302

675


 セリアーナが初めてのストレッチを行った翌日。

 午前は細々とした用事が入っていてそれを片付けるために使ってしまったが、午後は用事は何も入っていない。

 ってことで、今日も俺の部屋に集まった。


 そして、昨日と違って俺も補助では無くて参加しているので、3人で三角形のような形になっている。


「……いつも見ているけれど、お前……よくそんなに倒せるわね」


「毎日やってたら、セリア様も出来るようになるよ?」


 まずは準備運動という事で前屈を行っているのだが、ペタっと折りたたむ様に体を前に倒す俺を見て、セリアーナは感心したような声を上げた。

 柔軟性ってのは今言ったように、前世の雑技団やバレエのトップダンサーレベルを目指すんじゃ無ければ、毎日やっていれば誰でもある程度のところまでは出来るようになる。

 まぁ、昔から毎日継続しているってのは胸を張れるかもしれないけどな!


 さて、準備運動はその後も続いていき、昨日やったメニューをサクッと終えて、今度は開脚しての前屈なども行っていった。

 日頃足を開くような事を好まないセリアーナも、ストレッチに慣れたのか特に抵抗なくこなしていく。


 それも一通り終えて小休憩にはいったところで、セリアーナに今日のメニューはどんなもんかと、感想を尋ねることにした。


「セリア様、慣れた?」 


「うん? そうね。肌を見せるわけじゃ無いし……まあ、悪いことでもないもの。そう否定するようなことでは無いわね」


 若干まだ引っかかりがあるような言葉ではあるが、中々どうして……。


「ほうほう……」


 今日のセリアーナの恰好は昨日と同じ様な物で、普段着とは程遠い服装だ。

 だからこそ、彼女の中で訓練と同じ様な区分になっているのかもしれない。

 場所こそ普段生活している室内だが、服装を変えた事で切り替えが出来ているんだろう。


 昨日に続いてこのストレッチはセリアーナから言い出したし、その手前断りにくくて、嫌々やっていたらってのを心配していたんだが、大丈夫そうだな。

 よかったよかった……。


 さて、そのまま10分ほど話をしていると、休憩は終わりなのかテレサがパンっと手を叩いた。


「それでは、再開しましょうか。ここからは少々きついと思いますので、奥様は無理をしないよう気を付けてくださいね」


「ええ。今まで貴女たちがやっていたのを見ているし、わかっているわ」


 テレサの後半開始の言葉に頷くセリアーナ。


 ここらへんから、テレサ監修のヨガっぽい動きになって来るから、俺は余裕だがテレサやエレナもギリギリっぽい。

 セリアーナは、口では無理をしないとか言っているが、変なところで頑張ろうとする。

 チラっと彼女の方を見ると、なにやらやる気になっているし……これは俺が気を付けておいた方が良さそうだな。


 こっそりそんな決意を固めつつ、俺もテレサに合わせてポーズをとり始めた。


 ◇


 夜……夕食を終えて、既にテレサも自分の部屋に戻り、セリアーナの寝室では俺とセリアーナだけだ。

 そこで、セリアーナはベッドにうつ伏せになり……。


「……いたたっ」


 上に乗った俺に、腰やら背中を押されながら呻き声をあげている。


「だからさー……無理したら痛めるって言ったじゃん」


「……やってみないとわからないでしょっ」


 この状態でも強気な態度は崩さず、俺の言葉に言い返すセリアーナ。


 彼女は、昼間のストレッチで後半からのハードなメニューに、止めに入った俺の言葉を無視してチャレンジした。

 そして、こうなった。

 筋やら腱を傷めたわけじゃ無いが、今までの彼女の人生の中でも初めてのような動きをしたことで、軽くだが筋肉を傷めてしまったんだろう。

 セリアーナは隠していたつもりだろうが、ちょっと動きがぎこちなかったし、テレサもリーゼルも口にはしないものの多分気付いてたはずだ。

 リーゼルは食後のお茶を早めに切り上げたし、テレサも普段より早く自室に下がっていた。


「やる前からわかろうね……。はい、こっちは終わりね。次は横向いて」


 色々言いつつも傷めた事実に変わりは無いし、セリアーナは大人しく俺の言葉に従って横を向いた。

 俺は彼女の上から降りて背中側に移動すると、その背中に手をかけて【祈り】と【ミラの祝福】を発動した。

 そして、再びグイグイっと押していった。


 ◇


 20分ほどかけて、セリアーナの上半身のマッサージを終えた。

 これだけ丁寧にやれば、明日にはもう治まっているだろうが、俺の加護は、魔法やポーションと違って即座に回復とはいかないから、今日はもう大人しくしてもらおう。

 どうせ、後はもう寝るだけだしな。


 んで、どうせ大人しくするだけってんなら、いい機会だし以前作ったコレにも久々に活躍してもらおうと思う。

 マッサージの前に、恩恵品を仕舞いに【隠れ家】に行った際についでに持って来たソレを手に、セリアーナの足に座り込んだ。


「……セラ?」


 若干声に不安気な色が混ざっているのは、俺が何をしようとしているのかわからないからだろうか?

 なに……すぐわかるさ。


「んじゃ、動かないでねー。よいしょ……!」


 俺はセリアーナの言葉を無視すると、彼女の足を掴んで掛け声とともにツボ押し棒を突き立てた。

 あまり彼女らしく無い声を上げているが、気にしない。

 俺をはねのけない程度には余裕が残っているみたいだし、大丈夫大丈夫。


676


 室内にキュッキュキュッキュと何かを磨く音や、カチャカチャと硬い物が触れ合うような音が響いている。

 そんな中、「セラ」と俺を呼ぶ声も。


「そいつを取ってくれ」


 ジグハルトはそう言うと、こちらを向きもせずに手を伸ばしてきた。


「これ? ほい」


 一体どれを指しているんだ……と思わなくもないが、多分これだと思う。

 俺は【浮き玉】を磨く手を止めて、すぐ目の前にあったブラシを取ると、それを彼の手に置いた。


「おう」


 ジグハルトは短くそう答えると、再び作業に戻った。


「セラ、俺にもだ」


 そして、今度は彼の向かいに座るアレクも、同じく手をこちらに伸ばしてきたが……彼の作業的に求めているのはブラシじゃないだろう。

 使いそうな物は……これかな?


「これ?」


「おう。悪いな」


 俺が渡した道具は、千枚通しのような先端が細く尖った物だ。

 どうやら正解だったらしいが……。


「あのさぁ……アレとかソレとかじゃ、わかんないよ? ちゃんと名前言おうよ」


 同じテーブルを使っているが、彼等の前には大きな布が敷かれていて、その上で作業をしている。

 そして、俺の前には道具が並べられている。

 だから、俺が道具を取ること自体はいいんだ。

 まぁ……正式名称は分かんない物ばかりだけれど、それでももう1つくらい単語を付けてくれてもいいと思う。


「んー……? ああ、悪い悪い」


 2人は先程と同じく、こちらを見もせずにそう言って作業を続けている。

 言葉に反して全く悪びれた素振りを見せないな……。


 ふぬっ……と鼻息を荒くしていると、隣のテーブルのフィオーラが口を開いた。


「セラ、貴女もこっちに来たら? 【浮き玉】はもう十分磨けているでしょう……?」


「ぬ……。まぁ……そうだね」


 そちらを見ると、女性陣が優雅にお茶をしている。

 一方こちらは、アレクとジグハルトが黙々と作業をしている。

 大違いだな。


 まぁ、こっちの作業は俺の恩恵品の手入れだから、あんまり悪く言っちゃいけない。

 折角のお茶のお誘いだが、俺も彼等のサポートという重要な役目が……。


「セラ、こっちは勝手にやっておくから、お前はそっち行っていいぞ」


「……ぉぅ」


 これは……あれかな?

 戦力外通告?


 ◇


 2週間ほど続いた春の雨季は昨日ようやく終わりを迎えた。


 今日は久しぶりに気持ちのいい青空が広がっていたのだが、だからといってすぐに外に出られるようになるわけではない。

 貴族街や中央通りを始めとした大通りを除けば、舗装されている道はほとんど無いし、街の外の街道なんてもっての外だ。

 地面が乾くまで数日は待たなければいけない。


 ちなみに、その数日間は騎士団では主に雨季明けの調査の準備期間に充てている。

 毎年のことではあるが、やはり2週間ほどもの間大雨が降り続けるわけだし、何かしら被害が出てしまう。

 街中や街道の調査は1番隊の仕事だが、そこから奥に入った場所は俺たち2番隊の範囲だ。


 ってことで、その話をしようと今日はアレクやジグハルトも一緒に談話室に集まっている。

 隊長のアレクにその副官のジグハルトとフィオーラ。

 そして、副長の俺に副官のテレサ。

 物凄く身内だけで構成されている気もするが……まぁ、いいだろう。


 だが、実際やる事なんて領都の西側を範囲を決めて見回る程度で、それは割といつもの任務と変わらなかったりもする。

 そのため、今日のこの集まりは実質ただのお茶会って感じになっていた。


 にもかかわらず、何でこんな風に恩恵品の手入れが始まったかと言うとだ……。

 雨季の間外に出る事が無くなるため、俺は、傘の整備をフィオーラに頼んでいた。

 アレは武器なのか魔道具なのかよくわからない代物だし、どちらにも精通した職人じゃないと整備が難しい。

 そのため作ったゼルキス領都の工房以外では、彼女くらいしか任せられないんだよな。

 幸い素材は俺がガチャで出しているし……。


 んで、フィオーラは今日それを仕上げて持って来てくれて、ちょっとその話を触れたんだが、殿方2人が触発されたのか、恩恵品の手入れをするとか言い出した。

 まぁ、触発……というよりは、お茶会は退屈しそうだから口実にした感じかもしれない。

 恩恵品も手入れの道具も【隠れ家】に置いてあるし、俺としても断わる理由は無いから了承したわけだが……排除されてしまった。

 その代わり、あっちで野郎2人は楽しそうに手入れをしている。

 おのれ……!


「奥様もセラの運動に参加するようになったらしいわね」


「ええ。思っていたよりも悪くなかったわ。貴女もどう? 最近はやっていないでしょう?」


「気が向いたら……かしら?」


 さて、フィオーラの膝の上でアレクたちを睨んでいたのだが、女性陣はストレッチについて話をしていた。

 セリアーナも加わったからな……これで残るはフィオーラだけか。

 彼女は地下研究所まで徒歩で移動しているので、運動不足ってことは無いだろうが、体全体を動かしているかって言うとそうじゃないし、ストレッチは悪くないと思う。

 彼女もたまに軽いものは行っていたが、もう少しがっつりやってもいいんじゃないかな?


「用具を揃えたりしないといけないわね……。夏までに仕立てられるかしら……?」


「そう手の込んだものでは無いし、大丈夫でしょう。それよりも、マットよね……」


 フィオーラも気が向いたら……とは言っているが、ストレッチ用の服のデザインを話したりと、やる気はあるようだしな。

 だが……ヨガマット。

 俺のアレは特注で、同等の物はそうそう手に入らないし、あげないぞ!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る