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 夏の1月も半ばに入った。


 そろそろ記念祭に向けた準備も大詰めに入り、執務室の忙しさに慣れ始めたそんな今日この頃。

 昼食を終えて午後の仕事に取り掛かっていたのだが、セリアーナは何かに気付いたのか手を止めた。


「セラ」


「うん?」


 そして、セリアーナは膝の上に座る俺を呼ぶと、真下を指した。

 なんじゃ?


 下を見るが、なんも無いな。

 虫でも出たんなら俺は逃げたいけど……。


「ジグハルトが帰還するわ。今は坂の手前ね。出迎えなさい」


「お? りょーかい。行ってくるね」


 ジグハルトは雨季が明けてすぐに、領地の北東外れで彼自身が発見した竜種の確認に向かっていた。

 中々帰ってこないなーとは思っていたが、無事帰還したようだ。


 これがアレクだったり1番隊のリックだったら、帰還の前日には先触れを出しているんだが、まぁ……うん。

 ともあれ、この暑い中領地のために遠くまで行ってくれていたんだ。

 出迎えくらいしないとな。


 俺は膝から降りると、足元に転がしていた【浮き玉】に乗って、浮上した。

 そして、部屋から出ようと窓に向かったのだが、その前にリーゼルに呼び止められた。


「セラ君。ジグハルトに、そのままでいいからここへ来るように伝えてくれるかい?」


「ぬ? はーい」


 報告を直接聞きたいのかな?

 まぁ、了解だ。

 リーゼルに返事をすると、窓を開き外に飛び出した。


 ◇


 屋敷から飛び立ち坂を下って行くと、ジグハルトは丁度坂の手前に建つ騎士団本部の前で一緒に帰って来た兵たちと共にいた。

 ジャストタイミングだな……。


 彼の場合、一緒に帰還した兵士だったり冒険者だったりと飲みに行ったりもしちゃうからな。

 パッと見た感じ小ざっぱりしているし、今日出発前に風呂でも入ったんだろう。

 リーゼルはそのままでいいとか言っていたけど、あんまりひどい恰好だと屋敷の人間がちょっと顔をしかめるが……この分なら問題無さそうだ。


「ジグさん、お帰りー」


「ん? おお……今帰ったぜ。お前がこの時間に外に出て来るなんて珍しいな。どうかしたのか?」


「そうかな? まぁ、いいや。旦那様がそのままでいいから部屋に来てくれって」


「報告か……? オーギュストの旦那に済ませようかと思ったが……しゃーない。行くか」


 リーゼルからの伝言を聞いたジグハルトは、面倒くさそうに頭をガリガリ掻きながらそうぼやいた。

 やっぱ、ここで捕まえたのは正解だったか。


 なにはともあれ、俺とジグハルトは本部前の兵たちに別れを告げると、屋敷に向かって進み始めた。


「あ!」


 だが、坂の手前に差し掛かったところで一つ思い出した事があり、思わず声を上げてしまった。


「どうした?」


「フィオさん、確か地下にいるんだよね……どうしよう? 呼んでこようか?」


 彼女が先頭に立って直接魔物の対処に当たるって事態はそうそう無いだろうが、男性陣が街を離れている間は、テレサと並んで色々働いてもらうかもしれないしな。

 情報を共有するんなら一度にやった方が、齟齬が無くていいだろう。


「そうだな……悪いが頼めるか?」


「はいよ。んじゃ、また後で!」


 そう告げると、俺は騎士団本部に向かうべく、【浮き玉】を反転させた。

 ここからなら本部経由で地下通路から行った方が近いもんな。

 急げ急げ!


 ◇


 リーゼルの執務室隣の談話室。


 そこでは既にメンバーが揃い、ジグハルトから調査報告を聞いていた。

 ちなみにフィオーラは、俺が迎えに行きそのまま地下通路から屋敷へと向かっていたのだが、途中で彼女を呼びに来た伝令とバッタリ遭遇したりした。

 どうやら、リーゼルが気を利かせて彼女を呼びに行かせたらしい。

 読みは彼の方が早いが、機動力の差で俺の勝ちだな!


 それはさておき、ジグハルトの報告だ。


「ふむ……異常は無いんだね?」


「ああ。念の為縄張りの西側から対岸に渡って広範囲を調べてみたが、問題無し……だ。もちろん誰も近づいた痕跡は無かったし、俺たちが街を離れている間に何か起こるってことは無いだろうさ」


「そうか。まあ、今まで何も起きていなかったのだから、このタイミングで何かが起きるって事は考えにくいが……それでもこの情報は助かるよ。ご苦労だったね」


 竜種は元々あの辺を縄張りにしていたようだし、そうそう移動するようなことは無いだろうとは考えていたが、今回の調査は後顧の憂いを断つって意味もあったんだろう。

 これで気兼ねなく、彼等も準備に移れるはずだ。


「しかし、セラも話を聞いていたのか……。てっきり今回の件には関わらせないと思っていたんだがな」


 一通り報告を終えたジグハルトは、俺と隣のセリアーナに視線を向けるとそんな事を言った。

 その言葉を受けて、セリアーナは俺の頭に手を置き、ぐっと下に押さえつけてきた。


「この娘は隠し事が下手な癖に、何かあれば勝手に自分で調べようとするのよ。それならある程度こちらで頭を押さえておかないといけないでしょう」


 確かに気になるとちょこちょこ調べようとしてしまうが……。


「ぐぬぬ……」


 縮む……。


「セラ君が屋敷にいてくれるのなら、僕たちも安心して街を離れられるだろう?」


 リーゼルがフォローするようにそう言ってくるが、セリアーナの力は中々緩まなかった。


696


 記念祭まであと数日となり、そろそろ屋敷に滞在するお客さんも揃ってきた。

 宿泊する部屋は昨年と同様で男性陣は北館へ、女性陣は南館と分かれている。


 俺たちが暮らす領都は、リアーナ領の東端にある街だ。

 もちろん、開拓村や開拓拠点といった小さなものなら、さらに東の魔境にもあるが、他所からの人が出入りするような街はここが領地の端。


 そして、リアーナ領は大陸東部の東の端にある領地でもある。

 つまり、ここは人類生息地の最東端といってもいい場所で、基本的に他所からのお客さんってのは滅多に来ない場所でもある。

 この屋敷にこれだけお客さんが滞在するのはこの時期だけだ。


 そして、そのお客さんたちは、もちろん今回ちゃんと用があるからこそ記念祭で忙しいこの時期に、わざわざ自分の任された街を離れてまでこのド辺境にやって来ている。

 目的は、戦争に向けての話し合いだ。


 昨年の聖貨の輸送部隊通過の件はリーゼルが招集をかけたが、今回は戦争に関してリーゼルが書簡を送っているものの、集まってきたのは自発的にだ。

 代官の皆もメサリア王国の兵士の精強さは知っているだろうし、西と東の兵の実力差も同様だ。

 だが、それでも自分の主が出兵するのなら、やっぱり確認をしたいんだろうな。


 この辺抜かりが無いのは頼もしいことじゃないか。


 ってことで、うちとしてはそれなりに力を入れて、その彼等をもてなすことになっている。

 今正に俺がやっているように!


「本日はお時間を頂き、ありがとうございます。大変有意義なお話が出来ましたわ」


「いいえ、そんな事無いわ。私は滅多に街を離れる事が出来ないから、こうして顔を合わせてお話が出来て嬉しかったわ」


 セリアーナはお相手の代官の妻と、子供の教育や王都の流行についてなど、奥様チックなお喋りに興じていた。

 俺も同席しているから、その内容は聞こえてくるんだが……皆大体同じような事を言っている。

 セリアーナは全員に対して初めての様な反応を示したりと、トークスキルを発揮して切り抜けているが……俺は駄目だ。

 参加こそしないものの、俺もこの場で全部聞いているからな。


 俺は、そのお相手の膝の上で【ミラの祝福】を行っている。

 先日からの訓練の成果で、1時間弱でもしっかりとかつ安全に効果を発揮出来る力加減は身に着けた。

 だから、トークに飽きてボーっとしていても施療はしっかりと進んでいる。

 幸い俺はお客さんの膝の上だから間抜け面を見られないで済んでいるが、正面に座るセリアーナにはしっかり見られているが……そこは勘弁してもらおう。


 ……今から言い訳の準備をしておこうかな。


「それでは、お名残り惜しいですがそろそろお暇させていただきます。セラ殿もありがとうございます」


「ほ? お、はい」


 どうやら会談は終わりのようで、お客さんが立ち上がろうとしている。

 ボーっとしていたが、慌てて膝から降りるとセリアーナの下に戻り、お客さんの方へ向き直す。

 彼女と目があうと、ニコリと笑い礼をしてきた。


「……うん。施療はばっちりです。お疲れ様でした」


 同じく俺も礼をする。

 まぁ、この辺の奥様方は元々しっかり鍛えていたりするから、王都やその辺の奥様方の様にプニったりはしていないが、その分疲れが肌に出ていたりする事が多い。

 だからこその俺の施療なんだが……うむうむ。

 今回も中々いい仕上がりじゃないか。


 出来栄えに満足して頷いていると、彼女はセリアーナにも礼をして部屋を後にした。


「奥様、姫。お疲れ様でした。これで本日の面会は終わりになります」


 それを見送っていると、テレサがこれで今日の分は終わりだと伝えてきた。

 彼女は会談中は部屋の警護を担当しているが、同時にスケジュール調整も行っている。

 通常だとその役目はエレナが担っているが、彼女は彼女でアレクの妻としての仕事があってここ最近は別行動が多いし、専らテレサが俺とセリアーナの秘書役だ。


「ふぅ……あー……疲れた」


 俺は多少の砕けた振る舞いは許されているが、それでもお相手はリアーナ領を支える代官の奥様方だからな。

 やっぱりどこか緊張していたんだろう。

 テレサから終了の言葉を聞いて、ちょっと気が抜けた気がして、そのまま後ろのセリアーナにもたれかかった。


「お前もご苦労だったわね。休んでいいわよ」


「おや、珍しい?」


 だらしないと叱られるかなと思ったのだが、セリアーナの口から出たのは労いの言葉だった。

 驚いて思わず「珍しい」とか言っちゃったじゃないか。


「失礼ね……。まあ、いいわ。出兵から帰還までの間、領内の各街にも負担をかけるし、もちろんそれを込みでの事とはいえ、不満を減らす事が少しでも出来るのは大きいわ。貴族学院でもその際のケアは重要だと教わっていたけれど、今回はお前がいたおかげで助かったわね」


 そう言うとセリアーナは、先程まで座っていたソファーに再び腰かけた。

 そして、一つ大きく息を吐く。


 ふぬ……彼女も何だかんだで疲労していたのかな?

 普段から彼女が人と会う時は、どちらかというと彼女が話役になる事が多いが、ここ最近はひたすら聞き役だもんな。

 それも、ほぼ同じ内容の話をだ。

 そりゃー、疲れもするか。


「うんうん……。よいしょっと、セリア様もお疲れ様」


 俺はセリアーナの膝に座ると、【ミラの祝福】と【祈り】をかけた。


「あら、ありがとう」


 その声は随分柔らかい。

 うん、お疲れだな。

 このねーちゃんは元気な時はツンツンしているが、疲れたりするとこんな感じになるんだ。

 悪くはないが、調子が狂うんだよな。

 休め休め。

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