第22話

 両親を失ってから何年ぶり、いや8年は経ってるか。俺を見たらきっとびっくりするだろうな。

 両親なら里見のことを知っているはず。

 背筋が冷たくなっても我慢するか。

 この世界に行った両親の年は今幾つなのだろうか?

 背格好や顔が相当変わっていたら解るかな?

 そんなことを考えながら、両親から里見のことを聞こうと、希望を持ってバス停でバスを待っていると、以外な人物がバス停に歩いてきた。

 

 稲垣 浩美である。


「なんだい、あんた。自力でここまで来れたんだね。驚いたよ」

 目を丸くしている稲垣は普通の服装をしている。片手に買い物袋をぶら下げていた。

「……稲垣さん。……俺はどうしても娘に会いたいんだ。絶対に連れ戻して見せるんだ……」

 驚きと懐かしさを隠しながら、そう隆は自分の心にも誓った。

 稲垣は神妙な顔になり、

「でも、危険だから帰ったほうがいいんでないかい。こっちはそんなに悪かないよ。このままこの世界にいた方が幸せなことだってあるんだよ。それに、あんたは娘さんがどこにいるのかも解らないんだからね……。あたしはやっぱり勧めないよ。どうしてもというんなら……」

 隆は首を振って、

「雨の宮殿に娘がいるんだ」

 稲垣は目を丸くした。その次は真っ青になって、

「あんた、今何て言った?!」

「雨の宮殿に娘がいる」

 稲垣は青い顔で少し身震いし、

「……やっぱり…………。あんた、悪いことは言わない。あそこは生者が行くところではないよ。この天の園もそうだけどね。……私も雨の日に不幸が起きることを調べ

に、一度あそこへ行ったんだよ。でも、帰ってくるのがやっとだったんだ。命からがらだったよ。本当にあそこに行ってはいけないよ。あんた……止めとくんだね……」

 隆はそれを聞いて急に涙目になったが、


「俺は……娘はまだ8才だった……人生でほんの少ししか生きていないんだ。娘のためなら……俺は地獄にだって行く」

 隆はそう言うと目を隠してソッポを向いた。

 オレンジ色のバスが商店街の方からやって来た。

 

 オレンジ色の服装が目立つバスの中で、稲垣 浩美と隆は一言も話さなかった。

 座席に買い物袋を置いて吊り革を掴んでいる困り顔の稲垣は何やら考え込み。座席に座っている隆は時折目を隠して鼻を啜った。

 周囲の人たちに気に取られないようにと、仏頂面をしているが、目が赤い。

 座席に揺られた隆は、目元を擦りながら町のオレンジを見つめていたが、ウトウトとしてきた。

 稲垣が町立図書館で降りる頃、隆の方を向いて最後に一言いった。

「あんたの娘は……。誰が……何と言おうと……幸せなんだね」

 隆は眠りについていた。


 里見の笑顔は小学校へと入ってからだ……。あまり見ることがなくなった。いつも下を寂しそうに向いていた……。そんな顔を思い出すと、今では泣いても泣いても仕方のないことだ。

 家族の一人を失うことは身を切られるようなものだ。だが、それでも心の中にその人がいるだけでいいといえることもあるかも知れない。けれど……再び……会える方法があるのなら、最善を尽くしたい。


 隆はオレンジの丘の上のバス停に降りると、強い意志を絞り十字路を歩いた。

オレンジ色に日差しが注ぎ、住宅街が濃いオレンジに染まる。オレンジ色のプレハブ住宅やモルタル塗りが並んでいた。

 隆は表札を見ながら玉江を探した。

 高田、アナトル、ジェファーソン、チェンなど。そして、一番端に見つけられた。玉江である。

 プレハブ住宅で二階建て。一生懸命にペンキでオレンジ色を塗りたくった痕跡があった。

 雨は天にも降る


 玄関の呼び鈴を押すと江梨香が顔を出した。

「どなたー? ……あら、隆くんじゃない。死んじゃったの? すっごく久しぶりね」

 陽気な江梨香は姿も生前と変わっていない。

 細身で整った目鼻立ちのぎりぎりで美人の範囲に入る容姿である。

 隆は少しだけ気を失いそうになったが、胸に込み上げる懐かしさと温かさが隆の心を支えた。そして、ここへ来て、初めての人心地を得た。そう、ここは本当の天国なのだ。

「母さん。中に入れてもらえないかな。それと、これ」

 隆はなけなしの金で買ったお土産を渡した。

「まあ、ありがとう。って、何これ唐辛子とサボテン?」

 江梨香は隆を玄関からすぐ右のキッチンへと通した。正面には二階へと上がる階段があり、広いキッチンからはプラントの花からの香りとテレビの音声がする。

 テーブルに座ると、江梨香がオレンジ色のエプロンを着て、オレンジ色のお茶を淹れた。


 お茶のようなオレンジジュースのような香りが部屋を満たした。

 隆はそういえば、24時間のお姉さんがこの世界のものを、決して食べてはいけないというのを思い出した。

「母さん、悪いけど……。俺はこの世界のものを食べるとまずいんだ」

 隆は申し訳ないといった顔をした。

 そういえば、稲垣 浩美もこの世界の食べ物は食していないのだろうか?

 江梨香はキッチンでクッキーを焼こうと、冷蔵庫から小麦粉とバターを取ろうとして、怪訝そうにこちらに振り向いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る