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 山を越える前に、時刻も昼を回っていたという事もあって、休憩も兼ねて手前のゼルキス側で休憩をとる事にした。

 といっても、その休憩する場所は【隠れ家】だが。

【隠れ家】で昼食をとり、一息つくとすぐにまた移動を再開した。


 山を越える際には少々緊張したが、特に何も起こらなかった。

 確かに魔物の数こそ豊富だったし、あちらこちらで魔物同士の縄張り争いの様なものが起きていたが……上空に関しては全く警戒していなかった。

 リアーナやゼルキス領だけじゃなくて、王都圏でもたまに妙に上空を警戒したりする魔物もいれば、俺の姿を見るなり威嚇したり追ってきたりするのもいるんだが……この辺には強いトリの魔物がいないのかな?


「念のため【琥珀の盾】も使ったけど……山越えは安全なのかな?」


 山を越えて、マーセナル領へ入ったはいいが、少々肩透かしって感じだ。

 別に空中戦を演じたいわけじゃ無いんだが、何も無いとそれはそれでちょっと落ち着かない。


「そのようですね……。南部には私も馴染みが無いので詳しくはわかりませんが、魔物や獣の習性が違うのかもしれません。春になったらまた違ってくるかもしれませんが……土地柄という事もあるかもしれませんね」


「なるほど……」


 王国の東部はいたる所に山や深い森があって、魔物に魔獣に獣……強さも種族も豊富だ。

 だが、今上空を飛んでいるマーセナル領は、どうやらそうではないようだ。

 なだらかな丘陵地帯が広がり、いたる所に小規模村と畑が見えている。

 そして、牧場らしきものもだ。


 柵はあるがそこまで厳重じゃ無いし、家畜を狙う様な存在がいないんだろうな。

 マーセナル領のは武装船団を始め武力でもそれなりに有名なんだけれど……なんかそんな気配が一切感じられず、呑気な光景だ。

 海が近づけばまた印象は変わるのかな?


 ◇


 マーセナル領に入ってすぐは、少々のどかな空気に驚いていたが……、踏み入ってすぐはゼルキスと大差のない光景が広がっていたが、徐々に違いが見えてきた。

 越えてきた山脈に水源があるんだろうが、そこから流れている何本もの川が合流して、大きな川になっている。

 そして、その合流地点に、船着き場を備えた大きな街が築かれていた。

 立派な街壁に、その側には兵士の訓練所もしっかりある。


 この領地は王都の東側ではあるが、今まで通ってきた場所は王都圏とかその辺と雰囲気が近い。

 もっとも、随分広い領地らしいし、魔境に接する東側なんかはまた違うのかもしれない。

 ゴールは同じ海だが、リアーナやゼルキス領が水運に利用している河川系とは別だしな。

 ……色々特色豊かな土地なんだな。


 さて、マーセナル領に入って南下する事数時間。

 他所の領地という事もあって、人目を避けるべく街道から少し離れて、尚且つ高度も下げて移動をしていたため、遠くまでを見通す事は出来なかったが、それでも目に付く大きな人工物。

 街を守る長大な街壁が見えてきた。


「……あそこかな?」


 今まで通り過ぎてきた街よりも規模が大きいし、恐らくあそこが領都だろう。

 船でなら寄港した事があるが、陸側からだと意外とわからんもんだな。


「そのようですね。姫、準備をするので一度【隠れ家】をよろしいでしょうか? 場所は……そうですね、あそこの丘の上でどうでしょうか」


「うん。了解」


 そう言うと、テレサはすぐにそちらに進路をとった。


 ◇


「こんなもんでいいかな?」


【隠れ家】に入ると、領都へ入場する準備に取り掛かった。

 といっても、そんなに大袈裟な事ではない。

 簡単な着替えだな。


 この街に【浮き玉】で訪れるのは初めてだし、事前に連絡を入れてはいるが、それでも領主の屋敷に向かうのは馬車になるだろう。

 俺たちがここまでやって来た恰好は、俺はいつものだが、テレサは乗馬用のパンツスタイルと、【浮き玉】と【風の衣】を使う事が前提の身軽で動きやすい恰好だ。

 俺はともかく、テレサはおよそ貴族の女性がよそ様のお屋敷に訪問するような恰好ではないもんな。

 エリーシャもエドガーも、まだ見ぬここのご領主様も、あまり厳格な人たちじゃないようだし、その恰好でも問題になるってことは無いかもしれないが……礼儀は大事だろう。

 そのためのお着替えタイムである。


 俺もさすがにメイド服は無いなって事で、青のワンピースに薄手のコート。

 そして、念の為ではあるが【影の剣】【妖精の瞳】【琥珀の盾】を除く、恩恵品各種を外して、この【隠れ家】内に置いたままにする。

 さらに、珍しく靴下と靴も履いて、他所行きスタイルの完成だな。


「ええ。お似合いですよ」


 そう言ったテレサは、飾り気は少ないがそこはかとなく高そうな赤のシンプルなドレスに、黒のロングコート。

 そして、ここまでは丸腰だったが、剣を差している。

【赤の剣】も持って来てはいるが、そちらはここに置いたままにする様だ。

 まぁ……初めて訪れる人の家に、あまり重装備でいくのもなんだしな。


 ってことで、準備は完了だ。


「それじゃー、行きましょーかね」


 お貴族様のお屋敷ってのは相変わらず訪れるのは緊張するが、テレサもいるし、彼女に任せておけばなんかイイ感じにやってくれるだろう。

 期待しているぞ、我が侍女殿。


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 門では警備の兵に少々驚かれこそしたものの、今日俺たちがやって来るという事は伝わっていたようで、すんなり通されたし、迎えの馬車もすぐにやって来た。

 そして、ガタゴト馬車に揺られながら街中を進んでいるなか、俺は窓から街の様子を見ていたのだが、この街は海に接していて港も備えているからか、今まで見てきた他のどの街とも造りが変わっている。

 今日はもう流石に無理だろうが、明日はちょっと街を上から散策させてもらうってのもいいかもな。


 さて、それはさておき領主の屋敷に向かっているのだが、その屋敷が建っている場所も他の街とはちょっと違っている。

 大抵の街には貴族の屋敷は1ヶ所に纏まった貴族街があり、領主や代官はそこに屋敷を構えている。

 一ヵ所に纏まっているのは、警備だったり仕事に便利だからってのが理由だろう。

 リアーナの屋敷も、丘の上とちょっと変わってはいるが、それでも貴族街を形成してその一画に含まれている。

 だが、ここはどうだ。


 丘の上に建っているのはリアーナと一緒だが、街の外れにある。

 貴族街どころか街からも孤立しているといっていいだろう。

 まぁ……この街は四方を囲む必要のある他の街と違って、一辺が海だからか、その分街が広くなっているし街壁の長さもあるから、しっかりと壁の内ではあるが……どういう思想の下にこの街って造られたのかちょっと気になって来るな。


 うん……やっぱりこれは明日散策させてもらわないとな!


 なんてことを決意している間に、馬車は坂を上って屋敷の前へ辿り着いた。

 立地と違ってこの世界でもよく見かける大きな洋館だ。

 L字型で、海に面した側の窓を大きく取っているのが特徴かな?

 夏とか部屋から見える光景は良さそうだな。


 ◇


 屋敷に入ると、まずは俺たちが滞在する部屋に案内された。

 例によって俺はテレサと同じ部屋だ。

 俺たちが送っていた荷物も既に部屋に運ばれているし、よくわかっているな。

 そして、部屋に着いて、使用人にお茶を淹れてもらい一息ついたところで、エリーシャから部屋に呼ばれた。


 俺たちが今日ここに来たのは、あくまで彼女の客としてだ。

 まぁ、テレサはもしかしたらエドガーさんとかと、何か協議するのかもしれないが……、俺は気楽な立場だ。

 正式な領地からの使節とかだと、面会一つとっても、アレコレと記録だったり手続きだったりが面倒になるそうだしな。

 気楽に【浮き玉】に乗るのも難しいだろう。


 と、いうわけで、ただのお客としてお気楽な面会をしているのだが……。

 エリーシャの部屋には、彼女にエドガーさん、さらに恩恵品を所持した、エリーシャの侍女コンビを始め、夫妻専属の使用人。

 そして……なんか子供用のベッドに寝かされた赤ん坊もいた。

 エリーシャの部屋にいるって事は……彼女の子供だよな?


 俺は何も聞いていないが、テレサはこちらに送った荷物に出産祝いも入れていたようで、今しがた渡していた。


「よくわかったわね。リーゼルにも話していないのに……」


 受け取ったエリーシャが少し驚いているあたり、公表はしていなかったようだ。


「実家から話が入りました。旦那様も奥様も存じておりますが、そちらは公表を待ってからとなっております」


 さらに続く彼等の話を聞いていると、何となく事情が分かった。

 生まれたのは昨年の秋頃。


 いくら領地が南部にあって、比較的暖かいとはいえ、冬は他所と同じで移動は大変だ。

 水運が基本の街だが、領内だと陸路も使うしな。

 それに、冬の備えも必要なのに、下手に人を移動させて、領都までの道中で各街や村で余計な消費をされるのも避けたかったようだ。

 領民に気を使ったってのが理由の一つだな。


 そして、もう一つ。


 他領の人間はおろか、外国の人間も多数出入りするこの街で、おめでたいことだからって迂闊に何でもかんでも公表すると、よからぬ考えを持った者も招いてしまうかもしれない。

 この領地にセリアーナはいないもんな。

 あの加護は、使いこなすのは難しいだろうが破格だ……。


 とは言っても、完全に情報を遮断する気は無かったようだ。

 エリーシャも妊娠中は面会を断っていたそうだが、簡単な手紙のやり取りはしていたそうだし、聞かれた場合は否定しなかったんだとか。

 先程テレサが言ったように、こちらのサリオン家が公表するまで広めるような事はしていないが、知っている人は知っている……そんな感じだったんだろう。


 今エリーシャ何歳だっけ……21歳か22歳かそこら辺かな?

 結婚してからの時間や夫妻の年齢を考えたら、むしろ子供がいない方がおかしいくらいだ。


 ぬぬぬ……寝ているからどんな顔かよくわからんな。

 子ザルちゃんだ。

 あの2人の子供だし、美形にはなりそうだけれど……。

 そういや、男女どっちなんだろう?


「……あの娘、子供好きなの?」


「時折、若様方のお相手をしていますね」


 背後から届く、エリーシャたちの声。

 なんかいつの間にか赤ん坊のベッドの方に移動していたらしい。

 気を抜くと、たまーに勝手にふらふら動いちゃうんだよな……。

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