第31話
「お邪魔します」
「気を使わなくても良いぜ」
エディは玄関からすぐの左のリビングに向かった。
そこには、腹筋をしている青年がいた。鉄アレイや雑誌が散乱している広いリビングに、ステレオから明るい音楽が流れていた。窓際にある植木鉢にぶら下がる小さな檻には猿が奇声を発して牙を剥いていた。
「ヒロ。お客だぜ」
「ああ」
ヒロが立ち上がった。
白人のハンサムな男だった。上半身裸で、青いジーンズ姿である。筋肉隆々のすっきりとしたスキンヘッドで汗が体中を流れていた。
「あなたが……英雄のヒロ。お願いがあります。私たちと雨の宮殿へと来て下さい」
ヒロは難しい顔を瞬時にした。
「悪いんだが……。俺は消防士をしているから解ると思うが。今忙しんだ。何故か火事が最近になって、頻繁になりだしてな。俺の力がどうしてもこの町には必要なのさ」
正志は再度、頭を下げる。
「ですから、そこをなんとか。火事のことはここの勇敢な消防士たちがいるじゃないですか。あなたが、英雄でその火事を止めなければならないという使命は解ります。けれど、こちらには親子の命と未来が掛っています」
ヒロはそれを聞いて、汗をタオルで拭きながら、少しだけ表情を綻ばせ、
「へえ。親子の命と未来ね。確かにそれは優先事項だ」
しかし、ヒロは別の正当な言葉を返す。
「でも、こっちにもそれはたくさんあるんだ。親子や友人。兄弟に姉妹。時には隣人。俺たちの仕事は火事を消すだけじゃない。燃え盛る建物の中には、そういった命とは言わないが未来があるんだ。だから、どっちが大切かって言っているんじゃないけど。俺は消防士だからね……」
正志は背広のネクタイを緩めて戦いの姿勢をした。思考をくるくると回転させている。
どうしてもヒロに来てもらいたい。
「雨の宮殿にはたくさんの人たちが捕らわれています。虹とオレンジと日差しの町の人々です。私も雨の宮殿に捕われかけた時があります。……とても、恐ろしい体験でした。……それだけではなく、北の雨の宮殿は下界からも多くの人たちが、生命の神に今も捕らわれていると思います。こちらも、大勢の未来や生命がかかっていたはずです。きっと、今頃はその虹とオレンジと日差しの町の人々は不安でしょうがないと思いますし、生死の定かは解りませんし、宮殿内のどこに囚われているのかも解りません……。どうか……お願いします。私たちと一緒に来て下さい……。今、この時にも捕われている人々の何人かはどうにかなっているのでは?私には解りませんが、けれど、心配と助けが必要なのは明らかです」
深々と頭を下げる正志の誠意には少しハッタリがあった。さらわれた虹とオレンジと日差しの町の住人は、確かに不穏だが。生命や未来。つまり、天界で殺されることは現時点では言えないはず。
それに、正志は知らないが、ここ天の園では天界の人々や下界で死んだ人たちはもう死なない。
「ふー、ヒロよ。行ってやりなよ。確かに雨の宮殿の生命の神は不穏だって言うぜ。この世界の住人は死なないから、その男の言うことは少しハッタリが混じっているのだとは思う。けれど、それじゃあ何故、人々を捕らえたのかって、考えなきゃならない」
エディは憂いの表情で俯いていたが、そして、広いリビングで遥か北の方を見た。林立するビルディングやアスレチック施設の遥か向こう。北の方には暗雲が立ち込めていた。
ヒロは難しい顔をしていたが、急に力を抜いた。
「……解ったよ。あんたのそのちょっと捻くれた誠意に負けたよ。時の神もこれくらいハッタリを言うほどのずる賢さがあれば、最初から雨の宮殿へと行っていたかもな」
ヒロはふーっと、弱く溜め息をつくように口から火を吹いた。
瑠璃はあれから5日間も競馬とパチンコに通い詰めだった。この町で一番客の出入りが激しいパチンコ屋と競馬場は、手当たり次第に瑠璃の格好の標的であった。寝食は車へと一旦正志と戻った時に釣り具を持って来ては、フランス料理やロシア料理などの高級な食べ物を食べ尽くしていた。
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