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669 セリアーナ side その1
春の2月も半ばが過ぎて、今年も雨季に入った。
相変わらず外は雨が降り続けているが、幸い今年も今のところ問題は起きていない。
昨年から始めた冒険者ギルド前の通りの屋台も、秋に続いてこの雨の中でも順調だと報告は上がっている。
秋よりも気温は穏やかだし、利用者も増えているのだろう。
雨季に備えての領内の整備も、幸か不幸か昨年末の魔物の襲撃で周囲の魔物を減らした事から、首尾よく終える事が出来た。
雨季が明けた後についても、既に準備は出来ている。
次に備える事は夏の記念祭だろうか?
秋に関しては……それも夏に入る頃には判明するはずだ。
しばらくの間は、ゆっくり出来るだろう。
このリーゼルの執務室も、まだ昼を過ぎてさほど時間は経っていないが、既に大半の仕事が片付いてしまい、皆の空気も緩やかになっている。
もう今日はこのまま終業にしてもいいんじゃないだろうか……?
「セリア」
部屋の空気に中てられたのか、私も少々暢気な事を考えていると、リーゼルがこちらにやって来た。
手には何かの書類を持っているが、急ぎの様子は無い。
「どうしたの?」
「これに、君のサインを頼むよ」
リーゼルはそう言って、こちらに書類を渡してきた。
内容は、女性兵と女性冒険者の合同訓練についてだ。
記念祭の間は、警備を必要とする外からの客が通常よりも増える。
今年は外国からの客は減ると読んでいるが、その分領内の貴族が集まるだろう。
その際には、妻や娘も連れてくるはずだ。
だが、今の女性兵だけでは手が足りなくなるかもしれず、その穴埋めとして女性冒険者を一時的に雇う事になった。
役割はあくまで警備に過ぎないため、現役だけでは無くて引退した者も募集の対象になっていて、その布告を冒険者ギルドに任せるための要請書だ。
目を通したが、内容に問題は無し。
既に記されているリーゼルのサインの下に私のサインを記した。
「セラ」
応接スペースのソファーにいるセラを呼んだ。
先程までは背もたれから頭が覗いていたが……今は横になっているのだろうか?
もう一度声をかけようかと思ったところ、セラの代わりにヘビが姿を見せた。
通常の2つに加えて額にある3つ目の瞳……ミツメか。
「…………なに?」
そして、ミツメに遅れてセラも顔を出した。
目を擦っているのと声の様子から、居眠りをしていたようだ。
本当にどこでも眠るわね……この娘。
ついつい溜息が出てしまったが、もうコレはいつもの事だ。
「まあ……いいわ」
「ほいほい。……ぉぉぅ。冒険者ギルドまで持ってくの?」
こちらにやって来たセラに書類を渡すと、しばし間を置いて小さく呻き声をあげた。
パっと目を通した程度なのに、内容をしっかり把握できたようだ。
普段の姿からは想像しがたいが、この娘は意外と頭が良いし、私が何を命じるかも理解出来ているだろう。
「ええ。地下通路を使っていいわ」
嫌そうな顔をしているセラに向かって、私はそう言った。
この娘は、一見好き勝手に振る舞っているように見えるが、それでも最低限の線引きはしていて、プライベートエリアでならともかく、他の者もいるこの場でここまであからさまに嫌そうな表情をするのは稀だ。
外は雨だが、地下通路を使えば問題無い。
もっとも、理由は別にあるわけだが……。
先日、しばらくの間【浮き玉】を使わずに、移動は自分の足で歩くようにと命じた。
私の部屋からここまで来る事ですら、面倒臭がっているのに、冒険者ギルドまで歩いて行けと言われたら、無理もないかしら?
「済まないね、セラ君。雨季明けにすぐに動けるように、冒険者ギルドにはすぐに準備に取り掛かって欲しいんだよ。今日なら支部長も街にいるし、君なら直接届けられるだろう?」
「あー……。支部長おっかないですもんね」
リーゼルの言葉に、セラは部屋で仕事を片付けている文官たちを見て頷いている。
確かに支部長のカーンは強面で、自身が直接最前線に出向くような荒々しい男だ。
文官たちでは彼に対して強く出ることは難しいだろう。
だが、カーンは同時に騎士団の幹部で礼儀を弁えた男でもある。
リーゼルからの使いなら無下にする事も無いし、その指示には大人しく従う。
仕事で相手をするのなら、セラよりもよほどやりやすいだろう。
セラは、その事に気付かないのか「仕方ない……」と呟くと、トボトボとドアに向かって歩いて行った。
「セラ君には悪いことをしてしまったかな?」
セラが部屋から出るのを待って、リーゼルが申し訳なさそうな声でそう言った。
「いいのよ。あの娘、【浮き玉】を使わなくなったら、私の部屋とここの往復しかしなくなったんですもの……」
溜息交じりの私の言葉に、リーゼルは声を上げて笑っていた。
「それで……リーゼル? あちらでいいのかしら?」
「ああ。カロス……」
私が奥の談話室を指すと、リーゼルは頷き彼のすぐ後ろに控えるカロスに簡単な指示を与え始めた。
大した用事でも無いのに、わざわざ自分で私の下まで持って来て、さらに仕事をセラに任せた……。
内容の予想はつくが、私に用があったんだろう。
さて、待っている間に私もエレナとテレサに指示を出しておきましょうか。
670 セリアーナ side その2
執務室から繋がっている談話室に入ると、リーゼルは私を座らせて自分はお茶の用意を始めた。
「……貴方も妙な所にこだわるわね」
「そうかい? 中々奥が深いんだよ?」
特注の道具を使って彼が淹れているのは、最近マーセナルから仕入れている黒茶だ。
紅茶は葉を使うが、黒茶は火を通した豆を胡椒のように挽いて、その粉から抽出する。
紅茶に比べると苦みが強かったり、そもそも入手手段が限られている事から、まだまだリアーナでは浸透していないが、彼や意外にもセラが好んでいる。
「さあ、どうぞ」
リーゼルは淹れた黒茶をカップに注ぐと、こちらに渡してきた。
「ありがとう」
黒茶の飲み方はそれぞれ違っていて、リーゼルは何も入れずにそのままでセラは砂糖とミルクを、私はミルクのみだ。
渡されたカップにミルクを入れて一口飲む。
リーゼルはカップを口元に持って行っているが、飲まずに香りを楽しんでいる様だ。
しばしそのままだったが、出来に満足したのか中身を飲み、カップを置いた。
ようやく話を始められるわね……。
「それで、リーゼル。大体予想はつくけれど、一体何の用なの?」
「ああ……大した事じゃないが情報の共有だね。これを伝える相手は任せるが、君側の人間にも知っておいてもらいたいんだ。戦争は確定だね。秋の1月に発つよ。雨季明けにはルゼルで合流できるように同盟各国は動くことになる」
大森林同盟盟主国ルゼル……国境を西部と接する国で、あそこの国境線が戦場になるのはいつものことだ。
こちらの反応を待っていたリーゼルは、私が頷いたのを見て話を続けた。
「事前の調査通りで、今回の戦争に帝国と連合国……それと教会勢力もかな? そこは関わっていないね。もう既に手を引いている様だよ。切り捨てられた小国がその事に気付かずに暴走した……そんなところかな?」
そして、その情報が伝わらずに、離脱し損ねている西部の工作員が領都の教会地区に残っている……と。
目新しい情報は無しね。
「そろそろ平民でも何かを察している者たちは出てきているけれど……、街の住民からの不満はどう? 今のところ冒険者からは聞かないけれど……」
リアーナに届く西部からの荷は、領地がある位置の関係上どうしても陸路海路問わず複数の国を経由する。
そのため、その間の国のどこかで、商隊が通過できない状況にあると荷が届かない。
西部か東部か、どちらの国かはわからないが、戦争を控えた勢力と関わりたくないと考えるのもわからなくは無いけれど……迷惑な話だ。
もっとも領内の冒険者は、他国からの商隊の護衛でやって来る他所の冒険者に仕事が奪われずに済むからと、さほど問題視はしていない。
精々、戦士団やクランが西部の冒険者と情報交換が出来ない事をぼやいているくらいで、その程度ならいくらでもフォローが出来る。
「大丈夫。職人たちから一部の荷が届かない事に抗議されたと、商業ギルドから報告があったけれど、一時的な問題だと説明させたよ。届かない荷はあくまで一部だし職人たちも理解してくれたね」
「そう……。まあ、貴方なら上手くやっているのでしょうし、詳しくは聞かないわ」
今回はセラ経由で私の耳にも入って来たが、商業ギルドは彼が面倒を見る範囲だ。
どういったやり取りがあったのか、少々気にはなるが……任せていいだろう。
◇
その後いくつかの話題を経て、セラの部屋についての話になった。
リーゼルはあの部屋の設計こそしたが、南館に入る事は無いし、直接見ることは無い。
気になっていたようだ。
「随分君たちが楽しんでいる様だね……」
「あの娘は、放っておくとベッドとその周りだけで生活しかねないのよ。いい機会だわ」
リーゼルは初め、少々呆れた様な顔を見せていたが、それを聞いて力なく笑っている。
自分たちの部屋だと他者の目を考慮して無難な物になってしまうが、セラの部屋なら自由に弄れるし、楽しんでいるのは確かだ。
「僕たちが領都を離れている間の、万が一の事態に備えてあの部屋を用意させたけれど……。それ以外で役に立っているのなら、何よりだ」
「貴方は気にし過ぎなのよ……」
セラの部屋の窓は、屋敷の中庭に面している。
私が不意打ちを受けるとしたら、加護の範囲の外からの長距離攻撃くらいだろう。
それが可能な場所は街の南側の街壁の上くらいで、そこから中庭を狙う事は不可能だ。
あの部屋なら、たとえ屋敷内部に押し入られても私の部屋から直接離脱できる。
万が一の際に、私とセラで子供たちを連れて離脱できるように、用意させたのは分かっている。
気にし過ぎだと思うが、彼もこれくらいしておかないと安心できないんだろう。
もちろんこの事はセラに伝えていないから、勝手に部屋を避難経路に組みこんでいる事を申し訳なく思っているようだが……今の話を聞いて少しは気が晴れたようだ。
「まあ、何か必要なことがあったら言ってくれ。可能な限り応えるよ。セラ君にもそう伝えて欲しいね」
「あまりあの娘を甘やかさないで欲しいわね……。でもそうね、それなら黒茶を一杯新しく淹れてもらおうかしら?」
「お代わり……じゃないね。セラ君かい?」
まだ私のカップには中身が入っているのを見て、セラの分だとわかったようだが、あの娘の足ではまだかかると思っていたのだろう。
珍しく驚いた顔をしている。
「地下の研究所で誰かちょうどいいのを見つけたようなの。背負われているようね……移動速度が上がったわ。モニカかしら?」
「お使いには……少し距離があったかな。わかった、それなら美味しい一杯を淹れてあげないといけないな」
リーゼルはそう言うと、新しいカップを取りに立ち上がった。
心なしか、楽しそうに見える。
よほど黒茶を淹れるのが楽しいのか。
そんなリーゼルを眺めていると……。
「ただいまー! ……あれ? セリア様は?」
途中で背負われてきたからか余力があるのだろう。
あの娘の無駄に元気な声が、隣のこの部屋にまで聞こえてきた。
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