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「ただいまー! ……って、あら? セリア様は?」


 窓から執務室に飛び込み、帰還の挨拶をしたのだが……セリアーナの姿が見えない。

 窓を開けたタイミングの良さから、彼女が部屋から指示を出したのだと思ったが……違ったのかな?


「あははっ。雨が降ってきただろう? それでたまたま外を見たら、君が慌ててこちらに向かって来ているのがわかったんだ。濡れていないかい? 使うといい」


 リーゼルは、キョロキョロする俺を見て笑い声をあげると、タオルを渡してきた。

 そして、俺がタオルを受け取ると、再び話を始めた。


「セリアは、商業ギルドの幹部陣の奥方たちと会っているよ。場所はセリアの執務室だが……今君が行くと少し盛り上がり過ぎるかもしれないね……」


「あらま」


 今日は特に予定が入っていなかったはずだけど……飛び入りかな?

 商業ギルドのお偉いさんの奥さんたちは、確か記念祭で何人かと挨拶をしたことはあったけれど、それ以外は特に接点は無い。

 どんな人たちかはリーゼルの方が詳しいだろうし、その彼がそう言うんならそうなんだろう。


 しかし、そうなると俺はどこに行けばいいんだろう。


「どーすっかな……。あ、そうだ。はい」


「ん? ああ……ご苦労だったね。ありがとう」


 どうしたもんかと迷ったが、とりあえず今日のお使いを完了しておこうと、訓練所と冒険者ギルドでの報告をまとめたメモを渡した。

 訓練所はもちろん、冒険者ギルドの報告も特に問題は無かった。

 ダンジョン探索の許可を得るための魔境の依頼ってのがちょっと曲者扱いされているが、場所が場所だし意外と受け入れられている。

 セリアーナ提案の、ダンジョン前のあのカフェっぽいロビーも好評らしい。

 領都の冒険者ギルドは、領内の冒険者ギルドの纏め役も兼ねていて各街の情報が入って来るが、どこも懸念していた揉め事等は起きていないんだとか。


 強いて問題というか……冒険者たちの要望を挙げるとするなら、酒と食べ物だ。

 あのロビーで食事も出来るようにして欲しいって声があるらしい。


 ダンジョンから帰還して、上がったテンションのまま飲みたいんだろうが、それを認めるわけにはいかない。

 だから、外に出ないといけないが、冒険者ギルドと、酒場や食堂がある場所はちょっと離れているからな……。

 店に着くころには一段クールダウンしちゃってるんだろう。


 一応他の冒険者ギルドも、ダンジョン入り口前のロビーで酒を出したりはしないだろうし、冒険者たちもわかっちゃいるんだろうが、ウチはなまじ落ち着けるような場所にしているからな……。

 ついつい、ここで酒が飲めたらって考えちゃうのかもな。


「なるほどね……」


 メモに目を通していたリーゼルは、一言呟くと顔を上げた。

 困った様な表情を浮かべているが……すぐに引っ込めて元に戻る。

 そして、まずは訓練所での報告を書いたメモを取った。


「こちらの施策は順調な様だね。魔物の放置死体に関しては、改めて通達をしておこう。それで様子見だ。近く領都内の各ギルドとの会合があるし、そこで議題にのせるよ」


 ついで、もう一枚の方を手に取った。


「こちらに関しては……冒険者ギルドで酒を提供する事は却下だが……多少は要望を飲めるかもしれないね」


「ほ?」


「まあ、それは後のことだね。とりあえず、向こうで少し休んでいくと良い」


 どういうこっちゃ?

 と、思ったのだが、話は終わりなのか、リーゼルは奥のドアを指してそう言った。


 ふぬ……よくわからんが、セリアーナの部屋はまだ行かない方が良さそうだし、それまでそこで時間を潰させてもらうかな。


 ◇


「姫、迎えに参りました」


 リーゼルの談話室でゴロゴロし始めてどれくらい経ったかな?

 そろそろ日が落ち始めるって頃に、わざわざテレサが迎えにやって来た。


「ふがっ!?」


 寝てないぞ?

 ちょっと意識がどこかに行っていただけだ。


 ともあれ……。


「おきゃくさん、もーかえったの?」


「はい。つい先程。【浮き玉】は使えますか? それとも私が抱えますか?」


「じぶんでかえる」


 足元に転がしていた【浮き玉】を手繰り寄せて、乗っかった。

 そしてそのままテレサの後を、ふよふよとついて行く。

 執務室では相変わらず皆忙しそうに仕事をしているが、この人達ってマジで何時休んでるんだろう?


「ほっ」


【祈り】が果たして事務仕事にも成果があるのかはわからないが……肩こりや腰痛には効くかもしれないし、ないよりゃマシだろう。

【祈り】に気付いたリーゼルが軽く手を上げていた。

 俺もそれに手を上げて応えて、退室だ。


「今日はもうセリア様の仕事は無いのかな?」


 セリアーナの部屋に向かう途中の廊下で、テレサに部屋に戻ってからの事を訊ねる事にした。

 もう夕方ではあるが、仕事がある時は夜まであるしな……。


「はい。今日の仕事はすべて終えています。それと、明日からはしばらくはお休みになります」


「……あれ? 雨季の間は忙しいとか言ってなかったっけ?」


 雨季の間は街を出る者はそうはいない。

 商人達もそうだ。

 次に街を出るとしたら雨季が明けてからだが、もうじき冬になるし、日が落ちるのも早くなっている。

 グズグズしていると、春まで先延ばしになってしまうから、こぞって出て行くそうだ。


 だから、その前に何とか爪痕を……と、面会の予定とかが増えるって聞いていたんだが……。


「商業ギルドでもいくらか受け持ってもらうようにしました。色々進めていくので、あまり他所の者たちに時間を取られるわけにもいきませんからね」


「へー……」


 今日会っていたってのもそれ絡みなのかな?

 領都の商業ギルドの幹部ともなれば、領内の商人たちにそれなりに影響力はあるだろうし……。

 アウトソーシングってやつかな?


 セリアーナたちも、しばらくのんびりできそうだな。


548


 ザーザーと雨が屋根を打ち付ける音が屋敷に響いている。

 雨季に入って3日目。

 今年も変わらぬ連日連夜の大雨……来年の春の雨季まで水不足の心配はなさそうだな。

 街も拡張工事を進めながら、同時に水路の整備もしっかり行っているため、冠水なんかもしていない。

 平和で何よりだ。

 もしも、どエライ事が起きていたら、最悪俺が出動させられていたかもしれないもんな。


 リーゼルを筆頭とした領都の文官衆に感謝の念を抱きながら、窓の外を眺めていたのだが……。


「暇ね」


 執務室のソファーに座るセリアーナが、ポツリと一言呟いた。


 セリアーナは、本来は雨季の間もアレコレ仕事の予定があったのだが、どうやら商業ギルド幹部陣の奥様連を上手い事誘導して、大幅な仕事の削減に成功していた。

 俺が聞いた分だと、冒険者ギルド前の大通りに、露店……というよりも、ちょっとした飲食が可能な屋台だな。

 その出店許可を与えたらしい。


 この街は、色々職種によって縄張りがあって、冒険者地区、商業地区、職人地区等々に分かれていて、互いが互いの領域を侵さないように気を付けている。

 だが、この度セリアーナの仲立ちで、少し緩和されたんだ。


 ダンジョンから帰還して、そこで一杯二杯ひっかけて、ついでに軽く腹にも何か入れてから本格的に街に繰り出す。

 冒険者たちからの要望にもあった酒場や食堂が遠いって問題を、少しは緩和できるだろう。


 冒険者たちは気軽に飲み食いが出来て、商業ギルドの連中は上手く客を誘導出来て、さらに酔っ払いの対策名目で冒険者地区に1番隊を出入りさせることもできる。

 そしてそして、そのためにセリアーナ自らが骨を折ったってことを押し出して、他所の商人たちの相手を商業ギルドに押し付ける……なんだかんだでウチの連中は皆得をしている。

 という訳で、予定がすっかり空いている。


 昨日一昨日は、俺と同じくらいの時間に起きていた。

 セリアーナと一緒に朝食を食べたが、中々レアな経験だ。

 その後も、普段のキチっとした恰好では無く、ラフな服を着て化粧も薄っすらとした、完全なオフ用の恰好で過ごしていた。


 だが……今日は違った。

 普段から忙しい生活に慣れて、尚且つ真面目な性格が災いしてか、だらける事が落ち着かない様で、なんか早朝からゴソゴソしていた。

 セリアーナがオフになるからって事で、南館で働く使用人にも休みを与えているし、自分で色々やっていたんだろう。


 そして、着替えや食事の用意も自分で済ませて、ノソノソ起き出した俺の用意もして、今に至る。


「セリア様、飽きるの早くない?」


 部屋には俺と2人だけだ。

 ひとり言か、あるいは俺に何かやれって事なんだろうか?


「仕方ないじゃない……」


「……なんか前も似たようなやり取りした覚えがあるね。また屋敷の中でもうろつく? 【小玉】貸そうか?」


 住んでいるとはいえ、普段は移動する箇所は限られている。

 やる事無いなら色々見回るのもいいだろう。

 この屋敷は大分広いから歩きで見て回るのは大変だが、【浮き玉】と【小玉】でなら、些細な事だ。


 だが、俺のアイディアはお気に召さない様で、不満顔のままだ。


「屋敷の中を見てもね……。そうね……」


 何かを思いついたのか、顔を上げて俺の方を見た。

 楽し気な笑みを浮かべているが……何させるんだ?


「お前、外に出て見なさい」


「……は?」


 外めっちゃ雨よ?


「なによ……嫌なの?」


「嫌に決まってんじゃん……」


 足が汚れるからって理由で、【浮き玉】から降りることすら滅多に無い俺だ。

 まぁ、靴履けよって話だが、それはまた別の問題だ。

 傘はあるが、真上から降っているだけじゃ無いし、この雨の中出かけたらびしょ濡れになるに決まっている。

 俺は濡れるのは嫌だぞ?


「あら? お前、加護があるでしょう?」


「ほ?」


 しかし、事も無げに言い放ったセリアーナの言葉に、思わず首を傾げた。


 ◇


 土砂降りの中、【浮き玉】を駆使してふよふよと漂う、手ぶらの俺。

 だが、水滴1つ体にはかかっていない。


「……いやーイケるとは思わんかったね。ってか、考えもしなかったよ」


【風の衣】……俺が持つ加護だ。

 発動したら、外部からの攻撃を弾くし、ある一定状の速度に達したら風圧も凌いでくれる。

 だが、まさかただドバドバ降っている雨も弾いてくれるとは思いもしなかった。


 ……これって、ひょっとして俺が不快に思うかどうかとかで判断しているのかな?

 セリアーナに言われなければ多分、一生気付かなかったと思う。

 俺、雨が降ってる時は引きこもってるもんな……。


「戻ったよー。いやー……全然濡れなかったわ! びっくり」


「それは大変結構。なら、行けるわね」


 一通り南館の周りを飛び回って、セリアーナの部屋に戻ると、セリアーナはスカート姿から乗馬スタイルに着替えていた。

 まぁ、雨の中上を見るような人がいるとは思えないが、一応領主夫人が足を見せちゃいかんよね。


「あー……でも」


 ただし、問題が何も無いわけじゃ無かった。

 どうやら雨粒も攻撃判定になるようだが、風を越えてくることは無い。

 だが、なんか気になるんだよ。

【風の衣】は俺の意志にも反応するし、【浮き玉】だってそうだ。


 だからだろうか?

 ちょっと、意図せぬ変な動きをしていた。

 それに【小玉】で合わせるのって難しくないのかな?

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