第155話
378
【本文】
雨季に入り例年通り、外は大雨が降り続いている。
俺やアレクは、騎士団本部に向かうのに、屋敷の地下訓練所から繋がっている通路を利用するようになった。
一応主要施設には外も屋根付きの通路で繋がっているが、あくまで屋根だけで壁は無く、気温は低いままだ。
その温いルートは幹部の特権だな。
普段から薄着の俺にはありがたい。
「お? やっているな……」
屋敷から地下に降りて訓練所に入ると、前を歩くアレクが何かを見つけたようで、そう呟いた。
「んー? あ、ほんとだね」
何かなー? と、肩越しに覗いてみると、乳母さんの夫たちが木槍を振っている姿が見えた。
指導役の騎士や、今はもう見習いの肩書きが取れた女性兵士達と一緒に、訓練を行っている。
思えば彼女達も随分動きが良くなった。
未だ女性客が宿泊したことは無いが、この分なら充分務めを果たせるだろう。
さて、先日雇った乳母さんたちは、当たり前だが乳母さんとして働くことになっている。
子供たちが乳離れした後は侍女として、リセリア家に仕える予定だ。
そして、その夫たちは屋敷の警備兵として働くことが決まった。
所属は騎士団の1番隊になるが、当分の間は屋敷の警備が役割だ。
ただし、騎士団所属とは言え生活には大分制限がつくことになる。
本人ではなく妻が、だが、領主夫人の大分プライベートな部分にまで入る事が出来る以上、外部との接触は出来ない様にするそうだ。
そのうち解除されるそうだが、それがいつになるかはわからない。
手紙くらいは出せるが、しっかり検閲されるし、当分は窮屈な生活を送ることになる。
新しく越してきたばかりなのに、大変だ……。
入口で彼等を眺めていると、俺達に気付いたのか手を止めて直立している。
「ああ、手を止めなくていい。そのまま続けろ。……セラ行くぞ」
「ほい」
訓練の邪魔をしちゃいかんと、アレクと共にいそいそと通り抜け、奥の通路に入ってすぐに、後ろから再び木槍同士を打ち付ける音が聞こえ始めてきた。
「ねーアレク、彼等はどんな感じ?」
暗いわけでは無いが、相変わらず辛気臭い通路を無言で進むのも何なので、アレクに彼等の評価を聞いてみた。
「……新しく入って来た3人か?」
「そうそう」
「そうだな……ゼルキス出身だけあって、それなりに鍛えられてはいるな。身辺調査でも問題は無いからこその採用だろうし、人間性も悪くは無いだろう」
そりゃそうだ。
「ほうほう」
「だが、騎士団所属にはなるが……ここではあの程度の腕じゃあ、すぐ死ぬだろうな。春までにもう少し鍛えたとしても、1年2年もしたら裏方に回されるはずだ。ただ、年寄ならともかく、若い裏方の専任は騎士団内じゃ侮られる事が多い。ただでさえ、カミさんのおこぼれと、受け止められかねないしな」
「へー……」
あまり芳しくない様子。
騎士団とは言え、ウチは荒くれ者が多いし、乳母の夫って受け止められ方をしてしまうのか……まぁ、実際そうだしな。
裏方も大事なんだけどね?
「あいつら自身がそれを受け入れられるかどうかだな……。まあ、1番隊の所属だし、そのへんの事はリックに任せるさ」
「あらま……」
確かに所属も違うし、結局そこらへんは本人次第だもんな。
しかし、アレクも結構ドライだな。
一応自分の子と関りを持つ事になるのに……。
「子供達がある程度大きくなると、その後は奥様の侍女として働くだろう? そうなるとカミさんたちの方が立場はずっと上になる。今の段階でどうにかできないんなら、どの道駄目になるさ」
「なるほど……」
男尊女卑とまではいかないが、男女平等とは程遠い世界だ。
そんな中で、奥さんの方がずっと立場が上になるとなれば、世間体というか……中々肩身が狭そうだ。
セリアーナとエレナはリアーナ領の女性の最上位で、その侍女ともなれば、やっぱり魅力的なんだろう。
家庭不和の原因になりそうな気もするが、女性が活躍できる、少ない職種だしな……。
「子供達の教育の本命は、旦那様が王都から呼び寄せる家庭教師だ。変に気負い過ぎずにやってくれりゃ良いんだがな……」
全く気にかけていないわけじゃ無いんだろうけれど、アレクは2番隊だしな……荒くれ者どもの巣窟だ。
どうしようもないか。
耳をすませば、指導役の大きな声が聞こえてくる。
どうなるかはわからないが、頑張って欲しいね……。
379
【本文】
騎士団本部にあるアレクの執務室では、今日も冒険者ギルドや商業ギルドから派遣されてきた者達が、喧々諤々と相変わらず盛り上がっている。
新しく村になる東の拠点や、南北の村、そして、サイモドキとの戦闘で出来た空白地帯。
それらを上手く利用できないか? だのと、商魂たくましくて実に結構。
だが、外の報告があるでもないのにわざわざ俺がここにやって来たのは、別の用事があるからだ。
執務室を漂いながら、そんな彼等の様子を見ていると、部屋のドアを叩く音がした。
「失礼します」
アレクの入室の許可を受け部屋に入って来たのは、パリッと折り目の付いた制服を着こんだ、若い兵士だ。
屋内だから鎧を着ていないが、誰が見ても一目で騎士団の人間だとわかるだろう。
つまり、1番隊の隊員だ。
「来たか。書類は?」
「はっ! こちらになります。どうぞ、セラ副長」
「はいよ」
彼の前に降り、その書類を受け取る。
「えーと……どれどれ」
この書類の内容は既に聞かされている。
屋敷の警備体制の拡充についてだ。
ここリアーナ領の領主屋敷は、領都内南西にある広い高台の上に建てられていて、直接繋がる道は1本のみだ。
その道がある面を除けば、険しい崖になっている。
さらに、その高台自体も今ドンドン手が加えられていて、地下には複数の施設と通路が、そして外側では屋敷への道沿いにアレク達やオーギュストの屋敷が建造されている。
この高台全体が一種の城塞と言えるだろう。
とは言え、頑張ればその崖も登れないことは無く、進入が絶対不可能なわけでは無い。
もちろん、登ったら登ったで警備の兵がいるし、何よりセリアーナの加護があるから、侵入は現実的とは言えないが……それでも、守りをさらに固めるべきだという1番隊の要望で、この度屋敷の警備に犬が導入されることになった。
警護対象の筆頭でもあるセリアーナの加護を頼るってのが、そもそもおかしいのでは? って話だし、俺も賛成ではある。
ただ、それの導入にあたって、騎士団の幹部陣が連名でサインをするのだが、2番隊の副長の俺も一応幹部の一人で、それにサインをする必要があった。
屋敷では無くて、この騎士団本部でだ。
ちなみにその説明を受けたのは、リーゼルの執務室だ。
最終的にリーゼルに提出するんだし、その時サインをしていなかったのは俺だけだったから、そこに持って来てくりゃ良いじゃないか……と思ったが、それは俺とリーゼルの距離感だから言えるのであって、本来はこうするのが正しい。
サインするだけでいいが、一応書類に目を通し始めるが、書類を持って来た彼は、俺が読み終わるのをここで待つのか、ドアの脇で気を付けの姿勢で立ったままでいる。
10枚くらいあるし、やたら細かく書かれているから、ちょっと時間がかかりそうだな。
◇
「リックは部屋にいるのか?」
俺が書類を読んでいる間、気を使ったのかアレクが彼と話をしている。
「はっ。執務室で、春からの隊の編成について検討されています。来年から生活範囲が広がりますし、人の往来も増えますから……」
「……俺達も同じことをやっているんだから、こっちに来たらいいのにな」
「はっ……、1番隊は警備する側ですので、あまり関りを持ち過ぎても良くないからと……」
彼は周りで聞き耳を立てている者達を気にしてか、やや声を落として言った。
「まあ……あいつは真面目だからな」
アレクは笑っているが、俺は頭が固いだけだと思う!
「セ……ラ……っと。はい、書いたよ」
書類全体に目を通してから、最後にサインをして渡す。
そう言えば俺だけ家名が無かったな……大丈夫だろうか?
「……はい、これで問題ありません。ありがとうございます」
問題は無かったようだ。
受け取った彼は、俺に軽く頭を下げて部屋を出て行った。
「……最後まで態度崩さなかったね。1番隊でももう少し砕けたのがいたはずだけど」
街の警備をしているおっさんたちは、勤務中でももう少しフランクに接してくるんだが……。
「そいつらは領地で採用した連中だろうな。若いのは他所から連れてきたのが多いそうだ。だからこそ領内で舐められないように厳しく指導しているんだ。騎士団らしくあれってな……」
「大変だねぇ……」
俺がそう呟くと、冒険者ギルドと商業ギルドの者達が乗っかってきて、アレコレ言っている。
「真面目なのはいいが……街のモンからはちょいととっつきにくいな」
「そうか?ウチの者からは評判がいいぞ? 外で兵士を見ても警戒しなくていいってな」
同じ領都の組織同士でもこれだけ評価が変わってしまうのか。
この街じゃ、ああいうお堅い者達はある意味異物だし、仕方が無いのかな?
しかし、この分じゃリックはさらに頑なになりそうだな……。
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