311
693
「それでは、失礼します」
そう言って部屋から出て行く者もいれば……。
「失礼します。領主様、こちら商業ギルドからの急ぎの書簡です」
慌てたように部屋に駆けこんで来る者もいる。
記念祭まで一月を切った今日この頃、リーゼルの執務室は大賑わいだ。
先程の、部屋を出入りしていった者たちは領都の商業地区を中心に動いている伝令で、そこからの報告をひっきりなしに持って来て、それを捌くこの部屋の文官たちも大忙しだ。
だが……。
「しっ……失礼します。アレク隊長」
「おう、こっちだ」
中には騎士団関係者もやって来る。
今入って来たのは、その緊張具合からアレクの名を出すまでも無く2番隊の兵だとわかる。
オーギュストや1番隊の誰かが執務室にいるのはそう珍しいことでは無いが、ここ最近はアレクもここに詰めている。
普段彼が街にいるときは、高台の麓の騎士団本部にいる事が多いんだ。
2番隊は、騎士団といっても冒険者上りが多く、たとえアレクに仕事の用事があっても領主の屋敷に来るのは少々覚悟がいるらしい。
俺もなー、ここだったりゼルキスの屋敷には入り慣れているけど、未だに他のお貴族様のお屋敷に行くのは緊張するからな。
こればっかりは、慣れとかそんな問題じゃない気がするよ。
礼儀だったり振る舞いだったりに自信を持てるとそうじゃないんだろうが……そんなん一朝一夕でどうにかなる事じゃ無い。
だからこそ、アレクは彼等が気軽に報告に来れる様に、下の本部に用意された隊長室が指定席なんだ。
幸い普段は、2番隊副長の副官であるテレサが控えていて、彼女が代わりにここでの仕事を熟していたし、それで上手くいってるんだよな。
背もたれから頭を出してアレク達の方を見ていると、どうやら先程やって来た兵の用事は終わったようで、どこかホっとした顔で部屋を出て行った。
今までだと、アレクがこの部屋にいる事や2番隊の兵がやって来ても、珍しいなー……程度で済ませていたんだが、つい先日セリアーナたちから聞かされた話の事を考えると、何か起きたのかなって気になるな。
まぁ、今の感じだと大した用事じゃないと思うが……。
戦争だもんなぁ……。
もう騎士団の面々には聞かされているそうだし、全員が出兵するわけじゃ無いが、それでもちょっと空気はピリッとしたものに代わって来る。
ジグハルトが、秋を待たずにこの時期に竜種の監視に向かったのもその為だ。
秋の方が楽だろうに……そう思っていたが、秋には彼は領地にいないもんな。
そりゃー、気候が不向きだろうと、今行くしかない。
うーむ……皆忙しそうだな。
「お?」
部屋の中をキョロキョロと眺めていると、こちらを見ているセリアーナと目が合った。
こっち来いと、手招きをしている。
お使いかな?
「なに?」
【浮き玉】に乗ってそちらに向かうと、彼女の机に広げられているのは……名簿かな?
名前や役職が記されているしその中には俺が覚えのある名前もあるから、間違いなさそうだ。
そして、セリアーナはそれを渡してきた。
「もうじき、屋敷に領内や近隣領地からのお客様がいらっしゃるわ」
「うん」
例年だと、それに加えて国内の離れた領地だったり外国からのお客さんも平民貴族どちらもやって来るのだが、今年は戦争の件もあって領内や近隣のみの限られた場所からがほとんどだと聞いている。
んで、そのお客さんの中で貴族……それも比較的高位な貴族は、街の宿では無くてこの屋敷に宿泊することになっている。
街の宿といっても貴族街には専用のゲストハウスの様な物も建っているし、そんなに悪いもんじゃないんだが、やっぱセキュリティや、何よりステータスを考えると領主の屋敷が人気だな。
とりあえず受け取ったリストをペラペラめくりながら読んでみるが……領内の主要都市の代官夫妻の名前が目立つ。
「……あれ? 今年は代理人じゃなくて本人が来るんだね」
領内とはいえ、リアーナは広いからな。
ご近所さんならともかく、移動のリスクを考えて離れた場所だと代理人を寄こしたりする事が多い。
去年もそうだったな。
もっとも聖貨の輸送部隊についての協議で、すぐに集められたがな!
それはともかく、今年の来客リストにはどれも本人の名が載っている。
やっぱり戦争が関係してるのかな?
なんか名前の横に印が付いていたり、ついていなかったりもするが、それは何か関係があるんだろうか?
「ええ。理由は……まあ、お前が考えているとおりね。それよりも、目は通したわね?」
「うん。この名前の横の丸は何なの?」
「お前を呼んだのはその為よ。妻同伴で訪れる者に印をつけているの。折角領都まで足を運んでくれるのだから、応対の際にはお前も立ち会って頂戴」
「……お? あぁ、りょーかいりょーかい。軽めのでいいんだよね?」
旦那さんはリーゼルが応対するだろうが、奥さんはセリアーナだ。
んで、その際には俺も一緒ってことは、【ミラの祝福】を使って接待しろって事だな。
俺の答えに満足したのか、セリアーナはフっと笑っている。
お客さん呼んでの【ミラの祝福】かー……なんかこういうのはちょっと久しぶりな気がするな。
しくじらないように、今日あたりから練習しとこうかな!
694
執務室での今日の分の仕事を終えた後は、セリアーナ組は彼女の部屋に集まった。
もちろん、フィオーラもだ。
最近はもう恒例だな。
俺たちはともかく、今までフィオーラは屋敷での仕事をする機会は無かったため、こちらにやって来ることはあまりなかったのだが、最近は違う。
リーゼルたちが街を離れている間は、セリアーナの警護も兼ねてエレナ共々屋敷で生活をしてもらうのだが、フィオーラはジグハルトが家を空けている今も、ここで生活してもらっている。
普段屋敷にいない分、ここでの生活に慣れてもらわないとな。
もっとも慣れる必要があるのは彼女では無くて、屋敷の使用人の方かな?
フィオーラは、ある意味この領地でセリアーナに対して唯一対等といっていい様な存在だからな。
身分はともかく、二つ名とか魔導士としての能力とか、一般人からしたら何か凄い……雲の上の存在って感じなんだ。
完全にお客として接するならともかく、屋敷で暮らす人間として接するには、使用人たちもちょっと時間が必要だ。
まぁ、それはそれとして……。
「どっこいせっ」
ソファーに座ったフィオーラの膝に【浮き玉】から乗り移った。
そして、そのまま【ミラの祝福】を発動する。
強過ぎず、かといって弱過ぎもせずに、セリアーナが会談をする際の1番多い時間である1時間弱で、ちょうどいい効果を出せる塩梅を探らないといけない。
中々タフなミッションだ。
「……うん? どうかした?」
加護を発動してから威力の調整を終えた俺は、セリアーナが眉根を寄せてこちらを見ている事に気付いた。
「お前……たまに口にするそれは本番では止めなさいよ?」
「……口にする? オレなんか言った?」
なんも言ってないぞ?
首を傾げていると、フィオーラが頭越しに伝えてきた。
「どっこいせ……とか言っていたわね。貴女たまに立ち上がる時や体を動かす時に口にしているわよ?」
「っ!?」
「……気付いていなかったのね」
「……うん。今初めて知ったよ」
呆れた様な顔のセリアーナに、力なく答える俺。
全く気付かなかったが、いかんなー……まだまだピチピチなのに。
気を付けねば!
◇
施療を終えて食事も済むと、後は就寝までの間をダラダラ過ごすだけとなったのだが……。
「オレじゃなくて、レオ様たちの方がいいんじゃない?」
俺を抱えて部屋の中をふよふよ漂っているセリアーナに向かってそう言った。
ちなみに、彼女が乗っているのは【浮き玉】ではなくて、【祈り】を発動した状態での【小玉】だ。
万が一の際には、セリアーナとエレナが子供と俺を抱えて離脱することになっている。
そんな事態は彼女の加護と屋敷の構造から考えてまず起こらないだろうけれど、それでも念には念を入れて練習ってわけだな。
「あの子たちはもう寝る時間でしょう? 下手に付き合わせて眠れなくなったら困るじゃない」
珍しくといったら失礼かもしれないが、なんか母親っぽいことを言っているぞ?
「む……まぁ、そりゃそうか。オレは普段は自分で浮いてるけど、他人に運ばれると楽しいもんね」
確かにこれを幼児が味わったら大変だ。
眠るどころじゃーないだろうな。
それどころか、今後俺を見たらせがんで来るかも知れない。
うむ。
子供たちにはまだ早い。
「楽しいの?」
「楽しいよ?」
怪訝な顔でそう尋ねてきたセリアーナに、俺は即答した。
自分で乗っていると思い通りに動かせるが、他人に運ばれる場合はちょっと違う。
クレーンゲームの景品ってこんな感じなのかな?
高速飛行は勘弁して欲しいが、こんな風にゆっくり飛ぶのなら文句はない。
「そう……まあ、いいわ」
そう言うと、再び飛行に専念しだした。
俺は重たい物を持って【小玉】を操作したことは無いが、やはり何か違うのかもしれない。
【浮き玉】の時よりも慎重に飛んでいる。
「もしもの時は奥様がセラを運ぶの?」
「いえ、奥様はお子様方を運びます。姫は、エレナが背負うことになりますね」
部屋を漂う俺たちを見て、ソファーに座ってお茶をしていたフィオーラが疑問に思ったようだ。
万が一の際の編成をテレサに尋ねている。
離脱先は恐らく隣のアリオスの街になるだろうし、【小玉】での移動に合わせると少々速度は落ちるだろうが、それでもこれがベストだろう。
アリオスの街ですら危険なようなら、ゼルキスの領都まで避難することになるが、そこまで長距離移動となったら逆に開き直って【隠れ家】を利用しながらの安全重視の移動に切り替える。
まぁ、聞いた感じそこまで相手は数がいないし、そんな事態には陥らないだろう。
ちなみに、離脱するのは俺とセリアーナとエレナ、そして子供たちで、テレサたちはその際にはここに残って離脱の援護と反抗勢力との戦闘にあたるらしい。
普段は抑え目の彼女たちだが、流石にそんな事態になれば本気を出すことになるだろうし、そうそう押し切られることは無いだろう。
その際の備えも徐々に始めているしな。
「……ふう。今日はこんなところね。降りるわよ」
ひとしきり動作を確認したところで、セリアーナは今日の動作訓練の終わりを告げた。
「はいよ」
しっかし……戦争だったりお膝元でのテロ行為だったり、もし実際に起きるのなら大事なんだろうけれど、ここまでしっかり対策を打てるんなら、何とかなりそうかな?
何も起きないならそれが一番だろうけどな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます