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 セリアーナと男の会話は、それ自体には大して意味や内容は無い割に、それなりに続いていた。


 ただ、セリアーナが引き延ばしたりしているのではなくて、いつの間にか男が会話をリードしているんだよな。

 襲撃をあらかじめ予測していた俺たちだけじゃなくて、周りの者たちも、セリアーナが話を聞く気があるのならさっさと要求を言えばいいのにと思っているんだろう。


 そして、同時にこの男はただ単に話を引き延ばそうとしているんじゃないか……と、気付いたようだ。

 男を包囲していた兵たちは、今まで刺激しないように遠巻きに大人しくしていたんだが、徐々に隊列を組んでいったりしている。


 これまではずっと何の動きも無かったからなぁ……。

 お陰で、俺がセリアーナに命じられた、周囲の反応を見るって役目を果たせそうだ。


「……む」


 少しずつ包囲の輪を狭めているにも拘らず、逆に後ろに下がって行く者が3人ほど。

 ……妙だな?


 早速怪しい動きが目に留まった。

 彼等が犯人の協力者なのか何なのかはわからないが、どうにかしてこれをセリアーナやリーダーたちに伝えないとな……。


 俺がそんなことを考えている間にも話は進んでいて、ちょうど男の話が途切れていた。

 そこに、今までは男の言葉に返すだけだったセリアーナが、自分から話題を振った。


「直に私の夫たちが兵を伴ってこちらにやって来ます。いつまでもそうしてはいられませんよ?」


 全くだ。

 現状、この男がやっているのはただ単に時間を使っているだけ。

 何か別の目的があって時間を稼いでいるってんなら、まぁ……わからなくもないが、この状況でなにが出来るのか……。


 壁が何枚も間にあるから正確にはわからないが、向こう側の部屋の外に、それなりに力のある者が何人かいるのが見える。

 俺たちが廊下に出てきた時にはいなかったはずだし、男が時間を稼いでいる隙に、この建物の外を警備していた兵が回り込んで来たんだろう。


 セリアーナも、加護の範囲や精度を落としているとはいえ、すぐ側の出来事だし気付いているはずだ。

 だからこその今の言葉かな?


「ふん……それはどうでしょうな」


 しかし、セリアーナの言葉に、男は口調こそ乱暴ではないが雑な態度で返してきた。


「だが、確かに頃合いだ……」


 何が頃合いなのかはわからないが、男はそう呟くと周囲をギロっとひと睨みして、人質を見せつけるように突き出した。


 それを見て、兵たちは静かに一歩下がった。

 彼等も男をどうにかすることよりも、人質を無傷で救出する方が大事なんだろうな。


 ってことは、兵たちとの連携も難しそうだし……このまま待つのが一番かな?


 そう考えて「ふむぅ……」と、小さく息を吐いていたんだが……。


「セラ!」


「ほぁっ!?」


 唐突に名を呼ばれて、ついつい変な声を出してしまった。


 気を抜いていたわけじゃないが、まさか俺の名が出て来るとは思っていなかったからな……。

 びびったぜ。


「……なに?」


 とりあえず何の用かと訊ねると、男は空いた方の手で建物の入り口を指すと、口を開いた。


「あんたに外に繋がるドアを開けに行ってもらう」


 そして、今度は俺やセリアーナに見せるように、人質の女性を突きつけて来た。


 女性は40歳前後くらいのおばさんだが、それほど長時間ではないとはいえ、刃物を突き付けられての人質という状況に大分参っている様子だ。

 このおばさんも、見た感じ貴族ではあるが西部の人っぽいもんな。

 荒事には慣れていないんだろう。


 刺激しないように、大人しく言うことを聞いておこうと思うんだが。


「……ドアを? そりゃ、いいけど……」


 セリアーナを見ると、彼女も俺を見て小さく頷いた。

 俺がここから離れて、1人で開けに行くことに問題はないようだが……何のためにドアを開けるんだろうな?


 いくらドアを開けたからって、人質を抱えたままでここから逃げられるとは思えないぞ?

 もしそのために人質を手放せばすぐに周りの兵に取り押さえられるだろうし……。


 いまいち男の考えがわからず首を傾げつつも、かと言って無視するわけにもいかないし、俺はゆっくりと進み始めたが。


「さっさと開けに行け! ああ……それと、その玉からは降りて歩いて行くんだ」


「なぬっ!?」


 男の追加の要求に、俺は思わず声を上げた。


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 男は俺に【浮き玉】から降りるように言うと、一瞬視線を下げた。

 向いた先は、赤い布を巻いた俺の足だな。


「その足は怪我をしているわけではないのだろう? ゆっくり歩いてドアを開けに行け! いいか、妙な真似はするなよ?」


「いや……そりゃしないけどもさ……」


 ドアを開けに行くこと自体は問題無いんだが……【浮き玉】から降りてか。

 降りるだけして【浮き玉】を抱えていって、「降りてるよ」とかそんなトンチを言える状況でもないし、歩くしかないってのはわかるんだが……。

 わかるんだが、いざこういう状況でそうするってのは、ちょっと緊張するな。


 さて、どうしたもんか……。


 素直に言うことを聞くのを躊躇っていると、俺を見ていたセリアーナが口を開いた。


「セラ、降りてドアを開けに行きなさい」


 さらに向こうでは男が小さく頷き、顎でドアの方を指している。

 さっさと開けに行かせたいんだろう。

 今まで時間稼ぎのような真似をしていたが、どうやらそれはもう終わりらしい。


 それとも、セリアーナから俺を引き離したいのか……。

 ともあれ、俺は「了解」と答えると、【浮き玉】から降りて、セリアーナに預けるために抱え上げると、彼女の前に歩いて行った。

 そして、セリアーナもそれをわかっているようで、軽く腰を曲げて俺から【浮き玉】を受け取ったんだが……。


「3人ほど妙な男がいるから気を付けなさい」


 その際に、小声でそう伝えてきた。


 3人って言うと……あいつらか。

 俺の気のせいじゃなかったみたいだな。


「どうした? さっさと行け!」


「はいはい……デカい声出さなくても聞こえてるよ。ちょっと、前邪魔だから空けてよ!」


 急かしてくる男に適当に返事をすると、俺は包囲を解くように周囲の兵たちに指示を出した。


 彼等は俺の命令を聞く義理は無いんだろうが……事情が事情だし、不服そうではあるものの、大人しく全員壁際へと下がって行く。


「よし……」


 前が空いて入り口のドアが見えたところで、俺はドアを開けに行くために一歩踏み出した。


 ……たかがドアを開けるために何でこんな大袈裟な覚悟をしなきゃいけないんだろうな?


 ◇


 テクテクと歩き始めると、徐々に緊張は解れてきた。

 お陰で周りの様子がよくわかること。


 まず今は男の前を通り過ぎているが……もう俺への警戒は解かれている。


 どれくらい俺の情報を持っているのかは知らないが、【浮き玉】無しの俺は警戒に値しないんだろう。

 セリアーナと、彼女のすぐ脇に控えているリーダーにだけ集中しているようだ。


 人質のおばさんは……もうただ捕まっているだけだな。

 抵抗する気力も残っていないし、そもそもする気も無さそうだ。


 セリアーナの側には、リーダーともう一人が付いているから、もうここから後ろのことは気にしなくて良し……と。


 それじゃー、前はどうなっているか。


 先程の俺の指示で脇にどいた連中は、犯人の男に集中しているな。

 中には俺にも意識をいくらか割いているのもいるが……まぁ、身元のハッキリしている小娘が、入り口のドアを開けに歩いて行くだけだし、いちいち気にしたりはしないだろう。


 この護衛の兵たちが包囲を狭めようとしていた時に、逆に包囲の外に下がるような妙な動きを見せた3人は、いつの間にかさらに下がっていた。


 そして、まだ距離があるのに俺の挙動を見逃さないように視線を向けている。

【浮き玉】を預けた際に、セリアーナが伝えてきた妙な男ってのはこいつらってことでいいよな?


 何かをしてくるとは思わないが……【浮き玉】から降りた状態で前を歩くのはちょっと嫌だな。


「…………ふぅ」


 一瞬だけ襟元からアカメを出して、つい今通り過ぎた後ろの様子を探らせたが、セリアーナ以外は俺に視線を向けていない。

 護衛の2人ですらだ。

 犯人との距離はまだ5メートル程かな?


 ……やれるな。


 俺は歩調を変えずにさらに数歩ほど歩き続けた。

 歩幅が狭いから、大して距離がズレていないのがありがたい。

 たまーにチビなのが役に立ったりするんだよな……。


 まぁ、いいさ。

 それじゃー……!


 俺は右足の【緋蜂の針】を発動すると同時に一気に振り返った。

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