第35話

 モルモルは新しい葉巻に火を点けながら言った。

「それでは、皆さん。ここで解散としましょう。今日はゆっくりと休んでください」


 隆はベットから起き出した。

 午前6時だ。

 2年前は元の世界ではこの時間から働きに出掛けていたのだが、ここ天の園ではトイレのためだけに起きたのだ。

 薄い布団を払い除け、スリッパを引っかけると、部屋の外へと出た。

 この部屋は大日幡建設の隣の宿泊施設(ニューウエーブ)。何でも瑠璃さんが安いからと教えてくれた。


 質素な造りではあるが、家賃が安くて今の隆たちには有難いことこの上ない場所であった。ジョー助とヒロもこの宿泊施設を利用している。

 ベットで寝ている智子のいびきを聞きながら、部屋からでて正面のトイレのドアを開けた。

 簡素な造りで、窓にはレースのカーテンと赤い花が飾られ、何の変哲もない水洗便所である。

 隆は用を足すと、手を洗う。ふと、鏡を見た。

「お父さん!! 来ちゃダメ!!」

「里見!!」

 見ると、鏡には手を洗った拍子に付着した水滴が淡く広がり、里見の顔が写っていた。

 隆は血相変えて鏡に向かって、手を差し伸べる。

 しかし、鏡に映った里見の顔が消えるだけで、後には何も起きなかった。

 

 ホテルから強い日差しの道路へとでると、隆は項垂れて今朝のことを考えていた。

 里見が必死な顔で来ちゃダメと言っていたのは何故?

 24時間のお姉さんに話したほうが?

 俺は今まで何をしていたのだろう?

 智子にはさっき話した。

 行き交う人々の顔は隆と正反対に皆晴れやかである。

「あなた。時の神様に今朝のことを話したほうがいいわ」

 智子は晴れない顔で隆の肩に手を置いた。


「ああ」

 隆はまだ項垂れていた。

 沈痛の面持ちで混乱していた。自分が今まで何をしていたのかと根本的に考えてしまう。間違ったことをしていたのだろうか?

 隆は気の抜けたゆっくりとした動作で、中友 めぐみの携帯を取り出し24時間のお姉さんに掛けた。

「隆さん。そのことは気にしなくていいんですよ……。とても、些細なことですから……」

 電話越しの24時間のお姉さんは非常に優しい言葉使いで隆を元気づけた。


「できるだけ、里見ちゃんが無事なことだけを気にしてください」

 そう言うと、本人が大通りから人々の間を縫ってこちらへと歩いて来ていた。

 排気ガスの少ない道路をキビキビと歩いていた。

 美しい西洋人の24時間のお姉さんはピンク色の携帯片手にこちらに手を振っていた。

「確かに生命の神は不穏ですけど。私たちの知っていることでは、無事に隆さんたちは里見ちゃんを助けることができます……。あなたは英雄になることを望めば、きっと達することができるでしょう。ですから、何も心配しなくてもいいですよ」

 24時間のお姉さんはニッコリと笑って電話を切ると、道路から人の出入りの激しい会社のガラス製のドアを開けて中へと入って行った。


 隆はそれを聞いても内心の動揺を隠すことができなかった。

 それは、里見がもし生き返りたくないと思っているのなら。今までの苦労は全ては無意味になってしまう。父親としては今までの苦労を思って、里見を叱ってでも元の世界へと連れて帰ることもできるが、隆はそんなことはしたくはなかった。

「それでは、行きましょう」

 正志は重くなった財布にしがみついている瑠璃を急かして隆たちに言った。

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