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732 セリアーナ side 2


「奥様!? ご無事でしたか……」


 通路を抜けて井戸から地上に戻ると、気付いたリックが駆けつけてきた。

 私たちが下にいた間、こちらにもレイスが現れて戦闘が行われていたのは把握できていたが、周囲を見ても特に荒れた様子はない。

 強いて違いを挙げるなら、井戸を囲むように端材で作った柱と屋根が出来ている事だろうか。

 そういえばセラの加護が切れているのに雨に濡れなかった。


「私は問題無いわ。それよりも貴方たちは? 戦闘があったはずだけれど……」


「はっ。レイスが7体現れましたが、出現は1〜2体ずつの少数が4度で、討ち漏らすことなく全て討伐済みです」


 なるほど……少数ずつだったから、戦い方を選べたのか。

 地上に残った戦力で、まともにレイスと戦えるのは数人だったが、この分なら被害は出ていないだろう。


「結構。下の問題は片付けたわ」


「おおっ! それは何よりです。……セラ副長は負傷されたのですか?」


 私の報告を聞いたリックは、事態の解決に喜んだ表情を見せたが、すぐにセラの様子に気付いたようだ。


「少し無理をし過ぎただけよ。後は地上の問題ね……。フィオーラ、貴女はセラを屋敷へ連れて行ってもらえるかしら? ここはもう私たちだけで大丈夫よ」


「そうね……ついでにその娘の治療をしておくわ。エレナに伝言は?」


 セラを受け取ったフィオーラはそう言ってくるが……今のエレナは乳母やロゼと共にいる。

 あまり込み入った話はし辛いだろう。

 解決した事だけ伝われば十分だ。


「特には無いわね。私もこちらがひと段落したら戻るから、それまで屋敷をお願い」


 フィオーラは「わかったわ」と一言だけ呟くと、魔法で風を自身に纏わせて飛び去って行った。

 セラの【風の衣】と似た効果なのか、風が雨を弾いている。

 初めて見るが、新しく作ったんだろうか……器用なものだ。


「奥様、これより本陣を冒険者ギルドに移そうと思いますが、構いませんか?」


 フィオーラの姿が見えなくなると、後ろに控えていたリックがそう提案してきた。

 雨も降っているし、夜明けまでまだ時間がある。

 これからやる事を考えたら、明るい屋内に移動した方がいいだろう。


「わかったわ。テレサ」


「はい。参りましょう。リック隊長、私たちは先に向かいます。あの井戸はもう安全でしょうが、それでも監視は続けておいて下さい」


「はっ。こちらも完了次第向かいます」


 テレサは彼に頷くと、冒険者ギルドに向かって【浮き玉】を発進させた。


 ◇


 冒険者ギルドに到着すると、私たちは支部長室へ向かった。


 人が集まるには少々手狭な部屋ではあるが、街の詳細が記された地図を広げるにはこの部屋が一番だろう。

 支部長のカーンは私たちが屋敷から出て来た時はいなかったが、教会地区にいた間に彼も報告を受けたのか、ロビーで冒険者たちと共に待機していた。

 アンデッドの対処はもう終えているが、あの地下の調査などでも冒険者に協力を要請する事もあるだろうし、それにはカーンは不可欠だ。


 しかし……。


「随分散らかっていますね」


「はっ……申し訳ありません……」


 テレサを前にカーンは大きな体を小さくしている。


 テレサが言うように、この部屋は随分と散らかっている。

 汚れているわけではないが、書類や資料が部屋中に積まれていて……ただでさえ決して広い部屋ではないのに一層狭く感じた。

 リックからこちらに本陣を移すと話は来ていたようで、片付けようとした痕跡はあるが……そもそも物が多過ぎる。

 

 そういえば、いつだったかセラが似たような事を言っていたわね……。

 この建物も建て直した際に大分余裕を持たせていたはずだが、時期を見てさらに増築する必要があるかもしれない。


 ともあれ、それは後の事。


「もうリックたちもこちらにやって来るし片付ける時間は無いわね。場所を変えましょう。……カーン?」


「……はっ。会議室はいかがでしょうか? この部屋に比べると少々防諜面で不安はありますが、今の時間ならば問題ありません」


「結構。もっとも聞かれても困る様なことは無いけれどね……。移動しましょう」


 時刻は夜明け前だ。

 昼間と違って、この建物の中にいる人間の数はたかが知れている。

 地図こそ広げるが……職員の出入りを禁じれば問題無いだろう。


 私たちはそちらに移動する事にした。


 ◇


 支部長室から移動した会議室は、屋敷の私の部屋と同じくらいの広さだった。

 出入り口が2つあるが、1つは兵士が警備に立ち出入りを制限している。

 内密の話をするにはこの部屋は少々不向きではあるが、これなら事前にチェックできるし問題無いだろう。


 部屋の中には、私たちの他には商業ギルドの支部長もいる。

 リックが教会地区からこちらに移動する際に、必要と考えたのか彼を連れてきた。

 連行……ともいえるだろうか?

 今回の件は商業ギルドには話が行っていないから、1番隊隊長の急な登場から始まる事態の展開について行けない様で、未だ委縮している。

 少々気の毒には思うが、このまま付き合ってもらおう。


「それでは、我々は捕縛に向かいます」


「ええ。住宅街だからあまり派手な真似はしないように気をつけて頂戴」


「はっ!」


 短く返事をしたリックは足早に会議室を出て行った。


733 セリアーナ side 3


「テレサ」


「はい」


 会議室の机の上に広げられた街の地図は、領都内の建物の配置だけではなく、所有者や住人といった詳細まで書き込まれていて、リーゼルの執務室と私の部屋、騎士団本部とこの冒険者ギルドにしか置いていない代物だ。

 その地図にはいくつか駒が置かれているが、私が指示棒で指した場所の一つをテレサが倒した。

 それを見た商業ギルド支部長……確か名前はクラウスだったか?

 その彼は地図上の駒を見ながら小さな呻き声をあげている。


「貴方の管理不足だなんて言わないから安心なさい」


「はっ……お気遣いありがとうございます」


 私の言葉に、クラウスはさらに身を小さくして答えた。

 気の毒な気もするが……しばらくこのまま気まずい思いをしておいてもらおう。



 教会地区でのアンデッドを処理した私たちは、この領都内で教会と未だに繋がりを持っていた者たちの捕縛を開始した。


 元来教会自体は違法施設という訳でも無いしそこへの支援も同様で、リーゼルの赴任以来、為政者側は明確に教会とは距離を置いているし、住民も徐々にそうなってきている。

 だが、だからといって支援をした程度では捕らえるような事は出来ない。

 何かしらの意図があって支援をしているのか、ただ単に慣例で続けているのかの違いが分からないという事もあったし、今まで教会同様放置していた。

 たとえ私に敵意を抱いている者たちを自宅に留まらせていたとしてもだ。


 その連中は、護衛だったり冒険者としてこの街にやって来た者たちだし、それだけで捕らえるのは、外からの冒険者を広く求めているこの街の性質を考えると、不都合が多く目を瞑っていたのだが……今回の件で介入する口実が出来た。

 少々こちらの想定を上回る事態だったが、元より今回の事を機に手入れをするつもりで準備を進めていたし、このまま進めていけるだろう。


「奥様……その……この者たちはどうなるのでしょう」


 ……そんな事を考えながら、捕縛された者たちの名が記されたリストを見ていたが、クラウスが恐る恐るといった様子で声をかけてきた。

 もう残りは数ヵ所まで減っている。

 そろそろ彼にも働いてもらう頃だし、加えようか……。


「悪質な者……たとえば敵対勢力をかくまう様なことをしていなければ、そう大した事にはならないわ。精々雨季の間、尋問を受ける程度ね」


 捕縛された者たちの収監先は、街の外の宿舎と騎士団本部の牢獄の2ヵ所に分けられている。

 悪質で無い者たちは前者で、そうで無い者は後者だ。


 私の言葉を聞いて、クラウスはようやく今までの緊張が解けたのか、ホッとしたような表情を見せた。

 だが、彼が大変なのはここからだ。


 悪質な者もそうで無い者も、大きな商いを営んでいるわけではないが、それでも昔からこの地で商売をしている者たちだ。

 雨季で人の出入りが少ないとはいえ、その彼等が尋問を受けたとなると何かと影響はあるだろう。

 これを機に、外から来て今はまだ店を構えていない商人たちが動き出すかもしれない。

 それを混乱なく収めるのが彼の役割なのだが……荒事よりかはこちらの方が彼に取っては気が楽なのかもしれないか……まぁ、それは彼に任せよう。


 それよりも……。


「今、最後の家も完了したようね」


 住宅街ではあるが、夜明け前な事と雨が降っている事もあって、捕縛に動いている事は気付かれなかったようで、特に騒ぎを起こす事無く完了させることが出来た。

 元々ここまでの流れは想定していた事だったが……。

 教会地区で起きたことは少々予想を超えていた。

 なんとか街に被害を出すことなく治める事は出来たが、それもセラが無理をした結果に過ぎない。


 ……私もリーゼルもまだまだということか。

 思わず溜息を吐いてしまっていると、兵たちに指示を出していたテレサがこちらに向かってきた。


「奥様、こちらは私が引き受けますから、屋敷のセラ副長をお願いしてもよろしいでしょうか?」


 大方私を屋敷に帰らせるためにそう言ったのだろうが……。

 テレサはセラの事を普段は「姫」と呼んでいるが、今は仕事中という事もあって肩書きを付けて呼んでいる。

 それが当たり前なのだが、どうにも前者に慣れ過ぎて違和感を感じてしまう。

 その事がおかしくなり、返事の前についつい笑いが漏れてしまった。


 気を使わせてしまったが、疲れが溜まった事も確かだ。

 日頃から加護は使っていて長時間の発動には慣れてはいたのだが、今まではこんなことは無かった。

 今回の様に私自身が現場に出る事は今まで無かったし、そのせいかもしれない。

 セラの様子も気になるし……ここは大人しく彼女の言葉に甘えるか。


「……そうね、後は任せるわ」


 私がそう言うと、カーンがすぐに護衛の兵を呼ぼうとしたが、それを断った。

 どうせ地下通路を使うだけだし、たまには一人になるのも悪く無いだろう。


 見送る彼等を後に、私は地下通路へと向かった。


 ◇


 屋敷に帰還後、まずは子供部屋を守るエレナの下に向かった。

 フィオーラからも報告は受けていただろうが、それでも私が戻るまでは子供たちの護衛についていてくれたことに感謝だ。

 この部屋はロゼに任せて、私はエレナと共に自室に向かった。


「お帰りなさい」


 部屋に入りさらに奥の寝室のドアを開くと、ベッドに眠るセラと、ソファーに座るフィオーラの姿が目に入った。


「セラは?」


 セラは腕に包帯を巻いていた。

 ポーション類は揃っているし治療手段には事欠かないはずだが……完治していないようだ。

 フィオーラはそのセラを前にしても普段通りだし、状態が悪いという事は無いのだろうが……。


「少し完治は遅れるけれど、問題無いわ。それよりも、汚れを落として来たらどう? 準備はさせたけれど、この娘を診ていたから私もお風呂はまだなのよ」


 セラの様子は気になるが、フィオーラが言うように地下に潜っていたせいで埃っぽいままだ。

 着替えもしたいし、ここは2人に任せて風呂に入るか……。


「……そうね。エレナ、ここをお願い」


「ええ。ごゆっくりどうぞ」


 ◇


「……ふう」


 汚れを落としてから浴槽に身を沈めると、ついつい深い息が漏れてしまった。


 先程加護を発動して領都内全体を調べてみたが、街中の敵対者は全て捕縛している。

 もちろんこれで全ての問題が片付いたという訳ではないが、この街に来て以来ずっとちらついていた目障りな存在が処分出来た。

 久しぶりに気を休める事が出来るだろう。


 数年前の王都でセラが倒れた時は、数日寝込んでいたが……今回はどうだろうか?

 領主代理としての仕事もあるだろうが……しばらくは私もゆっくり休むのも悪くないかもしれないわね……。


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