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902


 部屋に入って俺が明かりをつけている間に、セリアーナは彼女が普段使っている机に向かって行った。

 そして、引き出しを開けて何やらゴソゴソと……。


「これを読んでおきなさい」


「なにこれ?」


 なにしてるのかなーと近づくと、引き出しから出した物をこちらに渡してきた。

 とりあえず受け取ってみたが、形だけなら薄い本だが、装飾が施されているわけじゃないし、セリアーナの所持品にしては少々安っぽい。

 ……何かのファイルみたいだ。

 少なくとも本じゃ無いな。


 中身はなにかな?


「一人で外に出たいといっても、何も冒険者ギルドやダンジョンだったり、王都の外に行きたいわけじゃ無いんでしょう?」


 セリアーナは、渡してきた物が何かを教える前に、俺が何をしたいのかを訊ねてきた。


「うんうん。ちょっとフラフラーって飛んできたいなって」


 彼女が言うように、お出かけといっても、俺がやりたいのはお散歩だ。


 まぁ……そろそろ一月くらいはまともに狩りをしていないし、王都のダンジョンや街の外の狩場が気にならないと言えば嘘になるが、流石にそんな状況じゃ無いことは分かっている。

 自重は出来るさ。


 ただ、久々の王都だし、観光という訳では無いが、ちょっと外を見て来たいって気持ちもある。


 リアーナの屋敷では、俺が一番色んな場所を動き回るだろうしな。

 折角王都に来たんだし、色々見ておけば何かと比較が出来るかもしれない。


 勉強だ勉強。


「んで、これはなんなの?」


 ってことで、再度これは何なのかを訊ねた。


 セリアーナは机から離れて、今はソファーに場所を移している。

 必要なのは、これ一冊だけでいいみたいだが……。


「王都内で店舗を構えている商会の事情について纏めた物よ。夕方話したでしょう? 内部がゴタついている店もあるって」


「……ああ。王都に出店しているいくつかの店が、店主とかが入れ替わったりしてるんだったね。理由は内部の権力争いとかだったっけ?」


 俺は、夕方のセリアーナとの話を思い出しながら答えると、セリアーナは頷き手を伸ばしてきた。


「コレ? ほい」


 渡されたばかりだが、再びその伸ばしてきた手の上にファイルを置いた。

 受け取ったセリアーナは、何やら手招きをして自分のすぐ隣を指している。


「ふぬ?」


 中身の見方でも教えてくれるのかな……と、隣に座ると、セリアーナはファイルを開いて、内容を読み上げ始めた。


 ◇


 セリアーナが読み上げたファイルの内容は、簡単に言うと、王都内の貴族を相手に出来る店舗の情報だった。


 といっても、ただのお店情報ではない。


 取り扱っている品から主要取引先、さらに、内部の人事情報や本店の場所。

 そういった、健全というか……比較的表向きの情報だけでは無くて、それこそ、セリアーナが王都の他の奥様方から仕入れた、商会内の揉め事の詳細や、従業員たちのプライベートな情報までがしっかりと記されていた。


 夕方、簡単にだが聞いてはいたが、いやはや……改めて目の当たりにすると、ビックリだ。


「ねぇ、これって他所の奥様方も持ってるの?」


 セリアーナがこの話を聞いたのは今日のはずだ。

 彼女は筆が速い方だと思うが、それでもこんなファイルを短い時間で作る事は出来ないだろう。

 ってことは、事前に誰かが用意していたってことだ。


「王都にいる東部閥の人間が用意した物よ。他所の派閥はまた違う物が出回っているでしょうけれど……内容は似た物だと思うわね」


 セリアーナは、ファイルをパラパラめくりながらそう答えた。


「そんなんやってるんだね……」


「ただ集まって話をするだけだと思っていたの?」


「いや、流石にそれだけじゃ無いとは思ってたけど、いまいちどんな事やってるかの想像がね……アハハ」


 笑ってごまかすと、「フッ」と、鼻で笑われた。


 うむ。

 ばれてるな。

 しかし、派閥ってそんな事までカバーしていたんだな。


 貴族の男性は、何となくどんな仕事をしているかの想像はついていたんだ。

 セリアーナが、リアーナの屋敷で日頃行っている仕事は、リーゼルの補佐だもんな。

 それを見ていたし、じーさんや、少しだがゼルキスの親父さんの仕事も近くで見たことがあった。


 だから、どんなことをするのか想像がついていたが、派閥に所属する家の女性はどんなことをするのかって、あまり考えた事が無かったんだよな。

 リアーナじゃ、ほとんど縁が無いことだったし……。


 王都に来てからは、セリアーナが派閥の奥様方とお茶会なんかをしていたが、あれだけかと思っていたんだが……。

 こういった刊行物もあったのか。


 派閥って、SNSとか同人活動みたいなものも、含まれてるのかもしれないな……。


「……ふふ」


 セリアーナは、ついつい笑い声が漏れてしまったのを聞き逃さなかったらしく、怪訝な顔でファイルを見せてきた。


「何を笑っているの? 私は一人で出歩く事を反対はしないけれど、少なくともこの内容を頭に入れてからにしないと、リーゼルも許可は出さないわよ?」


「はーい」


 それは困るな。

 気合いを入れ直して、ファイルの中身を頭に詰め込もう!


903 セリアーナ・side その1


「奥様、セラ様。お客様がお帰りになりました」


客の見送りに部屋を出ていたイザベラが戻ってきた。


加護で外の様子を軽く見てみると、馬車はもう大分離れたところを走っている。

位置でいうなら、そろそろミュラー家の屋敷を超える所だ。


街の外を走るような速度ならともかく、この近所を走る馬車は、人が歩く速さと大差ない速度で走る事になっている。

イザベラは馬車が敷地を出るまで見送っていたのだろう。


「ええ、ご苦労様。今の分で朝の面会予定は終わりね。貴女も下がっていいわ」


午前に入っていた面会の予定は全て消化した。

王都に滞在するのも、もうあと1週間も無いし、最近は面会の申請もさらに増えてきている。

もっとも、その大半は断ることになっているが……。


ウチほどではないが、身分の高い相手も増えてきたし、これがただの面会なら断るのも難しい。

ただ、セラの都合と言えば簡単に相手も引くだけに、手間がかからずに済んでいる。


相手も、私……というよりは、リアーナ領の領主夫人と繋がりを持つという目的もあるが、それだけではなくて、セラの施療が目当てだったりもする。

むしろ、私との繋がりを持つだけならば手紙だけでも済むし、多少印象は薄れてしまうが、わざわざ屋敷を訪れなくてもいいだろう。


にもかかわらず、これだけの面会の申請が来るということは、セラの施療が目当ての者が、それだけ多いという事だ。

これまでに受けたことがある者もそうでない者も、どちらもいるが……相変わらずの評判だ。


それだけに、セラに無理をさせられないと言えば、セラが比較的高い頻度で、王都を訪れる事が出来る事は知られているし、簡単に断ることが出来る。


その対応はイザベラに任せているが、来年以降のセラの調整は、正式に家に入ったミュラー家に任せることになるし、セラの名前を使った社交が出来るのは今年までだ。

まだまだ王都屋敷での社交の経験が浅い彼女にとっては、いい経験になるだろう。


頭を下げて、部屋を下がっていくイザベラを眺めながら、そんな事を考えていると、隣から小さなため息が聞こえてきた。


「……ふぅ」


「疲れたかしら?」


「んー? そこまで疲れてはいないけど……緊張はしたかな。今日の奥様たちって、皆偉い人たちなんでしょう?」


疲れていないと口では言っているが、実際はどうなのか。

セラは、だらしなくズルズルとソファーの背もたれを滑っていた。


……これは疲れているわね。


「偉いかどうかは一概に言えないけれど、身分は比較的高いわね」


今日の相手は、主に城の各部署で文官たちを束ねる立場の夫を持つ、夫人たちだった。

爵位は伯爵家が中心で、領地こそ持っていないが、外交・内政・それぞれに影響力を発揮出来るし、国を運営するにあたって、重要な位置にいる者たちだ。

身分が偉いかはともかく、立場は重要な事に間違いない。


「でも、私やリーゼルの方が上だし、お前も家格では対等よ。偉ぶる必要は無いけれど、お前目当てに来ているのだし、少なくとも下の振る舞いをしなくていいのよ」


セラは、私の言葉を聞いて、眉根を寄せて変な表情をしている。

立場が変わってまだ数日だし、それで慣れろというのは酷な話だろうか?


「今日って、この後はもう面会ないんだっけ?」


話を変えたかったのか、セラは午後の予定を訊ねてきた。


「事前の面会申請は来ていないわね。昨日渡したファイルでも読みたいの?」


「うん。いいかな?」


「好きにしなさい。全てを頭に入れておく必要は無いのよ?」


昨日渡したファイルに記された情報も、何も全てが重要なわけではない。

記憶するのは、関わる可能性がある店だけで十分なのだが……。


「うん……。まぁ、一応覚えられるだけ覚えておこうかなって」


この娘は、普段は大雑把なのに、妙なところは細かかったりする。

もちろん、覚えておいて困る事はないし、本人がそれでいいのなら好きにさせてもいいだろう。


もっとも……。


「王都の滞在期間は限りがあるのだし、何でもかんでも覚えようとしたら間に合わないから、ほどほどに……ね」


覚える事ばかりに気を取られて、日程を忘れられては困るし、念のため釘をさしておくことにした。

セラは小さな声で「はーい」と言ったが……まあ、また後日訊ね返せばいいか。



さて、昼食をとった後セラと別れた私は、リーゼルが普段使っている談話室に向かうことにした。

朝は出かけていたが、先程屋敷に戻って来てから、そこに居るのは分かっている。


「おや? 今日はセラ君は一緒じゃないのかい?」


「ええ。部屋でファイルを読んでいるわ。外の用事は片付いたのかしら?」


「つい先程ね。ファイルというと……昨日、君が派閥の御婦人から頂いたと言っていた物かな?」


「そうよ。その事で少し話があるわ」


昨晩軽く触れただけの事なのに、相変わらずよく覚えている。

現物はセラの手元にあるが、この分なら口で説明するだけでよさそうだ。

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