229
529
ダンジョンから帰還後に訪れていた研究室だが、何だかんだでそのまま留まり続けて、気づいた時には夕方を過ぎていた。
なんというかこの部屋……時間がよくわからないんだ。
地下だし、重要施設という事もあって窓が無い。
時計やタイマーなんかは、加工の時間を計るのに使うからか、そこら中に転がっているが、逆に数が多過ぎて訳がわからなくなっている。
加えて、コポコポ、カチャカチャと静かな音がそこら中から聞こえてくるから、慣れていないと段々ボーっと……前世の電車とかで、乗っていると段々ボーっとしてくるあれと同じだな。
結局テレサが夕食に呼びに来るまでの間、【浮き玉】を膝に抱えて、机に顎を乗せたままボーっと皆の作業を眺めていた。
◇
夕食後、リーゼルたちも一緒に談話室に移り、お茶をすることになった。
そして、この面子は皆ダンジョンの事を知っている事もあって、今日の探索兼「燃焼玉」の試用についての話をした。
この「燃焼玉」に限らず、アイテムは便利ではあるが、実は冒険者でも騎士団でも、そこまで使われていなかったりする。
もちろんポーションは別だが、どこにでも売っているわけじゃ無く、入手するには個別に注文を出さなければいけなかったり、使う場が限定されたりと、気軽に使える代物ではない。
何よりお高い物だもんな。
冒険者からしたら、そんな物を使わないといけない狩場ってのは、身の丈にあって無いと判断するんだろう。
稀に好んで利用する者もいるが、大半は敬遠する。
んで、騎士団は団内の魔導士で事足りるし、わざわざ使うまでも無いって事だ。
そこへ、俺が微妙に変なアイテムを注文した。
強力な魔物を倒せるだけの破壊力があるわけでも無く、かといって味方の支援や回復に使えるわけでも無い。
だが、戦闘中の魔物の行動を阻害する事は出来る。
それもダンジョン限定だ。
もし使い勝手が良いのなら、ダンジョン攻略用のアイテムとして表に出せる。
下層や未踏の深層と言った、強敵だらけの階層だけじゃなくても、犠牲者が出る事はある。
だが、もしこのアイテムが有効なら、魔法を使えない者たちでも魔物の牽制が出来るし、上手くいけば犠牲者を減らす事に繋がるかもしれない。
リーゼルは一つ大きく頷くと、口を開いた。
「そうか……アイテムは上手くいったんだね。はじめ聞いた時は随分手軽な物だから、果たしてどれほど効果があるかと思っていたが……この分ならリアーナのダンジョンでの使用を許可してもよさそうかな? タダで……とは流石にいかないが、領地側で代金を多少は負担してもいいだろうね」
冒険者ギルドで売り出しでもするつもりなのかな?
まぁ、ダンジョンの魔物相手にしか使えない物だし、そこまで危険は無いもんな。
しかし、アレが1個いくらになるのかはわからないが、負担するとか……豪勢な事だ。
「随分甘やかすのね? それでまともに探索が出来る冒険者が育つの?」
セリアーナもちょっと甘やかしすぎじゃないかと思ったようで、意見している。
「ダンジョンに慣れていないとは言え、ここの冒険者は元々腕は立つ者が多いからね。それに、外部や新規の冒険者もダンジョンの探索許可を得る過程で、腕は保証されているんだ。支部長達とも協議中ではあるが、ダンジョンの情報も含めてある程度こちらからも支援をしていくつもりなんだよ」
流石に誰にでもってわけじゃなさそうだけれど、このリアーナ領の冒険者への支援の一環なのか。
支部長はどちらかと言うと、冒険者への優遇措置というかそういった事を勧めている人だしな……。
領地に冒険者が居ついたら、開拓の護衛など外の任務にも充てられるし、悪い事じゃない。
領内は、場所はもちろんお金も余ってるそうだし、増えた冒険者が活躍する場はいくらでもあるし用意できるだろう。
「そう。まあ、ウチのダンジョンで死ぬような事が無ければそれでいいわ」
「あははっ。そこは気を付けさせるさ」
中々黒い事を言っている……。
まぁ……彼等にしたら要は魔物を倒して聖貨を稼いでくれたらいいわけだしな……。
ともあれ、ここは聞かないことにしておこう。
◇
何度か話題が変わりながらも、皆の会話に参加することなくお茶を飲んでいると、またも話題が変化した。
「今月末か来月頭に到着するようだよ」
聖貨の輸送部隊の話だ。
王都からはるばる数ヶ月かけてここまで……ただの空箱ってことは無いだろうし、何かを運んでいるんだろうけれど……いやはやご苦労様だ。
「到着の翌日に、ダンジョンの開通に向けた準備をすることになっている。もちろん振りだけどね。そして、リアーナにダンジョンが開通した事を確認してから、今度は船を使った水路で王都まで帰還することになっている。セラ君」
「ほ?」
ぼんやり聞いていると、突如名を呼ばれた。
「それに向けての準備で来週からダンジョンはもちろん、冒険者ギルドも閉鎖されるから、そのつもりでいてくれ」
「ぉぉぅ……了解です」
ダンジョン入り口があるあのホールで何かをやるのかな?
まだ冒険者ギルドの地上とも繋がっていないし、そこら辺の工事をしたりもするんだろう。
「まだ少し余裕はあるけれど、お前はどうするの? また下層に挑むのかしら?」
と、セリアーナ。
今日のダンジョンでの様子は報告してあるしな……また行くとなるとジグハルトを護衛につけろとか言いそうだし……。
「いや……ダンジョンは止めとくよ。しばらくは屋敷でゴロゴロかな? ついでにもう少し上手く動けないか考えてみる」
下層の戦闘を振り返りながら、より効率の良い戦い方のシミュレーションでもしようかな?
「そう。ならお説教は止めておきましょう」
……セーフ。
530・噂が気になる人 side
中央大陸東部のメサリア王国。
そのさらに東の端、魔境に接する新興の公爵領リアーナ。
そこの領都で、最近にわかに噂されるようになったことがある。
「セリアーナ様が、女神の様に煌めいていた……」と。
出所は商業ギルドで、月の中頃に、高台の上にある領主邸で開かれたパーティーの翌日からだ。
その噂は、パーティーに出席した者から広がり、今では街の主要なものは一度は耳にしている。
セリアーナが街に降りてくることは滅多に無いが、それでも領都に住む者なら、新年の祝いや記念祭で姿を目にする機会はあるし、昔から東部で評判の美姫と評されていたため、彼女の美醜に関しては議論の余地は無い。
そして、昨年二児を出産しても尚その評判に違わぬ美貌を誇っている。
だが、今までこの様な噂が立つことは無かった。
◇
領都の貴族街近くに広がる住宅地。
整備も進み治安も良く住める者が限られた、人気の一等地だ。
昼間は人の出入りも多いが、夜も更けた今では暗くひっそり静まり返っている。
その一画に建つ一軒の屋敷。
この屋敷の主は、まだここがゼルキス領でルトルと呼ばれていた頃から営まれている、老舗の商会の会頭だ。
妻は救護院に手伝いに出たり、娘も領主の屋敷で使用人として働いていたりしていて、商会の規模に比べると街の住民への影響力は大きい。
所謂、街の顔役の1人だ。
とはいえ、あくまで住民への影響力のみで、商業ギルドにも顔は利くが実際に何かを動かしたりといった権限は持っておらず、領主主催のパーティーに出席できるような地位でも無い。
件のパーティーにも勿論出席していなかった。
商業ギルドの関係者で出席した者に直接会って確かめようにも、自分以外にもそう考えているものが多く、中々面会の約束を取り付ける事が出来ず、また、同業者に借りを作るような真似も出来れば避けたかった。
だが、今はまだ無いが、いずれは他領の者から噂について聞かれることもあるだろう。
その際に、他人から伝え聞いた事をそのまま伝えるだけという訳にはいかない。
「……お父様、用は何なのですか? あるから呼んだのでしょう?」
だからこそ、男は娘を自室に呼び出すと、しばし躊躇ってはいたが娘にその噂の真偽を直接問う事にした。
無論まともに答えが返って来るとは思っていないが……。
「街でのセリアーナ様に関する噂を知っているか?」
その言葉に娘はうんざりしたような顔を見せる。
「お母様からも聞かれましたよ……。領主様や奥様を始め屋敷での事は漏らす事は出来ません。散々言いましたよね?」
昨年のセリアーナが妊娠していた時期にも、同じやり取りを散々繰り返してきたが、何一つ漏らすことは無かった。
リアーナの領主リーゼルは、王家の直系で公爵位を持つ。
たかが使用人と言えど、その彼の下で働くのは平民の女性の勤め先としては最高位のものだ。
相応の規律が求められるし、何より最初に叩き込まれる。
領主一家の情報は、どれほど些細な事……たとえ街で既に知られている事だとしても、決して漏らしたりはしない。
「だろうな……。ならセラ様についてはどうだ?」
セラ……彼女が働く本館には、基本的に執務室か地下の訓練所くらいしか寄り付かず、普段は南館にいる事が多いが、それでも多少は面識がある。
現時点での身分はセリアーナ直属の配下であり専属の冒険者であり、そして屋敷の使用人でもあるが、セリアーナの部屋で寝泊まりし、領主の部屋にも自由に出入りしている。
近いうちに、セリアーナの実家であるミュラー家の養子になると屋敷内でも噂され、王妃を始め多くの高位貴族との繋がりを持つ、不思議な少女だ。
そして、その噂の根源に深くかかわっている。
確かにセラは領主一家では無く使用人ではあるが……。
「同じです。屋敷でのことは漏らせません」
娘ははっきりと断った。
そして、言葉を続ける。
「何かご領主様方に伺いたいことがあるのなら、正規の手順を踏めばよろしいのですよ。たとえそれで断られたとしても、その時はその時です。お2人ともその程度で立腹される方ではありません。むしろ私を通してコソコソ探る様な事をする方が、よっぽどです」
「む……確かにな」
男はそう呟くと、娘を下がらせた。
娘は具体的な事こそ何も言わなかったが、それでも噂については否定をしなかったし、使用人という近い距離から領主やセリアーナについての印象も聞くことが出来た。
自分が抜きんでる事は出来そうに無いが、それは他者もそうで、むしろ不興を買うような真似をせずに済む。
娘を領主の屋敷に勤めに出したことは無駄では無かったと、胸をなでおろすと、ペンを取り手紙を書き始めた。
◇
「失礼します」
そう言うと、盆一杯に手紙を乗せたメイドがセリアーナの部屋に入ってきた。
彼女は一礼し、セリアーナの執務机にそれを置くと、部屋を下がろうとしたのだが……。
「待ちなさい。すぐに終わるからそこで待っていて頂戴」
セリアーナはその場で待機するように申し付けると、エレナとテレサに手紙を開かせて、彼女達から受け取るとすぐに返事を書き始めた。
メイドは失礼が無い程度に部屋の中に視線を廻らせると、部屋の来客用に置かれたソファーに寝転がるセラが目に入る。
何か本を読んでいる様だが……いつもの光景だと視線を正面に戻すと、机に視線を落としていたセリアーナが顔を上げて、セラを呼んだ。
そして、いくつか言葉を交わすと、また作業に戻った。
「待たせたわね。持って行って頂戴」
10数通あった手紙だが、どれも大した用件では無かったようで返事を書き終えるのは10分もかからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます