となかい
葛
となかい
その森は異臭を放っていた。そこかしこにゴミが不法に捨てられているからだ。
生ゴミを烏が食い荒らしたと思われる場所からは距離を置き、治は壊れた冷蔵庫に凭れ掛かった。
嫌なことがあるとよくここに来る。
ポケットから豆電球の破片を取り出した。
ここ一週間を費やし、完成間近だったモーター式の車を滅茶苦茶に壊された。車と言っても両手で持てるくらいの小さなものだが。
やったのはいつものいじめっ子達。いつもならヘラヘラと笑ってやり過ごすのに今回は抵抗したため、奴等を余計に楽しませることとなった。
モーター車を庇って蹲る治の背中を蹴りつける奴ら。
治の腕の中でモーター車がぐじゃりと潰れた。飛び出した針金やらが手の平に当たり引っ搔き傷のように血が滲んだ。
後はもう修理困難になったモーター車を取り上げられ、粉々になるまで踏み付けられた。
悔しくて涙が出そうになるとそれを見咎めてあげつらわれ、より屈辱を味わう結果となった。
奴等が治を「機械オタク」と罵った声を思い出す。
「機械が好きなのの何がいけないんだよッ……」
腹が立ち出して冷蔵庫の胴体を踵でガンガンと蹴って八つ当たりする。
日が落ちて周囲は暗闇に包まれた。
木々が光を遮るので、森は夜の訪れが早い。治の母親は過保護なので急いで帰らなくては説教を食らうことになる。
ゴミを避けながら歩きだそうとすると、向こうに人が立っていることに気付いた。
どうしよう……。夜の森で不審者に遭遇すれば……。
嫌な想像が冷や汗と共に噴き出す。
だが、その方向を通らないことには森を出られない。意を決して進んだ。
「こんばんは」
と、向こうから声を掛けられた。その男は真っ黒なコートを着ていた。
二十代、……四十代か下手すれば五十代くらいにまで見える。つまり年齢不詳。
治はぼそぼそと口の中で挨拶を返しながら足早に走り去ろうとした。
しかし、
「ちょっと待って」
引き止められて振り返ると、男はぼんやりと突っ立ってる。
その背後に何かの乗り物がある。例えが正しいかは判らないが、継ぎ接ぎだらけのソリとも呼べるような……。
それを不法投棄しに来たにしては男に後ろめたさを感じ取れない。いや、何の感情も浮かんでいないように見える。
「少し手伝ってくれないか? ここを押さえてくれるだけでいいから」
どうやらソリらしきものの修理をしているようだ。
男は話している時に僅かに顔を顰めた。本当に困っているようだと分かり、治は足を止めた。
十分後。四苦八苦して何とか動かせるようになった。
「ありがとう。本当に助かったよ、少年」
抑揚のない声だが確かに喜んでいるようだ。
男はじゃあ、さよなら、と言う代わりに「君は人の役に立ちたいと思ったことはあるかい?」と訊いてきた。
どういう意味だと治が訝っていると重ねて言った。
「私と一緒に人の役に立つ仕事をしないか、治君。君にならきっと出来る」
何か疑問に思う前に頷いていた。
「君になら出来る」。それは治が喉から手が出るほど欲していた言葉だった。
母親からは多大な期待を掛けられるかわりにやって当たり前、こんなことでは将来が心配だと言われ続けている。
どんなに定期テストで良い結果を出そうが、続けなきゃ駄目なんだからと釘を刺される。
友達はいない。いつも馬鹿にされいじめられる。
自分のオタクっぽい振る舞いがそうさせるのだろうとは分かっていたが、今更どんなに態度を変えて趣味である機械いじりを隠しても、別の所に難癖をつけられていじめが続くことも分かっていた。
誰も彼もからレッテルを貼られてお前は無価値だと知らしめられる。
そんな毎日がいつまで続くんだと漠然とした憂鬱、焦りに駆られている。
だから目の前の男の一言一言が何よりも魅力的に聞こえた。
治は機械が好きなことを男に打ち明けた。
男は「君の好きなことが世の中の役に立ったら素晴らしいことだ」と話した。
男に言われるがまま家中のモーターや電球やそんなものをかき集めた。
治は心からワクワクした。モーター車が完成に近づく時の高揚と酷似していた。
治は男の前で幾つかモーターの説明をした。男は無表情で頷くだけだが、興味深そうに眺めていることは伝わった。
治の話が終わると男は質問した。
「懐中電灯のようなものは作れないかい? 夜道を照らせるくらいに明るく」
治は豆電球を使って灯りを作った。
ただどこに取り付けるかが問題だった。ソリらしきものに設置しようとはするが前方を照らすのに向かなかった。
その時ふと閃いた。
「僕の顔に取り付ければいいよ。このソリに乗せてくれればずっと前を向いているからさ」
治は名案だと顔をほころばせた。
男も後押しするように「ああ」と優しく笑った。
治は豆電球を自分の鼻に押し付けた。繋いだ銅線が絡まってなかなか良いように取り付けられない。
ぐりぐりと力を籠める。ぐじゃりと鼻の骨を砕いて豆電球が固定された。
鼻から吹き出した血が豆電球の硝子部分を紅く染めていた。
血がだらだらと流れて口に入り喉を伝って気持ちが悪かった。興奮しているからか痛みはなかった。鼻が詰まって息が出来ないので犬のようにハァハァと口で呼吸した。
ソリが走り出した。
治の豆電球はそこらの懐中電灯や車のライトよりもずっと明るく森の道を照らした。
治はとても気分が良かった。
ゴミに塗れた森を紅い光がつらつらと伝い、人間の醜さを浮かび上がらせながら去っていった。
少年は学校での出来事を思い出すとにやけが止まらないようだ。仲間と一緒に治をいじめるのが楽しくてたまらない。
今日は殊更に面白かった。ちゃちなモーター車を庇いながら情けなく顔を歪ませた治を蹴り付ける遊びだ。
明日はどんなことをしていじめよう、想像に浸ろうとして時。
「クリスマスプレゼントをあげるよ」
一人で部屋にいるはずが背後から声がした。
鼻をつまんでいるような息の吐き方だが確かに治の声だ。
振り返ると血塗れで鼻が潰れている治が笑顔で立っていた。
「これ、君へのクリスマスプレゼント」
先程言ったことを繰り返しながら治の右手には豆電球が握られていた。
少年が困惑して立ち尽くすのには全く構わずに治は左手で髪を引っ掴んできた。転んだ拍子に馬乗りになった治は有り得ない程強い力で少年の体を床に押さえつける。
そして、右手の豆電球をそれこそ部屋の電灯でも付け替えるように角度を見ながら、少年の鼻に押し付けてきた。
激痛が走り身悶えたが治が止まる気配はなかった。
両手足を滅茶苦茶に振り回し人間とは思えない声で叫んでいた。そのうちに瞼の裏がカチカチと瞬いて訳が分からなくなってきた。
ベッドや絨毯、部屋の壁にもおかしな模様を描いて紅い血が飛び散った。
床に倒れたままなので鼻から喉に直接血が垂れて喉が塞がる。
苦しい。怖い。もうやめてくれ。許して下さい。
少年の叫び声はもう言葉になっておらず、喉からこぽこぽと血の泡が溢れた。
「よし、取り付け完了したよ。きっとこれで君も人の役に立てるようになるから。良かったね」
どこか夢を見ているような朗らかさで治は立ち上がった。
その頃には少年の視界は白く点滅して意識は遠いていった。
「ねえ、治が行方不明になったって聞いた?」
「治? あの機械オタク? いいじゃん、いなくなったんなら」
「それはそう、だけど……。……実は治をいじめてた子が次々と病院送りになってるんだって」
「……え。治がいじめてた奴等に復讐して回ってるってこと?」
「分かんない。でもすっごい酷い状態でまだ全員意識が戻らないって。ねえ、私達は大丈夫だよね」
「大丈夫だろ、別にいじめてないし……」
「だよね。そう、だよね……」
治が行方不明になったことは地元のニュースでも取り上げられ話題になった。何せ一切手掛かりがないのだ。
誘拐された可能性もあると隣町まで捜索範囲が広げられたがやはり行方は掴めないままだった。
それから捜索は打ち切られ、夏休みも終わりに近づいた頃。
夜中、森の近くを通ると調子が微妙に外れたメロディーが聞こえてくるようになった。
真っ紅なお鼻のトナカイさんは~ いつも皆の笑い者~
季節外れも甚だしい。壊れたオルゴールでも捨てられたのか……。
メロディーはずっと続いている。
暗い夜道はピカピカの~ お前の鼻が役に立つのさ~……
となかい 葛 @kazura1441
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