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「こっ……これは奥様っ!?」


 リーゼルの執務室前の警備の兵が、唐突に現れたセリアーナに声を裏返らせて驚いている。


「リーゼルに用があるの。入れなさい」


「はっ! 少々お待ちください。…………どうぞ、お入りください」


 驚きつつも、すぐに中に伺いを立てて入室の許可を得てきた。

 仕事に忠実だ。


「ご苦労様」


 と、セリアーナは一言声をかけると、そのまま中に入っていった。


「やあ、セリ……ア。……どうしたんだい?」


 中では、雨季だろうがお構いなしに、相変わらず仕事を頑張る文官衆とリーゼル。

 そのリーゼルが、セリアーナを見て目を丸くしている。


 今のセリアーナは、タイトなパンツにジャケット、膝までのブーツを履いて、髪はポニーテールにしている。

 普段とはまるっきり違う格好で、さらに【浮き玉】に乗って、俺を膝上に抱えている。

 ちなみに俺の恰好は、エプロンを外したメイド服で、セリアーナに横座りしている。


 こんなんがいきなり入ってきたら……まぁね……驚くよね。


「ちょっと、出かけて来るわ」


「……外は大雨だよ? 傘でもさすのかい?」


 そして今度は、セリアーナの前置き無しの言葉に戸惑っている。

 セリアーナの部屋よりも、この部屋の窓は数が多いしサイズも大きい。

 窓に当たる雨音も段違いだ。

 普段から外に出る事が滅多に無いセリアーナが、この中を出かけるって言ったら、そりゃ、こんな反応するよね。


「セラの加護が雨を弾けたのよ。問題無いわ」


「セラ君の加護……? ああ……風か。雨も弾けるのか」


「オレも知らんかったのよ。さっきセリア様に外出て見ろって言われて、試したら出来たんだ」


「わかった……君なら危険も無いだろう。でも、一応気を付けるんだよ?」


 俺の言葉を聞いたリーゼルは困った様な顔で笑った後、数秒口元に手を当てて悩んでいたが……お出かけの許可を出す気になったようだ。

 セリアーナなら、敵対心を持つ者がどこにいるかわかるしな。

 そして、俺のヘビたちの目と【妖精の瞳】で、詳細もわかる。


 さらに、【浮き玉】の高機動と【風の衣】の防御力が合わされば、むしろ守りはここよりも完璧だ。

【琥珀の盾】は……あれって、くっついてたら対象になるのかな?


 まぁ、いいや。

 とにかく、街中での防御に関してはこれ以上は望めないってレベルだ。


「ええ、もちろんよ」


「セラ君、セリアを頼むよ」


「はーい」


 うむ。

 これは自信を持って返事が出来るな!


 ってことで、許可も得たしリーゼルの部屋を出て屋敷の玄関に向かう事にした。

 窓から出ればすぐなのにと思うが、セリアーナ的にはNGらしい。

 初めて乗った時は窓から出たが……あれは夜だったし、俺たちしか周りにいなかったからかな?


 ◇


「掴まっておくのよ」


 大きく開いた玄関の前で浮いている俺たちを、不安そうにこちらを見守る本館の使用人たち。

 彼等を尻目に、飛ばす気満々なセリアーナ。

 セリアーナは俺の肩に手を回しているし、一応、俺も彼女の腰に両腕を回してはいるが……。


「しっぽも出して良い?」


 ちょっと自信は無い。

 昔のコンパクト具合に比べたら俺も成長したからな……落っことされたら大変だ。


「……片腕で持てるのに落とすわけ無いでしょう? まあ、いいわ。軽くにしなさいよ」


「ほい」


【蛇の尾】を発動したのだが、こっちの使用人は見慣れていないのか、小さな悲鳴が聞こえた。

 慌ててサイズを小さくして、セリアーナの腰に一巻き。

 準備は完了だ。


「いいよ。【風の衣】とかもバッチシ!」


「結構。行くわよ」


 セリアーナは一つ頷くと……。


「おわっ!?」


 徐々に速度を上げていくとかじゃなくて、急発進をした。


 玄関前には馬車が入れ違えるほどの広さがあるが、一気にそこを通り越して、屋敷の外門も飛び越えていった。

 その門前を、この雨の中警備している兵たちが何やら指差して声を上げているが……あっという間に鉛筆の先程の大きさになってしまった。


「セリア様っ!? はやすぎっ!」


 あわわわわっと、必死にしがみつきながら声を上げた。

 風圧を感じないから、体感しにくいが……これは相当速度が出ているぞ?


「……この加護、便利ね」


 悲鳴を上げていた俺を無視して、いつの間にやら冒険者ギルドの上にまで来ている。

 どうやら、セリアーナは【浮き玉】と【風の衣】のコンボがお気に召した様だ。

 まぁ、風圧だけじゃなくて雨まで弾けているしな。

 確かにめちゃくちゃ便利だ。


「……そりゃ良かった。それで、ここに何か用があるの? 一直線に来たけど」


 暇って言っていたからなんとなくお出かけしているけれど、特に目的とかは聞いていない。

 しがみついていた体を放して、彼女の顔を見ると何やら下を見ている。

 俺もそちらに視線を移すが……。


「お?」


 ここは冒険者地区で、冒険者用の武具や防具の店、そして薬品類を取り扱う店はあるが、飲食店は無い。

 だからこそ、なんか店が欲しいとかの要望が出ていたんだが……。

 基本的に、このエリアを往く人々はさっさと目的地に行く為、道端で足を止めることは無い。

 だが、路地に多くの人の気配がある。

 上からだと人の姿はよく見えないが……。


「屋根付きの露店ね。……随分準備が良いこと」


 セリアーナは下を見ながら、呆れ半分感心半分でそう言った。


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 冒険者地区のお店事情。

 武器や防具そして薬品類がメインなわけだが、実は出店している店舗の数はそこまで多くは無い。

 だが、冒険者ギルドを中心に、デカい建造物が建ち並んでいる。

 それは何かって言うと、倉庫だ。

 それもタダの倉庫じゃない。

 空調完備の優れものだ。


 薬品類は言わずもがな、武器や防具も保管場所には気を使うらしい。

 金属や革製品に、なにで出来ているかわからない、謎素材製の武具……。

 色々あるもんな。

 で、それだけの設備を用意できるところが店を構えている。

 何も寡占独占ってわけじゃ無いそうだ。


 ちなみに、騎士団の装備は職人街の工房に一任しているんだとか。

 向こうは商業ギルドの管轄だな。


 そこら辺も調べていくと面白いんだが……とりあえず今は露店だ。

 そのデッカイ倉庫の並びに、屋根付きの屋台が何店も。

 うーむ……昼間っから客が入っている事と良い、ちょっとした立ち飲み屋だな。

 セリアーナが言うように、たった数日でよく準備できたもんだ。


 と、感心していると、なにやらその屋台群がドンドン大きく……。


「……!? 待って待って」


 何故か高度を下げ始めたセリアーナを慌てて制止した。

 自分で操作していないから、風圧がカットされていると動き出しが全然わからないな。


 ともあれ、言葉の綾とはいえ、一応リーゼルからセリアーナの事を頼むって言われているんだ。

 普段はもっとお上品な場所にすら、エレナやテレサを始めしっかり護衛を付けているのに、こんな荒っぽい所に俺だけで行かせるわけにはいかない。

 だが、俺の必死の制止を無視して、あっという間に地面から1メートルほどの、俺が普段浮いている高さにまで降下した。


 ◇


 俺たちが降りたのは、通りの端にある屋台のすぐ前だ。

 視線が上から横に変わった事で、通りの様子もよくわかる。

 各屋台はどれも似たような造りで、屋根とカウンターがあって、椅子は無い。

 客は皆立ったままで、長居するにはちょっと窮屈そう。


「ん? …………っ!?」


 地上に降りた事で、屋台の客たちもようやく俺たちの存在に気が付いたようだ。

 一拍置いて、なにやら驚いている。


 雨の中無音で、それも上空から現れたんだ。

 それで驚くなってのも無理な話かもしれないが、この連中は俺の事を知っているし……それなら、驚愕している原因はセリアーナか。

 いきなり空から綺麗なねーちゃんが降ってきたらそりゃ驚くか。


「……多いわね」


 そう呟くと、ゆっくり移動を開始した。


 通り過ぎながら、建ち並ぶ屋台とそこの客たちを睥睨するセリアーナは、昼にも拘らず、酒を飲んでいる客が多いことを不思議に思っているようだ。

 平民に対して理解はあるし、別に見下したりしているわけじゃ無いんだろうが、やっぱりお嬢様だからな。

 この通りの屋台進出の後押しをしたとは言え、彼等の姿が奇異なものに映るんだろう。


「ダンジョンは昼も夜も関係無いからね」


 通り過ぎる際に俺も屋台の様子を探っているが、なにか取り決めでもあるのか、皆同じサイズのコップで飲んでいる。

 その一杯で酔っ払うってのは難しいかもしれないが、それでもタフな仕事明けの一杯ってのは、やっぱり良いもんだ。

 この世界の飲兵衛事情はよく知らないが、似たようなもんだろう。


 さて、程なくして……屋台通りとでも言えばいいのかな?

 この通りの視察が何事も無く完了した。

 途中、中からだと見えないだろうに、客の様子で俺たちに気付いた店主が出てきたり、巡回の兵たちが駆け寄ってきたりして、それをセリアーナが手を振って追っ払う……そんな一幕もあったが、些細な事だ。

 大分速度を落としていたから、数百メートルとはいえ5分近くかかってしまったが、いやはや緊張したぜ。

 勝手にこの場の視察を決めた張本人は、涼しい顔だ。


 しかしまぁ、昔俺がまだ孤児院にいた頃は、酒場の周りとかゴミとかそれ以外の物も散乱していたもんだが……通りにはゴミ一つ落ちていない。

 たった数年でよくもまぁ、ここまで変わるもんだ。


「行くわよ」


 さて、呆れる俺をよそに、一通り見て回って満足したセリアーナは、一言呟くと……。


「うん……っ!?」


 俺の返事を待たずに急上昇を始めた。


 辛うじて首だけで下を見ると、雨が降っているにもかかわらず、ワラワラ屋台から客が姿を見せている。

 何だったんだ……とでも思われているのかな?

 きっと今日の酒場の話題になるんだろうな……。


 セリアーナは、ある程度の高度に達したところで上昇を止めて、移動を開始した。


「もういいの?」


「冒険者地区はもういいわ。次に行くわよ」


「……次?」


 冒険者ギルドの上空で滞空して下の様子を眺めているセリアーナに、視察はもう良いのかと聞くと、どうやらまだまだ続ける模様だ。

 向かっている方角は南側だが……街の外にはいかないよな……?

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