320

712


 雨季前のリーゼルの執務室はいつも忙しかった。

 街の整備に冬の準備と職人たちの手配に、冒険者関連のアレヤコレや……。

 領都だけでもこれだけあるのに、領地全体を見なければいけないんだ。

 いざ雨季に入ってしまえば暇になるが、その前はそりゃー忙しかろう。


 だが、今年は暇だ。


 前倒しで終わらせられる事はやっているし、いくつかの作業も今年は見送っているためだな。

 まぁ、平時ではないって事なんだろう。


 ただ、ここで問題となるのがリーゼルが不在だという事だ。


 例年、雨季は俺やセリアーナはゆっくりしているが、今年は彼女が領主代行を務めている。

 たとえ暇であろうと彼女は執務室にいなければいけない。

 こういう風にぽっかりと纏まった時間が出来たりすると、領都内の女性貴族を屋敷に招いてお茶会を開いたりもしていたが、ここに呼ぶわけにもいかないからそれも出来ないでいる。

 リーゼルがいないから暇が出来るも、リーゼルがいないから暇を潰す事も出来ない。

 ジレンマだね。


 ◇


 昼も過ぎて少々ダレてきた時間帯になったが、それでも執務室を離れるわけにはいかず、退屈な時間を過ごしていた。

 文官なら細かな日常業務があるからいいし、エレナもテレサも何だかんだで仕事があるのだが、セリアーナは彼女の席に着いてはいるものの、本を読んでいるだけだ。

 そして、俺の今の役割はセリアーナの侍女兼護衛で、彼女から勝手に離れるわけも無く俺もこの部屋に詰めている。


 昼寝でもするかな?

 なんてことを考えていると、カロスが部屋に入ってきた。


 リーゼルの執事である彼と侍女であるロゼは、リーゼルについて行かずに屋敷に残っていた。

 リーゼルがいる時はこの部屋で彼のサポートを担当しているが、今は屋敷の仕事全般に目を通してくれている。

 だからこそ屋敷が上手く回っているんだが……ちょっと上手く回り過ぎちゃってるな。


 さて、そのカロスだが部屋に入って来るなりセリアーナの下へと向かった。

 何かあったのかな?


「奥様、こちらを……」


 カロスから何かを受け取ったらしいセリアーナは、しばし間を置くと俺の名を呼んだ。


「セラ」


「なに?」


 寝転がっていたソファーから体を起こして彼女を見ると、なにやら手招きをしている。

 そちらへ向かうと、こちらに紙を1枚渡してきた。

 安っぽいし……正式な書類じゃないっぽいな。

 カロスが持って来た物なんだろうが……。


「どれどれ……? ほぅ」


 受け取り中身を読んでみると……なるほど。

 それは使用人からの物で、屋敷内の細々した高所作業に俺を借りたいらしい。

 室内や廊下程度ならともかく、ホールの天井に設置された魔道具とかは、彼等じゃ管理できないからな。

 雨季の点検の際に、一緒に職人に任せていたそうだ。

 そういえば、ゼルキスのお屋敷でもそうだったな。

 俺も短い期間ではあるが、滞在中は手伝ったりしていた。

 懐かしいね。


「オレは構わないけど、どうしよう?」


「どうせ暇でしょう? ここには2人が居るからお前が行っても問題無いわ」


 チラっとテレサとエレナを見ると、小さく頷いている。

 うん……2人がいれば問題無いか。

 だが……。


「んじゃ、コレだけ渡しとくね」


 念のためだ。

【小玉】をセリアーナに渡す事にした。


「ありがとう。預かっておくわ」


 セリアーナは【小玉】を受け取ると、椅子からそれに乗り移り、フワフワと浮き始めた。

 これならよほどの事が起きても、問題無しだな。


「うん。それじゃー、カロス。行こっかね」


 さて……と。

 それじゃー俺はお仕事でもしてきますか!


 ◇


 この屋敷は、元々建っていた代官屋敷を増改築したものだ。

 代官が住むだけあって、初めからある程度魔道具に対してのインフラも整っていたが、それをフィオーラがさらに手を加えたもので、非常に利便性が高く整備されている。


「ここー?」


「そうだ! こちらの供給は落としているから、そのまま外して構わないぞ!」


 玄関ホールの天井から下がるシャンデリア型の魔道具の側に滞空しながら叫ぶと、カロスが階段の裏から姿を見せて叫び返してきた。

 彼がいる場所にあるのはブレーカーの様な物で、このホールの魔道具の魔力供給を管理している……らしい。


 俺はもちろん、一般の使用人でも触れる事は出来ないし、そもそも作動させられない。

 一部の者にだけ渡された専用の鍵みたいな物があって、それを使うそうだ。

 万が一ここが落とされても、すぐに屋敷の機能が渡らない様にって事だろう。

 といっても、わざわざ彼がやる必要は無いんだろうが……。


「よいしょっと」


 ともあれ仕事だ。

 念を入れてヘビたちの目も発動して、魔力の供給が途切れたのを確認すると、魔道具の核となっているパーツを外して下まで持って行く。

 職人たちは梯子を使って、このシャンデリアごと下ろすそうだが……俺には無理だな!


「ご苦労。こちらが替えの分だ。……どうした?」


 カロスの下へ行くと、新品のパーツを渡してきた。

 この屋敷の雑務を取り仕切る立場である彼がこういった事をやっているのがちょっと面白く、ついついジーっと見ていたのだが、どうやら妙に思われてしまったようだ。


「うん。こういう細かいこともやるんだなって思ってね」


「確かに他にもコレを作動させられる者はいるが、今は非常事態だ。すべて私が管理している。本音を言えば使用人全てに暇を出したいくらいさ」


 苦笑しながらカロスが答えた。

 あまり気負った様子は感じられないが、それでも細かいというか徹底しているというか……こっちの方がおっさんだが、どことなくオーギュストに似た雰囲気を感じる。

 なんというか……流石はリーゼルの側近だろうか?


 話を聞いてほうほうと感心していると、彼は真面目な顔でさらに続けた。


「それと、お前の護衛も兼ねている」


「ぬぬ?」


 屋敷内の仕事で護衛って……使用人たちの事も警戒しているのかな?

 そう不安に思ったのだが……。


「お前は転んだだけで死んでしまいそうだからな」


 今度はニヤリと笑ってそう言った。


「ぐぬっ……!?」


 なんだよ冗談か……脅かしやがって!


713


 相も変わらず、街では何事も起きない日々。

 平和なのは良いことではあるが、それだけにいざ屋敷の中に引きこもらなければいけないからか、なんともダレた時間が過ぎていった。

 あっという間に……とはとても言えないが、それでも時間は進み、ようやく何かと肩の凝った秋の1月は終わり、2月へ。


 その頃には流石にこの生活にも順応して、俺はもちろんだが、セリアーナも程々に抜くことを覚えたのか、時折談話室でサボったりもしていた。

 息抜きというか休憩が下手だった今までのセリアーナを考えると、立派な成長だね!


 今の生活に順応していたのは俺たち屋敷組だけじゃない。

 街の住民達もだ。


 秋の1月も半ばを過ぎた辺りから、牢に放り込まれる程ではないが、住民はもちろん冒険者同士でも少しずつ揉め事が目立つようになっていた。

 今までは滅多に無かったことなのに……やっぱり浮足立っていたんだろうな。

 だがそれも、ここ最近はすっかり落ち着いて、リアーナ領創設以来自分たちなりに身に着けた、秋の生活ルーティンに戻っていた。


 そして、いよいよ雨季に入った。


 朝から雨が降り始めたかと思うと、雨足は弱まるどころか昼を過ぎても一向に衰えること無く、夜になっても降り続けた。

 昨年よりも数日ほど早いが、そもそも雨季自体は気象現象で、この日からこの日までと厳密に決まっているわけではない。

 大体月の半ば頃から始まって10日から2週間ほど続く。

 俺がかつて孤児院を脱走した年は、誕生日の数日前に終わっていたっけ?


 住民は外出を控えて、冒険者たちもダンジョンに潜る者もいれば武具のメンテで完全休養にする者もいる。

 どんな不測の事態が起きるかわからないし、兵たちの巡回が緩むことは無いだろうが、しばらく街からは雨音以外はしない静かな日々が続く事だろう。

 

 そんな事を考えながら、雨音を子守唄に俺は眠りについた。


 ◇


 スヤスヤ眠っていたところ、ペチペチといった音と共に頬を軽い衝撃が襲ってきた。


「セラ! 起きなさい」


 俺は普段寝る時は、布団に顔の半ばまで潜っているのだが、布団を剥がされて頭が完全に出ていた。

 真っ暗で声しか聞こえないが、なにやらセリアーナは俺を起こそうとしている。


「おきた……。なに?」


 目を擦りながら体を起こすと、セリアーナが鋭い声を発した。


「テレサを起こして来なさい。彼女の指示に従って!」


「……ふぇ?」


 何事かとポカンとしているが、セリアーナは既にベッドから起きて明かりの魔法を発動すると、着替えを始めている。


 ……よくわからんが、只事じゃ無いな。

 一気に目が覚めた。


 ベッドのすぐ下に転がしていた【浮き玉】に乗ると、テレサの部屋に向かう事にした。

 テレサの部屋はセリアーナの部屋の向かいで、出てすぐだ!


「テレサ! テレサ!」


 ドアをドンドンと叩くとすぐに中から開けられた。

 彼女も眠っていたのだろう。

 寝間着に髪も下ろしている。

 だが、ドアを叩く音と俺の声とですぐに目を覚ました様だ。


「姫、どうしました!?」


 どうしました……どうしたんだろうね?

 ともあれ、言われた事を果たそう。


「俺もセリア様に起こされたんだけど、テレサを起こして、指示に従ってって言われたんだ。わかる?」


「私の指示に……?」


 俺の言葉を聞いて一瞬虚を突かれたような表情を見せたが、すぐに思い当たったのか、厳しい顔つきに変わった。


「わかりました。エレナたちには私が声をかけますので、姫はカロスの部屋に向かってください。奥様からだと言えば伝わります。場所はわかりますか?」


「う……うん。大丈夫」


 カロスも普段は貴族街にある彼の自宅に戻っているが、リーゼル不在の今は、執務室のすぐ隣の部屋で寝泊まりをしているんだ。

 どうやら緊急事態なのは間違いないようだし……急ぐか。



 ◇


 カロスへテレサの言葉を伝えた俺は、セリアーナの部屋に戻る事にしたのだが、その頃には、既にセリアーナかテレサからの指示なのか、何人かの使用人が忙しそうに走り回っていた。

 そして南館には、俺が起きた時は本館との通路にしかいなかった女性兵の姿も目に付く。

 彼女たちは普段から警備を担当しているが、夜間は2階入り口を見張るだけで、南館内部は記念祭等で滞在客が多い時以外は基本的に1階の待機室で休んでいるんだ。

 その彼女たちも2階、特に子供たちの部屋をメインにしっかりと警備をしている。


 ちなみに、その隣のセリアーナの部屋には誰も付いていないが、まぁ……あそこは必要無いか。


「もどったよー……お?」


 部屋に入ると、髪こそ下ろしたままだがセリアーナを筆頭に、エレナ、テレサ、フィオーラが既に着替えを済ませて揃っていた。

 俺だけ寝間着じゃないか……。


「ご苦労様。カロスは?」


「う? うん。向こうの準備が整ったらロゼを使いに寄こすって」


「結構。お前も用意をしてきなさい」


「はーい」


 何の……なんて聞き返したりはしない。

 流石にここまで来ると、何となくだが何が起きているのかわかってきた。


 これは、外で不穏な何かが起きたんだな。

 雨季に入って初日の夜に……なんてはた迷惑な!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る