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リーゼルの執務室にやって来てからしばらく経って、俺も自分のやるべきことを見つけて、そちらに集中していた。
テーブルに広げられている書類をちょいちょい失敬しているが、東にいるボスオオカミ君の影響は、アリオスの街手前までの様だ。
それより西にある街からの報告も届いているが、そちらでは魔物の様子に変化は無いらしい。
時折訪れる、他所の街や村の冒険者か兵士か……伝令でこの街まで来た者が、そんな感じの事を部屋の入口で報告しては、すぐに引き返していっている。
実に忙しそうだ。
俺が伝令役で一気に飛んでいけば、もっと詳しくわかるんだろうが……。
確かに緊急事態である事に間違いは無いが、既存の組織だけでも十分対処できる範囲なんだよな。
俺抜きでも問題無いのに、便利だからって何でもかんでも俺がやっちゃうと、経験を積めないままになってしまう。
だが、それでも万が一って事もあるし、俺は屋敷でベストコンディションを保っている事が重要だ。
向こうの人が集まっている方から、真剣な声色での話が漏れ聞こえる。
そしてこちらでは、シュッシュっとリズム良く爪にやすりをかける音が響いている。
皆が襲撃に備えて忙しく働いているように、俺も真剣だ。
「ぬ」
そこへ、仕事がひと段落したのか、セリアーナがエレナを伴ってこちらにやって来た。
少しお疲れ気味だな。
俺もここから時折見ていたが、冒険者ギルドの職員を始め、入れ代わり立ち代わり来る者たちと何か協議を続けていたからな……。
「おつかれさまー」
「……お前……良い身分ね」
セリアーナは俺を見ると、呆れた様な声でそう言った。
なんかもう……これは毎度の事だな。
「お疲れ様。代わりましょうか?」
「いえ、そのままで構わないわ。貴方も昨夜からずっと詰めているのでしょう?」
フィオーラと言葉を交わすと、エレナと共にソファーに座った。
そして、再び呆れた様な視線をこちらへ……。
まぁ……今の俺の恰好はな。
フィオーラの膝枕で、テレサに手や足の爪の手入れを任せている。
この割とシリアスな空気が漂うリーゼルの執務室で、ここだけ明らかに空気が違うんだ。
いや……俺の所為なんだけどさ。
でも、この部屋で俺に求められている役割ってこれなんだよ。
来訪者に余裕を見せつつ、フィオーラの回復だ。
ぐぬぬ……と、セリアーナの視線を受け止めていると、今まで資料と地図を見比べていたジグハルトが、くつくつ笑いながら口を開いた。
「寝転がっていて役に立つんだから、面白いよな。青い顔をして部屋に入ってきた奴が、コイツを見た瞬間に急に間の抜けた表情を浮かべるんだ……」
それだけ言うと、また笑っている。
執務室は、入ってすぐの場所は何も無くて、左側は資料などが収められた書棚が並び、右側にリーゼルを始め皆の席が用意されている。
この部屋に入った人間は、大抵右側を向くようになっているんだ。
そして、この応接用のスペースは執務室の右奥にある。
部屋に入って早々に、寝転がる俺の姿が目に入るんだろうな。
その事はセリアーナだってわかっている。
わかってはいるが……自分が忙しいのに、同じ部屋で俺がここまであからさまに寛いでいるのが面白く無いんだろう。
フンっと鼻を鳴らして、腕を組みソファーに深く身を沈めた。
◇
しばらく経つとセリアーナも機嫌を直したのか、お茶を飲みながらテレサやエレナ、さらにフィオーラも混ざってお喋りをしている。
俺はセリアーナたちには加わらずに、本棚から持って来た資料などを読みつつ時間を潰していた。
読み終えた資料を本棚に戻しに行った帰りに、ふと窓の外を見ると、もう日も暮れかけてきている。
普段なら仕事は終了になっている時間だ。
だが、緊急事態なだけあって、この時間になっても相変わらず訪問者が途切れることは無く、部屋は騒がしいままだ。
「これって夜まで続くのかな?」
「いや、そろそろ途切れるだろう。いくら緊急事態とはいえ、魔物の襲撃に備えているのに暗い中で街の外に行くやつはいねぇよ。後は騎士団の本部や冒険者ギルドでの調整になるはずだ」
「あー……そう言えば、お客さんの雰囲気がちょっと変わって来てるね」
今もいる訪問者の服を見ると、仕立ての良い落ち着いた物だ。
領都内の比較的裕福な者なんだろう。
明るいうちは多かった、冒険者風の姿も何時の間にやら見なくなっていた。
街の外に出るような仕事はもう終わりなんだろう。
それこそ緊急事態になれば、お構いなしに出すだろうが、それは騎士団の役割だ。
この部屋の仕事ってのは言ってみれば領主の仕事だ。
ジグハルトが言うように、街の中での問題ならわざわざリーゼルが出なくても、十分対処できるだろう。
それなら、そろそろお開きになるかな……と思ったのだが。
「そうはならなそうよ?」
今までエレナ達とのお喋りに興じていたセリアーナが、そう口にした。
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この部屋は、基本的に廊下に立つ警備兵がドアを開ける様になっている。
たとえ、俺やセリアーナが相手でもそうだ。
なんと言っても、領主様の部屋だもんな。
部屋の前で入室相手を調べて、厳かにドアを開く。
警備兵の大事な仕事だ。
だが、そのドアがバンっと勢いよく開き、その装備から外の兵と一目でわかる男が勢いよく中に駆け込んできた。
部屋の中は一瞬静まり、皆の視線は新たに入って来た男に集中する。
「魔物の群れが一の森より姿を現しました!!」
皆の視線を浴びながらも、彼は部屋中に響くような大きな声でそう告げた。
「来たか……詳しく話せ」
「はっ! 失礼します」
オーギュストが部屋の中の騎士団員に何かを指示しながらそう言うと、彼もまたすぐに返事をしオーギュストの下に行き、説明を始めた。
少し緩んでいた部屋の空気がまた、一層緊迫したものになっている。
窓の外、次いで壁の時計に目をやるが、薄暗くはなっているもののまだ夜とは言えない。
「……魔物って夜行性じゃないの?」
魔物君のハッスルタイムはてっきり夜中だと思っていたのに……早くないか?
「勤勉なんだろう。ご苦労なこった」
「……なるほど」
勤勉と言っていいのかはともかく、暗くなってきた事で街の外に出る人間はいなくなるし、魔物から見ても街の雰囲気が変わる事はわかるだろう。
それを隙ととらえたのかもしれない。
結界があるとはいえ、背後から圧をかけられ続けたら、弱い魔物は従わざるを得ない。
うん……こりゃ戦闘になるな。
ジグハルトが軽い様子で言った言葉に頷いていると、セリアーナから言葉が飛んできた。
「お前と違って早起きなんじゃないの?」
「…………ぬぅ」
からかうようなその言葉に、ちょっと反論をしたくもなるが……それも確かにあるかもしれない。
思わず納得してしまい歯噛みしている俺を見て、セリアーナはご満悦の様子だ。
「セラ副長、ジグハルト」
そこへ、指示を出し終えたオーギュストが、お仕事モードでやって来た。
「私はこれから街の外の訓練場に向かい、あそこに本陣を構える。今はまだ魔物も偵察に過ぎないが、夜には本格的な襲撃が始まるだろう。2番隊にはそれから働いてもらう。2人は連絡が取れる場所にいてくれ」
「おう」
「はーい」
返事を聞きオーギュストは一つ頷くと、踵を返しリーゼルの下に向かい出発の挨拶をしている。
「……オレたちの出番あるのかな?」
起きたのは遅かったし、多少夜遅くなろうとも時間に関しては問題無いが……あまり緊張した状態が続くのって苦手なんだよな。
オーギュストが指揮を執るし、街に駐留している冒険者たちだっているんだ。
実はあっさり片付いたりしないかな?
「そりゃ、あるだろう。何年か前に倒したデカいクマを覚えているか? アレも直接攻め込んできたのは最後の最後だったろう? まずは配下に探らせて、弱らせてから襲うってのが常套手段だ」
「……こっちが弱らなかったら?」
「その時は、配下を使い捨てて逃げ出したって結果が残るな。逃げ延びても、ボスの座を追われるだろうよ。だが、それは俺たちからしたらあまり望ましいとは言えない。街への襲撃は防げはしても、また群れを形成されかねないからな。倒せる機会は逃したくない。そこは俺やオーギュストが上手くやるさ」
俺の疑問にジグハルトは自信たっぷりに答えた。
色々作戦を考えたりと、魔物も頭はいいが……結局はものを言うのは戦闘能力か。
んで、メンツを守る為にも力を見せないといけない。
自身が前に出て、相手の群れのボスを倒す……と。
この場合のボスってのは、オーギュストかジグハルトか……負ける姿が想像できないな。
そりゃー自信たっぷりにもなるか。
◇
オーギュストが出て行って、1時間程が経った。
つい先程、戦闘が開始したと連絡があったが、ここまで戦闘音は届かない。
距離があるし窓を閉めているからってのもあるだろうが、今のところは魔法を使うような派手な戦闘は起きていない様だ。
「セラ」
窓に張り付いている俺に向かって、セリアーナが声をかけてきた。
振り向くとテレサが立ち上がっている。
「なに?」
「今のうちにテレサと準備をしてきなさい」
「む」
流石に俺も寝間着で参戦する気は無いし、それは構わないのだが……もしかしたら思ったよりも早めに出番が来るのかな?
先程からチラホラセリアーナは自身の加護を使っていたもんな。
全体の指揮はリーゼルが執っているから口出しする気は無いようだが、俺たちよりも状況はわかっているんだろう。
「そうだね……想定よりも進行が早まっているし、まだ抑えられているうちに準備を済ませておいて欲しいな」
リーゼルもこちらを見てそう言う。
押されている様子は無いけれど、やはり展開が早いようだ。
色んなアレコレは【隠れ家】に放り込んでいるし、席を外せるうちにやっちまおう!
窓から離れて、部屋を出ようとしたのだが、ふとソファーに腰かけたままのジグハルトが目に入った。
彼はいつもと大して変わらない軽装だ。
そのままでいいのかな?
「俺はこれで十分だ」
「そか……」
俺の視線に気付いたジグハルトは、事も無げにそう言った。
まぁ……このおっさんが攻撃食らう様なことは無いか。
「わかったよ。んじゃ、行こうテレサ」
「はい。参りましょう」
俺はテレサを伴い、セリアーナの寝室に向かう事にした。
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