんだろうが……港や船上で戦った連中のように、【緋蜂の針】の一撃に耐えられるかわからないし、屋内にも拘らず、弱い魔物を蹴った時のようにグロイことになったら、いくら緊急事態だったとはいえちょっと申し訳がないからな。


 だが、それにしても。


「なんなんだって……オレのこと知らないの?」


 別にこの考えは自意識過剰ってわけじゃないよな?

 自分で言うのもなんだけど、詳細はともかく、セリアーナを知っていて俺のことを知らない奴ってそうそういないと思うんだが……。


 と、こちらに向けて構えている3人を眺めながら、そんな事を考えていたんだが……どうやら答える気は無いらしい。

 まぁ……もしかしたら深く考えずに、ただ口をついただけかもしれない。

 俺だって、もし目の前に俺みたいのが現れたら、たとえ知っていてもそう言っちゃうかもしれないしな。


 それより気になるのは、男たちが後ろのドアをチラチラ見ていることだ。


 入り口のドアの前には、そこを守る兵が剣を抜いて構えている。

 実力は……そこまでじゃない気もするが、それでも後ろに俺がいる状況で、簡単に突破できるような相手じゃないだろうし。


 ……脱出することよりも、ドアを開けることが目的なのかな?


「大人しく捕まったらそんなに痛い目にはあわなくて済むかもよ?」


 とりあえず探ってみるか……と、適当なことを言ってみた。


「君たちはまだ何もしていないんだし、オレが口添えしたら、精々話を聞かれるくらいじゃないかな?」


 それは本当だ。


 実際のところ、こいつらがどこの関係者として入り込んだのかはわからないが、やったことは走って逃げようとしただけだしな。

 雇用計画的な面では突っ込まれたりはするかもしれないが、少なくともそれは俺がどうこう言うようなことではない。


「おい……もう動けるな? 気を付けろ……さっきのアイツをやったのは【琥珀の剣】だ」


「……ああ。それと両足もだな」


 無視か。


 そして、返答の代わりに、真ん中の男が俺の体当たりを食らった男へ声をかけている。


 コイツは先程の俺の戦いを見ていたらしく、その様子を伝えていた。

 走りながらだし、詳細まではわかっていなかったようだが、【琥珀の剣】の存在は知っているようだ。

 ここに出入り出来ているくらいだし、そこそこハイソな界隈と関係があるのかな?


「さっさと片付けるぞ。外に出たら仕事は完了だ」


「おう」


「ああ、それと妙な技にも気を付けろ。軽いが俺を吹き飛ばすほどだ」


「加護か……わかった。ヤツの周りには妙な光も散っているし、他にもあるかもしれねぇ」


 俺に聞こえているのも気にせず、構えながら話す男たち。


 コイツらの素性もちょっぴり気にはなるが……それは後だな。


 コイツらもやる気になっているし、外に逃げられたら何かやらかしそうだし、さっさと片付けてしまうか。


 コイツらが知っている俺の情報は、【浮き玉】と【琥珀の剣】と【緋蜂の針】と【足環】だけだ。

 後は【風の衣】もかな?


 色々知られている気もしなくはないし、警戒もされているようだが……別に問題無し。

 余裕だな!


 ◇


【琥珀の剣】を発動して、左手に持った俺は開いた右手を3人に向けて突き出した。


「来るぞ!」


「魔力は感じない、牽制だ!」


 男たちは、顔を防ぐように腕を顔の前にやると、俺めがけて突進してきた。


「ふらっしゅ!」


 先制で俺は3人の真ん前に魔法を撃ちこんだが、顔の前の腕で光は遮れているようで、駆け寄ってくる速度に変わりはない。

 勘がいいし、中々優秀じゃないか。


 ただ……今回の目的は足止めじゃなくて、一瞬でも視界を奪うこと。

 魔法自体は不発でも、自分たちで塞いでくれているし、十分成果有りだ。


 俺は【浮き玉】の高度を上げて、男たちの頭上に抜けると、まだバレていない尻尾を発動した。

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